四章 想い出
――……ザ……アイザ。
お母さん……?どうして、病気で死んだはずのお母さんの声が。
――お願い、目を覚ましてアイザ。
目を開けて、まだ夢の中だと思った。
「良かった……もう目を覚まさないかと思った」
「お……かあ、さん?本物……なの?」
「ええ。この顔、覚えてない?」
眠っている間に切ったのか、口の中全体が鉄錆の味。咽喉奥にまで血が張り付いている感じ、呼吸すると軽く噎せた。
アタシが大きくなった分年を取った母と、ダブルベッドの上で一枚のシーツに包まれている。身じろごうとすると骨盤の上に鋭い痛みが走った。
「動いちゃ駄目。まだ知奈の傷が完全に塞がっていない」
思い出した。刺された後、あの子ともう一人誰かに抱えられて……。
恐る恐る傷口を手で探ってみる。包帯の下にもう一枚、傷を覆うように硬い布のような物があった。ガーゼとは違うみたい、大きな絆創膏?
六畳程のワンルーム。ベッド以外の家具は無く、壁が茶色がかって古びた印象だ。出入口はベッドの対極の位置のドア一つ。頭上に頑丈そうな格子窓が見えた。
「ここはどこ……?」
天国にしては狭くて薄汚れた場所だ。刺し傷があるから少なくとも現世には違いない。
「分からないわ。私も今朝、知奈にここに連れて来られたばかりだから」
「あの子の事知っているの、お母さん?」
彼女は記憶よりずっとやつれた顔で苦しそうな表情を浮かべた。肌はしばらく日光に当たっていないように白く血の気が無い。まるで友人の誠みたいだ。
「勿論……知奈は長の一番お気に入りの実験体。毎日監禁された私の様子を見に来るわ」
「監……禁……!まさか、あの日から二十年間ずっと……!!?」
アタシが天宝に養子で入り、何不自由無く成長していた頃、一人ずっとこんな所で――!
「ごめんなさい!宝爺からお母さんは病死したって聞かされてて……」目頭が熱くなり、普段滅多に使わない涙腺からぼろぼろ雫が落ちた。「ごめん……なさい……!」
「いいのよアイザ。あなたの大きくなった姿を見られただけで充分。こんな状況でなければもっと良かったのに……」
「長って奴が元凶なんだね!どうしてお母さんを!!?」
母は目を伏せ、私達の血が特別だからよ、と呟いた。
「血?」
「信じられないでしょうけど、私達は七種とは別の生命体なの。……いきなりそんな事言われても困るわよね?外見は人間と変わらないし、あなたはハーフだから余計に」
アタシの右手を握る。
「アルカツォネ。長身で怪力を持ち、個体によっては妖族に似た変異能力を備えた種族。外宇宙から渡来してきたと言われているわ」
「え、えと……」説明されても実感が湧かなくて何とも言えない。「あるか、つぉね?聞いた事無いけど」
「知らないのも当然よ。一族の乗った宇宙船はずっと暁十字が保管して、世間には公表されていないはずだから」
「あ、暁十字??」
何だそれは。新手の宗教?
「私は船に冷凍保存されていた遺体を元に作られた十二番目のクローンで」
「ゴメンお母さん!アタシじゃとても話についていけないよ!とにかく、そのアルカツォネだったせいで今まで閉じ込められてたんだね?」
「そう。長は血を吸うために私をずっと生かしているの……麻薬みたいにね、一度口にしたら欲しくて欲しくて堪らないんですって」
「血を?それじゃまるで“死肉喰らい”だよ!」
そんな酷い奴にお母さんが長い間苦しめられていたなんて!早く脱出しないと!!
「きっと……あなたを誘拐したのもそれが目的だわ。ハーフの血は純血とは一味違うだろうって、そう言っていたから」
「大丈夫だよお母さん!すぐにここから出してあげる……っ!」
身体を起こそうとした拍子に脇腹を激痛が走る。どうしよう……これじゃ動けない……。
「アイザ!?ああ……可哀相に……」
胸に手を当てトン、トンと優しく叩く。懐かしい、ぐずって中々眠れない夜はよくやってもらってた……。でもこのまま寝てなんていられない。四やウィル達がきっと今頃街中探し回っている。そう言えばあの人のティーセット、ちゃんと見つかったかな?
