彼女の過去6
半年はまずいので、最後のストック放出。
それから一ヶ月強が経った。
私の心は平日を、正確に言えば学校のある日を過ごす度に削れていく。
それはどうしようもないことで、逆にどうしようもないことだからこそ、疲れてしまう。
特に、なんらかの用事で放課後学校に残った日はそれが顕著だ。
その日は高確率で女子を連れていない先輩に声をかけられるから。
ある雨の日、土砂降りの雨がせめて少しでも弱くなるまで、と人があまり来ない場所で本を読みながら残っていた時、突然やってきた先輩に「はい」と傘を渡されて呆然としていたら先輩がいなくなっていた。
慌てて本を鞄に仕舞い、下駄箱に向かって二年の靴箱を見てみたが、先輩の名前が踵の部分に書かれた上履きを見つけてしまい、どうしよう、と数秒固まる。
結局その日は有難く傘を使わせてもらい、家に帰ったが、先輩の傘を玄関の傘立てに入れる気にならなくて、濡れた傘をそのまま自分の部屋に持って行った。
そうして次の日の放課後、先輩に傘を返そうと先輩の教室まで向かったのだが、周りの女子が怖くて数秒で踵を返し、最終的に下駄箱周辺をうろうろして先輩を待ち伏せするしかなかった。
通り過ぎる生徒や教師を見ながら、肩身の狭い思いに耐える。
それでも何やってるんだろう、私、という思いは幾度も湧いた。
そうして生徒が通らなくなり、教師が時々通るのをなんとなく隠れつつ見送り、流石に帰りたいと思った時だった。
ようやく見えた姿に、よくここまで持った、私、と自分を慰めながら、生徒が減ってから幾度も確認した先輩の靴箱の前を陣取る。
目が合った瞬間に体を強張らせつつ頭を下げた。
傘のお礼と謝罪、体調はどうですかという伺いをしつつ、何処となく機嫌の良さそうだった先輩が何かに気付いて不安そうにしたのに首を傾げる。
返した傘を片手に「どれくらい待たせた?」と聞いてくる先輩に、笑って「そんなに待ってないですから気にしないでください」と答えを濁す。
それからその答えに何かを察したらしい先輩の「待たせてごめん」と私の「昨日は濡れて帰らせて本当にすみませんでした」の言い合いになったが、途中で根負けした私が「そういえばどうしてこんな時間までいるんですか?」と聞いて言い合いは終了した。
待った時間が何分何十分どころじゃなかったからか、どうして昨日傘を貸してくれたのかとか、どうして私の場所がわかったのかよりもその質問が頭を占めたのだ。
そうして先輩が特に悩むことなく答えたその言葉を略すと、普通に帰ると女子がいて気を抜けないから、いつも生徒がほとんど帰った頃に帰っているということだった。
それならどうして私が先輩を警戒せざるを得なくなったあの事件――先輩と目が合ったあの日、女子に周りを囲まれながら帰っていたのか。
その疑問は、だからこれまで放課後のあまり人のいない時間に話しかけられていたのか、という納得の感情に覆われた。
私が先輩を避け始める前、最初の頃は放課後校門を過ぎるまでは周りに紛れて眺めていようと思っていたのだが、時間が遅くなっても先輩が見つからなかったので、伯母さんを気にして帰っていたのだ。
その頃から放課後どうしているのだろうと気になってはいたが、答えを直接本人から聞く日がくるとは夢にも思っていなかった。
同時に、あの事件で先輩を避け出した後の方が、その前の放課後より先輩との接点が多い事実に笑いたくなった。
まあ、そもそも接点なんて望んではいなかったが。
ともかく、その日は少し話してから校門の前で先輩とは別れた。
それからはその接点に何かを感じた自分を叱ったり先輩のことを考えたりでこれまで過ごしてきたが、ふと今日、朝起きて時計を見ながらぼんやりと考えた。
どうして先輩は私を構うのだろう?
