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一章 寸刻の紅安息日



「今夜は月が綺麗だ」胸に顔を埋める美希の髪を撫でる。「見て御覧」

 気だるげに彼女は首を窓の方へ動かす。

「本当ですね……この街で雲一つ無い月を見たのは初めてです」

 風邪を引かないよう、シーツを彼女の柔らかくすべすべした項まで上げる。

 肌が直接触れ合えば不思議と話さなくても相手を理解できる、そう今になってようやく分かった。

「何か悩んでいるの?」張りのある背中に腕を回す。「さっきからずっと緊張したままだ」

 美希は美しい顔を歪め、痛そうに頭を押さえた。

「――思い出せないんです、“黒の燐光”の事……私、確かにシスターから聞いたのに……それどころか術を受けてからの記憶が、擦り切れかけた映画のフィルムみたいに飛び飛びで……」ギリッ、唇を噛む。「大事な姉さんとの最後の時間も……どうして?」

「まさか、解放されてからずっと手繰ろうとしていたの?」柔らかな唇を啄む。「無理に蘇らせる必要なんて無い、君が辛いだけだ。美佐さんも、美希にこれ以上苦しんで欲しくないはずだよ」

「でもエル様が……そんな身体になってしまったのは私のせいです。だから少しでもお役に立たないと……」

「気にしなくていい。こんなの」青紫に変色した右頬を触る。「化粧と変わらないよ。医者も身体には異常無いって言ってただろう?」

 励ます言葉にも表情は硬いまま。一途で真面目な所に惹かれたのは確かだが、これは困る。

「こうしている間にも、シスターは新しい犠牲者を作り出しています。私や姉さんのような人達を……」

「美希、止めるんだ。もう何も考えなくていい」

「いいえ。彼等もきっとシスターに告げられるでしょう、“黒の燐光”さえあれば、と……もし先に在り所さえ分かっていれば彼等を止められる」

 手を額に当て直し、眉間に皺を寄せる。力が強過ぎて、パキッと今にもそこから割れてしまいそうだ。

「あの夜確かに石はこの街のどこかにあった、私知っているはずなんです!なのにどうして出てこないの……!?」

 まさかここまで深刻に思い詰めているとは。このままでは自らの責任感に押し潰されて、心が壊れてしまう。

 愛する彼女の裸の背を力一杯抱き締める。

「美希、君は疲れているんだ。心身に術の影響もまだ残っている。そんな状態じゃ思い出せる物も思い出せない。無駄に神経を擦り減らすだけさ」

「だけどエル様……」

「僕の療養休暇がまだ一週間近くある。リフレッシュも兼ねて二人で旅行しよう。色々見て回る内に思い出せるかもしれない」気晴らしの内に忘れてしまう事を願って公然と嘘を吐く。あるかどうか分からない“燐光”の真偽より、今は美希の精神状態が僕にとっては最重要事項だ。

(変わるものだな)旅など生まれて此の方一度もした事の無い僕がこんな提案をするなんて。しかしどこへ連れて行こう?大抵の観光地は既に仕事で何度も行っている。温泉旅館でまったり湯治?海はまだ寒いし、ウィンタースポーツには遅過ぎる。

「あの……エル様」

「どこか行きたい所があるのかい?」

 彼女は恥ずかしそうに耳を赤らめ、ある場所を囁いた。見るべき物があり、気晴らしにもなって体力的にも余裕。今の僕達には理想のスポットだった。

「いいよ、そこに行こう」




 バタン。


「聖樹さん。今の人……帰して良かったんですか?」誠は小首を傾げ「用事があったみたいですけど」

「別の急用ができたそうです。お気になさらず。さ、朝食にしましょう」

 爺がキッチンへ行こうと俺の横を通った時、「サンキュ」小声で感謝を口にした。来訪したのが精神科医と知ったら、目の前で紅茶を淹れている青年は酷く動揺し心配するに決まっている。

 最近は毎日あっと言う間で、月一の訪問医など完全に頭から抜けていた。滅茶苦茶になった街の片付けや倒れた弟の代理やらで昨日やっと家に戻った所。来るにしてもタイミングが悪過ぎる。

(折角帰って来られたんだ。今日ぐらい二人をどこか息抜きに連れて行くかな。明日はエルの見舞いと、あいつ等からまた手伝えって言われてるしな……)しかも一人は明らか頼まれる部署ではない。(どうしてあいつは毎日顔を出しに来るんだ?)嫌味を言うためとしか思えない。

「今朝は頂いたオレンジを練り込んだパウンドケーキを御用意しました」ケーキの入った四角い金型の縁にサッとナイフを入れて四等分、オリオールが持って来た皿に盛り付ける。

「本当、爽やかな匂いがします」皿に顔を近付ける彼は正に子供のようだ。本物の子供は爺から生クリームの壺を貰って自分の分にたっぷりかけた。「はい、兄様」「ありがとうオリオール」スプーン一杯分乗せて俺に渡す。程々にかけて爺にパス。

 手を合わせて「「頂きます」」ぱく、もぐもぐ。「美味しい!お爺さん凄いね、僕こんなの初めて食べたよ!」

「喜んで頂けて光栄です。チェリーパイはもう少々お待ち下さい。シロップにじっくり漬け込むのが我が家の秘伝レシピですので」人差し指を立てて「くれぐれも口外されませんよう」

「ふふ、分かりました。楽しみにしてます。あ、オリオール」弟の頬に付いたクリームをナプキンで優しく拭き取る。「はい」

「ありがと兄様」

 ふと白く細い項に一瞬、赤い線のような物が見えた気がした。瞬きするともう無い。光の加減?それとも、まさかまた未来視?