(ううん、四がきっと上手く探し出したに決まってる……)
「あのドアを開けて出られない?」
「無理よ。鍵は知奈が掛けてしまったもの」
なら格子窓を開けて大声で助けを求めよう。まだ昼間だ、誰か外を歩いているはず。
「っ……!お母さん、あの窓まで行くから支えてて」
「無理しないでアイザ」
不安そうな母に精一杯の笑顔を示す。
「平気だよ。これぐらいの痛み、お母さんが今まで受けた苦しみに比べたら無いも同然」
正直今にも額から脂汗が滴り落ちそうなぐらいキツい。これが誠なら周りを目一杯心配させつつ涼しい顔で動き回れるのに。と言うより、今この包帯の下どうなってるんだろう……パックリ割れて腸はみ出してたりして……ぶるぶる。想像しちゃ駄目だ、悪寒が止まらなくなる。
「お嬢さん!その部屋にいるの!?」
え!この声は!傷を忘れ、慌てて格子窓のクレセントを開ける。
閉じ込められているのは一階の部屋で、外は剥き出しの地面。数メートル先にコンクリートの塀が左右に続いていて、その向こうは塀が邪魔で見えなかった。
赤髪のマダムは格子窓のすぐ下に立ち、背伸びしてこちらを覗き込んでいた。
「良かった、取り合えず無事みたいね。そちらはあなたのお母さん?」
「はい。悪い奴にずっと捕まっていて。お客さんはどうして」
「任せっ放しも悪いと思って、私も骨董市に探しに来たの。そうしたらあなたが不気味な女の子と、見るからに怪しい黒ローブの人に引き摺られて会場の外へ行くのが見えて。追跡してきたはいいけれど、今までどの部屋に連れ込まれたか分からなかったと言う訳」優雅に人差し指を振り「御理解頂けた?」
返事をしようとした途端、突き抜ける感覚に襲われた。どっ!と汗が噴き出す。
「あ……ぁ……」
確かめようと触った指がぬるりと赤く染まる。
「アイザ!」
「大丈夫!?」
お客さんが格子に頬が当たりそうになるぐらい覗くのが見えた。立っていられなくなり、ベッドにくの字で倒れ込む。
「うぅ……」
「もう少しの辛抱よ、しっかりして!すぐに助けを呼んで来るわ!」
朦朧とした頭に少女、知奈の一言が蘇ってきた。
「ま、待って……家の居間にとっても大事な石が……多分まだ畳の上に落ちたままなんです。あの子が取り返しに来る前に隠さないと……!」
心優しい友人の命をあんな卑怯者に奪われてなるものか。
「家は店の奥よね?分かった、何とか探してみるわ」
「済みません……」非常時とは言え客に頼み事なんて商売人失格だ。
「いいのよ。お母さん、両手で傷口にシーツを押し当てて、できるだけ止血していて下さい」
「分かりました」
ヒールの音が遠ざかっていくのをぼんやり聞く。母が出血部を圧迫し始め、苦しさのために息を詰めなくてはならなかった。
改めて彼女の顔を見る。必死に子供を助けようとする母親の目だ。長年離れて、当の子供でさえ忘れかけていたのに……。この間のは予知夢だったの?
「ねえ、お母さん……」
「何?」
「アタシね、お父さんがくれた誕生日プレゼントのくまちゃん、ずっと持ってるよ。お母さんが赤いリボン着けてくれたよね?覚えてる?」
「当然よ。懐かしいわ」
目にかかりそうな前髪を払ってくれる。
「こんなに大きいのに、あなたはまだ可愛いおチビさんのままなのね。ふふ……出られたら約束通りけろけろちゃん買ってあげる。もう遅い?」
「全然!」
お願い神様。一分一秒でも早く『この』お母さんを自由にしてあげて……。
会場内を散々探し回った後、俺達は環紗の街へ飛び出した。一度店を見て来てくれ、爺さんの指示に従って大通りを走る。
バンッ!
「!?」
玄関戸が外へ吹き飛び、巨大鋏を持った赤いドレスの少女がしなやかに道へと飛び出してきた。俺には気付かず反対方向へ逃走する。
「待てっ!」
同じ所から出てきた紅の髪の女が深紅のヒールをカッカッ!鋭い音を奏でながら追う。一瞬見えた横顔は結構美人だった。強い意志を秘めた髪と同じ色の瞳に、思わず視線が釘付けにされる。
「とにかく中だ」
壊れた玄関を抜け居間へ。途端キャッ!悲鳴が響いた。
「リーズ?」
「ウィルさん?ああ良かった。てっきりあの女の子が戻って来たのかと思って吃驚しました」
右手に昨日使った治療道具入り鞄。で、左手には黒い小箱。
「そいつは?」
「私が聞きたいぐらいです」鞄を上げ「忘れ物を取りに来たら、さっき出て行った二人がここで一触即発状態だったんです。この箱は赤い髪の女の人に投げ渡されて、『凄く大事な物だから、この店の大きな男の人に絶対手渡してね!』って厳命されました。その人、そのまま逃げた女の子を追い掛けて行って」
「ああ見た。随分度胸の据わった女だな。あのガキ、昨日まーくん達を襲った首狩魔だろ多分?あんなパーティードレス着て敵う相手じゃないぞ」
だがあの女、恐怖を一ミリも感じていない風だった。実はもの凄く強い、のか?
