1.春のそよ風
「もっとよ! もっと地球から離れるの」
姉が叫んだ。
「魔人の体が輝きだしたわ」
妹が叫んだ。
「魔人どもを縮める! 魔人の体の破裂の地球への影響が少しでも小さくなるように」
弟が叫んだ。
「魔人どもは過去の地球に転生する気だ! 俺たちも……、必ず生まれ変わって……、きっと再会しよう。そして、今度こそやつらを倒すんだ……!」
兄が叫んだ。
「兄さん!」
「姉さん!」
「みんな――!!」
魔人の体が破裂した。
気が遠くなった。
× × ×
五十嵐コウジは、自分の寝室で目を覚ました。
「また、同じ夢を見た……」
五十嵐コウジは涙を流していた。
幼い頃から、何度も繰り返し見ている同じ夢。
地球に災いをなす魔人どもを、自分が仲間と一緒に宇宙空間に追い払い、共に消滅してしまうという――。
だが、それは所詮、夢だ。
五十嵐コウジは、この春から中学1年生になった、ごく普通の、平凡な、どこにでもいる少年なのだから。
「ほら、コウジ、起きなさい! いつまで寝てんのーー!?」
階下から姉の声がした。
「今、起きたよーー」
五十嵐コウジは大声で返事をすると、頬の涙をパジャマの袖でごしごし拭いて、自分の部屋を出た。
「どうしたの? 目赤いよ」
この春から大学生になる姉が、トーストにジャムをぬってコウジに渡しながら聞いた。
「なんでもないよ。起きたばかりだからだろ」
コウジはそう言ってごまかした。
夢を見て泣いていたなんて言えるわけがない。
コウジは姉と2人暮らしだ。
母親はコウジがまだ幼い頃に亡くなった。
父親は地方に単身赴任。
高校生の時から、姉がコウジの身の回りの面倒を見てくれている。
姉だけど、母親みたいなものだ。
「じゃあ……、行ってくる」
「大丈夫? なんかちょっと元気無いんじゃない」
「そんなことないよ」
玄関まで見送ってくれた姉に「行ってきます」と告げると、五十嵐コウジは家を出た。
「コウちゃん、おはよう」
家を出ると直ぐ、隣の家に住んでいる幼馴染みの光明寺ミドリが声をかけてきた。
ランドセルを背負い、くりっとした目をしたショートカットの可愛らしい女の子。
2つ下なので、この春から小学5年生だ。
「コウちゃん、どうしたの? 目赤いよ」
ミドリも姉と同じこと聞いてくるなと思いながら、コウジは答えた。
「起きたばかりだからだろ」
「花粉症かと思った。それともお姉さんに叱られた?」
「もう小学生じゃないんだから、姉さんに叱られたぐらいで泣かないよ」
「じゃあ、小学生までは泣いてたんだ?」
「泣・い・て・ま・せ・ん。――ていうか、弟どうした?」
光明寺ミドリには4つ下の弟がいて、この春から小学校に入学だ。
「友達と一緒に学校行くんだって。こないだまで、『ねえね、ねえね』って私にまとわりついていたのに」
ミドリはちょっと寂しそうな表情を見せた。
「弟が姉さん離れすると、寂しいもんかい?」
「まあちょっとね。コウちゃんとこのお姉さんだってそうじゃない?」
「うちはどうかなーー。いっつも『コウジは手がかかる』って言われているから」
話をしながら歩いていると、小さな子とお母さんが言い合いをしているのに出くわした。
「しょうがないでしょ。引っかかっちゃったんだから。だから道路を歩いている時は飛ばしちゃダメって言ったでしょ」
「やだ、取ってーー」
小さい子は上を見て半泣きだ。
五十嵐コウジと光明寺ミドリは、その子の視線の先を見た。
小さな紙飛行機が、木の枝に引っかかっている。
コウジとミドリは足を止めた。
「コウちゃん、届く?」
「無理だろ。俺がミドリを肩車して、ぎりぎり届くかどうかじゃないかな」
「えーー、肩車? やだよ、恥ずかしい」
「俺だってやだよ。重いし」
「失礼ね、軽いわよ。そんなことばっか言っているから、お姉さんに泣くまで怒られるのよ」
「だから、怒られていないし、泣いてない」
泣いているのは小さい子の方だった。
お母さんも困ってしまっている。
「ちょっと風でも吹けば、落っこちてきそうなのにね」
「風か……、そうだな」
本当に、ちょっとだけでも風が吹けばいいのに……五十嵐コウジがそう思うと――、本当に、ちょっとだけ風が吹いた。
枝に引っかかっていた紙飛行機は、風にあおられて枝から外れると、ひらひらと小さな子のところへ落ちてきた。
「やったーー、ひこうき戻ってきたーー」
さっきまで泣いていた子は、打って変わって大喜びだ。
「風、吹いたんだ」
ちょっとオドロキといった表情で光明寺ミドリが言った。
「吹いたなーー」
五十嵐コウジも意外だった。
静かに晴れ渡った春の日で、そよ風さえも吹きそうになかったからだ。
「まあ、でも良かったんじゃないか。あの子も喜んでいたし」
「そうだね――って、さっき私のこと重いって言ったことなんだけど」
「言ったっけ?」
「言ったああ!! 今度、ほんとに重いかどうか肩車してよね」
「えーー!?」
「えーーじゃないでしょ。じゃ、私こっちだから。コウちゃんはあっち」
「あ、そうだったな」
T字路に来ていた。
小学校と中学校への道は、ここで左右に分かれる。
3月までは一緒に小学校に通っていたので、思わずコウジはミドリと一緒に行きそうになってしまった。
反対方向にそれぞれ歩いていく、五十嵐コウジと光明寺ミドリ。
その2人を、物陰から鋭い目つきで見つめる影があったが、その存在に、コウジもミドリも気付くことはなかった。