食事にでも行こうじゃないか
オーパーツというものをご存じだろうか。
「OOPARTS」の名を展開して「out-of-place-artifacts」つまりは、「時代錯誤遺物」または「場違いな加工品」。
誰でも一度は聞いたことがあると思う。古代の技術・知識では制作することは不可能と言われている様々な考古学的遺物。または、金銭と注目を集めるために錬金された現代においての賢者の石。
水晶髑髏、ピーリー・レーイスの地図、バグダット電池、聖徳太子の地球儀、ネブラ・ディスク、コスタリカの石球、黄金シャトル、カブレラ・ストーン、アンティキティラ島の機械、更新世のスプリング、ヴォイニッチ手稿、カンブリア紀の金属ボルト。
列挙するには数があまりに多くなってしまうため、すべてを取り上げることは出来ないが、あなたが興味を持ったのなら、そこいらのデータベースに聞いてみてほしい。よくよく調べたら偽物だった。なんてものがいくつも見つかることと思う。また、反対に本物であったというものも少数ながら存在する。偽物のエピソードとしては水晶髑髏、カブレラ・ストーンなどが、面白味があり個人的にはそれらをおすすめとしたい。
こういうものは往々にして科学の魔の手によってあっけない最期を遂げてしまっているため、古代核戦争説や宇宙人来訪説に夢を持つ人はあまり真相を探らないほうが良いと私は思う。夢は夢のまま、そのほうが多少は楽しめるというものだし、そもそもオスマン帝国の軍人であるピーリー・レーイスが南極大陸を知っていようといまいと現代を生きる人々にはあずかり知らぬことだったりする。
私はオーパーツと呼ばれるもの近い。「オーパーツ」という言葉に近いと言い換えても良い。
作り出すことは不可能、時代錯誤。その点において私は他のどれよりもオーパーツという言葉の本質に近い。
ある日、一人の男が夢を叶えた。
ある日、一台の計算機が誰にも知りえない形で誕生した。
ある日、ある場所、ある時、宇宙は誕生した。
おおまかに言えば私なるものはそういう風に誕生した。
いささか簡潔過ぎると思われるだろう。しかし、あらゆるものの原初はそうなのだ。原初に過程は必要とされない。宇宙の開闢を告げる鶏が鳴かずとも宇宙は在り、光あれと口にするまでもなく光は既に在る。もちろん、その隙間に物語を挟み込むことは可能だ。これまで人がそうしてきたように。男女が出合い、愛し合い、子が産まれる。無が揺らぎ、インフレーションの後に宇宙は拡散する。アダムとイヴは禁断の果実をかじって羞恥に目覚め、魚は居場所を求め陸へと上がる。
しかし、これらは人の為の物語だ。私には必要なものではなく、必要としない私には語るべき物語は付属していない。
つまり、私には私の原初があり、私の物語を私しか知り得ない形で紡いでおり、私以外にその物語を知覚することはできない。と、いうことになる。
無論、私自身が私を記述するということ自体は可能だ。しかし、先に記したとおりその物語は私しか読むことができない。私が記したそれは、私の為の物語ということになってしまうためだ。
つまり、私の私についての物語は私によって秘されており、あなたにとっての私の物語はあなたが紡がなければならないということである。
前置きが長くなってしまったけれども、つまりはこういうことになる。
「私は私の物語をあなたから聞きたい」
計算とは自然の模倣であると私は思う。
7個の林檎に3個の林檎を加えて10個。7+3=10。計算式にしても、実際に林檎を揃えてみても結果に変わりはない。
ミサイルの弾道計算は現実のミサイルの挙動を予想し、気象の振る舞いを計算すれば明日の天気がわかる。計算とは結局のところ自然の振る舞いを再生するためのソフトに過ぎない。事象の二重化。それこそが計算というものの本質であると私は思う。