「天宝の大きな男の人と言うと四さん?今はブースの方ですか?」
「いや、それが」
簡単に事情を説明すると、少女の顔に驚愕と困惑が同時に浮かんだ。
「さっき殺人犯がいたのはこの箱を取り返すためだったとして、まさかアイザさん、これ目当てのあの子に誘拐されたんじゃ……」
「ちょっと待て。その箱、中に何が入ってるんだ?」
「ええっと」
パカッ。蓋が開いた瞬間、瞼を開き過ぎて目玉が飛び出るかと思った。
「珍しい。黒い、ダイヤモンド?」
「リーズ!蓋閉めろ!」誰が見ているかも分からない。
「え?」
「早く!」
「は、はい!」
宝石は再び小さな暗闇に閉じ込められた。
「何なんですか一体これ」
「“黒の燐光”だ。大幅に端折って説明するに、壊すと不死族が全滅する石」
「え?ええっ!!!?」
驚愕で取り落としたのを慌てて俺がキャッチした。持った瞬間から両手が震え出す。
「どどど、どうしましょうウィルさん!?こんな大変な物、とても私の手には負えません!」
「俺だって無理だよ!」
あの兄弟の命が今この手の中にある。そう考えただけで冷や汗が後から後から出てきた。掌は既に濡れ、そのせいで滑り落としそうな事に恐怖が増大する。
「ウィルさん!い、いいですか!?まずは落ち着きましょう、こう言う時は素数を数えるんです」
「あ、ああ。一」
「動揺し過ぎです!素数は二から!」
言われた通り二、三、五……噛み締めるように唱える。効果があったかどうかはさておき、百一まで数えた所で動悸は大分治まっていた。
「もう大丈夫だ。まーくんに返しに行こう」
とは言え今頃街中走り回っているはずだ。捕まえるのは容易ではない。それに、こいつも確かに大事だが緊急にはアイザが。
カンカンカンカン!!
「な、何だ?」
慌てて外に出て辺りを見回した。西の空に一筋黒煙がたなびいている。このサイレン、火事か。
「消防車?あそこが火元みたいですね」一棟のアパートを指差す。
「ああ。帰ってきている可能性もあるし、先に一旦会場へ戻って」
「ウィルベルク様?」
「わっ!」
中庭の方からヤシェがこちらに向かって歩いて来る。肩に濃い茶色の重そうな旅行鞄を提げていた。
「さっき表の方でドッスンバッタン言っていたけど、何かあったのかい?」
「まあな。お前こそ“黒の燐光”について何か分かったのか?」
「――どうやら必要ないみたいじゃないか。そいつだろ?」
「っ!!ど、どうして分かる!!?」
クックックッ、新聞記者は含み笑った。
「そんなに大事そうな手付きで持たれてたら嫌でも分かるさ。良かったじゃないかい、見つかって」
「まだ本物と決まった訳じゃありません。誠君達に見てもらわないと断定は」
少女の言葉に俺も冷静さを取り戻す。そうだ、こいつが仮に煉宝石店から盗まれた物だとしても、イコール不死の宝とは限らない。現時点ではそれこそ割ってみるまで真偽は分からないのだ。
「ふぅん、あの坊やなら区別できるのかい……」
「ヤシェ、お前どうして家の方から出てきた?店の連中なら今日は皆広場に行っているぞ」
俺の回答に首を竦める。
「何だ、道理で誰もいない訳だ。昨日の内に言っといておくれよウィルベルク様。あちこち探し回っちまったじゃないか。あ、先に弁解しておくと家の中には入ってないよ。玄関に鍵が掛かっていたからねぇ」後ろを振り返って「おや?私のためにわざわざ開けといてくれたのかい?」
「違うだろどう考えって。直接出向いたって事はさぞやデカいネタを掴んだんだろうな?」
「まぁ、ねぇ。但し“燐光”とは少し外れているのさ。ついでに若干猟奇的」
一枚の写真を取り出す。黒い髪の頭の左右に結んだお団子、赤いチャイナドレス、右手より遥かに大きな鋏。先程見た首狩魔に間違い無い。闇夜の中、こちらを振り返った所にフラッシュを浴びて虹彩を細めていた。
「こ、こいつは一体誰が撮ったんだ……?」
「企業秘密。だけどそうさねぇ、この子の後ろ。見覚えのある物が写っているだろ?」
所々明かりの点いた一際高いビル。俺達の目の前にも光ってこそないが同じ角度で龍商会は聳え立っていた。
「ねぇウィルベルク様。この子が本当に例の首狩魔なのかい?」
「ああ、恐らく」
その言葉にヤシェの表情がほんの僅か曇る。
「……そうかい。なら急いだ方がいいかもねぇ。この辺をうろついていた目的がその石だけとは限らない」
「まさか、次の標的は天宝商店の誰か……?」
「嘘だろ?」
相手の目的が不明な以上、可能性が零とは言い難い。俺達は記者に礼を言い、会場へ走り出した。
集中に集中を重ね、ほんの僅かな氣も見逃さないよう歩く事十数分。先導する弟の手を握り締めた。
「見つけた。こっち」
距離が近付くにつれ、然程注意しなくても氣をキャッチできるようになってきた。でも、
(何だろこの氣……)不快とまではいかないけれど、もやもやして変な感じ……。
塀に囲まれた一軒のアパートメントの前で足を止める。元々は白い壁が風化して薄い黄土色状を帯びていた。古い証拠に壁のあちこちに細かい亀裂が見える。
「ここだ」
「兄様あれ!煙出てるよ!」
建物と塀の間の通路の一角、金網で作られたゴミ置き場の中から火が出ていた。燃えているのは住人の物と思われる大量の新聞や雑誌。
「小火だ!消火器、消火器!!」
「誰かそこにいるの!?助けて!監禁されてるの!!」
間違い無く捜していた友達の声。「アイザ!ここなの!?」声がしたと思われる鉄格子の窓を背伸びして覗き込む。いた。ベッドで横になったまま、向こうも私を認めた。
「誠!良かった、っ!!?」とても苦しそうにお腹を押さえた。隣にいる彼女によく似た女の人が悲鳴を上げて「しっかりして!」只ならぬ事態と理解した途端、私の心にはっきりとした形の焦りが生まれる。
「待ってて、すぐそっちへ行くから!!」
窓を離れ、弟に手を貸してくれるよう頼む。アパートメントは昼間とあって出掛けているのか閑散としていた。一階通路を走り、ドアを数えながら二人が閉じ込められた部屋を目指す。
探し当てた部屋には表札が無かった。ノブを回してみても鍵が掛かって開かない。
ドンドンドン!
