表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

二章 夜の秘石



 七時前なのに外はすっかり暗い。龍商会ビルの入口の明かりが白く辺りを照らすが、その向こうの街灯は疎らだ。それでも“碧の星”の森よりはずっと明るい。

「遅いな皆……」

 明日が早いので店の人達は先程帰って行った。閉店した天宝にいるのは私と弟、後ろで眠っている美希さんと、

「ただいま」

 三和土たたきに買い物袋を提げたエルが顔を出した。

「どう、だった?四さんは、帰って来れそう?」

「当たり前だろ?凶器は発見されてないし、状況的に考えて彼は白だ。第一発見者だから証言を取っているだけだよ。もうすぐ戻って来る」

「良かった……」

 彼は玄関に回り、程無く私達のいる部屋に来た。袋は台所に置いてきたようだ。

「商店街で適当に惣菜を買ってきた。兄上が先に食べてていいって」

「ううん。あんまり空いていないし、戻るまで待ってる。オリオールは?」

「僕もまだいい」

「そうか」

 環紗の街中の公衆トイレで煉宝石店店主、正に私達が探していた人が殺された。頭部を切断されて個室に押し込められていたらしい。四さんは例のカップ探しの途中、トイレを使おうとして偶然見つけたそうだ。

「連続殺人だってね。詳しい話は戻ってから一緒に聞こう」

「うん」

 聖樹さん今頃きっと心配している。連絡しなきゃいけないかな、と思ったけれど、私はウィルの家の番号を知らない。帰って来たら電話してもらわないと。

 弟はさっきから縁側にいる白い猫に、冷蔵庫の上に置いてあった煮干しをあげている。人慣れしている猫は弟の手をペロペロ舐める。君飼い猫じゃないの?にゃぁ。ふぅん。おこぼれを貰う生活も大変だね。にゃぁあ。

「オリオール。少し誠を借りて良いかい?話があるんだ」

「ここでしたら?もう外暗いよ、殺人犯がうろついてるかも」

 弟の忠告に、しかし友人は首を横にした。「大人同士のプライベートな話なんだ。聞かれたくない」

「いいよ別に。でもなるべく早くしてね、お姉さんは見ててあげる」

 あっさりOKを出した態度にエルの眉が上がる。

「意外だな」

「お兄さんは一応兄様の友達だからね。前に治療してくれた恩返し」

「ありがとう。行こう誠」

「う、うん」

 言われるまま靴を履いて屋外へ。見上げた先には“碧の星”とは違った星空が広がっていた。

 エルはズンズン龍商会ビルと反対へ、明かりも持たずに闇が支配する方へ離れていく。追い掛けるのも一苦労。

 明日の準備を終え静まり返った骨董市の会場内。ようやく足が止まった。

「ここなら誰もいないな。さて……」振り返って顎に手を当てた。

「何の話?」

 美希さんの事?でも彼女は眠っているから、あそこで話しても問題無いはず。“燐光”の話?だけど私の記憶が無いのはエルも充分知っているし、それこそオリオールに直接訊くはずだ……他の事なんて見当も付かない。

「………」

「???」

 友人は私の顔を見つめるだけで何も口にしようとしない。ますます目的が分からない。

「おい、こら、何とか喋れ斑顔野郎」

 またあの人だ。今日はよく来るなあ。と思っていると、エルの口にはっきり笑みが浮かぶのが見えた。

「やっと出て来たな。誰が斑だ、姿を見せない奴に言われる筋合いは無いね」

「?」

 意味の分からない私に対し、あの人は軽く口笛を吹いた。

「へぇ、俺の声が聞こえるのか。それもその斑の影響か?」

「多分ね。誠、何時からだ?」

「え?」

「この男が君の前に現れ出したのは、記憶が無くなってどれぐらいして?」

「割とすぐ、だったと思うよ……でもどうしてそんな事」

 友人は額に手をやり、彼は大抵君が一人の時に来るんじゃないかい?と尋ねてきた。

「え!何で分かったの?」

「いいかい誠。そいつは物理的には『いない』」

「え??でも……」

 頭の上であの人の手がひらひらしている。観察する皮膚の質感は私達と変わらない。

「『在る』ように見えているのは君だけだ。僕には声しか聞こえない」

 言われて腑に落ちる所もある。昼間彼が話していても誰も相槌を打たなかった。偶々聞こえていないんだと思ったけれど、本当に皆の耳に届いてないなら当然だ。でもまだ少し混乱している。

「もう一つ。僕にはそいつの声が君の物に聞こえて仕方ない。だから直接連れ出して確かめた、理解できたかい?」

「う、うん……大体は」

 成程。弟と一緒の所だと彼は喋らない、だから外に出たかったんだ。

「宜しい。君は?」

「そりゃあ勿論」おどけた声で答えた。

「大変結構。じゃあ本題だ」

 エルは私を、正確には後ろにいる彼を睨み付け、君は何者だ?と尋ねた。痣に触れ「こいつで聞こえたって事は君も不死なんだろう?」

「さぁ、どうだろうな」

 飄々とした相槌、だが友人は全然不愉快そうではない。

「君は誠やオリオールの知らない多くの事実を知っている、違うかい?」

「強過ぎる好奇心は、時に平和な死を遠ざける。お前の部下にもあいつらに関わって死んだ奴がいたはずだぞ?」

 ジョウン・フィクスさんの事だ。不死族に殺されたシャーゼさんのお父さん。

「確かに、昼行燈みたいに全身の血を抜かれるなんて惨い死に方は御免だ。しかし知への探究心は得てして個人の生命よりも貴い」

「俺に言わせればどっちも下らない」

「何も教えてはくれない訳だね?」

「当たり前だ」

 友人は肩を軽く竦め、やれやれと首を横に振った。

「なら質問を変えよう。この痕を移して以来、時々吹奏楽器のような高い音が聞こえる。誠やオリオールからもだ、不死に反応していると思う?」

「“泥崩”は音に特化したタイプだ、聴覚に妙な能力が付いても不思議じゃない。おい」不意に私の手首を握る。温かくも冷たくもない指の感触。「サンプルを取る。俺の代わりに接触しろ」

