第七話
深い、深い夢を見ていた。
その夢では僕は道化師で、それでも英雄を目指していた。
皆から馬鹿にされ、虐げられ、それでも英雄を目指していた。
そして、とある人間から勧誘を受けた。
──この世界は、おかしいと思わないか?
──この世界を壊してしまおうじゃないか。
──才能をもつ人間を、ミナゴロシにして。
夢の中で僕は、笑ってそれに頷いた気がする。
◇
目を覚ました、心地よい悪夢を見ていた気がした。
どこか、有り得た未来のような……現実よりも、現実らしい夢。
「ぼ、冒険者様っ!」
弾かれるように意識が浮上する。
同時に、全身を包む重たい倦怠感。
白い天蓋。
柔らかな寝具。
鼻をくすぐる、かすかな薬草の匂い。
「……ここは?」
掠れた声が、自分のものだと理解するのに少し時間がかかった。
「侯爵家の、お屋敷です」
そう答えたのは、ベッドの脇に控えていた少女――アリアさんだった。
目元には、はっきりと分かるほどの疲労の色が残っている。
「冒険者様は……丸一日、眠り続けていました」
「一日……」
戦いの記憶が、ゆっくりと輪郭を持ち始める。
剣戟。
バレッドボア。
そして、倒れ伏した男の背中。
思わず、拳を握りしめた。
「ご、無理に動かないでください。お医者様からも、安静にと……」
「……ご迷惑を、かけました」
砂のような声でそれだけを絞り出すと、彼女は首を横に振って応えた。
「いいえ。ご迷惑をおかけしたのは、私の方です。冒険者様に二度も命を救っていただきましたね」
そっと微笑む彼女。さらに言葉を重ねようとして、一度、その視線を伏せた。
「……お父様も、お会いになりたいと」
その言葉とほぼ同時に、扉が静かにノックされる。
「入っても?」
低く、穏やかな声。
扉が開き、現れたのは一人の壮年の男だった。
装飾を抑えた服装だが、その佇まいだけで分かる――おそらくこの屋敷の主。
「初めましてだな。アリアの父、レイモンド・フォン・カスベルだ」
カスベル候は深く一礼した。
それは、大貴族が一介の冒険者に向ける態度ではない。
こちらからも名乗るのが礼儀ではあるが、かすれた声と状況が相まって言葉が出てこない。
「全ては娘から聞いた。娘を守ってくれたこと、そして……あの場で剣を振るう決断をしてくれたこと。心から、感謝する」
「……恐れ入ります」
どう返すのが正解か分からず、形式的な言葉しか出てこない。
侯爵は微かに笑った。
「硬くならなくていい。君は娘にとって、そしてこの侯爵家にとって紛れもない恩人だ」
一拍置いて、侯爵は続ける。
「改めて言うがすでに話は聞いている。副隊長ガラガスの件は本当に申し訳なかった」
再度頭を下げる侯爵。
ガラガスの名を聞いて、胸の奥が少しだけ軋んだ。
「侯爵家として、正式に礼をしたい。これは謝罪と、そして感謝の気持ちだ。受け取ってくれ」
そう言って差し出されたのは、重みのある革袋。
擦れる金属の音、中身を見ずとも分かる。
相当な額だ。
「……こんなにいただいて、いいのですか」
「当然だ。それに、君のような偉大な冒険者に恩を売れば、後々いいことがあるような気がしてな」
侯爵は、冗談めかして肩をすくめた。
「この金で、拠点を移すなり、装備を整えるなり好きにするといい。侯爵家としても、君と良好な関係を築けるなら、それは望ましい」
僕は、ゆっくりと革袋を受け取る。
「……ありがとうございます」
その瞬間、アリアがほっとしたように息を吐いた。
「冒険者様……本当に……」
言葉が続かず、彼女は俯く。
その肩が、わずかに震えていた。
「……アリア様」
そう呼びかけると、彼女は顔を上げる。
「貴女を助けられたのは、偶然です。たしかにこんなに傷ついたし、なんなら死ぬかと思いました。──でも、その行動に後悔はしていません」
それだけは、嘘じゃない。
「僕は、僕のために動いたんですよ」
侯爵はその様子を静かに見守り、やがて踵を返した。
「今は休んでくれ。話は、また改めてしよう」
扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。
革袋の重みを、手の中で確かめる。
拠点を移す。
新しい場所で、新しい一歩を踏み出す。
あの夢の声が、まだどこかで囁いている。
――この世界は、おかしい。
だが今は、それを考えるには早すぎる。
今はただ、心地の良い眠りを。
これにて一章完結!
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