「アイザ!ここにいるの!?」
「はい!早く助けて下さい!娘が……あぁ、このままでは……」
アイザのお母さん?小さい頃死んだって聞いたのに……ううん、今はこのドアを開ける事が先決だ。でもこんな鉄製の頑丈なドア、二人で幾ら体当たりした所で壊れてくれないだろう。ウィルや四さんがいれば別だけど……。
「僕お兄さん達を呼んで来るよ!兄様はここにいて!」
ガチャッ!
「何の騒ぎだ全く。こちとら怪我人だぞ」
又隣の部屋から二十代後半の大柄な男の人が出てきた。両腕の筋肉がシャツからはち切れんばかりに盛り上がり、弟の胴体と同じぐらいの太さ。身長は四さんより高く、廊下の電灯に頭が当たりそう。
「済みません」
男の人は私の顔を見た瞬間、あんぐりと口を開けた。信じられない物を見つけた、とでも言いたげな真ん丸の目。
「ぼ、ぼ、坊ちゃん……??どうしてこんな所に坊ちゃんが」
ダッ!部屋に戻る。
「おいジュリト!こいつは一体どういう事だ!さっきの薬で幻覚でも見てるのか俺は!!」
「どうしました靭?―――あ」
聞き慣れた声に意を決して男の人の部屋を覗き込んだ。
室内は雑然としていた。脱いだ衣服にビール瓶が床に散乱、食べ終わったお弁当箱がテーブルに置かれ、ベッド脇には彼の背丈より大きい両刃の剣が立て掛けられている。
「どうした二人共」
部屋の左奥から出てきたラキスさんが男の人に胸倉を掴まれた。
「ギャッ!何するんだ靭!!?」
「五月蠅い!この新米モヤシ野郎!」身体全体を完全に持ち上げてブンブン振り始める。今にも放り投げて壁に叩きつけそうな気配だ。
「降ろしてくれ!!」
「や、止めて下さい!」弟を後ろ手に庇いながら部屋に入る。「暴力はいけません!」
「靭。坊ちゃまの御前ですよ。分かっていますね?」
ジュリトさんがそう言うと丸太のような腕が降ろされた。解放されたラキスさんが荒い息を吐き、助かった……と呟く。
「お見苦しい場面を。赦して下さい誠君。彼は無駄に血の気の多い性格でして、それさえ無ければそこそこ優秀な従兄弟なのですが」
「坊ちゃん」
靭さんは凄く不思議そうに私を観察する。
「あの、もしかして記憶が無くなる前に私と知り合いだったのですか?だったらごめんなさい。全然覚えていないです」
「記憶喪失……そんな。じゃあリュネも?あいつの事も忘れてしまったんですか?」
「……ええ。出会った人はおろか、自分の事さえ欠片も」
「ならお」
「靭。余り誠君を困らせないように。どうやら私達を訪れて頂いた訳ではないようですし」
神父さんの視線に弟が身震いする。以前された虐待を思い出したのだろう。
「どうやら今朝お会いした時とは状況が変わったようですね。どうなさいました?とてもお困りの様子ですが」
「友達が……怪我をして、この部屋の二つ隣にお母さんと閉じ込められているんです。早く助け出して治療しないと死んでしまう……」頭を床に着く程深く深く下げる。「お願いします、手を貸して下さい!」
「坊ちゃん!頭を上げて下さい!」靭さんがオロオロしながら私の肩に触れた。「坊ちゃんは堂々と俺達に命じるだけでいいんです。人間みたいに平身低頭する必要なんてない」
言うが早いがラキスさんに「来い!さっさとぶち破るぞ!」慌てて私達も後を追う。
「ここですか?」「はい」
二人が肩を突き出し、タックルの体勢を取る。
「行くぞ、せーのっ!!」
ガンッ!ガンッ!ガチャッ!!
「アイザ!」
飛び込んだ部屋は異常に簡素だった。森の私達の家以上に生活の痕跡が全く感じられない。
唯一の家具であるベッドの上に二人がいた。お母さんが力を掛けたら折れそうな手を真っ赤にしながらシーツで血止めをしている。友人は薄目を開け仰向けになったまま時折呻いた。
「もう大丈夫だよ!私の声聞こえる?」
「誠……お母さんを、安全な所に……早くしないと知奈……首狩魔がまた……」
「うん。お母さん、ちょっと傷を診せて下さい」
「は、はい」
切られたシャツを捲り上げ、血の滲み出した包帯の上から指先で患部を探る。
(思った以上に傷口が広い……連れ出す前に仮にでも塞いでおかないと保たないかも)
すぅっ。何度か深呼吸してありったけの氣を両手に集める。
(治って、お願い……!!)
