三章 忍び寄る刃
ドンドンドン!
「ん……何だ?」目を開けて見慣れない部屋、続いて昨夜の出来事が蘇る。「まーくん?オリオール?」
「おはようウィル」声は意外に上方からした。枕側から立った彼の顔が見える。「もう血は戻った?」
「お兄さんが最後だよ。起きられる?」
「ああ……よっと」上半身を起こし頭を振る。貧血の眩暈は無い。「大丈夫そうだ」
彼は昨日買ったブラウスとジャージを華麗に着こなしていた。首元は真新しい包帯が巻かれている。
ほう。奇跡のような優雅さに思わず感嘆の溜息が洩れる。
「よく似合うなその服」
「そう?ありがとう」
「怪我は?」
「殆ど治ったよ。でもまだ傷痕が残ってるから、今日一日はこうして隠しておくつもり」
着替えて居間から台所へ行こうとした時。店と居間を繋ぐ硝子戸の向こうでエル達三人、それともう一人男の声がした。
「エル、誰か来たのか?」
ガラガラ……。
!?何でこいつがここに?
「ウィルベルク?」奴も驚いた顔をした。「と言う事は……」
「シャーゼさん?え、どうして環紗にいるんですか?」
誠が後ろから顔を出す。途端奴の表情に余裕めいた冷笑が生まれた。
「小晶か。こんな人通りの激しい所にいてもいいのか?正体がバレても知らないぞ?」毎度毎度、喧嘩売ってんのかこいつは。「ところでその包帯は何だ?まさか流行りの首狩魔に切り落とされたとでも?」
「その通りです。正確には皮一枚繋がって落ちなかったんですけど。よく分かりましたね、流石第七対策委員さんです」
真面目な返答に眉を上がる。
「皮一枚切られた、の間違いだろう?おっと、不死なら頸動脈ぐらい切れた所でどうと言う事はなかったな、失礼した」
「でも気道が中々繋がらなくて、しばらく喋ったり物を飲んだりできませんでした」
「その細くて人形みたいな手足は切られなかったのか?それともそれも生えてきたばかりか?」
オリオールが小声で耳打ちする。「こいつが噂のキュウキンドロボー?」
「ああ。不死だって素直に言ってやってんのに全く信じねえ」
「昨日呼んだら流石に信じたかな?」
「人体切断マジックとか言い出しそうだぞ。何だ、信じて欲しいのか?」
「違うよ。ただちゃんと説明してる兄様が可哀相で」
確かにあしらわれる誠にとっては迷惑だが、信じたら最後奴は有無を言わさず職務を忠実にこなすだろう。案外、今のままネタとして馬鹿にされているのが一番いいのかもしれない。
「まあいい。エルシェンカ、四 理は本当にいないのか?」
「ああ、日の出ない内から他の従業員と会場へ向かったよ。今日は忙しいみたいだし、昨日の話なら一緒に取調室にいたアイザか兄上に訊いたらどうだい?」
「アタシももうすぐ行かないといけないから手短にね」
「フン。昨日の店主殺害事件、実は夜に」
「店で別の死体が転がっていたって話かい?」
「!何故お前が知っている!?」
弟は首を横に振り「あいつ等は“泥崩”事件の重要参考人。って事は逃がしたのはシャーゼ、君の責任になるのか」
「尋問の時以外は知らん!留置所の連中が目を離したのが悪い!」
「まぁ、今回に関しては手引きした相手が相手だから不問かな。実は第一発見者、僕と誠なんだ。ついでに被害者が最後生きていたのと、犯人の目撃者もね」
シャーゼの拳がブルブルし始める。
「し、知っているならさっさと通報しろ!それでも聖王代理か!」
「犯人に脚を切られて、しかも凶器の毒が回って意識朦朧だったんだ。まだ手が少し痺れているんだぞ?」