「え?あ!」

 強引に青紫色の肌に手を持って行かれる。「ごめん触るよ」

「っ!?」

「あ!ご、ごめんエル!!痛かった!?」私は普通にただ触ったつもりだったのに。

「ふーん……ほうほう、こいつは良いデータだ……」

 触れた場所は針で刺されたみたいにぷく、と血の球が滲み出ていた。奇跡を掛けて傷を塞ぎ、ハンカチで拭う。移った赤を見た友人は「何だ、これぐらいなら治さなくても良かったんだよ」

「提供料は払ってくれるんだろうな」

「実用にはしばらく解析が必要か……」

「聞いてるのかい?」

「うっせー!おい、俺は忙しいからお前相手してろ」

 言葉通り彼は腕を引っ込め、そのまま私の視界から消えてしまった。

「いなくなっちゃった」

「勝手だな君の兄弟は」

「呼び戻した方がいい?」

「いいよ。どうせまたすぐ出てくるだろうし」

 友人は溜息を吐き、長話して悪かったね、店に戻ろうか、と言った。実は私も少し相談したい事が。じゃあ少し遠回りして帰ろう。

「音、私達以外からも聞こえてるの?」

「ああ幾つか……ただその対象がちょっとね。彼に訊けばどういう事か分かるかと思ったんだけど……」渋面になって呟く。「もう少し自分で考えてみるよ。誠は心配しなくていい」

 殺人事件があったせいか、行きと同様人通りは全く無い。

「話したいのは“黒の燐光”の事?」

「凄い、何で分かったの?」

 はぁ。

「やっぱり美希は君に頼んだんだな」

「頼まれた訳じゃないよ。私が自分で手伝うって言って」

「分かってるよ」重い息。「でもショックだ……」そのまま頭を抱え始める。

「え、エル?」

 どうして??

「そりゃ自分の女が他の男に相談すればプライドが傷付くのは当たり前だ。ましてこいつは宇宙を牛耳る奴、大抵の望みを叶える力がある。なのに一言も無しとなりゃ」

「本当に勝手に出てくるな君は!ああそうさ僕は実に腹が立っている!美希が誠に頼んだのもそうだし、何より彼女に信頼されてない自分に憎しみさえ覚えるよ!!」

 辛く苦しい、身体中から絞り出すような声。

「なあ誠、一生の頼みだ教えてくれ。美希は“燐光”を手に入れてどうすると言ったんだ?僕には犯罪者を捕まえたいだけとは絶対に思えない。あの切羽詰まった目にはもっと別の動機がある、まさかまた過ちを犯そうと、美佐さんを生き返らせようなんて考えてないよね?」

「頭良いんだろお前。何でんな簡単な事分からねえんだ?」

 どうしよう……美希さんとは絶対内緒だって約束した。でも……友達がここまで悩んでて、彼女も倒れていて……私が話したら、二人は楽になれるのかな。

「エル、落ち着いて聞いて。美希さんは……エルの、その痕を消すために“燐光”を探してるんだよ。抱えて生きるには余りに酷過ぎるから、って……」

 沈黙。

「――誠、一ついいかい?」

「何?」

「一発殴ってくれ」

「え?」

 言うなり自分で自分の拳を頬に当てる。「つっ!!」

「な、何やってるの!?」

 手加減無くやったようだ。痣の上の口端を血が伝っている。

「ああ、僕とした事が。取り乱し過ぎた」袖で赤を拭う。「いてて……手当てはいい。自分でやった事だ」

「歯は、折れてないの?」

「頬の内側が切れただけみたいだ。少ししたら止まるよ」

 道端の石壁に寄り掛かり、ほうっ、と息を吐く。

「しかし彼女にどう説明するかな……これはもう完全に無害化していて、今更“燐光”があった所で消えるような物じゃないんだ。後は時間が風化させるのを待つしかない」

「どれぐらい掛かるの?」

「魔力の高さから言って五十年か……下手したら百年ぐらいは残っているかもね」

「拷問だな。自分の罪を一生見せつけられながら彼女は年取って死ぬ訳か。――責任感だけでお前といるざを得ないのかもしれないぜ?愛情なんてこれっぽっちも無えかもしれない。分かってんのか?」

「痛い所を突くね……激しく同意するよ。何度もそれは考えた」

「そんな事無いよ、美希さんは本当にエルが好きで」

 同情と後悔だけであんな眼差しできるはずない。

「仮令嫌われててもいい。今の彼女を放っておいたら死ぬよ?少なくともそう言う危うさが無くなるまでは傍にいるつもりだ。それが僕の義務だからね」目を伏せて「どうせなら相思相愛の方がいいけどね。初めてだってしてしまったし」

「勝手にノロけてろ!この変態野郎!!」

 凄い怒鳴り声を上げてまたあの人はいなくなった。でも多分またすぐ戻って来るだろう。

「初めて、って何をしたの?」

「あー……誠には縁の無い話だよ。今度兄上に教えて貰うといい」壁から背中を離した。「冷えてきたな。待たせ過ぎてオリオールを心配させちゃいけないね。それに美希が目を覚ましているかもしれない、戻ろうか」

 初めての……旅行?食事?でもそれはウィルに訊かなくても知っている。何だろう?

 流石仕事で色んな街を回り土地勘があるらしく、エルは行きと違う道でも迷わず先導してくれる。と、足が止まった。

「どうしたの?」

「静かに」

 目の前には一軒の四角いこじんまりした煉瓦の壁のお店。入口ドア上に掲げられた金色の看板、煉宝石店。入口ドアには木製のプレートで『CLOESD』。中の電灯は点いていない。

 ドアの前に彼等はいた。一組の男女。男の人の方は見覚えがあった。あの夜、墓地で散々嘘を吐いた上エルを殺せと言った人。アイザが撃った傷はもう治ったのか平然としている。

「おいおい何をやっているんだ。拘留中の彼等が何で外に出ている?」

 女の人はリーズと同じぐらいの年に見える。でも彼女と違って顔全体も頭も爪もどこか不自然な色。スカートも太腿の上ぐらいまでしかなくて、寒くないのかな?

