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魔王と勇者と暗殺者  作者: 泰然自若
二部 四章
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第四十五話 ハルカ

 

 広かった。その空間はただただ広かった。そこは果たして屋内なのだろうかと疑問に思わざるを得ないほどの広さであったが、それは薄暗さ故の錯覚に過ぎない。目を凝らせば壁が見えてくるのが判る。近づけばはっきりと見えるだろう。壁が蠢き、悲鳴を挙げていることが。


 その胎動を認識するともう、この空間は異質であることを理解しなければならない。生い茂るは、人の躯を貪る木々に、壁には悲鳴を挙げながらも化け物を産み落とす女が数多に見えてくるだろう。


 光源は定かではない。壁の所々が発光しているだけに過ぎない。その光に影を作りながらも、女達の悲鳴が挙がり続けては疲れたように身体を垂らす。落ちる事は無い。腕も足も壁の中に埋まっているのだが、女達の下には木々の根が張り巡らされ、脈動している。


 その網の中に一際は暗い空洞を見つける事が出来る。


 そこから這い出てくるのは異形の化け物たちで化け物が這い出てきては女達は叫びを挙げる。ただただ、挙げる。


 その光景全てが理不尽と非現実の共存。その不確かな現実の世界で一人、たった一人で孤独を怒りに変えて己の力を奮う勇者の姿が薄暗い世界で影を躍らせ、自身もまた舞い踊る。


「思った以上にやる」


 その声に触発されたかのように、ハルカは化け物に襲い掛かった。線となるほどに加速するハルカの目の前にマルセンとイーナが割って入ってくる。ハルカは顔を顰めつつも、マルセンの剣による一撃を受け止めた。そのときには、既にイーナの詠唱が終わらせ、炎の蛇がハルカへと向かってきているところであった。ハルカは避けようとするも、マルセンの力によって逃れる隙がなかった。


「くっ!」


 その呟きと共に、魔力を凝縮させた刃がイーナの魔法を切り裂いた。これには化け物が声を挙げた。


「ほっ! そんな事もできるのか」


 楽しそうに笑う。見てくれば子供のような化け物であった。色白な肌色に黒い髪の毛が余計に目立っている。だらりと長い白い蛇のように衣服からは四肢が伸びている。


 左目は深紅に染まり、右眼はどす黒く塗り潰されているようにも思えるほどの単色。


「エーファを操っていたのは君なんだね……!」


 マルセンとのせり合いから逃れると声を張り上げた。声を荒げながらもハルカは寸前の所で理性を保つ事ができていた。結局のところ、状況が踏みとどまらせたといってもいい。ハルカは状況をこの部屋を見て、顔を背けると共に、強烈な嘔吐感に襲われていた。けれども、それは誰しもが経験することで些細なことだ。


 問題だったのはその隙をついて目の前で不敵な笑みを崩さない化け物のスキルによってイーナとマルセンが操られてしまったことであった。


 今では、周りから這い出てくる化け物がハルカを襲いに来ないのだけが幸いだと感じることができるほどに落ち着きは取り戻していたのだが、操作系スキル持ちには心当たりがあったハルカの中で何かが囁き始めていた。その囁きが今の叫びに繋がる。どこか確信めいた発言であったことにハルカ自身も驚いている節がある。


「ん? 誰?」


 対する化け物は首を傾げた。その態度に、ハルカは顔を顰める。今まで感じたことの無いほどの嫌悪感が襲ってくる。マルセンの攻撃を捌きながらも、イーナの魔法を避ける。イーナの魔法はたとえマルセンが射線上に居ようとも迷わず放ってきている。そのことで、ハルカはある程度限定された対処を行う必要があった。


「くっ!」


 顔を顰めながらもマルセンの横薙ぎをしゃがんで避けると柄の頭を鳩尾へと入れる。


「これで!」


 気絶してくれるのならばどんなに状況が改善されただろうか。楽観は死に直結する。その事をいまこの瞬間、ハルカは思い知る。


 突き降ろされるマルセンの刃がハルカの背中から心臓目掛けて襲い掛かった。


「出来るね……存外に」


 子供の化け物が感慨深そうに呟く。マルセンの刃はハルカが作った魔力の剣で受け止められていた。剣身を寝かせた状態でハルカは背中に出現させたのである。だが、このときハルカは自分の中の何かが音を立てたことに気が付いていた。無理をしすぎて怪我をしたときのように、自分の身体の出来事なのにどこか、他人事のように思えてしまったハルカである。