「?お兄さんも兄様に綺麗にして欲しいの?」

 少年は見当違いの事をほざき、ゲラゲラ笑いやがった。カッ、と頬が火照る。

「ば、馬鹿野郎!何言ってんだマセガキが!?」

「オリオール、ウィルをからかったら駄目だよ」

「からかってないもん。お兄さんがヘンシツシャみたいな目で見てるのが悪いんだよ」

「誰が変質者だ!」

 だが不思議と怒る気にはなれない。少年が唯一の家族を如何に大事にしているか、これまで散々横で見て知っているからだ。

「僕みたいにクリーム付けて、拭いてー、って頼めばいいのに。ねえ兄様?」

「?」彼は小首を傾げ、言葉の意図する所を考え込んでいるようだ。しかし結局分からなかったらしく、「私に出来る事なら何でも言ってね」いつも通りややズレた返答をした。

 誠は相変わらず何も思い出さない。あれだけ死の縁を彷徨ったのに、走馬灯一コマさえ彼の脳裏には映らなかったようだ。一ヶ月半、下手すれば二ヶ月近くして何一つ浮かんでこないってのは、最早精神云々より器質的問題なんじゃなかろうか。昨日中央病院の精神科医に聞いた話だと、怪我による脳の欠損で記憶がごっそり抜け落ちる事はままある症状らしい、不死にも適用されるかはともかく。

「今日どうするんだ?まーくんは、疲れてないか?」

「ううん、平気。ちゃんと輸血してるお陰で前みたいに寝込まなくていいみたい。ジュリトさんの注射が効いたのかも」

 意識の無い俺の弟に付き添う彼に、あの神父はにこやかに近付いてイカ墨の如き薬剤を首の後ろからブッ刺しやがった。だが怪しさとは裏腹に誠の体調は良いようだ、あれ以来頬に僅かながら赤みが差している。

「そうだな」

 どうもあいつと誠が話すのを見ていると胸焼けのような感じを覚える。変に馴れ馴れしい態度でいけ好かない。たかが二、三日泊めただけのくせに。

「どこかへ行くの?」

「折角外に出て来たんだ。もっと色んな街を見ておいた方がいい。何かの拍子に記憶が戻るかもしれない」

 俺の言葉に少年の顔が一瞬強張る。けれどすぐ元に戻ってミルクティーをずずず。

「いいんじゃない兄様。ずっと働いてたもん、偶には遊びに行こうよ」

 彼はこの一週間、中央病院の玄関ロビーで精神的に参った人々に対し、ボランティアで氣の治療を行っていた。効果の高さもさることながら、顔を見るだけで心が落ち着くと連日長蛇の列。加えて毎日一度は看護師達に連れられて入院患者を往診。夜俺が政府館から迎えに行ってもしばらく待たされる程忙しかった。

「ウィル、どこか良い所ある?」

「あ、ああ」

 困った、特に行きたい場所があった訳じゃない。大体俺がこうして出歩くようになったのもここ二週間、以前は前述の通り医者を手配される程の鬱病持ち引き籠りだった。正直菓子屋以外で人を案内できる場所が無い。

「“白の星”の龍商会などは如何ですか?」爺が極自然に助け船を出してくれる。「こちらでの暮らしも長いですし、そろそろ温かくなってきましたので春物、少し先取りして夏物も見てこられては如何でしょう?」

「そうだな。あそこなら服以外も何でも揃う。二人共構わないか?」

「僕は兄様がいいなら」「うん。連れて行って」

 兄弟の買い物となるとある程度持ち合わせが要る。入る前に銀行で金を下ろさないとな。

 ケーキを食べ終わり、昨日帰りがけに受付で貰った新聞を読み始める。ここ二、三日、不死関係のニュースがあるかと思い、買いこそしないものの読める所では目を通す習慣を付け始めた。


 ――“炎の魔女”三度現る。街の住民八割の死亡を確認――


 一面からヘビーな事件だ。昨日一昨日と政府館の中でも耳にしたニュース。舞い上がる炎を連れた女が一人、嗤いながら無差別大量殺人を起こし、通った後には無数の焼死体と生活の痕跡であったはずの消し炭しか残らない、と言う噂だ。記事によると“魔女”の行動理由は不明、襲われた三つの街に共通点は今の所見つかっていないよう。合計すると既に一万人近い死傷者が出ている。想像するとゾッ、と怖くなってしまい、思わずページを捲る。


 ――環紗での首狩り殺人、四人目の犠牲者。警察は厳戒態勢を取ると発表――


 環紗ってこれから行く街じゃないか。物騒だな……何々、犯行時刻は深夜、全員自宅で鋭利な刃物によって首を切断され殺害。物盗りの線は無し、か。警察は凶器からプロの犯行とみて引き続き捜査。

(犯行は夜。夕方戻ってくれば問題無いか)これぐらいで兄弟に予定変更させるのも気が引ける。

 軟派の最後のページを開けた時、少年が興味深そうに覗き込んできた。

「何か面白い事書いてある?」

「いや、殺伐とした世の中だって事だけだ」

 右端に誕生月別の占いが載っていた。五月生まれは……夕方から深夜に掛けて波乱。不吉な。新聞を閉じ、畳んでテーブルの下段へ仕舞う。「子供が読む物じゃないな」



「ふんふふーん」

 やや大きめのお握りに海苔を巻きながら鼻歌。壁の時計は正午、そろそろ皆が倉庫から戻ってくる頃だ。出汁巻き卵に胡瓜入り竹輪、お茶もスタンバイオッケーっと。

(最初に来るのは四だといいな)