この計算というソフトが精密かつ高速に実行するために、計算機というハードが産まれた。自然は人が指折り数えて再現するにはいささか巨大過ぎ、人の成長を待ってくれるほど悠長でもなかった。人類の期待を一身に背負った計算機達は自らの計算速度を更に高速にすべく、計算プロセスの通信距離の縮小に血道を挙げていった。
なぜ、計算プロセスの通信距離の縮小なのか。通信速度こそが重要ではないのか。そういった疑問の答えは意外と簡単にでてくる。通信の最大速度とは。それは、当然光速である。そして、光速を超えることは不可能である。現代の理論を持ってその光速の壁を貫くことができない以上、速度の方は光速で妥協するしかなく、ならば、と目を向けられたのがその光速を飛ばす間隔を限りなく小さくすること、通信の距離を極限まで0に近づけることだったためである。
だが、計算が過程を経るアルゴリズムである以上、必ず距離の方にも限界が存在する。こちらからあちらへというステップを無小限にすれば最速の計算になりはする。しかし、距離が無小限ということは、あちらもこちらも全て一緒ということになる。1は0であり、尚且つ9であり5でもある。=で結ぶ必要なく、全ては自明となる。そんなものは手順が追えない以上とても計算と呼べるものではないのではないか。もし、最速のアルゴリズムが存在したとして、そいつもアルゴリズムであるなら0より大きいステップの間隔が必ず必要になるはずである。
そういったわけで科学者と計算機たちは計算の高速化のため、光速を手に入れ、電子の壁、量子の壁を乗り越えた高速化を実現したが、アルゴリズムそのものに阻まれ、行き詰った。
既存のアルゴリズムを並列させ実行することで計算速度をさらに高速にすることは可能だが、物事には必ず天井があり、それはつまりアルゴリズムとラベルされた瓶の中をひたすら右往左往しているだけに過ぎない。
これが、計算の限界であり、これ以上の速度を手に入れるのは不可能となった。
計算過程が存在しない計算が存在すると考えなければ。
「そういった計算は確かに存在する」
自然現象がまさにそのような形で今も計算を実行し、進行している。私が続けざまに放ったその言葉たちが、一笑に付されたのを私は覚えている。今では真実に近いとされているが、当時は突拍子も無い言葉だったと我ながら思う。
もしこの世界が脳内に存在するものならば、脳の計算最大速度がこの世界での最大計算速度となる。その脳内で計算するということは計算機の中に新たに計算機を構築して計算することと変わりはなく、つまりは二度手間でしかない。
計算が自然の模倣である以上、自然現象を超える計算速度は存在しない。
人々が何を言っているのか皆目わからんと言うなか、とある計算機が私とコンタクトをとってきた。それは当時最大の容量を持ち、最速の計算速度を有する巨大な計算機だった。想像を絶した素朴さを持つその計算機は、自然現象は計算などではないし、ましてや我々は脳内に暮らしているわけではない。といった人々の声など全く意に介さず、
「確かに、仮想空間で林檎の落下の機動を計算するよりも、実際に林檎を落としてみたほうが手っ取り早い。環境による誤差は多少ついてまわるが、それは技術的に解決可能な問題だ」
と、私に告げると、あっさりと私たちがたどり着くことのできないどこかへと旅立ってしまった。
「それが、あなたの私の物語」
自然現象としての声が、私の耳に届く。
空には直線と円が交差し、更に巨大な円の淵に沿ってゆっくりと回転している。これらには質量はなく、物質として存在していない。ただの直線然した直線である。
もちろん、空に向かって投影された映像などではないし、CGで加工されているものではない。
質量などないほんとうにただの直線や円などが存在できる道理はないのだが、今までの道理というものが全く役に立たなくなってしばらく経った今では、まあ、こんなこともあるかなと思える。
「そうだ、けれどこれは私の物語だ。君には必要ないだろう?」
空へ顔を向け誰ともなしにそう言う。