「ねえ、ジュエリーショップって普通防犯装置があるんじゃないの?そのまま入って大丈夫?」甲高い声で彼女が尋ねる。

「何言ってんだ、さっき裏のブレーカーを落としただろ?にしても凄い偶然だな。シスターが出してくれた途端、探していた“燐光”の情報が入るなんて」

 え?あの店内に“燐光”が?昼間訪ねた時は店員さん、誰も知らないって言ってたのに。

「――煉氏の行動は、本物か偽物かは別として、狂信者二人を釣り上げる針になった訳だ」友人は高揚した声で「僕等も入ろう」

「あの中に“燐光”があるなら儲け物だ。泥棒退治のついでに調べてみる価値はある」

「今お前鴨が葱背負ってきたと思っただろ絶対」

「僕がネコババするとでも?心配しなくたって美希を説得したらすぐ返すよ。それでいいだろ?」

 二人が入って行くのを確認。「誠、行くよ。なるべく音を立てないように、こうやって摺り足で歩けば大丈夫」

「う、うん」

 変な歩き方、結構難しいな。


 キィ……。


 まずは夜目の利く私がドアから顔半分覗いて中の様子を窺う。二人組は懐中電灯を頼りに奥のショーケースから順に一つずつ確認している所だ。

「気付かれずに入れそう?」

「うん。こっち」

 中腰のまま友人の手を引いてレジのカウンターへ。ここなら覗き込まれない限り見つからない。

 今度は二人で首を伸ばし泥棒を観察した。

「おい、それらしい物はあったか?」

「全然。やっぱあれだよ、金庫に仕舞ってあるんじゃない?大体オークションに出すのをこんなトコに入れとかないって普通」

「お前にしては常識的な答えだ。従業員部屋も覗いてみるか」

 二つの光の筋が更に奥へ向かい、廊下を曲がって消えた。

「取り押さえる?」

「お前は人数に入らんだろ。逆に人質にされるぞ」

「出て行く直前に僕の電撃で失神させよう。それが一番安全で確実だ」

 普通の店より窓が小さいので外より暗い。硝子の中の宝石も輝いていない。

 無音のままどれぐらい経ったかな。エルが体勢を変える気配。ぱか。

「おかしい。もう十分以上経つぞ」携帯の時刻表示を見ながら呟く。「裏口から逃げられたか?」

「確認してくる?」

「そうだね。光よ」いつもより淡い魔力の光球を一つ左手の中に浮かべる。「付いて来て。慎重に行こう」

「うん」

 エルの背中に頭を当てそうになりながら摺り足で店の奥へ。通路を曲がって数センチ開いたドアを潜って。

「!?」

 この臭いは……何が、起こったの……?

「僕から離れるなよ誠。君に何かあったらオリオールと兄上にぶっ飛ばされる」

 臭いの元は光の数メートル先に確認できた。

「そこ、血溜まりが」

 指差そうとして、目がその十センチ先にに釘付けになった。さっきの女の人が死んでいた。赤黒い断面をこちらに向けて横たわっている。

「……首が、切られてる……」ここの店長さんと同じ死因。

「用心しろ。犯人はまだいるかもしれない」

「!?」

 慌てて闇に目を凝らし殺人者を探す。死体の先に、男の人もうつ伏せで死んでいた。勿論在るべき場所に首は無い。右手の傍に点いたままの懐中電灯が落ちている。その光の筋に照らされて、


「誰?」


 真っ赤なスカートの全身ドレスを着た、頭の左右に黒髪の球を作った十歳ぐらいの少女。右手に提げた腕程もある長さの鋏の刃は朱に濡れていた。彼女の後ろには金属の黒い大きな箱。どうやらあれがさっき二人が話していた金庫らしい。蓋は既に開いていた。書類は沢山入っているけど、宝石は一つも見当たらない。

「そっちこそ誰だ?」

 魔力の光を天井に放つ。途端電灯を点けたように辺りが明るくなった。両目を飛び出させ、苦悶の表情で固まった二人の首に息が詰まる。幾ら悪い人だからって、こんな死に方……。

「噂の首切魔だな君。これで通算七人か。どうしてここへ?」

「答える義務、あると思う?」

 刃先が滑りを持ってギラリ、と光る。

「長のトコに戻るの。邪魔しないでくれる?」

「あなたも“黒の燐光”を探してるいるのですか?」

「またその話?」

 転がっている男の人の首を、あろう事かボールのように壁へ蹴り飛ばす。痛ましくて思わず目を覆う。

「こいつ等もそんな事言ってた。私興味無いって言ったらいきなり襲って来たの。ね、悪いのは私じゃないでしょ?」

「殺すのは過剰防衛だ。それにどう控え目に見ても剪定用でない鋏を持ち歩いている時点で、犯罪性は大いにある」

「……死にたい?」


 鋏が飛ぶ。ヒュウンッ!


「うっ!」

 咄嗟に氣の壁を張って刃を受け止める。障害物に当たった凶器は放物線を描いて持ち主の手元へ帰った。


「雷よ!」


 放たれた蒼白い電流が少女の胸元を直撃、気絶するはずだった。

「魔術師か。危ないなあ、絶縁体入れてなかったら心臓止まってた」平然と呟く。全く効いていない様子だ。

「誠、逃げるよ。分が悪過ぎる」

「お返し」


 ヒュンッ!ヒュンッ!


 迫り来る刃を避けつつ私達は宝石店を脱出した。

「エル!私が囮になるからその間に逃げて!」

 彼が首を切られたら即死してしまう。私なら多少切り刻まれた所で平気だ、多分。

「馬鹿言うな!口を動かす暇があったら走れ!」先導に従って真っ直ぐ骨董市の会場へ向かい駆けた。あそこなら隠れてやり過ごす場所は沢山ある。

「あんまり時間掛けたら長に怒られちゃうなあ。――それに、追い掛けっこ飽きた」


 ヒュウンッ!ザシュッ!


「っ!?」

「エル!!?」

 崩れ落ちた友人を支える。切り裂かれた太腿から血が流れ出していた。

「その脚じゃ逃げられないよね。ついでに」


 ブシュッ!