「ならしょ――ウィルベルク!市民の義務を果たさなかったお前が元凶だ!」「一足飛んで何で俺だ!?」「五月蠅い!」奴は顔を真っ赤にして「そう言う事なら来い小晶!昨夜あった事を洗い浚い喋ってもらう!」
「いいですよ。でも……」チラリ弟に目配せする。「私だけだと説明不足になりそうだから、エルも来てもらえる?」
「勿論。何なら自分で目撃証言を纏めるよシャーゼ。手間が省けるだろ?」
「現場検証の後でな。行くぞ」
「兄上とオリオールはどうする?」
「俺は行く」「僕いい」ブンブン首を横へ振る。「まだ臭い残ってるだろうから……」一角獣は鼻が良い。腰が引ける気持ちは充分分かる。
「じゃあアタシと四が抜ける間、宝爺や美希さんと売り子しててくれる?」
「いいよ。よろしくねお姉さん」
「こちらこそ」
二手に別れて天宝商店を出た直後、ぐぅ、腹の音が鳴った。
「そう言えば私もまだ朝御飯食べてない。ウィルが起きたら一緒にって思ってて」
「言っておくが飯の面倒までは見ないぞ私は。街が騒がしくなる前に検証を終えたい」
「分かっています」
俺を気遣わしげに見、「ごめんねウィル。早目に起こせば良かったんだろうけど、昨日疲れているみたいだったから……」
「気にするな。まーくんこそ朝飯抜きで大丈夫か?」
「平気。食べない日の方が多いし、慣れているよ」
チッ。横で明らかな舌打ちが聞こえた。
「それは遠回しに私は気が利かないとの非難だと解釈していいんだな?」
「い、いえ。そんなつもりは」
「こちらは昨日から連中を探して奔走し、昨夜はガイシャの身元確認でろくに眠っていないんだ」その割に滅茶苦茶元気じゃねえか、口は。
煉宝石店の周囲にはKEEP OUTのビニールテープが張り巡らされている。シャーゼが見張りの警官に挨拶し、潜って入口の前に立つ。
「では昨夜の事を順番に話してもらおう」
「いいよ。確か……七時半か、八時前だったかな。僕等があっちから歩いてきてたら、丁度被害者達がここから入ろうとしている所だったんだ。通り掛かった時には鍵は二人が既に開けていた」
「何故そんな時間に街をうろついていた?世間知らずの小晶はともかく、首狩魔が出る事ぐらい耳聡いお前は知っていたはずだ」
「聞かれたくない相談をしてたんだよ」
「何を?」
「僕等はただの目撃者兼被害者だぞ?プライバシーの侵害だ」
俺も少し気になった。もし誠が困っているなら力になりたい。
「――美希の事だよ。それ以上は言えない」何だ、相談は相談でも弟からか。
「ああ。天下の聖王代理もたかが女一人に手こずっている訳か。しかもそれを話す相手が小晶とはくく、傑作だな」耐えきれなくなって苦笑しやがった。
「おいおいシャーゼ。誠の名誉のために言っておくがな、彼は僕の次に美希と親しいんだ。相談して何が悪い。――二人共。こう言っているが彼の女性経験はゼロだぞ」
鼻で笑う。「そんな物時間の無駄だ」
「説得力が無いな」弟も彼女持ちの特権でエバって反論した。「まぁいい。二人は丁度君が立っている位置で、この店にある“黒の燐光”を盗み出そうと話していた。彼等が中に入ったのを確認して僕達も店内に」
「不法侵入だ。その時点で警察に通報しようとは思わなかったのか?」
「相手が“泥崩”事件の関係者と分かっていたからね。油断した所を捕まえて君を呼ぶと決めてただけさ」
恐らく二人は店に“燐光”が無いか調べたに違いない。不死の宝、見つかれば失敬するつもりだったのだろう。物が物だけに、俺が弟でも必ずそうしていた。
