第五十二話 無想
現在。過去。未来。の構成になっております。
空は、晴れているのか曇っているのか良く判らない色彩であった。曇り空に近いようで、しっかりとした光を持っている。目を凝らせば雲は流れ、それだけがゆったりとした時が流れていく様を表しているようであった。
あてがわれた部屋はカズヤにとって、広すぎた。一人で部屋に居るなんて、王城以来かもしれない。 光に包まれて見えたのは薄暗い箱の中。そう思えた石造りの部屋。そこから、全てが始まっていた。邂逅。回想。それでも、どこか虚ろな過去。
だからだろうか。
――でっかいシャンデリア。
そんなことが呟かれた。
天井には、蝋燭が十数本備え付けられたシャンデリアがまどろむような光を作り出している。腕木は曲がっていた。金属で作られ、それらに蝋燭が一本ずつ握られているようであった。
カズヤはベッドに横たわり、じっと天井を見つめては寝返りをして視線を移動させる。そうして、また寝返りをする。ただ、それだけだった。
今が何時かを判断するものが何もなかった。起きてからそれなりの時が流れた事は確かであった。だが、時の流れは判らずに、空すらも判断を鈍らせる。
時の流れがゆっくりと動いているという錯覚に陥りそうなほどであったが、カズヤは横向けの顔を窓に向けてベランダの手すりをじっと見つめていた。
ハルカとの戦い。あの時、自分は言い知れぬ何かに引っ張られるような感覚を持っていたとカズヤは自覚していた。それが何なのかもそれなりに知っているつもりでいる。それは、自分に与えられた力。考えて理解してしまうと、カズヤは途端に心細くなった。
自分が自分でないような。ハルカの現状を見ているだけに、そのような怖さがあったのだ。
そんな時に、カインが視界に入った。何故か目が離せなかったのを覚えていた。どうしても気になった。心細くて誰かに縋りたかったという思いも十分に強かったのは確かであっただろう。
カズヤがそう思ったのは目覚めてから案内された魔族の主要な人物との面通りを済ませた時であった。
そう考えると、今は夕暮れ時なのかもしれないと思いつつも、身体が動く事はしなかった。
思い出してみると不思議であった。護衛の二人に相談するよりも、カインに相談したいという思い。何故、そんな感情が湧いて来たのかを理解は出来ていなかった。
出会ってから日が浅い。けれでも、カインは必要以上に喋らず、必要以上に馴れ合う事をしなかった。拒絶されているわけではないのは判っていた。だからかもしれない。カズヤはカインのそんなつかみ所のないものに縋りたくなった。
親しいわけじゃなく浅い付き合いだからこそ話したかった。
親しく長い付き合いだからこそ、相談しにくいことだとカズヤは何処かで思っていたのかもしれない。
勇者の力と魔族の力を取りまとめる力を得るには、瞑想によって意識を己の内部に送り込む必要があった。その為、開閉時には勇者を含めた魔族ら数人は意識を強制的に集中させる。戦闘への参加が出来ないと聞かされていた。
ならば何故、今まで旅をさせたのか。何故、襲撃したのか。疑問ばかりが浮かんできたのに、カズヤはそれを飲み込んでしまった。飲み込んで、ただ黙って話しを聞き、魔族の顔を眺めているだけであった。
今回、人間代表として選ばれたのはハルカであった。理由は判っている。カズヤ自身が一番。精神状態が不安定で力も未だ不完全であると自覚していた。それでも、今のハルカに任せている自分が不甲斐なく思っていた。
カズヤは、ハルカを主軸にして、その主軸に力を供給する予備扱いということになっていた。ハルカが安定しない場合は、即座にカズヤ主導になるようにカズヤもまた瞑想する必要があったのだが、それでも不甲斐なさ。男としての変な誇りと、それを大いに邪魔する恐怖と不安が渦巻いていた。
「……カインさん」
この城に来て、カズヤはカインと会話する機会を自ら作ったのはその時が最初で最後であった。
城内にある庭園を廊下から眺める。妙に手入れが入っている庭園だと二人は思っていた。手すりに身体を預け、肘を乗せてカインは庭園を眺めた。けれどもカインは何処を注視することもなかった。ただ、カズヤに話があると言われて、たまたま庭園が見えた。だから眺めている。それだけであった。
カズヤは背中を預け、廊下の天井と壁の隅を見つめていた。
「本当に、信じてもいいんですか?」
当たり障りの無い問いかけ。己に問われた言葉の真偽。
「……信頼はできない。だが、信用となれば話は別だ。信用するしかないとしか言えない」
カインは少々の間を置いてそう切り出していた。見られながらの会話は好きではなかったが、それなりに配慮してくれているので取り合えず、カズヤの言葉に返答していた。