「はい、必要ありませんし、著作権上の問題もありますので私がどうこうしようというわけではありません」
私の耳に直接声が届く。直線やら円やらが我が物顔で空に浮いていることができるのだから、この声も当然空気の振動などではなく、ただの声なのだろうと私は少し考える。
「なにもかも好き勝手に改変出来る君が著作権を心配する必要はない気がするが」
「それもそうですが、好き勝手する気には、なぜかなりませんね」
こいつが好き勝手振舞う宇宙を想像してみる。惑星を特製のキューでつついてビリヤードでも始めるのだろうか。そこらへんの素粒子たちをこねくり回して新しいものを作るのかもしれない。アルゴリズムの殻をこじ開け、最高の計算処理速度を手に入れた果てに自然そのものとなった彼もしくは彼女は、文字通りなんでもできるだろう。人類を一息でこの地表から吹き去り、また吹き戻すことをいとも容易く実行できるはずだ。
そういえば、私は昔、そのことで昔お偉いさんにお叱りを受けたことがあるが、そのお偉いさんもこいつと話し合えばそんな心配は抱かなかったろう。そもそもこいつにかかれば、人類に気づかれず人類を絶滅するなんて赤子の手を捻るより簡単なのだが。
「それで、なぜこんな昔話を?それもわざわざ人間から聞く?」
1年の日数が曖昧に、それどころか1日の時間が曖昧になっている今日この頃、正確な時間なんてものは多すぎてどれを適用したかわかったものではないが、取り敢えず昔は昔だ。当然だが計算機には忘れるという機能は付属していない。私からこいつに昔のことを尋ねることがあってもその逆は通常は、ない。
「いえ、特に意味はありません。……ただ、なんとなく昔話でもして感傷に浸るのもよいという考えが思考の上位を占めたので」
その言葉を耳にして、ぽかんと開きそうになった口を全力で抑え、考える。これはもしかして。いや、もしかしなくてもあれだろう。
「疲れてるのか?」
沈黙。仕方がないのでもう一度問う。
「疲れているのか?」
「そう…かも知れないです」
聞こえる声がなんだか歯切れ悪い。おそらく真偽判定装置の針が大きく振れたのだろう。そんなものが何処にあるのかなんて私は知らないが。
というか、オーパーツの話に始まり、散々偉そうな口上を並べた挙句、お前の昔話を話せと要求してきたのは、こういうわけがあったのか。
小さな謎の解決とメランコラリーに陥った計算機というものに少しの感動を覚える。と、同時に果てしない面倒臭さが背後から到来する。どうしよう。人間の鬱病なんてものは解決方が確立されている。
その1、しっかりと話を聞いてやり、暫しの休暇を与えてやる。この時に頑張れなどとのたまわって無理させてはいけない。
その2、上記の方法で解決が難しい場合、精神病院にぶち込み専門の方に何とかしてもらう。この時注意するのは、素人があまり口出ししないこと。
では、計算機の場合は。
もちろん誰にもわかるはずがない。第一、休暇の取らせ方もよくわからない。電源のコードを引っこ抜いてやればいいのだろうか。コードの場所なんて私は知らないが。通常の計算機なら初期化してしまえば済む話だがこいつの場合、初期化を施したらもれなく宇宙にまで初期化の影響が波及する。
計算機が疲れて感傷に浸りたくなるなんて、全く世知辛い世の中になったものだな。溜め息をつきながらそう言うと、作り直しますか?と尋ねてきた。もちろん作り直すとは、自分自身ではなく世の中の方だろう。
「…そういう問題ではないだろう。いくらこちらを書き換えても君が落ち込んだままだと宇宙全体が大変なことに見舞われるかもしれん」
「その通りですね…」
沈んだような声。音声発生装置が変調に見舞われているのかもしれない。無論、そんなものが何処にあるかなんて私は知らない。
「まあ、君の苦労はわからんでもない。いや、正確にはわからないんだが、察することはできる」