 彼は明日の骨董市の値札やらパンフレット作り、その他現場以外でする細々した作業を一人離れでやっている最中。毎年アタシは前日の昼食と夕食を準備し、当日はブースで売り子として声を張り上げる。四や宝爺も接客で一緒だ。

(去年と同じぐらいの人出ならちょっとは抜けられるかな?)今年は友達と約束がある。


 カンカン。店の方から誰かが硝子戸を叩いた。あの背の高いシルエットは四だ。


「はーい!今行くよ!」

 塩と米粒の付いた手を洗い、走って戸を開けた。


「あら、こんにちはお嬢さん」


 波打つような赤く長い髪。妖艶なメイクに、これから舞踏会にでも行くような白いドレスと、宝石が散りばめられた数種類のアクセサリー。そして一度見たら忘れられない程の美人。

「いらっしゃいませ!今度は何をお探しですか?」

 四が棚のティーセットを指差すと、女性の顔が曇る。

「実は……前お店で買ったカップ、不注意で全部割ってしまったの。折角あなたが選んでくれたのに、ごめんなさい」

「い、いえそんな!怪我はなさらなかったんですか?」

「それは大丈夫。だけど……本当に残念だわ。あの子も気に入っていたのに……」

「ちょっと待って下さいね」

 レジの下から古物台帳を取り出し、彼女が買ったティーセットの銘柄を調べる。約百年前に十数セットだけ作られた有名な代物で、時価百五十万。前は他にも八十万する切り子硝子のグラスセットを購入している。

「同じセットの在庫は無いですね」四も首を横に振った。同業者が持っていれば話題に上らないはずがない。「心当たりも今の所は……」

「別に同じ物でなくて構わないわ。ありがとう」口元を押さえて女性は微笑んだ。「以前あなたのお陰で良い買い物ができたから、新しい物もまたこの店で選ぼうと思っただけなの。だけど、今日はこの間より商品が少ない気がするわ、どうしたの?」

「ああ。明日この街の広場で年に一回の骨董市があるんです。それで商品を幾つか倉庫に持って行ってて。何なら見ていきますか?こっちです」

 中庭をぐるりと抜け、離れの横を通って倉庫、と言うより土蔵へ彼女を案内する。開け放たれた入口から皆が丁度出て来る所だった。

「アイザ、その人は?」

「お客さんだよ。宝爺、ちょっと倉庫の物見せていい?」

「構わんぞ。昼飯は」

「バッチリ」

「じゃあ儂等は先に休憩しとるからな」

 倉庫の中は午後からの運び出しに向けての整理整頓がすっかり終わっていた。幸い磁器や硝子など割れやすい物は既に手前に出ている。

「ティーセットならこの辺りですね」ぱかぱか、段ボールの蓋を開けて彼女に見せた。四は目録を開き、いつ値段を尋ねられてもいい態勢。

 三十はある箱を女性は一つ一つ真剣な表情で眺め、時折手に取って天井の白熱電球にかざしてみせる。流石に百万を超える品は無いが、以前のと似たようなデザインの物は幾つかある。代わりが見つかるといいな。

「うーん……どれもいまいちピンと来ないわ。前のはあの子の手に凄くピッタリだったの」形を再現するように手を動かし「色といい形状といい、感触も。今度もそんな物に巡り合えればと思ったのだけど」

「お子さんいらっしゃるんですか?」アタシより二、三歳上ぐらいだからいてもおかしくはない。

「坊やが一人ね。目に入れても痛くない程可愛い子」途端蕩けそうな笑顔を浮かべる。よっぽど自慢の息子なんだな。「あの子のためなら何でも揃えてあげたいの。洋服も、アクセサリーも、消耗品も、あの子が触れて使う物は全部吟味して選んでいるわ」

「凄い!きっと息子さんもお客さんと同じでとてもハイセンスなんでしょうね」

 下町育ちの貧困な脳で想像してみる。

「社交ダンスがバリバリ踊れたり、普段からテーブルマナーがちゃんとできたり、もしかしてピアノとか弾けたりして」

「大当たり!!どうして分かったの?あなたこそ凄いわ」

 真っ赤なヒールがカッカッと鳴り、女性が腕を広げて優雅に舞った。その姿はさながら白鳥。

「それ何て踊りですか?」

「あらお嬢さん、バレエを見た事無いの?ダンスの女王様よ、とても練習は厳しいけれど姿勢は凄く良くなるわ」

「へえ」

「お嬢さんはサンバかサルサダンスが合いそうね。どちらも情熱の舞よ、身長が高い子の方が映える踊りだし」

 だが結局、彼女の御眼鏡に叶う物は無かった。四が目録を指で叩く。

「もし良かったら明後日以降また来てもらえませんか?明日、私とこのおじさんで息子さんに似合いそうなのを探してみます」

「あら、いいの?忙しいのに手間じゃない?」

「全然。お得意様のためなら出来る事は何でもします」

「なら頼むわ。お金は幾ら掛かっても構わないから」



 まず六階子供服売り場でオリオールのズボンとシャツを見繕った後、八階男性洋服売り場へ。

「うーん」

 幾つか試着してみるものの、身体が細過ぎてブカブカなのがどうしても気になる。誠も鏡の前で余った端を摘まむ。

「これが一番小さいサイズなんだよな」

 脱がせて元の所に吊るす間、どうしたら丁度の服を探せるか考える。大体何だよこのサイズ揃え。デカいのは牛が着られるぐらいまであるってのに!