シャーゼがドアを開け、俺達は店内に入った。朝日で硝子ケースの中の宝石が輝いている。
「しかしよりにもよって“黒の燐光”とは、ここの店主は法螺吹きにも程があるな」
「見つかったんですか“燐光”……?」
誠が恐る恐る尋ねると、奴は嘲笑を浮かべて「見つかるはずがないだろう?お前達の命とも言うべき物が、こんな寂れかけた商店街の宝石屋にあってたまるか。大方価格を吊り上げるための方便に決まっている」
「なら“燐光”に似た黒い大きなダイヤモンドはあるはず、ですよね?」
ところがその質問に奴は眉を思い切り顰めた。
「無いのか?」
「ああ。元からそうだったのか、若しくは盗まれたのかすら不明だ。店員も一度も見た事が無いらしい。それを知っているのは霊安室で呑気に寝ているガイシャだけだ」チッ!「耄碌した爺さんの戯言ならいいが万が一、億が一にも本物ならどうなる?政治的緊迫は避けられない。最悪戦争となれば勝ち目は無い」
「でももし“燐光”を見つけたら……交換条件に、シャーゼさんのお父さんを殺した犯人を訊けるかもしれませんね。少なくとも私なら一度は頼んでみます」
その言葉に奴の目が丸くなり、黙り込む。弟が代わりに店の奥、殺害現場へ俺達を誘導した。
昨夜と同じ血溜まりの上から白チョークで死体の格好が描かれている。開いた金庫の取っ手は指紋検出の粉で白くなっていた。
「こらお前等、勝手に現場を歩くな!」
奴は追ってくると早速話の続きを求めた。
「最初はレジの裏で彼等が出る所を捕まえるつもりだったんだが、しばらくしても一向に帰って来ない。裏口に回られたのかと思って奥へ行ったら犯人と死体がいた訳さ」
「犯人の容貌は?」
滑らかに弟が説明する。
「子供が大人の首をバッサバッサと切断した?本気で言っているのか?」
「凶器の鋏も特別製っぽかったけど、彼女自身何らかの強化を施されているようだった。魔術の電撃が通じない相手なんて初めてだよ」
「で、お前と小晶は逃げ出し、外で傷を負わされたと」
「ああ。その後兄上に電話して助けを求め、治療を受けて今に至る」
第七対策委員は難しい顔で顎に手を当てた。
「俄かには信じ難いが……その少女を指名手配しよう。次の犠牲者が出ないとも限らん」
早速レジカウンターで絵の上手い警官がエルの指示の元モンタージュを作る。“白の星”の土産物の工芸人形に似た少女の顔が描き上がった。似顔絵はすぐさまコピーされ俺達三人とシャーゼ、店の中にいた警官全員に配られ、残りは警察署に運ばれて行く。
「その子供に関して、他に何か手掛かりになる事は無いのか?」
「どうやら彼女は長、と呼ぶ人物の命令で殺しを繰り返しているらしい。暗殺組織が絡んでいるのかもね」
「成程――聴取は終わりだ。お前等、御苦労だったな」
そう言いつつ奴は何故か店のドアを開けた。
「サクサククッキーと甘ーいキャンディは如何ですかー!」
オリオールが通路の真ん中で元気良く婦人達に話し掛けているのが見えた。首から提げたクッキーの缶に小銭を入れ、リュックからお菓子の袋を二つ出して渡す。
「お姉さん達ありがとう!」ペコッ!
「精が出るね。もう完売した?」
事件の影響か今年は予想していたより客足が少なく、美希さんはともかく少年に手伝ってもらう事は無かった。それで自主的に孤児院の売り子に回った訳。
「あ、お姉さん。うん、丁度これで終わりだよ」小銭の詰まった缶を見せ、空っぽのリュックを嬉しそうに上げ下げした。「こんなに早かったら皆吃驚するかな?」
