彼女の過去5
あれから三日が経った。
その間、私はあの不可解な事件を警戒して、周りの生徒に混じって眺めるのではなく、ストーカーの如くこっそり眺めるようにした。
幸いなのか否かはわからないが、何も知らない人はそんな私を先輩のファンクラブの一員だと思っているようで、見て見ぬ振りをしてくれた。
実際のファンクラブの人達には険しい顔で睨まれたりしたが、もし呼び出しとかあったら全力で逃げようと思う。
けれど今は、何故か時々周りを見回して何か探す素振りを見せる先輩が怖いので、ファンクラブの皆様を気にする余裕が持てない。
というか、時々自分が何の為に先輩を観察しているのかわからなくなる時がある。
どうしてストーカーみたいに角からこっそり覗いたりしなきゃいけないのだろう。
そうしてふと気が付いた時に、私はいったい何をしているの?とぼんやり考えるが、その時が何故だか一番虚しくなる。
けれど今日もここ数日に何度もやって慣れた、休み時間に目的もなく出歩く先輩を眺める行為を遂行する。
前とは違って、先輩を廊下の角から伺い、ある程度距離が離れたら着いていく。
そんなことを繰り返す度に、心の底から悲鳴を上げたくなる。
やること自体には慣れたけれど、諸々の理由で削れていく心はもうどうしようもない。
そうして先輩の目の前に次の角が近づいて、私の後ろの角が遠くなる。
「っ!」
そんな時に先輩が辺りを見回し、後ろも振り向いた。
あっ、と思った時には遅く、すぐに目が合ってしまう。
思わず逃げる場所のない状況に頭を抱えたくなったが、なんとか堪える。
先輩の表情は変わらず無表情のままで、けれど目だけは細められているのがわかった。
私は冷や汗を流しつつ、とりあえず、と会釈して、頭を上げるのと同時に踵を返す。
だから私は、先輩が周りにいる女子達を鬱陶しそうに見ていたところを見ていないし、その理由も知らない。
それから自分の教室に入って、足早に自分の席に座り、これだ、と脱力する。
これだから、前みたいに生徒に紛れて眺める方法が通じない。
何処を目指すでもなく行われていた休み時間の散歩が、あの日から変わってしまったようだ。
私だって最初はただ少しいつもより遠くから眺めていただけで、ストーカーみたいなことはやっていなかった。
それなのに、ふと辺りを見回しては、私と目が合った瞬間に動きを止める。
その時は不可解の出来事に混乱し、思わず先輩に会釈して近くの角に逃げ込んで、走って教室へ戻ってしまった。
それからすぐに自意識過剰だと机に沈んだが、昼休みにも同じことがあったので、流石に前日の事件もあってか、先輩がなんらかの理由で私を探しているという仮説を意識せざるを得なくなった。
「んー…」
軽く唸って、はあ、とため息を吐いた。
また、なんの為に先輩を眺めていたんだっけ?と考える。
伯父さんが見てればわかる、と言ったからだ。
それは何を?
伯父さんが自分の勤め先に伯母さんが探している、償いをしたいと言った人物の一人がいると言わない理由を。
私はそれをこの数日で少しでも理解できた?