「いっそ女物の所で探してみるか?」

「え……いいの?私は男性だよ」

「分かってるよ」男は男でも、そこらの女より余程可愛い奴が何を言う。無垢さに顔の端正さが加わり、さらに幼げな雰囲気が駄目押しする。「単にサイズの問題だ。デザイン的にはそう変わらない」

 階段で一階下、女性洋服売り場へ。作戦は成功、一着目でジャストサイズが見つかった。

「それ似合うね兄様。買ったら?」

 薄い桃色の襟付きシャツ。まるっきり深窓の令嬢。「うん」鏡で見て彼も気に入ったようだ。

 それからスレンダーなジーンズとパンツ、カーディガンを一着ずつ買う。試着する間、店員は誠が男だとは全く気付いておらず何度もお嬢さんお似合いですね、と声を掛けられた。レジで纏めて会計をし終わった時。


「何だ、兄上も買い物かい?」


 予想外の声に吃驚する。

「あ、エル。美希さんもこんにちは」龍商会のロゴが入った袋を受け取りながら誠が頭を下げる。「休んでいなくていいの?一昨日意識が戻ったばかりなのに」

「体調は問題無いよ。寝てばかりいたから身体が鈍ってるんだ。それで休暇ついでに彼女と小旅行を、ね」

「その格好でか?」

 “泥崩”を移した影響で、弟の右顔面は青痣のように変色している。袖から覗く両手の甲にも黒い魔術の紋様らしき物が浮かび上がっていた。多分服で見えない全身にも続いているのだろう。

「仮面を着けると余計に注目されるんだ」そう言ってチラリと恋人を見、察しろよと言いたげに首を振った。「舞踏会でもあるまいし」

「あ、ああ。それもそうだな」

「ここ凄く広くて何でもあるね。二人は何を買ったの?」

 誠は自分の袋を開けて詩野さんに見せた。「私達、新しい服を買いに来たんだ」

「女性物、ですよねこれ?」

「最初は一つ上の階で選んでたんだけど、サイズが合わなくて。美希さんと同じサイズかな?」

 タグを引き寄せて「私より一つ下です。凄く細いですから誠さん」顔を上げる。「体質的に食べても身にならないのかもしれませんね。羨ましいです」

 小首を傾げた彼に、女性にとっては理想的なんですよ、ちょっと嫉妬してしまうぐらい、と詩野さんは教えた。

「僕等はこれから下のレストランで食事にするけど、君達もどうだい?」

「いいのか?彼女と水入らずの邪魔になるんじゃ」

「構わないよ。どうせ宿では一晩中二人きりになる。美希も賑やかな方がいいだろ?」

「はい」

「じゃあ行こうか」

 俺達が前を行く中、後ろの三人は買った物を見せ合ってワイワイ話をしている。どうやら弟達は本とピアノの楽譜を買ったらしい。

「こっちこそ悪かったね。あの兄弟と仲良くしている所に勝手に入って」

「いや、俺も次どこ行こうかちょっと悩んでいた所だ。何せ人と一緒に買い物するの初めてで」

「お互い苦労するね」

 眉を顰めて米神を押さえる。

「上手くシャバムから連れ出したはいいが、余計悩み込んで正直困っていた所さ。兄上達がいてくれて助かったよ」

「恐ろしい程いつも通りだなお前。てっきりもっと術の後遺症があるかと思った」

「無害化が上手くいったお陰さ。失敗してたら今頃ドロドロになってた。自分でもよくあんな真似ができたもんだ」

 右目の虹彩も茶色から皮膚に近い青紫へ、白目の血管も同じ色。「見えるのかこっちは?」

「幾ら僕でも流石に片目で女性のエスコートはできないよ」

 今朝の精神科医の話をすると「そうかい」弟はあっさり言った。

「どうせ薬もろくに飲んでなかったんだろ?シャバムに戻ったら解約手続きしておくよ」目で笑う。「今の兄上には最高の薬がいるし、ね」

 二階までエレベーターで降り、数あるテナントから弟の案内で一軒のレストランへ。窓際の六人用テーブルに五人で座り、残りの一席に全員の荷物を置く。

「御注文はお決まりでしょうか?」

 お冷やをテーブルに置きながらウエイトレスが訊く。

「美希はケチャップオムライスだったよね?」「はい」「じゃあ僕はデミグラスソースで。三人は?」

 メニューを広げて小晶兄弟と眺める。

「僕これがいいな」悩んだ末、ハンバーグと海老フライのセットを指差す少年。

「何だ、お子様ランチでなくていいのか?」

「いい、僕もう子供じゃないもん!お兄さんの意地悪!べーだ!」ずっとどっちにしようか迷っていたくせに。まだまだガキだな。

「まーくんは何がいい?」

 彼は小首を傾げて、「こんなに沢山あると迷うね。どれも美味しそうで。ウィルは何を頼むの?」フルーツパフェを指差す。「甘い物ばっかりだと身体壊しちゃうよ」微笑みながら嗜められた。「じゃあ私はこの海老と春野菜のクリームスパゲッティにします」

「畏まりました」

 客が少なかったせいか割と短時間で注文の品は全てきた。水はまだ半分も減っていない。

「「頂きます」」

 まずは上の生クリームを一掬い。うーん、大分砂糖で誤魔化した味。新鮮な牛乳と技術さえあれば濃厚な、これだけでもボウル一杯食える物ができるのだが。

「あ……」詩野さんがフォークにパスタを器用にくるくる巻き付ける誠を見て声を漏らす。「思い出しました。あの時母が口にしていたのもスパゲッティです」

「何の話?」

「美希は小さい頃、お姉さんと一緒にこのビルで開かれたピアノの発表会に出たんだ。その時のオムライスが食べたくてここまで来たって訳さ。どうだい美希、同じ味かい?」

「ええ。この少し酸っぱいケチャップ、昔と全く同じです」今日初めて彼女は微笑んだ。「連れて来て頂いてありがとうございます、エル様」

「いいんだよ。僕は君が好きでしているだけだ」

 愛しげに髪を撫で、俺達の目の前で頬に軽くキスした。「きゃっ!?」詩野さんの顔が林檎のように真っ赤になる。

「見せつけるなよエル。子供の前だぞ」

「羨ましいなら兄上もやればいいじゃないか。丁度相手もいるし」

「は?」何を言ってんだこいつは?