 何が起きたのか分からなかった。エルの顔が驚愕に満ち、両手で私の頭を掴む。

「……ぁ……」

 肺の空気が咽喉からヒューヒュー抜けて声が出ない。胸元が溢れ出した血で濡れる。

「誠、動くな!」

「今日は切り過ぎたね。首の皮一枚残っちゃった」

「……っぁ………」

 吸い込む空気が傷から抜ける。苦しい、目が霞む……。

「終わったらしっかり目に研がなきゃ」

 少女は真新しい赤を纏った鋏をエルの背中目掛けて突き刺そうと振り上げた。


「この糞餓鬼!やっと見つけたぞ!!」


 男の人の声。横薙ぎに少女を襲う力強い大剣が見えた。

「よくも依頼人共を次々とぶち殺してくれたな!!」

「しつこいおじさん!」サッ、と飛び退いて避ける。「バイバイ!」


 ヒュッ!トサッ!


「くそっ!屋根に上りやがって卑怯者が!待ちやがれ!!」

 走り去る足音。確認する事もできず、私は友人の腕によって横たえられた。

「うぐっ……っ……!」

 彼はどうにかポケットから携帯を出したが、酷い苦痛と出血で隣に倒れ込んだ。目を瞑り、大量の冷や汗と荒い息を吐く。

「ぁ……ぅ……」

 しっかりして、そう言いたいのに空気が言葉になってくれない。奇跡を使おうにも酸欠で意識が遠のきかける。

「……っ」

 私は力を振り絞り、道路に落ちた物に向かって手を伸ばした。



 警察に引っ張られたくせに至ってケロッ、としている四。対照的にアイザは帰路だと言うのに肩を借りないと倒れそうだ。

「発見者でもないお前が参ってどうする」

「だって宝爺、吃驚するじゃん。四が警察に捕まったなんて聞いたら……」初老の腕に抱えられ凭れ掛かる。「本当心配したんだよ四」対して彼は肯定らしき頷きで返す。無口も事情聴取を筆談、しかも身内を呼んで来るまでとなるといっそ天晴だ。二人共あえて言わないが、咽喉が悪くて喋れないのかもしれない。

(帰ったら飯だな)弟に先に済ませるよう伝えてくれとは言ったが律儀な誠の事、恐らくまだ待っているだろう。

「ウィル。今日は付き添わせて本当ゴメンね。まだ終便残っているといいんだけど」

「いや、今から帰っても午前様だ。子供もいるし、今晩はこっちで泊まってく。エル達の旅館に行けばもう一部屋ぐらい借りれるだろ」

「水臭い、うちに泊まっていきなよ。部屋も布団も余ってるんだからさ」

 慣れない他人の中より、親しい友人宅の方が兄弟も安心して眠れるか。

「そうだな。サンキュ」

 人っ子一人いない路地に、街灯が長い四人の影法師を作る。

「昼間は無いって言ったけど、“黒の燐光”はやっぱり店の中に保管されているのかな……店員とこれから確認しに行くって言ってたよね確か」

 コクン。

「盗まれてないといいな……現物無いと交渉の余地だって」

「爺さんの死体は持ってなかったらしいしな。殺された時点で盗まれたとしたら、目的は石だったかもしれないって事だ。なら犯人は“死肉喰らい”の可能性も……」

 強ち間違ってはいない気がする。勿論、単なる物盗りって事も充分有り得る。ダイヤが拳大もあれば、どこに持って行っても高く売れるに決まっている。

「若しくは、まーくん達以外の不死族の関与か」

「二人に知らせずに?」

「連絡が途絶えたんで別働隊を派遣したのかもしれない」

「だとしても殺して奪い取るなんて無法者のする事だよ!」

 ようやく天宝の明かりが見えてきた。龍商会の蛍光灯と違い、ほっと気持ちが和む裸電球の光。

「ただいまー」

 ガラガラ……俺達が玄関に上がると、居間から満面の笑みのオリオールが「おかえりなさい!」小走りに来、直後如何にもガッカリした風に肩を竦めた。「何だ、お姉さん達か。兄様かと思って喜んで損した」

「出掛けたのかまーくん?もうこんな暗いのに」

「政府のお兄さんが話があるからって一緒に出て行った。でも遅いなあ……もう一時間ぐらい経つのに、全然帰って来ない」

 むくれた少年の頭をアイザが撫でる。

「それはちょっと心配だね。ウィル、二人で見に行ってみる?」

 四の顎がカクン。

「そうだな、三人で探しに行くか。どうせエルの奴が話し込んで帰るの忘れてるに」


 リリリリーン!リリリリーン!


「警察かな?」

 黒電話の受話器を持ち上げる。

「はい、天宝商店です。………?もしもし?もしもーし!」

「どうしたんじゃ?」

「悪戯かな……声の代わりに変な、隙間風みたいな音がずっとしてるの。ほら」受話器を宝爺さんの耳元へ近付ける。

「本当じゃな。ん?今……声のような物が聞こえたぞ?……駄目じゃ、儂では耳が遠くて聞き取れん」

「貸してくれ」右耳に押し付ける。


――ヒューッ……ヒューッ……。


 何だ?風は僅かにぬめった音を伴っている。

 朝日の中、白に浮かび上がった真っ直ぐな赤い痕。突如脳裏に蘇った絵が俺を襲う。

「まーくん………なのか?」

「え!?兄様!」

 電話の向こうで身じろぐ音。

「イエスなら一回、ノーなら二回電話の縁を叩いてくれ」


 カツン。


「OK。エルは一緒か?」


 カツン。


 こいつは予想以上に厄介な事態だぞ。誠は首切魔の手に掛かって重傷、弟も電話に出られる状態ではない。

「ねえ!兄様無事なの!?」

「良くなさそうだ。静かに。……まーくん、そこはどこか建物の中?」


 カツンカツン。


「屋外?天宝の近くか?」

 大分間が空いた後、一回カツン。遠くはないがそう近くもない所らしい。


――……れ………。


「れ?」頭をフル回転させて該当しそうな単語を出した。「煉宝石店、の近く?」


 カツン。


「分かった。待ってろすぐ行く」ガチャン。「二人が重傷だ!アイザ、大至急リーズをここに呼んでくれ!運んで来る!」

「あ、ああうん!」

「四、二人は煉宝石店の傍だ。案内してくれ。オリオール、お前も来い」

「当たり前だよ!早く行こ!!」

 店を飛び出し、夜気の中四の背中を追って俺達は走る。

「兄様ー!返事して!!」

 照明の落ちた宝石店の前に辿り着き、辺りを手分けして捜索する事一分。

「まーくん!!」

 道路に仰向けで倒れ、血塗れの右手で携帯を握り締めた彼の唇が動く。ヒューヒュー。滑らかな傷口が電話越しより鋭い音を立てた。隣の弟の太腿に同じ凶器と思われる深い傷、激痛で失神している。

