桃太郎 二
「おっかぁ、腹減った」
一ヶ月足らずで小屋の天井すれすれまで成長した人間と言ってよいのか決めかねるものは、口をきいたかと思うと、このように飯を催促するのである。この異様な息子に夫婦は唖然とした。唖然としすぎて、名前をつけることすら忘れてしまったほどである。それに疑問があった。この子は本当に私たちの子なのであろうか。ケタ違いの成長ぶり、達観しきったような目付き、馬程度のものであれば腕の一振りで倒せそうな屈強な体つき、これらを鑑みるとどうしても妖の者に思えて仕方が無いのである。
「はいはい、今すぐに」
とお婆さんは言ったものの食べさせるべきものは残ってはいない。なぜなら、初めのうちは若返ったのもあって精力的に雑多な仕事を引き受けることで金銭の類を手に入れることができた夫婦であったが、どうしたことかみるみるうちに彼らの体は元の老弱に変貌したのである。こうなってしまえば飯のあてが無くなっても仕方がない。最近では借金をしてまでこの恐ろしく食い物を摂取する化物じみた息子につくさなければならないのだ。生まれて一ヶ月も立たない息子に頭があがらないのは、さながら妖怪じみた彼がただただ恐ろしかったためである。彼らは一人息子と飯をつなぐ媒介人に成り果ててしまっていた。
そんな状態が続いたある日のことである。
「おかぁ、今の生活、苦しいか」 息子が唐突に飯関係以外のことを口にしたので夫婦はしばらく顔を見合わせて、ほぼ同時に息子の方を向き、そしてほぼ同時に同じことを言うのである。
「苦しいに決まっている」事実、もう彼らには金を借りるあてが無く、首がまわらない状況だった。
「そうか。ならば鬼退治をして、宝をぶんどってこよう」 彼は何の感情の起伏もない顔でそう言った。一方夫婦はその単語、鬼、にさえ怯え、やめとけやめとけ、と引きつった顔つきで言った。
「いくらお前が山のように頑強な肉体を持っていたとしても、人間が鬼に勝てるわけがない。鬼退治に行くなんて言うのはやめてくれ、お前は私たちの大切な一人息子なのだ。鬼はとても数が多いからお前など四肢を鷲掴みにされて五つに分断されるに違いない」とお爺さんは言った。その言葉にむっとしたのは息子である。
「何を言うか、私のこの力こぶを見よ」そう言って息子は腕を振りあげて筋肉を集中させると、岩山のような肉はたちまち盛り上がって、それだけで一つの生き物のように流動した。
「こんなこともできるぞ」息子は腕を地面に向かって叩きつけた。すると、夫婦の小屋がまず大きく揺れたかと思うと、遥か遠くに見える山がぐらぐらと乳歯のとれるように揺れたのである。彼の力の強大さは明らかであり、揺るがないと思われた。他方、夫婦の価値基準は彼の力を目にして揺れに揺れた。もしやすると彼の力をもってすれば鬼など赤子の首をひねるように、朝飯前かもしれない、そう思った夫婦は彼の力を確信したのと、しばらく息子の世話をしなくても済むことから鬼討伐の願いを聞き入れたのである。
お婆さんとお爺さんは討伐に単身向かう息子に名前を与えようと思った。無名のまま鬼を討伐しても何の名誉にもならないと考えたためである。息子が討伐に出かける前の晩、彼らは息子を呼んだ。
「お前に名をやろう」 お爺さんは神妙な顔つきで言った。名前を授けるなどという、慣習や儀式など経験のない夫婦だったから、この時までにかなり骨を折った。息子はフムと関心を持ち、父親の前にどかりと腰をおろし胡座をかいた。お爺さんは彼の横柄なのにたじろいだが、気をとりなおして言った。
「お前の名は、桃太郎だ。仏様が桃を通してお前を私たちに授けてくださったからだ。つまり、お前は仏の使者、お前の今から成すことは仏の命でもある。慎んでこの名を用いるがよい」
「ああ、わかっている」桃太郎は無表情で言った。桃太郎は明朝、お爺さんが戦の跡で拾った刀を腰にさげて家を出た。