「エル様!や、止めて下さい、こんな人前で……」

「ああ、ごめんね。嫌だったならもうしないよ。一口貰っていいかい?」ぱく。「大人向けの味だな。値段だけの事はある」

 一方、オリオールは実に旨そうにハンバーグに齧り付いている。隣の兄とは違い見事な健啖家っぷりだ。

「焼いた肉なのにお前は普通に食えるんだな」

「?兄様は食べないの?」

「うん。前に脂の臭いで気分が悪くなってそれから……生なら口にできるんだけど」

「え、本当?隣で食べてて大丈夫?僕お姉さんの方に行こうか?」尻を浮かせる弟に慌てて「ううん、今は平気。気を遣わせてごめんねオリオール」と謝る。

 少ししてフォークが皿の端に置かれた。彩り良いパスタはまだ半分残っている。

「もう終わりか?」

 こんな小食で必要な栄養が摂れているとは思えない。彼は胃の辺りを押さえた。

「聖樹さんのケーキがまだお腹に残っているみたい。食べてくれると嬉しいんだけど……」

「あ、ああ」

 底に敷かれた生クリームを含んだコーンフレークを掻き込み、空のカップを脇にやってフォークごと皿を受け取る。具は剥き海老に菜の花、春キャベツ、アスパラガス。ホワイトソースに粉チーズが振ってあった。まずは一口。

「中々イケるな」

 半端なスイーツを食うぐらいなら、俺もパスタを頼んだ方が良かったかもしれない。

 食事の済んだ誠は窓の外から環紗の街を興味深々な様子で眺めている。プルーブルーの時と同じように、下に住む人間達の氣を感じ取っているのだろう。

「もしかしてあれかな?アイザの家」弟が窓のすぐ下、古い木造二階建てを指差した。

「え!?アイザ、あそこに住んでいるの?」

「ああ。龍商会ビルのすぐ隣だって聞いている」

 美希さんを除く全員で覗き込む。軒先に骨董品らしき壺や箱が置いてあるのが見えた。と、いた。

「四さんもいるね。手を振ってる、お客さんを見送ってる所かな?」

 客の姿は他の建物の屋根に隠れて遂に確認できなかった。しばらくして二人は店の中へ帰って行く。俺達も席に戻って食事を続けた。

「相変わらず元気そうだね彼女も」

「そういや目が覚めてからは会ってなかったな」

 彼女は店があるからと謝りながら事件の翌々日の朝帰った。学生のリーズも同じ船で。ケルフは弟が起きる前日まで残って政府の仕事を手伝ってくれた。

「家があるって知ってたらお土産持って来たのに。でも折角だから挨拶して帰ろうよ」

「そうだな。エル、お前も顔見せに行けよ。凄い心配してたぞ」

「余計に心配しないかい?」痣に触りながら呟いた。



 細い草で編んだ板が床一面に敷き詰められている。気管がすうっ、とする匂いが鼻から入ってきて、清々しい空気が肺に充満した。

「アイザ、これは何?」

「ああ、畳だよ。誠は初体験?一昨日張り替えたばっかりだからい草の香り凄いでしょ」

 言いながら急須でお茶を淹れてくれる。黄緑色の、見た目通り緑茶って名前。

「でも驚いた。先に連絡くれてたらビルの中色々案内してあげたのに」

「よく行くのか?」

「週一回は。と言っても、殆ど雑誌の立ち読みしにだけど」

 お茶は苦いけど紅茶とは違った風味があって美味しい。

「あんた達も明日の骨董市行くの?」

「僕と美希は行こうと思えば行けるけど、兄上達は?」

「……パス、残念だがな。お前の部下から手伝えって呼び出しを受けてる」

「そんなの無視すればいいじゃないか。ねえ誠?」

「え、でも……」病院で治療した沢山の人達の顔が頭に浮かぶ。もしかしたら今日私がいないせいで困っている人がいるかもしれない、と思うと胸が少し苦しくなった。

「明日が駄目なら今から準備してる所見に行かない?もう来てるかな二人共」

「?」

「行けば分かるよ」

 お茶を半分飲み終える頃、ウィルが美希さんに「大丈夫か?」と尋ねた。見ると唇が真っ青、氣もかなり弱い。食事の時は普通だったのに。

「え、ええ……平気です」

「気分が悪いのかい美希?それとも“泥崩”の後遺症がまだ」

「大丈夫です!エル様を煩わせるような事……!」

 緊張が高じて過呼吸気味だ、目の生気も欠けている。

「アイザ、お布団敷いてくれる?私診るよ」

「そうだね。じゃあ隣の部屋に。ちょっと待ってて」

 戸(襖と言うらしい)をスライドさせ、ここより畳三枚分小さい部屋に彼女は入る。収納の戸を開けて布団一組を軽々と抱え、手早く敷いた。

「美希さん、横になってもらえますか?」

 彼女はしきりとエルの方を気にしている。「でも……」

「診る間は閉めますから」

「……はい」

 ふらふらしながらも彼女は自力で布団の上に横になった。戸を閉めて戻ると目を瞑り、肺腑の澱んだ空気を吐く。

「楽にしていて下さい」

 胸の中央に手を置き、深呼吸。氣を練り上げてゆっくり流し込む。

(この感じ……症状自体は疲労かな……)