「勿論!あんた意外と商才あるよ」
「そうかな、ふふ」缶の蓋を大事そうに閉め直す。「お姉さんの方は?ティーカップ見つかった?」
「まだだよ。これって言うのが中々見つからなくて」
「そっか。じゃあ僕これ返したらブースに戻ってお姉さん達手伝ってるよ」
「うん、頼むね」
少年の姿が人混みに消え、アタシはブース表を手に歩き出した。
「まだ半分も見てないし、きっとあるはず……」
四が見つけた可能性もある、一度戻った方が良かったかな?いや、やっぱり一通り見てからにしよう。合流するのはその後だ。
今年初出店の同業者のブースで足を止め、物色し始めたアタシの耳元で「何してるのアイザ?」
「うわっ!?」
少女は鋏を振りながら可笑しくて堪らない風に笑う。
「仕事。あんたこそこんな所で何を?」
「んー、私も。長に命令されてるの。サボったらお仕置きされちゃうからマジメにね」
「そうかい」
何だか苦手だこの子。表情も仕草も、まるで人形が化けてるみたいに不自然で。
アタシが背を向け歩き出すと子兎みたいにピョンピョン後を追って来た。
「ねえねえ、あの宝石気に入ってくれた?」
そうだ、あの小箱……美希さんが倒れた時、畳に落としたままになってるはず。
「ごめん。昨日は色々あって、まだ開けてもいないんだ」
「あ、そうなんだ残念。珍しい石だから喜んでくれると思ったのに」
「帰ったらちゃんと観賞させてもらうよ」
人混みの中、少女は軽やかに追い越してアタシを見上げた。
「アイザの仕事手伝ってあげる。その代わり、終わったら私の仕事手伝ってくれない?」
「残念だけどアタシのは子供が手伝える事じゃ」
「そう」
不意に彼女が右手を取り、身体を寄せてきた。周囲から見えないように鋏の先端を服の裾を割って脇腹へ押し当てられている。
「な……何やってんの……?」
「声出しちゃ駄目だよ?抉るからここ」少女は作り物の笑顔を向けた。「長からは殺さなきゃ何してもいいって言われてる」
訳が分からない。何なのこの子?首がゴキッ!と鳴って左に倒れた。「あれ、殺しても良かったんだっけ?」
「た、多分殺しちゃ駄目、なんじゃない……?アタシも痛いのは嫌だよ」
「ああ、そっか。昨日の事長に話したら連れて来てって言われたの。渡した宝石も一緒にね。あとハーミットも殺せって言われたけど、三ついっぺんは無理だから確実に一つずつするの」少女は首をガクン、と逆に傾け「偉いでしょ?褒めてくれる?」
「だ、誰があんたなんか……」
「そう」
チリッ。皮膚が切れる感触。本気だ、この子。
「あの宝石ね、“黒の燐光”って凄い石だったみたいなの。知ってる?」
「え……ほ、本当に?」
何て事だ。ちゃんと中を確かめてさえいれば……。
「うん。長が研究に使うんだって。だから返してもらうよ、ごめんね」少女はずっと機械的な笑い顔を浮かべたままだ。「でもアイザには長がもっと綺麗な宝石をくれるよきっと」
「巫山戯……!」
誰でもいい、気付いて!!
「……すう……」
助けて!アタシはここにいるの!!
「あ、長だ」
嬉しそうな声と同時にグサッ!お腹に異物が入る感触がハッキリ分かった。激痛は何故か一瞬で治まる。
「大丈夫、超強力な麻酔を塗ってあるの。すぐに眠っちゃうよ」
「う……ぁ……」
蹲ったアタシを少女ではない誰かが肩を貸して無理矢理立たせた。嫌だ、四……助けて……。
「ウィル。訊いてもいい?」
「ん、何だ?」
忘れない内にエルの『初めて』の事を尋ねる。
ポカッ!ポカッ!