掌に帯びた光を触れさせる。瞼がぴく、と動いた。
「あったかい……」
「何、この光?身体が軽くなって……」上半身を抱えていたお母さんにも氣が作用したようだ。
「兄様は奇跡使いなんだ!お姉さんの怪我もあっと言う間に治るよ、安心してお母さん」集中している私の代わりに弟が説明してくれる。
「坊ちゃまの腕は私が保証します。靭、この街の病院は?」
「歩きで十分弱。俺が抱えて行ける距離だ」
「宜しい。ではあなたは坊ちゃま達に付き添って病院へ行って下さい。私とラキスはここで件の首狩魔とやらを待ち伏せします」
チッ!「おい!奴は俺の獲物だぞ!」噛み付くように言う。一方神父さんは涼しい、冷たいとさえ思える声で反論した。
「あなた以外誰が彼女を背負えるんです?元はと言えば、あなたが昨夜殺人犯を取り逃したのが原因。きちんと始末していれば、こうして坊ちゃまの御手を煩わせる事も無かったのですよ?筋肉しか詰まっていない脳でもその程度は理解できますね?」
「ぐぐ……」
「ジュリトさん、靭さんを悪く言わないで下さい」
この前みたいに嫌い、は止めておこう。本当にショックな様子だったし。
「何だ、つまらない」私にしか見えなくて聞こえないあの人がヒュゥッ、と口笛を吹いた。
良かった。出血は何とか止まった。後少しで傷も完全に塞がる。
「う……っ……」
「苦しくない?もうすぐ病院に行くからね」
横目でお母さんの様子を盗み見た。まるで自分が重傷を負ったように蒼白な顔をして、一心に友人の手を握り締めている。
(やっぱり気のせいだ)
友達のこんな姿を見たら、少しぐらい感覚が狂って当たり前。ただの娘想いなお母さんにしか見えないもの。
「あの人……ちゃんと四に渡してくれたかな……」
「?何の事?」
「耳貸して」
言われた通り耳をアイザの口元に当てた。切れ切れに語られた内容は驚くべき物だった。
「じゃ、じゃあ“燐光”はティーカップマダムが四さんに?」
「まだ頼んでからそんなに時間経っていないし……渡せてないかもしれないけど……」
「分かった。アイザをお医者さんに任せたらすぐ確認に行く」
本物だったらまずはウィルやエルに相談しなきゃ。不死の人達に連絡して……やっぱり私達が直接返しに行った方がいいよね。無断で外出した罰を受けるとしても……だけどオリオールは赦して欲しい、私は幾ら責められてもいいから。
いつの間にか彼女の大きな手が、お腹に添えている私の手に重なっていた。
「誠……帰っちゃうの……?折角友達になれたのに……」
失血のせいか普段見せない弱気な表情を浮かべる。
「行かないで……皆凄く悲しむよ……行っちゃ駄目」
私も別れるのは心が引き裂かれそうな程辛い。記憶にあるのはこちらの世界ばかり。向こうに行っても何も思い出せなかったら、心細さで酷く寂しくなってしまうだろう。
「また会いに来るよ。たとえその度に罰を受けても……友達と一緒にいられる幸せに比べたら何て事ない」
「坊ちゃま。傷はもう塞がりましたか?」
急に声を掛けられて吃驚する。「は、はい!」思わず上擦った返事をしてしまった。
「じゃあとっとと行きましょう坊ちゃん」
靭さんが軽々とアイザを背負い、取りに行ったらしい大剣を右手に壊れたドアを潜る。私とオリオールは弱ったお母さんを両側で支えて部屋を出た。
「靭。坊ちゃまをくれぐれも危険な目に遭わせないように」
「了解」
玄関から外に出ると、ゴミはまだブスブス燃え続けていた。類焼の心配は無さそうだけど。
「放火か?ったくあんな焦がしやがって」
「……もしかしたらあの人がやったのかも。ほらあそこ、アタシ達のいた部屋のすぐ向かいでしょ。気付いた誰かに助けてもらいなさい、って事じゃないかな」
「このアパートは殆ど空き部屋だぞ。塀も高えし通行人にはまず中の様子なんて見えねえ。あんな所燃やしてもよっぽど気の付く奴でない限り発見するのは難しいな」
「僕達が近くにきてラッキーだったねお姉さん。兄様が氣を辿らなかったら絶対助からなかったよ、ね兄様?」
「ありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
お母さんは頭を下げ、消え入りそうな声で言った。その衰弱振りが監禁の長さを物語っていた。歩く脚も覚束無い。
「これでやっと……親子水入らずで暮らせます……誰にも邪魔されずに」
彼女に速度を合わせた靭さんの横を私達が歩く。
「……!?ちょっと待って!」
「どうしたの?」
彼女は慌てて、病院はマズいよ!と言い出した。検査なんてされたらアルカツォネって事がバレちゃう!駄目!絶対止めて!