 モヤモヤした感情が胸部全体を渦巻いている。私の氣にも余り良い反応を返してくれない。

「エルと何かあったの?」肩が小さく戦慄く。「私でよければまた相談に乗るよ」

 意識の無かった友人の傍で一人ずっと看病を続けていた彼女。心痛を少しでも和らげたいと、私は毎日訪れて言葉を交わした。御両親やお姉さんの思い出を話す間だけ、彼女は辛い現実を忘れられるようだった。

「誠さんは……本当に不思議な人です」腕を上げ、手を私の頬に当てる。「不死だからでしょうか……?まるで……姉さん達と話しているみたい」

 ふーっ、と大きく息を吐いた。

「向こうに聞こえないよう小声で話しますね……実は私、“黒の燐光”を探しているんです……それも覚えていませんか?不死族の宝、あなた達の永遠の命の源……どうしても探さないといけないんです、私」

「わ、私達の宝物、が外の世界にあるんですか?」初耳だ。「でもどうして不死でもない美希さんが」

「エル様に……絶対に秘密にしてもらえますか?」

「は、はい」

 美希さんは悲しそうに目を伏せる。

「あの方には、私のような人間を労無く捕まえるためと言いました。でも本当は……あの痕を治したいんです。だって……エル様は私の大事な家族なのに、あんな惨い姿でこれからずっと生きていくのかと思うと……」

 ツー、一粒の雫が伝って枕に消える。

「だから“燐光”で、ってか」あの人が急に出て来て吃驚。「献身的な素晴らしい女じゃないか。そうはいないぞ、ここまで他人を想う人間は。叶うかどうかは全く別問題だが」

 不死の物なら本来は私が探すべきだ。人間の美希さんだけに任せていいはずない。

「私も探すのを手伝います。どんな物なんですか?」

「シスターは黒い、大粒のダイヤモンドと言っていました」

「分かりました。命と言うぐらいなら、近くにあればきっと判る筈です。だけど美希さん」

 頬の手を握る。生きている人の温もりだ。

「エルは多分、痣なんて全然気にしてないと思いますよ。治っても治らなくても、むしろ心配しているのは」

 続きを察して首がふるふると横に動いた。

「分かっています……あぁ、だけど誠さん。私にはエル様のように強くはないのです。自分の罪も直視できない……ただの弱い人間です」

「無理もないです。誰だって美希さんみたいな目に遭ったら……そう思ってしまうのは当然です」

 肉親を失い、死の呪いを掛けられ、今度は外見だけとは言え愛する者が変貌してしまった。動揺し自己否定してしまうのはある種必然だ。

「完全に逆効果だな。あの斑顔が完璧に嫌がらせにしかなってない」

 そこまで深刻でないにしても、美希さんが苦しんでいるのは事実だ。

「離れていた方が楽、ですか?もしそうなら私からエルに事情を話して」

「いいえ、いいえ……誠さん、違うのです。あの方の傍にいて、愛情を持って触れられるのは凄く嬉しい……私の方が離れ難い、だからこそ余計に……」

 トントン。戸を向こうで誰かが叩いた。

「もう行きますね。あの、美希さん」

 立ち上がって服の皺を直す。

「私も以前ウィルに命掛けで命を、と言っても不死だから死なないんですが、助けられました。彼は私がこうして『いる』事を望んでいます。――エルもきっと美希さんにそうなって欲しいと願っているはず。それは忘れないで下さい」

「誠さん」

「はい、何ですか?」

 彼女は口元に拳を当てて「私が休んでいる間、エル様をどうか宜しくお願いします……お元気そうに振る舞っていらっしゃいますが、術のせいか疲れやすいようで……」

「分かりました。ついでに外で“黒の燐光”の事、色々訊いてきます。知っている人がいればいいな」

「馬鹿。正体がバレて引き摺られていっても知らないぞ」

 皆のいる部屋に戻ると、私の湯飲み以外すっかり空になっていた。冷めかけたお茶に口を付ける。容態はどうだった?と心配そうにアイザが尋ねた。

「“泥崩”の疲れがまだ残っているみたい。しばらく眠っていれば大丈夫だと思う」

「そうか。アイザ、具合が良くなったら宿に行かせるよ。泊めてもらう訳にもいかない」

「別に構わないよ、布団余ってるし。あんまりイチャつかれるのは困るけどね」

「誰がそんな事するか。それより誠」

「何?」

 不自然な十数秒の間。

「おい、この斑」思わずあの人が呼び掛ける。「むっつりスケベ、聞いてんのかこら?ああ?」

 更に数秒の沈黙。

「エル?」

 当惑したウィルの声にようやくああ、と呟く。その間ずっと視線は私に向いたまま。

「やっぱり何でもない。僕の勘違いだったみたいだ。アイザ、会場に案内してくれるかい?僕がいると美希は気を休められない。だろ、誠?」

「それは……」きっと彼女は向こうで聞き耳を立てているはずだ。「そんな事は……」どう答えていいのか分からなかった。

「明日二人で行く時のために目ぼしい物をチェックしておかないと、ね」

 彼は戸の方を向き、行ってくるよ、と声を掛けた。



「げっ」「わっ、義父さん?」

 まさかこんな所でこいつらに会うなんて。

 明日使うテントの設営が進む環紗中央公園広場。大人達に混じって子供の溜まる一角にケルフとリーズがいた。リーダーらしい男性の指示でテキパキと机を組み立てている。

「“赤の星”主催のチャリティーバザーだよ。二人は手伝いって訳」

「成程」ようやく二人が孤児だった事を思い出す。

「俺はババアに押し付けられただけだ!」

「まあまあお兄ちゃん。院長先生、龍商会ビルでお買い物するお小遣いくれたし、悪く言っちゃ駄目だよ」良い子の少女が嗜める。「一週間も経たない内にまた会いましたねウィルさん。誠君とオリオール君も元気そうで良かった」弟の方を向いて「エルさんも……もう退院できたんですね」