「あいたっ!兄上は分かるけどシャーゼ、何で君まで殴るんだ!?」頭を押さえて友人は痛みに耐える。
「五月蠅いこの色情魔が!!」
赤面しながらシャーゼさんが再び拳を振り上げる。同じように耳まで真っ赤にしたウィルも「同感だ。何て事吹き込んでやがる」
「?訊いたら駄目、だったの?」
「い、いや駄目な訳じゃないんだがその……まーくんには早過ぎる」
「?」どうやら旅行や食事ではないみたいだ。それなら私も経験済みだし。
「それにそもそも不死はあんな事をする必要が無い……訳でもないんだろうが、いやでも快楽が無いならやっぱやらないよな……?」
「??」
「卑猥な事を言うな!だ、大体小晶が女をどうこうできるはずが……」
「え?女の人がどうしたんですか?」
「訊くな!お前には後十年早い!おい保護者、保健体育の授業はお前の役割だぞ」
「都合良く責任転嫁するな!エル、発端のお前がどうにかしろ!」
エルはやれやれと頭を振った。
「しょうがないなあ。じゃあ男女の違いから」
「やっぱり止めろ!」
「どっちなんだよ全く……ねえ誠」
「?」
事件現場から歩いてすぐの食堂。ご飯にお味噌汁、焼き魚とお浸しの朝餉セットを皆で食べている最中。現場検証の後、何故かシャーゼさんが案内してくれた。
「朝はコーヒーだけでいいよ」
「俺は甘味のある店に行きたい」
「お前等兄弟揃って!だからこいつにきちんとした食習慣が身につかんのだ!恥を知れ馬鹿共!」そして有無を言わさず店の人に四人分注文。朝御飯が来ると不平不満の二人も流石に観念した。
「――まあ、朝からするような話でもないよね」エルはそう締め括って鮭の切り身を口にした。
美味しい、このほうれん草と人参のお浸し。出汁が良く効いていて、舌に乗せるとほっ、とする味。
「偶には白米と味噌汁ってのもいいな」
ズズッ、黄土色の汁を啜るウィル。
「もう骨董市始まっているね。食べ終わったら僕達も行かないと」
「お前達、くれぐれも首切魔には注意しておけ。昨日の爺さんは白昼堂々殺られた」
「はい、分かっています」
「なら他の物も食え。さっきから野菜と汁にしか箸を伸ばしていないぞ小晶」
言われてみれば確かに。でももうお腹一杯。昨日の夜は食べていないのに、どうして?
「そんな小食で傷が治るはずないだろう!もっと食え!」
「無理です、もう入りません。栄養ならウィルが輸血してくれたから大丈夫です」
「こんな甘味中毒者の血など砂糖水と変わらん!」
「酷い言いようだな」あの人がボソッと呟く。「まあ強ち間違いでもないが」
ガラガラ……。
「ああ、いたいた」
食堂の戸を開けて入って来たのは、何故かラキスさんとジュリトさんの二人。
「おや、休暇中に君の顔を見るとは思わなかったよ。僕等を探していたのかい?」
エルの顔を見るなり「げ」
「上司に向かって『げ』とは何だ『げ』とは。僕に用じゃないのか」
「ないって訳じゃないが……ウィル」大きな茶封筒を渡す。「白鳩調査団の人数分の証明書と、取り合えず団長用の白紙の報告書入れといたから。足りなくなったら適当にコピーして使えよ」
「え?嘘だろ、だってあれはで……」私の顔を見て「い、いや!わざわざ届けてもらって済まないなラキス。恩に着る」
「あ、ああ。すぐにいるかと思ってな」それから隣に囁く。「これでいいんだろ?」「ええ」
エルはその様子を見、しばらく考え込んでいたが「何だ、あの件か兄上?僕の休暇の間にやってくれるなんて手際が良いじゃないか」
「だ、だろ?」封筒を開けてパスポートに似たカードを取り出す。「二人の分だ。失くさないように持ってろよ」
白鳩調査団証明書。パスポートと同じ顔写真に私の名前。聖族政府公認の金印。カードの左下に飛び立つ三羽の白い鳩が印刷されていた。中々綺麗なデザインだ。
「今後の調査で身分提示が必要な時はこれを使えばいい。この印にはある程度権限がある、見せるだけで警察や駐在の政府員に協力を求められるよ」
「そうなんだ」
よく分からないけど、ウィルの言う通り大事にしよう。
「あれ?オリオールの分は無いんですか?」
ラキスさんは私の言葉に狼狽し、慌てて片眼鏡を直した。代わりにエルが答えてくれる。
「彼はまだ未就学の子供だ、政府の規則で組織活動に登録できない事になっている。勿論、君の付き添いなら幾ら参加してもらっても構わない」
「そうだね、うん」
言われてみれば確かに。しっかりしていても弟は私の腰までしか背がないし、記憶喪失の私よりはずっと少ないが出来ない事もある。
「助かった」何故か安堵の溜息を吐くウィル。殺人事件が起こったとは言え、そんな火急に必要だったのだろうか?「後はリーズとケルフと、アイザか。しかし一体何で……」
「宜しいではないですか。色々と好都合でしょう?」