「アルカツォネ?」
話を聞くに七種とは違う珍しい一族で、周囲に判ると大変に困るらしい。私達不死族と酷似した状況はすぐに理解できた。
「おい、お前まさかその年まで医者に掛かった事が無いってのか?」
「うん。具合悪くなったら宝爺が薬くれたし、家借金あるからその、病院行ったら負担になると思って……」
バリバリ。太く黒い短髪を掻き毟る。
「そう言う事は部屋を出る前に言ってくれ!だったらどうすりゃあいい?その爺なら診れるのか?」
「多分……宝爺なら秘密だって言えば絶対守ってくれる」
「よし。そいつは今どこだ?」
「骨董市の会場です。まだ美希さんと帰りを待っているはず」
方向転換。私達は病院とは反対の道へ。
それにしても靭さんは凄い体力の持ち主だ。息一つ乱れていない。素直にそう口にすると、傭兵ならこれぐらいできて当然だと返された。
「でもアイザは私より背も高いし重いのに」
「俺は二百キロ近い猪を両肩だけで担ぎ上げた事があります。女の一人や二人、バーベル代わりにもなりゃあしません」
ばーべる?会話の流れから察するにとても重い物かな。
考え込んでいて、彼が背を曲げて顔を覗き込んでいるのに気付くのが数秒、或いは数十秒遅れた。
「ど、どうしたんですか?何か付いていますか?」
「いや、坊ちゃんは記憶が無くても坊ちゃんのままなんだなと思って」
不思議そうに呟く。
「尤も、以前の坊ちゃんは傷を治したりしませんでしたが……」
「あの、私と靭さんはどこで会ったのですか?良ければ教えて下さい」
「あ、えっと……ジュリトの隣にいたんですよ。そっちの坊主は覚えているだろ?」
「う、うん。確かその時リュネさんもいたよね?」
旅の途中、ジュリトさんの教会に泊めて貰った時の事だ。なら覚えていないのも当然だ。
「あいつも坊ちゃんが好きで……帰ってきちゃくれませんか?」
瞬間、弟が全身をビクッ!と痙攣させた。
「教会に、ですか?でも二、三日伺っただけのお宅に……それに今は“碧の星”に家があります。移ったらウィルや聖樹さん、皆とも時々しか会えなくなります。やっと友達になれたのに……」
「じゃあ残された者はどうすりゃいいんです?俺達は坊ちゃんを」
ゲフンガフン。物凄い咳払いだ。
「喋り過ぎた、これ以上は止めときます。けど坊ちゃん、もうこいつらと仲良くするのは止めた方がいい。坊ちゃんが傷付くだけだ」
「え……?」
ポカポカッ!
「!?この小娘!何しやがる!?」
「アイザ!?」
背後から靭さんの頭を殴った拳を振り上げ「それはこっちの台詞よ!」と叫ぶ。「誠が誰と友達になろうとおじさんには関係無いでしょ!こいつらとか、見下して物言わないでよ!」
更に一撃腕力のある右手で後頭部を打つ。
「この、怪我人で女子供だと甘く見てればつけ上がりやがって……!!」
「アイザ、止めなさい!この人に謝って……!」
「そうだよアイザ!靭さんは親切で……」
でも彼女が怒るのも当然だ。今の言葉は、本当なら私が伝えないといけなかったのに。
「あの、ごめんなさい靭さん。アイザは私の代わりに言っただけなんです」
「坊ちゃん?」
「皆は私の大事な友達です。忠告は有り難いですけど、これからも止めるつもりはありません」
アイザに視線を合わせて「ごめんね。傷に触るから、もう暴れないで」謝った。
「怒りは私が全部引き受けます。彼女にはどうか手を上げないで下さい」
「滅多な事を言わんで下さい!俺が坊ちゃんを叩くなんて有り得ない!」ばつの悪い表情を浮かべ「すいませんでした」逆に謝られてしまった。「俺如きが口出しできる問題じゃないですよね」
「え、あ、あの……」
問題だなんて大袈裟な。
「坊ちゃんの御意志に従うのが俺達の使命ですから」
従うってそんな……私はただ友達と離れたくないと言っただけなのに。
「変なおじさん。誠、あんまり悩まない方がいいよ」
「う、うん」
彼女の励ましにようやく我に返った気がした。
「まだどっちも戻って来てないか」
ブース内はさっきと違い十数人が品定めをしていた。何人かは明らかにプロ、ルーペを当てたり品物を引っ繰り返したりしてじっくり検分している。
「ウィルさんにリーズさん?」
裏から覗いていた俺達を美希さんが見つけ、客の脇を抜けてこちらに歩み寄った。
「そちらはどうでした?アイザさんは」
「いや。まーくんか四は帰ってきてないのか?」
「四さんならつい五分ぐらい前にエル様とまた出て行かれました。誠さんはまだ……お二人がどうかしましたか?」
俺の持っていた小箱に目を落とした。
「その宝石箱……まさか、“黒の燐光”……?」
「よく分かったな。エルから聞いたのか?」
彼女は一瞬だけ目を伏せた後、何かを振り払うように顔を上げた。「伺っています」
「なら話が早い。もし戻って来たら俺が持っていると伝えてくれ。ここに置いておく訳にもいかないし」
「分かりました――あ、宝さん。四さんはどちらへ行かれたんですか?」
良かった、爺さんはまだピンピンしているな。
「四なら一旦店に戻らせたばかりじゃ」好々爺然とした目に鋭い光が走った。「あ奴に用か?」