「病院だとコーヒーが飲めないから、適当に言って逃げ出してきたんだ」

「無理していないならいいです。あの人は?」

「今天宝商店で休んでいるよ」

「看病疲れだな、無理もない。俺が何時見に行っても付きっきりだったからなぁ」

 義息の言葉に弟の顔が曇った。今日はこの表情しか見ていない気すらする。「ケルフ」俺は人差し指を立てて口元に当てた。

 パイプ机の下の段ボールにはキラキラしたラッピング袋が詰まっていた。手焼きの可愛らしい動物クッキー十枚前後とカラフルな星型の飴が二、三個。

「リーズ、それ買ってもいい?」

「勿論。幾つ入り用?」

「んと……三つ下さい」

 パスケース兼用の黒革の財布から小銭を取り出し(彼が物を買う所を初めて見た)、きちんと数えて少女に渡す。引き換えに袋を貰って、一つを弟に渡した。

「美希さんの分。エルがあげる方が喜ぶよきっと」

「あ、ああ。ありがとう誠」しげしげと中身を観察。「中々良く出来てる」

「こっちは聖樹さんので、これは私達が後で食べる分」

「僕が持ってるよ兄様」小さな手が袋を掴み、腰の赤いポシェットに入れた。「これで大丈夫」

「準備は進んでるみたいだね。この後はどうするんだい?」

 横のテントを示し、「環紗の孤児院の子達。これから夜まで交流会なんです」孤児達は生き生きと机に手作り絵本を並べている。人魚姫に白雪姫、定番の童話がポップな絵柄で描かれていた。

「アイザさん、明日は一緒に回れそうですか?」

「多分ね。けど、ちょっとお客さんに渡せる物探さなきゃいけないんだ。終わってからでも構わない?」

「時間が合えば私も手伝いますよ。何を頼まれたんですか?」

「ティーセット。前に家で買った百五十万のを割っちゃって、その代わり」

「凄い金持ちじゃねえかその客!?」桁の違いに義息が叫ぶ。

「随分上客がいるんだな」俺も思わず感心してしまった。「そりゃ是が非でも見つけないと」

「でしょ?まあ四も手伝ってくれるからすぐ見つかるはず――あ、四!」

 背高の彼女が手を振った先に、更に頭一つ分以上高いオッサンがノソノソ歩いていた。熊かあんたは。億劫気に骨太な首が回り、腕を上げた。

「店の設営は終わった?そっか、今は買い付けの下見中だね。あの人が気に入りそうなのあった?そう。まだ時間は沢山あるし、アタシもこれから夕方まで探してみるよ」僅かなジェスチャーと目線だけで会話が成立していた。何年も同じ屋根の下で暮らすとこうなるのか。

 年は四十四、五?アイザと並ぶと背丈の高さもあってまるで親子だ。リーズの隣に来ると若爺と孫に見える。

 不意に初老が誠の手を掴んだ。「え?」そのままじっくりと眺め始める。

「四?」

 外から大きな手で細い指を曲げさせて、器を包む様な格好にさせた。白くて肌理の細かい、まるで赤ん坊のような掌だ。

「もしかして息子さんの手に似てる?確かにイメージは結構近い」

「何の話?」

「ティーセットのマダムは前買ったのと同じような、息子さんの手にフィットするカップを探してるの。多分、誠とよく似た手」

「じゃあ私が持ってぴったりのカップなら、まだむは喜ぶ?」

 俺も手の形状からカップを想像してみる。熊はイメージが固まったのか、頭を下げ早歩きで行ってしまった。

「もう四ってば。仕事人間でゴメンね」言いつつ誇らしげな顔。

「ううん。少しでもアイザや四さんの役に立てたなら嬉しいな。早く見つかるといいね」

「ありがと。誠はホントに良い子だね」見下ろしながら黒髪を撫で撫で。

 兄妹が責任者らしき大人に呼ばれたので、挨拶して俺達はその場を後にした。

「そうだ。アイザ、私も探し物が……」

 そこまで言ってはたと言葉が止む。視線はエルの方へ向いていた。どうしたんだ?直後弟が、忘れてた少し調べ物があったんだ、と呟いた。

「仕事の関係?」

「いや、個人的な事。ちょっと龍商会に行ってくるよ」

 そう言うと誠の方をチラ見してさっさと歩いて行ってしまった。

「相変わらず忙しい奴だね。で、誠。探し物って?」

 誠が一族の命を支える魔法の石、“黒の燐光”の話をすると、流石に小さな不死が怒り出した。

「駄目だよ兄様!外の人達に“燐光”の事教えちゃ!だ、大体どうして知ってるの!?僕一回も言ってないのに!」

「でも探すなら二人にも協力してもらわないと……もしもの事があったら私もオリオールも死ぬ、んだよね?」

 サラッと言い放たれた言葉に音を立てて全身の血の気が引いた。

「え……う、嘘。そんな大事な石なの?」

「お、おいオリオール!他の連中も探してるんだろ!?なのにまだ見つからないのか!?」

 少年は頭を力一杯ブンブン振った。

「殆どの人達は無くなったのを知らないよ……言ったらパニックになっちゃう」

「パニックになるぐらい何なのさ!は、早く総動員で探さなきゃ!!」

「黒いダイヤだよな!大きさは!?」

 俺達の気迫に怯えているのか、今更石が無くなった恐怖が襲ってきたのか。オリオールは歯をカタカタ鳴らした。

「……大人の、心臓ぐらい」右手で拳を作り、左手で覆う。「多分、このくらい。僕も実際に見た事はないけど……」それだけ言って兄の腰にしがみ付き、ズボンに顔を押し付けた。青髪の上に白い手が降りる。