この日初めて神父さんが口を開いた。相変わらず穏やかな雰囲気。
「挨拶が遅れました。おはようございます誠君」私の目を見てとても嬉しそうに笑う。「その包帯はどうしました?お怪我でもなさいましたか?」
「ああ、昨日首切魔に切断されたらしいぞ。神父、早く帰ってこいつを入れる棺桶を取って来るといい。何時傷が開いて死ぬか分からないぞ?」
一瞬まるで道端に放置されたゴミでも見るような目をした後、にっこり。「その必要はありません。坊ちゃまはあなたと違って日頃の行いが大変宜しいのです。祝福によりそのような惨事は免れるでしょう」
ギロッ。「ラキス、随分挑発的な使徒だなこいつは」
「普段は良い奴なんだぜ」小声で、表面上は、と続けた。
「ラキス、嘘は良くありません。地獄に落ちますよ?」
ガタッ。エルが立ち上がる。
「用はそれだけかい?なら僕はもう戻るよ。置いてきた美希が心配だ」
「あ、ああ……やっぱ一緒なのかエル。彼女、連れ回してて大丈夫なのか?」
ラキスさんの問いかけに友人ははにかむ。
「今朝ようやく落ち着いてきた所さ。やっぱりシャバムから連れ出して正解だったよ」
そう。昨日はずっと寝込んで熱まであったのに、私が起きる頃にはすっかり元気を取り戻していた。アイザと一緒に朝食の準備をしながら、吹っ切れた顔でおはようと言ってくれた。
「そりゃ何よりだ。朝飯の所邪魔したな」神父さんの方を見て「行こうジュリト。靭にぼちぼち朝飯を届けに行かないと」鳴り出した携帯電話をポケットから取り出す。「もしもし……ああ、後二十分で戻る」プツッ。「空腹過ぎて今にも暴れ出しそうな雰囲気だぞ」
「子供であるまいし、困った方ですね。仕方ありません」
神父さんは優雅に一礼。名残惜しそうな目で私を見た。
「坊ちゃま、今日はこれで失礼します。次回はもっとゆっくりお話しましょう、では」
ガラガラ、パタン。
「何なんだあの神父にあるまじき非博愛主義者は。一ミリもこちらを見なかったぞ!」
憤慨するシャーゼさんと対照的にエルは冷静だ。
「まあまあ、向こうも色々忙しいんだよ。それじゃあ二人共、一旦天宝のブースに行こうか。客に訊けば新しい情報が手に入るかもしれない」
「そうだな」
お会計は全部シャーゼさんがしてくれた。「経費で落とす、お前が気にする必要は無い」外に出て彼と別れ、私達は骨董市の方へ向かった。
本番の市は流石一年に一度のお祭り、あっちもこっちも人だかりができている。昨日と違ってどのお店にも一目で古いと分かる品物が置いてある。
「あの絵、良い氣がしている」
「へえ、物にも氣があるのか」
「うん。あ、そっちの剣も」
どれも持ち主にとても大切にされたのだろう。試しに全体から清浄さを放つ一角で店の人に頼み、一番手前にあった白磁器のカップに触れてみる。側面に小さな赤い薔薇が描かれ、金色の取っ手部分も蔓が巻き付いた繊細なデザイン。
(凄く良い……こんなのでお茶飲んだら美味し過ぎて吃驚しちゃう)
皮膚にしっとり馴染むのがまたいい。そう言えばアイザがお客さんから頼まれたのって、私にそっくりな手に合うティーセットだったっけ。
「これ、セットで売ってるのか?」察したウィルが先に店員さんに質問する。少しして紅茶ポットと三つのカップ、四枚のカップソーサーが大事に納められた箱を持って来てもらった。ポットとソーサーにもそれぞれデザインは違うけれど同じ薔薇。それぞれ手に持った感触も、まるで私専用に誂えたかのよう。
「買いたいんだが幾らだ?」二百万、と聞くなりウィルの顔が蒼くなる。「た、たかがティーセットがか?」
「僕が払うよ。カードは使える?良かった」金にピカピカ輝くカードを店員さんに渡す。数分後、店の奥から戻って来た彼は満面の笑顔でカップを箱に納め、大切に梱包して差し出してくれた。
「ありがと」両手でウィルが受け取り、深く頭を下げた。
店を後にした私達は足早に天宝のブースへ向かった。早くアイザ達に見つかったって言わなくちゃ、その一心で歩く。
「でも気前良く払って大丈夫なのかエル?二百万だぞ二百万」
「残高はしばらく確認してないけど、多分問題無いよ。後で四に請求しておく」
「そのカードは紙幣の代わり?」
「クレジットカードだよ。外の世界だと高額商品を買う時は重宝するね。いちいち銀行まで下ろしに走る必要が無い。兄上も一枚ぐらい作ればいいのに、楽だよ?」ボソッ、と「いざ会計の時に足りなくて慌てるなんて事も無いし。誠もその方がいいだろ?」
「え、そうなの……?」お財布は一応持っているけど、お金は大抵オリオールかウィルが払ってくれるから正直よく分からない。二百万って言うと……今着ている服が上下合わせて二万だから、百セット分?さっきの朝御飯だと四千食?うーん、高いのかな?