「ああ。できれば今すぐ直接会いたいんだ」
「少し待っておれ」
爺さんはポケットから弟のより二回り大きな古い型の携帯を取り出し、ピッピッとボタンを押した。
「――四、今からウィルさん達がそちらに向かう。行くまで離れるな。ん?分かった」
弟やリーズ達のより一回り大きな電話を俺に差し出した。「弟さんからだ」
「もしもし」
『兄上?誠とオリオールを見かけなかったか?』
「いや。こっちにも一度も帰ってないらしい。それよりエル、見つかったぞ」
『何が………もしかして“燐光”、かい?美希には言ってないだろうな?』
「?今言った所だ。どうした?お前が先に説明してんだろう?」
『様子は?そわそわしていないかい?』
丁度客に呼ばれレジを打っている最中だ。こちらなどちらりとも見ない。そう伝えると弟は何故か安堵の息を吐いた。
『そいつは結構』
「彼女がどうかしたのか?」
『何でもない――四?ああ分かった。――兄上、四の提案だ。取り合えずそいつは天宝の金庫に入れておこう。何時までもそんな危ない代物持ち歩いていたくないだろ?』
「全くだ」一時に比べればマシだがまだ掌がベトベトする。
『預けたらアイザのついでに二人を探しに行った方がいい。オリオールが一緒だからそう危険な目には遭っていないと思うけど』
すばしっこく勘が鋭く、何より兄の危機に敏感な少年が共にいるので余り心配はしていなかった。だが相手が首狩魔ならどうだ?
「ああ」
死なないとは言え武器を持たない子供が殺人犯と対峙して、しかも自分より弱くだが絶対に守らなければならぬ者を庇いどこまでできるだろう。
(駄目だ、どう想像しても……)
早く終わらせて家に帰ろう、この石を持って。物騒はもう懲り懲りだ。
「なぁエル。こいつを返したらもう大丈夫だよな?」
『……どうだろうね』
「そう、だよな……」
石ころ一つ戻して宇宙が平和になるなんて虫が良過ぎる。
『兄上。その石から何か感じる?』
「……何も。箱越しに持ってるせいかもしれんが。俺自身魔力はさして無いしな、鈍感でもしょうがない」
『一理ある。やっぱり自分で確かめた方が良さそうだね』
「ああ、すぐ持って行く――爺さん、ほい」
携帯を渡し、礼を言ってブースを出る。
「リーズ、用は済んだだろ?戻って売り子してこい」
「嫌です!まだアイザさん見つかってないじゃないですか!もし昨日の誠君達みたいに大怪我していたらどうするんです!?」
「こいつが俺の手にある以上、今ここが一番危ないんだぞ?首狩魔だけじゃない、不死を狙う有象無象が寄って来る可能性も」
背筋が凍った。背後の静かな殺意と、腰に当てられた凶器の感触。
「返してくれる、お兄さん?」
「きゃ……」
「騒がないでお姉さん。もし悲鳴を上げたら、お兄さんの上半身と下半身が生き別れだよ」
慌てて両手で口を塞ぐ。首狩魔はあはは、と無邪気に笑い「そうそう、賢明な人は長生きできる」鋏を押して「お兄さんはどうするの?」
渡すのは当然論外としても、NOを表した所で犠牲者が一人増えるだけだ。
(誰かがここを通り掛かるか、爺さん達が気付くまで時間を稼ぐしかない)
「その鋏が何人もの首を切断した凶器か。さぞや切れ味は良いんだろうな」
首謀者はこいつの裏にいる。できるだけ情報を引き出すんだ。
「暁十字の開発した超硬合金だよ。鋼の剣なんかよりよっぽど使いやすい」
「……何が目的だ?」
「目的?私は長の命令を実行するだけ。その石も長が研究に必要だから取って来いって言われたの」
操り人形って訳か。目的のためなら十歳の少女でも平気で殺人を犯させる、長って奴は相当冷血人間だな。
「アイザさんを連れて行ったのも……その、長って人の命令で?」震える声でリーズが尋ねた。
「そうだよ。向こうのほら、カップが沢山並んでる店。あの前で声掛けたの。でもお姉さんみたいに怖がってくれなくてね」
「まさか……」
少女はにやり、と笑った。
「お腹をぐさ、ってしたら麻酔であっと言う間に眠っちゃった。もう起きてる頃かな」
「嘘………」サーッ、蒼褪めた顔で呟く。「あなた、自分が何をしたか分かってるの?」
「?勿論薬で塞いだよ。絆創膏も包帯も巻いた、変に動かなきゃ開かないよ。?何蒼くなってるのお姉さん?」
駄目だ。こいつには罪悪感も想像力も無い。監禁された人間がどう行動するかも理解できない不完全な生ける機械。
「どこにやった!答えろ!!」
「いいのお兄さん?切っちゃうよ?」
「五月蠅え!!」
腹を抉った傷が開いていたら、後は推して知るべしだ。
「しょうがないなあ。さっさと終わらせよう。長も待ってるだろうし」
台詞が終わる瞬間、俺は勢いに任せて少女を突き飛ばした。皮一枚切られたが凶器を離す事に成功、素早く腰の剣を抜く。俺と少女の刃物に反応して周りが騒然となり、一定の距離の輪が形成された。
「あーあ、騒がれちゃった。長にお説教されちゃうなあ……面倒臭いけど全員殺そっか」
「危険です皆さん!出口へ逃げて下さい!!」
鋏を投げの構えで持った少女の姿とリーズの叫びに、客が一斉に前後へ走り出した。
ブンッ!ガンッ!
