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借りた物であれ自分で買った物であれ、大切に汚さずに扱いたい物というのは、
人によってまちまちである。
趣味で収集しているものや、高価なものであれば大事にしたくなるのは勿論のことだと思うのだが、
本はどうだろう。
それこそ専門書や辞書、実用書や教科書等、高価と言える本はいくらでもあるが、
これらのものを皆が丁寧に扱っているというイメージは正直あまり無い。しかし、小説や漫画であれば少し違う。
今はその手の本といえば古本屋なんかが全国に広まったおかげで、手ごろな値段でいくらでも手に入るようになった。
少々の折り目や黄ばみなんかがあるのは仕方ないとしても、
僕は古本とはいえ手に入れた本をそれ以上汚したり、傷つけたりといったことはしたくはなかった。
別に本を収集する趣味があるわけではない。量が増えてくれば、
感銘を受けてよほど再読に値すると感じたもの以外は譲ったり売ったりするようにはしていた。
それでも、さすがに新品で買った本を手放すとなると惜しかった。
友人で、趣味で漫画本を集めている者がいるのだが、彼のコレクションはどれも新品同様の扱われ方をしている。
埃避けにカバーがかけられた本棚の中に、本のサイズや作者別で綺麗に陳列されているさまは美しいの一語に尽きる。
それもなるたけ初版本を仕入れるように心がけているらしく、また本のオビまで全て保管しているようだ。
彼の場合はコレクターに近いところがあるので、ここまでいくとちょっと熱心が過ぎるという気もしないではないが、
本を大事にするということは、読書家として大切なことだと僕も考えていた。
例えば、本を読むのを中断したい場合、読者は"しおり"というものを挟む。
しかし中には、開いたままひっくり返してしおりを使わない人がいる。
僕はこういうのはちょっと許せない。理由は勿論本が傷むからだ。
閑話休題――ここで、いる子さんに本を借りたところに話を戻そう。
彼女はかなりの読書家である。テレビは殆ど見ないし、他に趣味があるわけでもない。
職場でも休憩時間には本を読んで過ごしているということだ。
よほど大好きな本を丁寧に扱っているのだろうと思いきや、彼女に借りた本はしかし汚れていた。
それも半端な汚れ方ではなく、しっかり汚れていた。中には、何か物を食べながら読まなければつかないような汚れまであった。
衝撃を受けた僕は、当然いる子さんに本を返すときにこのことについて尋ねた。
それに対する彼女の答えを聞いて、僕は更に受けた大きなショックを隠せなかった。
「本は消耗品です。汚れたら、また買えばいいんです」
本好きな人が、そんなに粗末な扱いを平気でするなんて信じられなかった。
彼女は本をひっくり返したり、折り目がつくだろうに片手で持って読んだりすることに一切の抵抗も感じないタイプの人だったのだ。
「これは特に何度も読み返した本なので、とっても汚れているんです」
はじめ、動揺していた僕だったが、話を聞いているうちに気持ちが変わってきた。
今まで図書館で一緒に読書をしてきた仲である。何より本が好きな人だということはよく分かっているつもりだ。
「そんなに何回も読み返したんですか?」
「好きな本は十回でも二十回でも読みますよ。それでも、二十一回目に新しい発見があることもありますから」
この言葉には、目から鱗の思いだった。
僕なんて、小説ならよく読んで二・三回だ。
作者の伏線に気付いたりするのを楽しめるのもせいぜい二回目くらいまでで、
それ以上は内容も覚えている物語に身を投じるのも時間が勿体無い、というような感覚があった。
人と出会うことと、本に出会うことは似ている。
人生でいい人に何人出会えるだろう。そして、いい本には何冊出会えるだろう。
人生で読める本の冊数には限りがあるのだから、
次から次と新しい本に手を出していかなければ、と無意識のうちに思っていたのかもしれない。
でも、いる子さんに本を借りることで、一冊の本に対して深い愛着を持つということの大事さに気付かされた気がした。
僕も本を読むのは好きなほうだが、彼女はずっと僕よりも先をゆく読書好きなのではないかと思うようになっていた。
そして、今ではその思いは確信に変わっている。