「もう大丈夫だからな。おーい!こっちだ!」

 余りの惨状に少年は蒼褪め、冷静な四でさえ一瞬目を背けかけた。

「兄様!ごめんなさい、僕も一緒に付いて行ってれば……」

「運ぶぞ。四、悪いがそっちは任せた」

 コクン。

 背中に担ぎ上げようとした時、彼が左手の人差し指を宝石店の方に向けた。「……ぁ……こ」

「他にも中に誰かいるのか?」一旦降ろす。「オリオール、少しだけまーくんを見ててくれ。店の中を見て来る」

「一人じゃ危険だよ!僕も一緒に行く!」

 嫌な予感しかしないが……まあいいだろう。

「分かった。四、そう言う訳だ。すぐ戻る」

 頷くのを確認して、俺と子供は閉店した宝石店へ向かった。半開きのドアを潜り、真っ暗な中オリオールに手を引かれて進む。

「ん……?奥が光ってるぞ」

 従業員部屋らしき場所に足を踏み入れた瞬間、嗅ぎ慣れつつある非日常的な臭いが襲った。天井の魔力の光によって発している物の正体は一目瞭然だ。

「っな……!!」

 首と胴体が別れた男女の死体が自らの血の池に沈んでいる。ヘビーな光景にそれだけ確認するのがやっとだった。

 ぎゅう。少年が震えながら俺の手を力一杯握り締める。蒼褪めて今にも嘔吐しそうだ。

「お兄さん……」「ああ、戻ろう」俺達が出来る事は無い。

 外に出て肺の血臭を残らず吐き出してから二人の元へ。既に応急処置として二人の傷にはタオルが巻かれていた。

「ありがとう四」

 頷き、目線を今しがた俺達の走って来た道へ向ける。

「中で店員っぽくないカップルが殺されてた」親指で首を切るポーズ。「同一犯だ」

「ぐちゃぐちゃだった……凄く苦しそうな顔してて」店を出てから吹雪に巻き込まれたようにブルブルしっ放しだ。「早く兄様を安全な所に連れて行かなきゃ」

 二人を背負い、急いで天宝へ戻り始める。角から殺人鬼が飛び出してきそうで怖い。やがて店が視認できる距離まで戻って来た。

「……兄上……四…?」

「気が付いたか。もうすぐ天宝だ、リーズが先に着いてたらすぐに治療してもらうからな、後少しだけ我慢しろ」

 弟の瞼がぴくぴく不自然に動く。

「……駄目だ、動けない……あの鋏、神経毒付きか……」

「鋏だって?」

 毒のせいか弟は満足に声も出せず、四の肩に頬を乗せてぐったりした。

 店の前には既にビトス兄妹がいて道路を見回していた。俺達に気付き腕を大きく振る。

「早かったな、早速だが診てくれ!」

「分かりました。お兄ちゃん、もう一組お布団敷いて!」

「ああ」

 義息は開いた擦り硝子戸を抜け、押入れから大急ぎで布団を引っ張り出す。既に敷かれた方の横には包帯やガーゼ、消毒薬等が並べられていた。

 俺達が上がると同時に奥の襖が開いた。

「……エル様………あぁっ……!」

 バタッ!

「美希さん!?ちょっとしっかりして!!」

 アイザは替えの寝巻きやら何やらを畳上に放り出し、倒れた彼女を支え額に手を当てた。

「熱が上がってる……」

「美希!」

 四の背から転げ落ちるように着地し、弟は傷も毒も無視し必死の形相で恋人の元へ這いずった。手を握り普段の冷静さも忘れて彼女の名を叫ぶ。

「精神的ショックで一時的に気を失っただけです。アイザさん、寝床に運んであげて下さい。エルさん、今は傷の治療が先です」

「ああ……分かった」

 運ばれる想い人を悲しげに見、弟は自分で布団に横になった。さっきので傷が広がり、血が溢れ出してシーツを濡らす。

 今度は誠が気を失い、隣に降ろしても瞼を閉じたままだ。時折咽喉から漏れる音さえなければ美しい死体か、完璧な人形細工にしか見えない。前髪を払い、手の中の携帯を取って通話を切る。液晶やボタンが固まりかけた血で汚れていた、後で拭いて弟に返しておこう。