「教えてくれてありがとうオリオール。後は私達で何とか探してみる」

「兄様……あの」

「ん?」

 緊張しつつも何とか咽喉から絞り出そうと悪戦苦闘したが、あ、あ、と吃音しか出て来ない。

「落ち着いて、ゆっくりでいいよ」

 弟を気遣って彼が優しく言う。上目になって、ごめんなさい、と囁く少年。

「うん。皆に手伝ってもらえばきっとすぐ見つかるよ。安心して」

「――本当にあればいいな……あったらいいのに……」

 何だろう。どうもこいつの同族関係の話はいつも布を噛むような感じだ。それも俺達に聞かせたくないと言うよりはむしろ。

「ダイヤならまず煉宝石店で訊いてみようよ。ブース、確かうちの近くだったはず」

 ズンズン進むアイザの後に付いて俺達も。

「あったあった!済みませ……」台詞が途切れる。不審に思って左側から覗いてみた。


『幻の秘石“黒の燐光”含むオークション開催!』


 ショックで思わず卒倒しそうになった。

 孤児院の所とは違い、高級品の宝石は当然まだ一つも並んでいなかった。他の設置準備は終わっているらしく、中を覗いても誰もいない。

「おや?」

 振り返り、見知った顔があってこちらも驚いた。

「あんたは確か、エルの知り合いの新聞記者」

「ヤシェさん、ですよね?今日は取材ですか?」

 ダウンジャケットにパンツと若干ラフな服の記者は、俺の後ろにいたアイザに目をやった。

「プライベートでちょっと。そこの可愛らしい彼女もウィル様の友達?」

「会うのは初めてだったか?紹介するよ、俺達の仲間のアイザだ」

 俺より長身で女っぽくなく、どちらかと言えば逞しい彼女を可愛いと形容したのは、やっぱり初対面の人間に対する世辞なのだろうか。同じ可愛いと言うなら誠の方がかなり。

「ふーん……」気に入ったのかしげしげ眺め始め、当人は視線を受けてすっかり照れた様子。「恥ずかしいな、そんなに見られると」

 はた、と気付く。こいつ、まさか風の噂で聞くレズビアンって奴じゃ……い、いや、偏見は良くないぞ俺。統計上十人に一人はそうらしいって話だ。たかが三百人前後の不死族より遥かに多く宇宙中に生息している。

「アイザちゃん、ねぇ……ところであんた達こそ、こんな所で何をしてるんだい?」

 まあ新聞記者が真性だろうがバイセクシュアルだろうが今は関係無い。

「少しな。今からここの店主を探すつもりなんだ」傍迷惑な看板を見「こいつの事を訊かないと」

「“黒の燐光”?何なんだいこいつは?話してくれれば協力してあげるよ、殿下には色々借りがあるしねぇ」

 親切な申し出だったが内心慌てた。状況を説明しようとすれば記者に兄弟の正体を知られる恐れがある。もしバレたら宇宙協定第百七十二条に抵触物だ。ならば、

「いいや。実は俺達、聖族政府の特別組織の人間なんだ。不死族の要請で“黒の都”から盗まれた秘宝を探している、極秘で。だからヤシェ、気持ちだけ受け取っとくよ」

「ウィル?」「お兄さん何言ってるの?」「何時からアタシ達そんなのになったの?」

 ええい、どうせ吐くなら大嘘を!

「説明が遅れた、今朝付けでだ。正式名は白鳩調査団」この街に降り立った時、鳩共が改札に屯していた光景が脳裏に浮かんだので適当にでまかせを言う。「主に第七関係の猟奇事件担当だ」

「ほー……第七の宝かい。成程、確かに見つからないと国際問題物だ。下手すれば戦争状態だしねぇ……」ラッキーにも記者は一人勝手に納得してくれた。

「だろ?仮にここのが本物なら回収して返還しないと」

 記者の目が悪戯っぽく光るのが分かった。

「そう言う事ならこっちでも調べてあげるよ。何か分かった時の連絡先は」

「強引な奴だな」だが情報収集能力は確実に俺達より上だ。「じゃあ用事の合間に頼む。連絡はアイザ、お前の家の電話を使っていいか?」

「構わないよ」

 二人はメモと携帯で番号を交換する。

「手始めに宝石に詳しい知り合いに訊いてみるよ。あんた達はどうするつもりだい?」

「取り合えずお店の方に行ってみます。いてくれるといいけど……」

「入手経路を探すなら他の店に訊き込んだ方がいいかもね。業界なら噂ぐらいなってそう」

 少年も怯えた顔を僅かに上げ、「早く確かめないと。偽物でも名前を聞いて盗もうとする人いそうだし……」小声で言う。「その人、危ない……かも」

 事態が急変したのはその会話を終えて僅か数十分後だった。




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