「まーくん、ぼーっとして迷子になるなよ」
「あ、うん」
しばらくして昨日アイザに案内された辺りへ来た。孤児院のブースに既にクッキーとキャンディの袋は無く、手作りのビーズブレスレットやネックレス、キーホルダー等が飾ってあった。
「お!誠、もう首くっついたのか?」
受付で座っていたケルフは奥を振り返り「リーズ!義父さん達が来たぜ」と言った。金庫の硬貨の整理をしていた少女が表に出てくる。
「おはようございます。エルさん、脚はあの後大丈夫ですか?」
「ああ完璧だ。将来良い医者になれるよ、僕が保証する」
「私が目指しているのは精神科医ですよ?ふふ、でもありがとうございます。誠君は……」彼女の両手が包み込むように首の包帯に伸びる。
「うん、大分治ってるね。昨日診た時はどうなるかと思ったけど、良かった」
「血は足りてるか?もっと輸血した方がいいと思うんだが」
「少し待って下さい。誠君、目の下ちょっと触るよ」
ビロッ、両の人差し指で皮膚を下げる。
「そうですね……まだ大分貧血が強いです。でも無理してウィルさんが倒れても困るし、念のため今日は止めておきましょう。その代わり沢山お肉を食べさせて下さい。ウィルさんもビタミンやミネラルを意識して摂って下さい」
「あー……うん。分かった」何故か微妙な目でウィルは私を見た。「なるべく頑張らせる。と、そうだ」
白鳩調査団のカードを手渡すと、二人は不思議そうな顔をして受け取った。「何だよこれ?」「まあ持っといてくれ」
「兄様!」
人混みからリュックとクッキーの缶の首飾りを着けた弟が駆け、勢い良く私の脚に抱き着いた。ジャラジャラ金属音がする缶の蓋を開けて得意気に私に見せる。詰まった紙幣や硬貨は私の財布の中身よりずっと多い。
「見て見て兄様!僕全部売って来たんだ!えへへ、凄いでしょ!」
「あんなにあったのにもう完売しちゃったの!?じゃあもっと作っておけば良かったー」
弟から缶とリュックを外しながらリーズが悔しがる。
「まるで行商だな。昨日のクッキーセットか?」
「そうだよー。気前の良いオバサン達が沢山買ってくれたんだ。僕才能あるんだって、大きいお姉さんが褒めてくれたんだ!」満面の笑み。「いっそ本職にしてバリバリ稼ごうかな。そうしたら兄様に一杯貢いで喜んでもらうの」
「んな言葉どこで覚えたんだ子供のくせに。十年早い」
リーズが缶をブースの一角で開け、取り出した硬貨と紙幣を数え始める。
「アイザはどうだったの?まだティーセット探してた?」
「うん。あれ?お兄さんが持ってるのって」
箱の蓋を開け、触ってしげしげと眺める。
「こんな感じかと思って買ってみたの。どう?」
「いいねこれ。シロウトの僕でもそんじょそこらの安物カップとは違うって分かるもん」
「良かった」カップを丁寧に箱へ戻す。
「流石兄様。これなら絶対大丈夫だよ」
弟は責任者のおじさんからお金を間違わずに貰ってこれた事を褒められ、御褒美として犬のキーホルダーを受け取った。早速腰のポシェットのファスナーに付け、得意気に私達に見せる。「えへへ、いいでしょー!」
「じゃあ二人共。引き続きバザー頑張ってくれよな。閉店前にもう一回ぐらいは見に来てやるよ」
「売れ残ってたら買ってくれよな」
「気が向いたらな」
弟を連れ四人で改めて天宝のブースへ。品物が嵩張るので売り場面積は孤児院の五倍ぐらい。いるのは宝お爺さんと美希さん、それに従業員の両さん。お客さんはスーツの男の人一人だけだ。