「運動神経が麻痺していますね。凶器から毒物が身体に入ったようです」

「流石医者の卵、ぱっと見ただけでよく分かるね。自由を奪うだけの神経毒みたいだ、治療には差し支えない?」

 口を開けさせ、瞼を上げさせて数秒考え込んだ後「どうやら他の症状は無いみたいです。これなら」

 少女の手が手早く消毒薬の染みたガーゼと注射器を取る。「取り合えず痛み止め打ちますね。治癒魔術でも塞ぐのに少し時間が掛かりますよ」

「僕は平気だ。誠を先に」

「無茶言うなエル。聖族と不死じゃ自己治癒力が桁違いだ。大人しく治してもらえ」包帯を取る。「こっちに変えるぞ。もっと締めた方がいいのかリーズ?」

「いえ、無理にやると気道が塞がってしまいます。普通はまず縫合しないといけないんですけど……必要なさそうですね、自然にくっつき始めています」

 魔術の温かい光が弟の下半身を包み込む。

「アイザ、オリオールに先に飯食わせてやってくれ。こっちは俺が付いてるから」

「僕もいる!お兄さんこそ先に休んできてよ。服だって汚れてるし……」

「血が止まったらな」

 首を片手で持ち、重くなったタオルを取り去って新しい包帯を巻く。修復し始めた所が再び千切れないよう慎重に。

「う………ぇ……」

 血の臭いが濃過ぎて噎せ、正直軽い吐き気さえ襲ってくる。駄目だ、俺がしっかりしなくてどうする。

 五分ぐらいでバタバタッ!少年が戻って来た。

「はべてきた!きゃわる!」

 奪い取るように俺の隣へ滑り込む。明らかに口をモゴモゴさせている。

「せめてちゃんと飲み込んでから来い」

「ひゃって!」トントン、胸を叩いて詰まりを取る。「心配なんだもん!」

「だからって」

「ウィルさん行ってきて下さい。戻って来たら輸血をお願いします」

「けどガキに任せる訳には」

「大丈夫です!気分が良くなるまで帰って来なくていいですから!」気付かれてたか。

 追い出されるように居間を出て、玄関の黒電話が目に入った。そうだ、帰りを待っている爺に連絡しないと。


 ガチャ。……プルルル、プルル。


『御主人様ですか?』

「あ、ああ」

 爺は普段通り冷静だ。対して俺の声は少し上擦っている。

「悪いな。晩飯の準備とかしてたんじゃないか?もっと早く要らないって連絡入れれば良かったんだが」

『構いません。パンもスープも二、三日は保存が効きますので。御主人様はまだですね?』

「よく分かったな」

『ただの勘ですよ。何となくそんな気がしただけです』

 吃驚した……一瞬見張られてるのかと思ったぜ。

「環紗を見て回る内に遅くなっちまってな。今夜は友達の家に泊まるよ。明日は必ず帰る」

 また事件に巻き込まれたとはとても言えない。森で一人待つ爺だけには心配を掛けたくなかった。

『はい。ところで誠様とオリオール様はどうなさいました?』

「今一緒に風呂に入ってるよ。バスタブ狭いからさ、止めとけって言ったんだが」

 本当は風呂どころかシャワーも浴びられない状態。俺も服替える前に一回身体洗っとかないと。首からの出血で主に背中側が生温かく濡れている。

『湯冷めには気を付けてあげて下さい』

「ああ、分かってる。爺は心配性だな」

 日常的な会話が一時だけ戸の向こうで起きる非日常を忘れさせてくれる。

「土産期待しててくれよな」

『私は御主人様達がただいまと戻って来てくれるだけで充分です。でも、一応楽しみにしておきますね』

「ああ。じゃあお休み」

 電話を切ってからふと、爺は気付いているのでは?と不安が過ぎった。まさかな。悟られるような事は言っていないはずだ。

 まずは身綺麗にしておこうと風呂へ向かった。



 眠り続ける客の様子を見に行って吃驚した。微熱がある。すぐに医師の卵に相談した。

「ストレスが身体症状として出ているだけです。慌てて下げる必要はありません」

「そう。なら一安心、かな」

「汗を掻いているので寝巻きだけ替えておいて下さい」

「分かったよ。ありがとうリーズ」

「どういたしまして。私も外に出てます、誠君達が何時帰って来てもいいように」

 少女はそう言って硝子戸の向こうに消えた。

 箪笥の中を探し、泊まり客用の薄青色の寝巻きを出してくる。

「……ぅん……」

「ちょっとだけ我慢しててね」

 力の抜けた美希さんの上半身を起こし、腰の帯を解く。上下の肌着だけにして新しい寝巻きを掛ける。使い終わった衣服は指摘通り汗を吸って大分重くなっていた。

 再び横にさせ、枕の位置を整える。布団を掛け直して終了。


 ガタン。


「?」縁側の方で音がした。いつもの猫?そう言えば今夜はまだご飯をあげていない。

 台所の鰹節缶を手に障子を開けた。猫はいなかった、代わりに女の子が一人。

「こんな時間に何やってんだい?」

 真っ赤なドレスに二つのお団子頭、そして普段使いには大き過ぎる鋏。植木屋?

 彼女はアタシの顔を唇がくっ付く程近くで見て「長?」と呟いた。いきなりそんな寄られたら誰だって心臓が破裂するぐらい驚く。

「ち、違うよ!アタシはアイザ」

「そうだね。長がこんな所にいるはずないもの」

「そうそう人違いだよ。他人の空似」

「ふーん」

 少女はつまらなさそうな顔で縁側に落ちていた煮干しを摘まんで口に入れた。「こら!拾い食いしないの。お腹壊すよ!」

「だってペコペコなんだもん」

「だったら早く家に帰りな。家はこの近所?親に迎えに来てもらうなら電話しようか?」

「いい。一人で帰れる」

 膨らんだ腰のポケットを探り「アイザは宝石好き?」と尋ねる。

「まあ、嫌いじゃないよ」

「じゃああげる」

 ポケットから出した小箱をぽん、と投げた。黒色の皮が全面に張られた宝石箱。指輪にしては二回りぐらい大きい。

「拾ったの。どうぞ」

「ちょっと、高級品でしょ!?持ち主探してるだろうし、交番に届けないと!」

「面倒臭い。出すならアイザがやっておいて」

 彼女は猫のようなしなやかなジャンプで塀の上に飛び移り「バイバイ」と手を振った。

「あ、ちょっと待ちな」

 ピョン。向こう側へ飛び降りて見えなくなってしまった。何なのよもう。

 部屋に戻った途端にわかに店の外が騒がしくなった。リーズの指示が飛び、ケルフが奥へ入ってくる。

「布団はここか!?」

「うん。どう様子は?」

「二人共血だらけ。アイザは服の替えを用意してくれ」

「分かった」

 箱を掴んだままアタシは寝巻きを入れた箪笥を開いた。



「……ん……ぅ」

 咽喉が凄く渇く。頭を起こそうとして酷い眩暈を感じた。首に違和感を覚えて、思い出す。

(女の子に襲われてそれから……エルは無事だったの?)