「邪魔!」
「お前の相手は俺だ!」
剣で受けた感触は空飛ぶ鋏とは思えない重量感。あんな物が当たれば人体切断ぐらい余裕だ。
「水よ!力を貸して!」リーズが構えた杖を振るう。杖の先端から水圧を伴う水柱が猛スピードで少女に伸びた。
ブンブンッ!
「こんな魔術で私を殺せると」
「蒼嵐!」
ビュウッ!切られた水飛沫の幕の外からの俺の剣風は、確かに手応えがあった。だが、
トン。
「あーあ、水浸しになっちゃった」
平然と地面に着地した少女は、反対に曲がった左腕など気にも留めず凶器を振るって水滴を払う。
「あなた、曲がって……」
「ん?」初めて気付いたらしく左腕を見て「別に困らないよ。こっちは利き腕じゃないし」
「痛くないの?確実に複雑骨折している。治療しても元通り動かせるか……」
敵を心配するリーズと対照的に、少女はケロッとした顔をした。
「金属に交換すればいいだけ。こんな軟い腕、もういらない」
「人工骨って事?でも、その技術はまだ実用されていないはず」
「暁十字はとっくに採用しているよ。現に私の両脚も」ペロッ、と捲ったスカートの奥、左右のふくらはぎから太腿にかけて二本の古い傷痕が走っていた。「ね?」
「っ……こんな小さな子に……」
こいつの武器といい身体といい、暁十字って組織はどうやら凄まじい科学技術(この魔術万能の時代にだ!)を持っているらしい。“燐光”を研究調査したいのもその延長か。しかし何故そんな連中が殺人や誘拐を?
バンッ!
爆音の一瞬前に少女が飛び退く。元いた場所を通過し、俺の一メートル左を掠めて露店のテントに突き刺さる銃弾。
四は市販品とは明らかに違う形状をした銀色の銃を構えて、少女を挟んだ向こう側から現れた。遅れて弟が走って来る。
「飛?知ってるよ、元気?」何故か少女が口にしたのは別の名。
「知奈、あの子をどこにやった?答えろ」
ハスキーな中年の色気を感じさせる声、四は苦虫を噛み潰したような顔で尋ねた。
「エル!こいつは一体」
「僕だって分からないよ。電話が終わった途端そいつをポケットから出して、行こう、だ。来てみたらパニックの客達が吐き出されてるし、ついには殺人犯と居合わせる事態」
改造銃はずっと少女、知奈の心臓に照準が向いている。
恐ろしく静かで冷たい目だ。骨董屋には相応しくない程、瞳の光は殺意の色を帯びている。
「私を殺したらアイザは二度と帰って来ないよ?それでもいいの?」
「心配する必要は無い。これは麻酔弾だ、但し表皮だけでも掠めれば象すら瞬時に昏倒させる、な」
「ああ。薬はハーミットの専門分野だったっけ」
「そうだ。それにお前がどんなに薬物耐性があろうと効果覿面の自白剤も用意してある」
その言葉を聞いて、知奈に初めて焦りの色が見えた。
「何故暁十字を逃げ出した奴等を殺した?今の長は何を考えている?今更あの子を連れ去ってどうするつもりだ?」
「――長が望んでいるのは『幸せ』。あいつ等の死とアイザはそのために必要なの」
「『幸せ』だと……」眉を顰める。「あの長がか?どういう意味だ?」
「自分で考えれば?私難しい事分かんない」知奈は興味を失ったようにそっぽを向く。「多勢に無勢みたいだし、ここは退いておくよ。でも……一人ぐらい殺しておこうかな」
飛んだ鋏を四が身を屈めて避ける。途端ブーメランのような軌跡で百八十度回転、俺の方へ向かってきた。鷲の急降下並のスピード、咄嗟に両手で剣を顔面に構えた。恐怖で思わず瞼をぎゅっ、と閉じてしまう。
ガシャン!!
「?」
何かが割れる音。恐る恐る目を開けた。剣と腕は無事だ。と、左手に何か持っているのに……。
「あ……」
指が勝手に開く。ばらばら下へと落ちる木屑と……黒い宝石の欠片……。
「な、何て事だ……」
バタン!