「その壺は約五十年前に作られた物で、作者は……」
真剣にお客さんに商品説明をしている両さんの邪魔にならないよう、私達は彼の後ろを通り抜ける。
「ただいま」
レジでお札を数えていた美希さんははっ、と顔を上げた。「おかえりなさいエル様。どうでした捜査の方は?」花が綻ぶような笑顔を見せる。
「順調さ勿論。そう遠くない内に警察が犯人を捕まえてくれるよ」
「良かった……」安堵の溜息を吐く。
「彼女を見てくれて感謝するよ宝氏」
「構わんよ。良く働いてくれる娘さんでこちらこそ助かった」
美希さんが手を伸ばし、エルのシャツの襟を直した。そして自然に青紫色の頬へフレンチキス。した後少しだけ頬が赤くなった。
「寂しかったのかい?」彼女の頭を撫でながら友人は子供に言うように尋ねる。「まだ三時間も経っていないよ」
「エル様にも分からない事があるんですね」微笑して答える。「ふふふ……」
「女心が複雑だってのは昔からの定説さ。でもまた熱が出ていなくて何よりだ」
その後、宝お爺さんに話してティーセットをレジ棚の一番下へ入れさせてもらう(一段上に黒いビニール袋が入れてあった。他にも何か頼まれていたのかな)。中を見たお爺さんの印象もかなり良好だった。
「俺達も何か手伝える事あるか?」
「いや、もうじき二人も戻って来るじゃろう。折角の祭だ、お嬢さんも楽しんできなさい」
「はい」
丁度四さんがこちらに帰って来ているのが見えた。どうやらティーセットは見つからなかったよう、手ぶらだ。宝お爺さんが出迎え一方的な会話の内、段々お爺さんの顔が険しくなっていく。
「どうしたんですか?」何故か四さんが答えてくれそうな気がして、思い切って尋ねた。勿論そんな訳はなく、返事をしたのは宝お爺さん。
「誰かここに戻る途中、アイザを見かけんかったか?」
「僕見たよ」通りの南方面を指差し「向こうに歩いて行ってた。三十分ぐらい前かな?」
弟の言葉に四さんの顔が一層強張る。
「約束の時間を超えておるが……大方依頼の物を探すのに夢中なだけじゃろう。あの子は夢中になりやすい性質じゃからのう。四、見かけたら戻るよう言っておけ」
何だろう……嫌な胸騒ぎがする。何よりお爺さん達の氣がさっきまでと全然違う緊張感を孕んでいた。……それによく思い出せないけれど、最近どこかで彼女が危険に晒されるって話を聞いた気がする。
「あの、ウィル。一応……探しに行った方がいい、と思う。取り越し苦労なら、それに越した事は無いんだし……」最後は自信の無さに声が消えかけていた。
「まーくん?また何か感じるのか?」
「ううん、氣じゃない……だけど……」言葉にならない不安が溢れ出して心を一杯にする。気のせいと思うには余りに実感があって無視できない。「ごめんなさい……上手く言えなくて」
ぎゅっ、と手を握られる。温かくて筋肉のしっかり付いた手だ。
「分かった、まーくんの勘は当たるもんな。四、少し探してこよう」
「構わんのか?」お爺さんが驚いて言った。
「当たり前だろ爺さん。何も無ければそれでいい。オリオール、お前が会った所まで案内してくれ」
「うん!」
「僕も手伝う。美希、もう少しだけここを頼むよ」
「分かりました」
「よし、じゃあ行こう」
もう一度喧騒の中に入り、手分けして探す事数十分。私の予感は的中した。