 両側にオリオールとウィルが眠っている。鞄の横に使用済のチューブや針がビニール袋に入れて置いてあった。どうやら輸血してくれたらしい。

「う……」

 ベタベタした咽喉の渇きに耐えられず部屋を出る。台所へ行き、コップで水道水を溜めてごくごく。

「……ぃし……」


 ポタ、ポタッ……。


「誰か起きてるのかい?」


 ガラガラ……。


「……る……」

 友人は電灯を点け、「誠、零れてるよ」と言った。初めて飲んだ水の一部が傷口から滴っていたのに気付く。

「しょうがないな。そこに座って」

 年代物の木製ダイニングチェアに腰掛ける。タオルで寝巻きと床を濡らした薄桃色の液体を拭き取る。

「……ぃじょ……」

「傷はもう大丈夫か?って訊いてる」声の出ない私の代わりにあの人が通訳してくれた。

「ああ、リーズが完全に治してくれた。お陰で疲れ切って君の方まで手が回らなかったみたいだけど。もう歩くのに支障は無いよ」

「別に構わない。明日の朝には殆ど回復する」

「それは羨ましい」

 彼もコップを取り、水を注いで飲み干した。


「……る様……」


 熱に浮かされた声。美希さんは戸にしがみ付き、今にも倒れてしまいそうになりながら立っていた。

「御免、起こしちゃったね」

 両腕でしっかり抱き締め、子供をあやすように背中をぽんぽん叩く。

「……首が引き千切れて……真っ赤な血が、噴き出して……あぁ………!!」

「夢だよ、ただの夢。ほら、怪我なんてしていないだろう?」

「エル様が……ひっく、えっぐ……」

 手で覆いもせず美希さんは友人の肩で泣きじゃくる。

「熱に悪い夢を見させられただけさ。美希、布団に戻ろう。一晩眠れば全部忘れられる」

「死なないで………どんな姿でも……エル様は私の唯一の家族なんです……お願い……」

 熱で夢現状態。だけど不思議と氣は昼間より安定している、どうして?

「僕は君に家族をあげるまで死なないよ、一度した約束は絶対に守る。だから安心して」黒髪を撫でる。「いいね?」

 こくっ。

「良い子だ」振り返って、「誠、君も早く戻りなよ。いないと兄上達が心配する」

「……ぅ」

「じゃあお休み」


 ガラガラガラ……。


 返事をしたものの、すっかり目が冴えて全然眠くない。でも帰らないと二人が起きてあちこち探し回るかも。

 窓の外を見ると離れの電気が点いていた。

(あそこは確か四さんの……?まだ起きてるのかな?)


 きぃ……。


 追い返されるかな……?肌寒い中明かりに向かって歩く。

 木製のドアは数センチ開いていた。頭を入れて中を覗くが、姿が見えない。

(おかしいな……氣は感じるのに)

 骨董品の本で真ん中の布団以外埋まった部屋に入る。まだ眠っていないのか布団は冷たいまま。奥はトイレと流し台、コンロ一つに小さな冷蔵庫まである。忙しい時は籠り切って仕事できるように付けたのだろう。

「すー……さん?」

 いない?氣はあるのに……どういう事?

「おい、そのボタン何だ?」

「?」

「流しの裏の壁の所」

 首を伸ばして、あった。こんな所よく見つけられたなあ。

「押してみろよ」

「ん……」

 ぽち。

「!?」

 立っていた床が開き、慌てて飛び退く。地下へ続く階段だ。

「隠し扉だ。あの親父、多分この下だぞ。降りてみろよ」

 恐る恐る暗い中を下って行く。書庫かな、上に入らない本を保管しているのかも。

 階段の先には不思議な光景が広がっていた。奥に金属製の扉が一つ。両側にびっしり本棚と分厚い本。

『工学の応用実践』『人工骨格の発展』『遺伝子研究の過程』??上と違い、あんまり店とは関係無さそうな本ばかりだ。四さん博学なんだなぁ。

 扉の近くへ行って吃驚した。向こうから声がしたせいだ。

隠者ハーミットともあろう御方が随分情けない事を仰る』

『儂とお前は同年代じゃろう飛 フェイ・クー。弱音も吐きたくなるわ、この状況では』

 名前の呼び方は違うけれど、宝お爺さんと四さん?この氣、間違い無い。喋れたんだ。

『それでどうじゃ?他の連中は見つかったか?』

『いいえ。ネットの暗号文で呼び掛けてみたが、返事は一つも。矢張り奴等に残らず始末されてしまったかと』

『そうか……つまり知奈は儂とお前だけでどうにかするしかない訳だな。そして長も……』

 深い溜息。

『せめて煉、節制テンパランスと三人なら迎え撃つ事もできたろうに。二人では心許無いが仕方ない』

『当代を相手にするとなると戦力不足は否めない。可能な限り決着の前に武器は揃えおくが……』

『本当に戦うならば、な。儂にはどうにも腑に落ちん』

『私も。十七年前の事にしても、未だに不明な点が』

 戦う?二人はただの骨董屋さんじゃないの?

『もう一つ報告を。節制は“黒の燐光”と名の付く宝石を所持していたらしい、知っていたか?』

『勿論初耳だ。しかしその名前確か……』

『当代、皇帝エンペラーが研究したいと常々言っていた石。そして元々の所在はあの子の一族、偶然とは思えない』

『小晶君の?本当か?』

『何でも伝説の秘宝で、破壊されたが最後一族が絶えるとか……何故節制がそんな物を』

『言われてみれば、確かにここ数日奴の様子はおかしかった。もしや、その石で当代と交渉しようとしていたのかもしれん。十字にはまだ奴の息子がいるはず』

 はーみっとに、てんぱら……不思議な名前だ。知奈って、あの鋏の女の子かな。どうして四さん達がそこまで知っているの?