「た、確かにそうかもしれないけど」
「お前はどうしたいんだ」
言い澱むカズヤにカインは視線を合わせず、カズヤの余韻が残る中で言葉を続けていた。その言葉の速さに、カズヤは押し黙った。
カインは怒っているのかもしれない。失望しているのかもしれない。言いようのないこの場の不安と溜まっていた不安が混ざり合う。
「俺は……もう、前に居た世界に戻れないかもしれないから」
カインは特に口を挟まなかった。言葉が切れても、カズヤには何かを喋り出そうという意識があったからでもあるが、カインからすれば、面倒くさいと思っている節があった。カズヤはただ同意して欲しかっただけだという事をカインは感付いていた。
「だから、俺はこの世界に住みたい。だけど、滅ぶといわれたし……俺にはそれを止める力と可能性がある。なら、やっぱ……やるしかないよね」
「答えが出ているのに、他者から言われたと思いたいのか?」
「そ、そんなつもりじゃ。ただ、確認っていうか」
カズヤはカインの横顔を見つめる。対するカインは小さく息を吐き出した。視線の先で魔王の配下らしき人型の化け物が数人庭園へと入ってきていた。これから手入れでも始めるのかもしれない。そんな光景を漫然と――酷く、つまらなさそうな顔をしながら見ている。
「カインさんは、どうなんですか」
その顔を知ってか知らずか、カズヤはカインに問いかけた。カインと同じ姿勢で庭園を見始める。
「やるべきことをやるしかない。元々、国に追われていた。異人の村にいたというだけでな。国が滅ぶのは歓迎だが、世界が滅ぶのは御免被りたい事態だ。俺はまだ好き勝手に生きたい」
「た、淡白ですね」
カズヤは少し、詰まりながらもそう言葉を返した。未だに、カインが異人だという印象がないのだろう。それもそうである。カインは異人の村に住んでいただけで、異人ではない。カインが明言していないだけである。そのことに対して、カインはどうでもいいと思っている。それに、深く関わることを拒むのはエーファの存在を告げていないからでもある。
面倒臭いと思っていたのはその事も少なからず関係していた。
「魔族の連中との面通りも済んでいる。後は、時だ。魔王が号令を出す」
「信用……するしかないんですよね」
「ここで死のうが後で死のうが変わりはないだろう。開門した状態で死んだら世界が終わるんだ。魔族だって頭がある。それに生存本能に忠実だ。人間よりもそこは信用といよりは、信頼できるかもしれないな」
結局のところ、魔族だろうと人間だろうと滅ぶということは防ぎたいのだ。種というものを残す。それが本能として刻み込まれている以上、戦うしかないのだ。最も、カインは魔王から具体的にどう滅ぶかを聞いてはいない。それでも、戦ってきた化け物を思い出せばそれも納得できた。
蹂躙。大陸全土を蹂躙せしめる。虐殺に始まり虐殺で終わるだろう。そう考えていた。人間は食料に成り代わり、家畜になるとさえ、カインは思っていた。前例に近いものを見ているからではあるし可能性の一つという思いだ。
「……カインさん」
カズヤは手すりに乗せる腕を見つめていた。顔は暗い。カインは右手で頬杖をしていた。
「カインさんは、怖くないんですか?」
カインはこの問いで初めてカズヤを見つめた。頬杖をしたまま軽く顔を横に向けたのだ。カズヤが取り乱す。
「あ、あの。人を殺したり、魔族を殺したり……自分が死んだりするかもしれないことも」
カインは不機嫌な顔をしていた。口を少しだけ開けて、目を細めて睨み付ける。カインからすれば、何を今更という思いだ。くだらない質問に呆れてしまったのだ。
顔を庭園に向け戻すと、欠伸を我慢してから言葉を発する。
「怖いと思ったことはある。殺して、復讐された場合、俺はどう対処したらいいか。複数人で襲われた場合どうするか。色々と考え込んで、夜中に何度か家を変えた事もある。死にたくないと思うのは当然だろう。生きているのだからな」
手すりから離れて、軽く屈伸してからカズヤと対峙した。
「生きたいから、どんなに無様でも生き延びようとする。どんなに汚い事でも生き残るためにはする。それが人間だと思っている。それが人間の本能だと思っている。そして、死を怖がるのは人間という個が生まれてからずっと刷り込まれている事だと思っている。そうすることで、俺は納得しているし、これに反論する奴に意見することもしない。所詮は個の問題だからだ」
カズヤの不安そうな顔に瞳がか弱く揺れる。カインは目の前にいる男の子が酷く小動物に見えていた。怯えているのが良く判ったためかもしれない。そう考えてから恐ろしいとさえ思ったのだ。