全く、これっぽっちも、理解できていない。
それどころか、今は何故か予想もしていなかった出来事に予定も感情をも狂わされている。
「……ストレスだ…」
何度も繰り返した自問自答を、今日も繰り返す。
そうして放課後、先生にダンボールに入った資料を資料室に持っていくように言われ、追い討ちのようだと遠い目をした。
目の前にあるダンボールは十つあるが、大きさや重さを考えると、一つずつしか持っていけない。
つまり、教室から正反対の場所にある資料室に十往復で運ばなくてはいけないということで。
私は先輩と帰りに鉢会いたくないからと、クラスメイト全員が帰るまで教室で机に突っ伏していたことをすぐに後悔した。
「…途中で伯父さんに手伝ってもらえるよう頼んだり…は、迷惑だよね」
ため息混じりの言葉は自分にしか届かない。
本当は、先輩が帰っただろう時間に伯父さんを見つけ、いい加減疲れたから答えを教えてくれと頼むつもりだった。
いっそ土下座してもいい。
それを誰かに見られて変な噂を流されてもどうでもいい。
聞かれたら別に隠していないので静石先生は私の伯父ですと、正確には違うが言うつもりだった。
何故土下座したと聞かれたら、どうしても知りたいことがあったからと答えるつもりで、更に深く突っ込まれたら、人に頼るより自分で調べる方がいいと恐らく私のために言ってくれたのに、何日経っても答えがわからなかったからと答えてやるつもりだった。
なのに、その考えが一瞬で吹っ飛んだ。
担任は外せない用事が終わったら手伝ってくれると言ったが、まあその頃には終わってるだろうなと苦笑していたから、確実に遅くなるだろう。
手伝いを求められる相手は誰一人居らず、この量の資料を十往復で教室から遠い資料室へ運ぶ。
気が遠くなりそうだったが、頭を振って気を取り直す。
そんなに重くない、苦しいのは階段だけ、ダンボールが大きいだけ、と心の中で何度も言いながら資料室へと向かう。
そうして二往復した頃、これなら二つでもいけるんじゃないか?と後にその考えを後悔するが、実行してしまった。
教室を出た時点で、腕がぷるぷる震えているのがわかる。
私はもうその時に後悔していたが、本当にやってしまったと思ったのは、階段を間近に控えた廊下でのことだった。
「大丈夫?」
ふっと腕が軽くなり、初めて聞いた低音に誰だろうと顔を上げる。
それがいつも観察していた先輩だと確信するまで、驚きやら動揺やらで固まってしまった。
目を合わせたまま、先輩は私の返事を待ってるのか動かなかったから、私は遮る者も止める者もいない状況で先輩の姿をジッと見てしまう。
そう、近くで見るダークブラウンの髪は、光の反射でか、遠くで見るのとは少し違う色に見えて。
遠くで目が合った時にはわからなかった瞳の色も、こうして見れば麦茶色だとわかる。
そこでダンボールの重さとこの場の状況にハッと気が付いて、だ、と掠れた声で零した。
「だい、じょうぶです…」
目を細めて「よかった。これは何処に持っていくの?」と笑いながら先輩が私に問うが、私はその表情を見た瞬間から怯えたような態度を押さえられなくなった。
辛うじて「し、資料室です…」と呟き、その場から逃れるように歩き出す。
原因の先輩はダンボールを持って私に着いてくるので、歩いても歩いても逃げたいという感情は収まらなかった。
そんな私を何処まで察したのかはわからないが、先輩も道中何かを言うようなことはなかった。
「これは…よくあそこまで二つ持って歩けたねと思ったけど、なるほど。これなら重くても二つ持ちたくなるのはよくわかる」
先輩が残り六つのダンボールを見て、「資料室に俺達の持っていったダンボール含め四つあるから、足して十つか」と遠い目をする。
結局、資料室で「手伝ってくれてありがとうございました」と言って終わりにはならなかった。
すぐにでも先輩から離れたかった私の態度を、他にもあるから早く戻りたいと思っていると解釈した先輩に手伝うよと言われ、本心を言うことはできず、かと言って本当に他にも残っているので、断るための言葉が思いつかず、結局手伝ってもらうことになったのだ。
私は泣きそうな心中を押し隠し、ダンボールを持った。
それから時々短い会話を交わしつつ、気まずい空気を耐えて三往復し、ダンボールを運び終える。
本当なら六往復するところを、三往復するだけで終わったことに本心で感謝しつつ、それでも早く離れたいという思いからそれでは、と一方的に告げてその場を去った。
小さくああ、うん、と何か言いたげな声が聞こえたが、それをさよならの挨拶への返事と捉えて無視する。
とにかく逃げ出したくて、校門を出てからも足を緩めることはなかった。
そうして家に着き、鍵を開けて中に入る。
そこでようやく息を吐いた。
早歩きで歩き続けたからかバクバクする心臓を押さえるように右手を左胸に当てる。
おかえり、と聞こえた声に一拍置いてただいま、と返した。
――まだ、何もかもがわからない。
まだ終わらないだと…?
当初の予定を過ぎました。
何故かもう少し続きそうですが、お付き合いいただければ幸いです。
追伸、ストックがなくなってきたので、少し更新が遅れます。