『ところで飛。連中が何故儂等の所に保護を求めに来たか、理由は?』

『まだ不明だ。節制の自宅にも店にもそれらしき物証は……ただ他の四人と違い、彼は暁十字からこの二つのディスクを持ち逃げしていた』

 カチャ。――ウィーン……カチカチ。

『……ロックが掛かっておるな。パスワードは?』

『節制に関係のある単語や数字は粗方試したがヒットしなかった』

 カチャカチャカチャカチャ……。しばらくキーボードを叩く音が続いた。

『どうやらこれが核心か。手掛かりぐらいケースに書いておいてくれればいいものを』

 カチャン。

『駄目じゃ、儂にも分からん。こっちのディスクは見たのか?』

『一通りは』

 ――ウィーン、カチカチ。

『例のアルカツォネ実験の記録じゃな。しかしこれは……失敗作ばかりだ。何故肝心の成功例は入っておらん?』

『解りません。しかし二枚のディスクはわざわざ金庫の二重底部分に隠されていた。脱走理由と関係あるはずです』

『儂に頭を捻れと?』

『私は今日の準備に加え警察の聴取と重傷の友人の搬送をしました。正直クタクタで眠い』

 ふぁーっ。こっちまで聞こえるぐらい大きな欠伸。

『隠者、次は恐らく貴方の番だ。節制を始末した以上、明日にでも知奈は狙ってくる。ふぁ……しかし私は得意先の注文品を探さないといけない』

『つまり?』

『自分の身は自分で守って下さい、ふぁー。一応ブースのレジ下に麻酔弾入りの拳銃を用意しておいふぁ』

『いちいち欠伸を挟むな!真面目な話だと言うのに緊張感が薄れる!』

『本当に眠いので仕方ないだろう隠者、いえ店長。完全に労働基準法違反だ』

『三食昼寝離れ付きで文句を言うな!ならばいっそお前が主になれ!』

『嫌だ。店主になったら商店街の会合だとか色々面倒な仕事が増える。実務の事や、何よりあの子を構う時間が無くなる』

 カチカチ。

『分かっておる。儂より問題はアイザじゃ』

「ぇ?」

 どうして彼女が問題なの?

『誰かいるのか!?』

 しまった!早くどこかに隠れないと。


 バタンッ!


「っぁ!」

 扉から離れるのが遅れて勢い良く壁に頭を打ち付けた。目の前に星が舞い、そのまま意識を失う。



「有り得ねえぜ全く!」

 大男は左腕にもう片方の手と自らの歯で包帯を巻きながら、テーブルに開いた携帯に向かって愚痴る。

『有り得ないのはあなたの方ですじん。あなたともあろう者が五回、五回も依頼人を守り切れなかったなど。真犯人と看破されて逮捕されてもおかしくないレベルの失態ですよ?』

「んな訳無えだろうが!?俺が犯人ならあんなジジイ共、纏めて首の骨折って終わらせてる!にしてもああ無理だ!」

 包帯が緩み、左腕の肘から下がボト、と床に放置されたシャツの上に落ちた。骨の露出した傷口の血は既に止まっている。

『やれやれ、手間の掛かる。十分程で到着するので待っていて下さい』

「お前、この街にいるなら先にそう言え!」

 電話の主は宣言より二分早く大男の部屋のドアをノックした。嵐の後のような部屋を一瞥し、実に不快そうに眉を顰める。

「あなたの性格に文句は言いませんが、これは些か度を超えています。どうしました?留守中隣人にゴミを投げ込まれたのですか?あなたは粗野でがさつで人に対する配慮も欠けがちなので、恨みを買っていてもおかしくありませんが」

「充分文句じゃねえか糞神父!いいからとっとと治しやがれ!」

 投げ渡された腕をキャッチ。傷口の状態を確かめる。

「それが人に物を頼む態度ですか。私としては今夜中、この生ゴミごと部屋を掃除しても一向に構わないですよ」

「膾にするぞ本気で」立て掛けた大剣に右手を伸ばす。

「私を殺せるのはただ主のみ。片腕の無い傭兵如きに傷付けられる程落ちぶれていません」

 ギリギリギリ……大男の怒りを代弁する歯軋りが部屋に響く。

 神父は勝利を悟ってにっこり笑い、切断された腕を包帯で固定し始めた。何百回としているのが分かる職人的手付き。

「できました。再生には栄養が必要です」

「分かってる」

 一畳程の狭いキッチンへ行き、大男の腰までもない高さの冷蔵庫を身を屈めて開ける。二割引きのシールを剥がし、茶の油紙を広げた。中の生肉は僅かに発色が悪くなっているものの、食べる分には全く問題無い。むしろ大男は熟成された肉の方が好みだ。

 約一キロのそれを、小皿に注いだ焼肉のたれでそのまま食べ始める。一切れ飲み込む毎に大男の身体の奥底から失われた力が蘇る。

「野蛮人の食事ですね。見ていて気持ちの良い物ではありません」

「なら帰れ。もう俺の用は済んだ」

 ガツガツ肉を貪る男はすっかりその行為に没頭している。

「あなたは恩人を茶も出さず追い出すつもりですか。まあいいでしょう。今日は主と、その片腕に免じて赦しましょう。コンロ借りますよ」

 携帯していたハーブティーバッグを使い手早く一杯淹れ、大男から少し離れた所で飲み始める。

「相変わらず変な臭いだ」

「精神を研ぎ澄まし、心身を浄化する特製ハーブパックです。あなたには必要無いでしょうがね」

「まあな。ところで坊ちゃんは元気か?」

 天気の話でもするようなテンションで疑問を出す。

「ええ、当たり前でしょう」

「後一、二件の仕事でそろそろ今年のノルマは終わりだ。早く都で残りの年を満喫するぞ」

「ほう。あなたはてっきり外が好きだと思っていましたよ、意外です」

「馬鹿言え。誰が好き好んで後金払う前に勝手にくたばる奴等と一緒にいられるか。ちょん切られるならもっと前金でふっかけとくんだった。今からでも押し入り強盗してくるか」

「余り騒ぎを起こさないように。特に今、この街では」

「何だ?お前も明日の祭りが楽しみなクチか?黴臭え神父様にはぴったりの趣味だな」

 半分程中身の残った皿から顔を上げ立ち上がり、再び冷蔵庫へ。焼酎カップの蓋を開けながらドカッと座り込む。

 ぐびっ。

「かーっ!労働の後の酒は最高だな!お前も適当に飲めよ」

「自棄酒に付き合う趣味はありません。慎んでお断りします」

「けっ!」

 がつがつ、ぐびぐび。

「そういや神父様。俺等の方の祭り、今年は大丈夫そうか?」

「復活祭ですか?さぁ……まだ二ヶ月以上先の話です。私もできればお元気で参加して欲しいのですが、そればかりは」

「去年は結局味気無かったもんな。リュネの奴も言ってたが、やっぱ祭りの花は主役だ。今年は何が何でも成功しますように!」

 大男は残った焼酎を一気に飲み干した。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