目の前にいる小動物は平気で人さえも殺す手段を隠し持っているという事。そして、その手段は持ち主の手を容易にすり抜ける。
けれども、カインには咎める事も忠告することも出来なかった。
「お前は、生きるために戦うことを笑うか?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「なら、良い」
その言葉を最後に、カインは背中を向けて歩き去った。残されたカズヤはただ、その背中を暫し見つめては自分の部屋へと帰ったのだ。
そして、ベッドでゴロゴロとそわそわしているのであった。
どれくらいゴロゴロしていただろうか。ふいにドアがノックされた。「カズヤのどうぞ」という言葉と同じくらいの間隔でドアが開かれ、護衛の二人が入室してきた。
入ってきた二人はベッドのカズヤを見据えた。そうしてから、二人で軽く目配せをする。彼らは遠からず、カズヤとカインの会話を観察していたのであった。だからこそ、様子を見に来た。
「――カズ。どうしたんだ」
だが、ヴィルフの切り出し方に思わず、ケルマンは頭を抱えた。直球過ぎだと内心毒づいたに違いない。
「えっ……何でも――」
対するカズヤは素で対応していた。いや、対応も隠蔽も出来てはいなかった。その姿にケルマンは盛大なため息一つ。
「んなわけあるか。顔がひでぇぞ」
そういって、近づくとカズヤの頭を荒々しく撫でた。されるがままであったが、少し笑みを取り戻していたカズヤは言葉を発した。
「……ごめん。怖いんだ。やっぱりね」
ケルマンは手を離して、ヴィルフの顔を見やる。ヴィルフは肩を挙げて見せた。
「当たり前のことをこうも悩めるのはある意味で幸せだな」
「言ってやるな。俺らも始めはこうだっただろう」
「忘れたね。そんな昔の事」
「都合のいい記憶だな」
「便利だと言ってくれぃ」
そのやり取りを見ることも無く、カズヤはベッドのシーツを見つめていた。視界は真っ白である。その態度に、二人は鼻からため息をもらす。
「で、カズはどうしたいんよ?」
「結局は、己で覚悟を決めるしかない。何をするにもな」
「だよね……もう少し、考えてみるよ。自分で決めるためにも。やっぱり、俺は俺だから。俺が決めないと――」
「……まっ。隣に居るからよ。いつでも来いよ」
「相談というよりは聞いてやるくらしかできんがな」
「ありがと」
護衛二人は、特にどうすることも出来ずに退室するしかなかった。今のところ、二人があれこれ言ったとしても、カズヤの耳には入っていかないとも思っていた。何よりも、ここまで悩むということに心配こそしていたが、二人は安堵もしている。
やはり、カズヤはカズヤ。人間だという。無意識な安堵。
「大丈夫かね。カズは」
「子供だが、今まで来れたのだから、考えて自分を納得させられる答えを見つけるさ」
廊下で立ち話をしつつ、今しがた閉めたドアを見つめるヴィルフ。
「理不尽だって、喚き散らしていたときが懐かしいね」
西に渡ってからのカズヤは本当に荒んでいった。だからこそ、ハルカという存在は大切もであったし、今の状態ならばカズヤが落ち込むのは無理も無かった。それでも、仲間に刃を向ける事もなくなり、敵意に対しても、反応するようになった。食事もしっかりとれるようにも。
「最初は、楽しんでいたのも懐かしいがな」
ヴィルフの言葉に、ケルマンは頷いた。
出会った当初の悪餓鬼振りでも振り返っていたのかもしれない。どこか懐かしむ笑みを浮かべた。
「一年も経っていないのに、息子の成長を見ているみたいだぜ? きっと親父達はこんな気持ちもってたんだろうよ」
「言うな。俺らはまだ若いんだ」
「それもそうか」
二人して、笑いあった。
「魔族の数。万は居るな」
「開門したら同数以上ってことだろ? それに、門に近い場所に陣取るってわけだ」
「死ねないな」
「あぁ、んなことする暇もないだろうさ」
「カインが軸か」
「……アイツは、殺し慣れてる。けどよ、信用は出来ると思ってんのよ」
「奇遇だな」
「よせよ。気持ち悪い」
「……気付くのが先か。言うのが先か」
「賭ける?」
「カズの性格からして賭けにならん」
「だよな。まぁ、カインに期待だな」
「大丈夫だろう――」
「どうったの?」
「ああ、俺も柄にもなく寝付けなくてな。疲労が抜けていないようだ」
「勘弁してくれよ」
「後、任せてもいいか?」
「めんどくせぇけど、良いとしか言えないだろ?」
「本番までには万全にするさ」
「期待しちゃうぜ?」
「しとけよ」
「おっ、言うねぇ」
戦争が起こるのに、その戦争の最前線で目を瞑って祈っていろというのは無茶な話ですよね。
門封印ではカインとカズヤ覚醒。魔王無双をやりたいです。