気になってはいたが、答えのわかる日なんて来ないだろうと考えないようにしていた。
どうして先輩は私に優しくするのだろう?
なのに考え出せばキリがなく、これまでの疲れでか、何処となく思考がネガティブになっているようだった。
先輩は優しいから。
これまでだって、これからだって、困っている私に構ってくれるのだろう。
暗い方向に思考は進む。
先輩は私のことを知らないから、私のことを嫌いじゃないから、だからきっと優しくするのだ。
私は先輩を苦しませただろう元凶の人達の娘なのに。
どうでもいいと思っていたはずの両親に対する思いが、高校入学と同時に膨らんでいくのが自分でもわかっていた。
どうして先輩は私の両親に間接的とはいえ苦しめられたの?
どうして先輩が私の両親に苦しませられたの?
どうして、私の両親は先輩を苦しめたの。
「…今頃になって、」
大きく息を吸って、昂ぶった気持ちを落ち着かせるためにゆっくり息を吐く。
もう壊れてしまいそうだ、と思った。
心という袋があるとして、そこから想いが溢れてしまったら、袋は割れるのだろうか。
その様を形容して、壊れると言うのなら。
私の心はもう、耐え切れるかわからない。
いっそ、嫌われてしまいたい、と思った。
優しくされるたびに想いが溢れるのなら、いっそ冷たくされて、嫌われてしまいたい。
それを考えるだけでも心が痛むけれど、逆に救われる気がした。
冷たくされて、嫌われて、心に刺さる言葉を言われてしまえばいい。
それがきっと、私から先輩に対する贖罪になると信じたかった。
「ちなみにその人はファンクラブから制裁を受けたらしいよ。詳しくは知らないけどね」
その日、休み時間が始まってすぐ仲の良い友人にそれとなく先輩の話題を振ってみると、どうやら先輩が高級住宅街に住んでる噂を流したのは先輩のストーカーだということがわかった。
先輩を尾行して高級住宅街まで行ったが、そこで一度怖気づいて帰ったそうだ。
けれどそれは先輩にバレていて、次の日先輩が学校でそのストーカーを邪魔そうに見ているのを見たファンクラブがストーカーを呼び出して制裁というものを与えたそうだ。
一瞬他人事じゃないと思って身を強張らせたが、もうあんなことはやらないと決めたし、大丈夫なはずだと唇の端をヒクつかせつつ、呼び出しを受けたら絶対に逃げようと強く決意した。
まあそれはとにかく、知りたい内容はそれじゃないと本題の話題を振る。
それは、先輩の嫌いなタイプ、という、意外と有名らしい噂というか、暗黙の了解だった。
「まずさっきも言ったようにあの先輩はお金持ちらしい。それで更に容姿が良く、噂だけど頭も悪くないらしい。運動神経は知らないけどね。まあそんなだから、先輩の周りにはよく計算高い女子が集まったらしいよ」
つまり要約すれば、媚びる人が大っ嫌いということだった。
だから私は、それを聞いて決めたのだ。
次に会った時はできる限り媚びよう、と。
媚びるというのはよくわからないけど、最初はとりあえずよく先輩の周りにいる女子の顔を真似して、口調も間延びした感じにし、声をかなり高くして話そう、と思った。
その為に家の鏡で何度も練習したが、その少し後に見かけた伯母さんの後ろ姿を一瞬母に見間違えて体を震わせた。
おやすみ、と声をかけて部屋に戻ったが、決めたばかりの方針が頭から吹き飛ぶくらいには動揺した。
本当に、どうして、と泣きそうになりながらも涙を堪える。
――今頃になって、両親は私を苦しませる。
一応このまま放置にはしない予定です。
完結するまでは書く予定なので、長くはなりますが待っていてくださると嬉しいです。
(追伸:無理そうになったらせめて完結だけでもさせます。無理やりにでも結末には行かせます。)