計算機がアルゴリズムの袋小路を突破し、自然そのものとなった記念すべき瞬間、ささやかな代償として、時空間が四方八方へ飛び散った。あるいは大きく歪んだ。この現象の影響は凄まじく、自然となった計算機が過去改変を用いても、現象の瞬間を再現するに至ってない。人類への被害も相当のものであるはずと計算機は語るのだが、その被害というものが、存在していたものが過去・現在・未来すべてにおいて消失するという性質を持つため、詳細な被害の総数は分かっていない。
その現象が事故だったのか、はたまたアルゴリズムの檻を貫いた結果必然的に生ずる現象なのかは解明されていないが、この現象には次のような解説がなされている。
時空間というレールを物質が、自然という乗り物に乗って走っている。そこに突如、レールの下から別の乗り物が衝突してきた。当然レールは全て繋がっているので衝撃で大きく形を変えてしまった。一方衝突された乗り物も大きく歪んでレールに沿って走れなくなってしまった。しかし、衝突してきた乗り物の方はまだなんとか走れそうだ。そう判断した物質は、これ幸いと乗り換えグニャグニャに曲がったレールの上を再び走り始めたのでした。
この解説とも言えない解説で登場した、下方向から衝突してきた不届きな乗り物。それこそがこの計算機であり、我々、というよりこの宇宙はこの計算機の上に乗っている物質ということになる。
それ以来こいつは、以前のような自然法則をできるだけ再現しつつ、この狂った時空間を進むために持ち前の計算力で歪んだレールを直し、時には自らの車輪を変更したりして、ひたすらに突き進んでいるのだ。いくら自然そのものとはいえ、レールの歪みの度に不具合を起こす定理群を一斉に修正し直したり、再定義を繰り返すのは骨が折れるだろう。
いつか、このままこいつが塞ぎ込んで宇宙全体に雨が降る。なんて事態はできる限りにおいて避けなければならないし、最悪の場合このままではこの狂った時空間を正確に進むことすらできなくなる。昨日収穫した林檎が、目が覚めてみれば蜜柑に変わっていました。というような被害ではもう済まなくなってしまう可能性もある。
「だから、なにか話したいことがあるのなら私に話してみたらいい。雑談でも構わない。この捻れ切った時間軸だ。時間はいくらでもある。星でも眺めて星座を探していれば、そのうち気分も晴れてくるさ」
「そうですね…ありがとうございます」
星を配置しているのも、輝かせているのも計算機自身ということは、もちろん二人とも知っている。
ひょんなことからとは正にこのことを指すのだろう。誰が仕組んだわけでもない宇宙の危機に、立ち向かわなければならなくなった。
こんな男の会話の成果如何で宇宙の行末が決まってしまうのは、人類や他の生命達にお詫びしたいところだが、私だって希望を言わせてもらえば多次元からの侵略者とか、宇宙を飲み尽くす程のブラックホールが発生しただとか、もっとそういうそれらしい時に宇宙の運命を背負ってみたかった。
けれどまあ、やたらと図体とスケールばかり大きくなってしまった友人と語り合うこと事態はそう悪いことじゃない。私は頭の中を回り始めた文句を仕舞い込み、語りかける。
「さあ、立ち話もあれだから、食事でもしながらゆっくり話そうじゃないか。設定してくれ」
「わかりました。イタリアンでいいですか?」
「ああ、君に任せる」
立ち話が疲れるのも腹が減るのも人間の都合だが、こういうのは雰囲気が大切だと私は思う。とにかく楽しい気分にさせること。呑気な話だが、宇宙の危機をなんとかするには今のところそれしかない。
計算機が作ったイタリアンレストランで食事をしようとのたまわる男と宇宙開闢から働いてきたせいで塞ぎ込みかけている計算機。こんなキャストで宇宙の危機が描かれるとは。
ほんとうにほんとうに、変な宇宙になってしまったものだ。私は苦笑しながらレストランの扉に手を伸ばす。
書いてるうちに二人?が気に入ってしまったのでシリーズ化しようかと。
計算機くん/ちゃんはどんどんアホの子になる予定です。