 だが、このとき化け物は別の事に驚き、思わず声を出した。


「嘘。負けたのか。一応、力は100%だったのにな。やっぱ再生は消費が激しいな……」


 何を言っているのか理解できなかったハルカであったが、隙が出来たと確信する。マルセンの足を払うことで、マルセンを転倒させる。イーナの魔法からハルカ自身とマルセンを護る形にすると、逡巡する事なく意識を集中させた。


 全てを貫くために、瞼を閉じる事もせずに、ただ化け物を包む空間を想像し、周囲数mを球体上に世界から切り取る。一秒も満たぬうちに組み上げていく積み木の山。四方八方に現れた剣が化け物を取り囲む。その数、数十にて逃げ場なし。


「凄いな!」


 この牢獄を目の当たりにしながらもおどけてみせた。


「―――貫け」


 構わずにハルカは静かに呟いた。襲い掛かる剣に逃げ場ない。悲鳴を挙げる事もなく、ただ笑みを浮かべたままの化け物は身体の至る所を貫かれていった。


 ハルカの息は荒い。一瞬の安堵感から全身を覆う疲労感に膝を折りそうになるのを必死に絶える。だがその時、イーナの魔法がハルカを襲った。「しまった」と思わずに入られなかったのは紛れも無くハルカの先入観からであった。ハルカは敵を倒せばスキルも消えると考えていた。そのために、まったくといっていいほど咄嗟に動く事ができなかった。


 迫るのは土を硬化させた矢の雨で、それは無詠唱で放てる牽制に最も適した魔法であった。イーナが最も使う魔法だった。それでも、ハルカはその威力を知っている。化け物に操られるとその人の能力を底上げすることができるということも知っていた。何より、エーファがそうであった。


 何故だろうか。ハルカはその時、エーファの笑顔を見た。エーファがカインの話をしているときは大抵が笑顔だった。怒るように、拗ねるように話をしても結局は恥ずかしそうに笑う。


 何故だろうか。ハルカは思い出していた。家族の事でも、元の世界での日常でもなく、ただひたすらにエーファと過ごした短い日々が浮かんだ。


 身体に異物が混入してくるのを酷く、外から見ているように思えていた。身体が所々熱いのを感じながらも、それは本当に自分の身体なのだろうか。そんな疑問を浮かべてしまうハルカは、朦朧と揺らぐ世界でイーナの姿を見た。


 流れる涙はどちらだっただろうか。ハルカが痛みと悲しみで涙を流したのかもしれない。イーナが強靭な意志でハルカを殺した事を悔やみ、泣いたのかもしれない。


 ただ一つ言えることは、ハルカの心臓から刻むように聞こえた音が途絶えたという事。


「強かったよ。うん、君は中々にね」


 現れたのは異形の化け物であった。


 どこかに隠れていたのだろうか。薄暗く広い空間なので、そうなのかもしれない。左目は深紅に染まり、右眼はどす黒く塗り潰されているようにも思えるほどの単色であった。色白な肌に身長は小さく、1mもないだろうというほどで、イーナの腰よりも下に顔があるのが横に並ぶことで確認できる。膝まで伸びる上着を着込み、脛まで伸びるズボンを履きこなしている。


「さて、次の勇者君のために使わせてもらうよ。男の方は貰おうかな。もう予備がないしね」


 楽しそうに呟きながら、横たわるハルカに近寄るとハルカの衣服を破り、乳房を露見させる。すると、化け物は右人差し指を左指の爪で切り裂き、血をハルカの身体に垂らす。マルセンやイーナを操った方法とはまったく違っていた。二人を操った際は頭を右手で抑えつつ、顔を押し付けあった。だが、今起こっていることはある種の儀式に近い。


 頭から、下腹部まで一本線を血で作り、心臓と膝、そして肘に血を塗りつける。その行為が終わるとハルカの周りを一周し、右手を頭に乗せ、顔を近づけた。


 すると、ハルカの身体がいきなり脈打ち始めた。


「良い子だね」


 そう呟いて、化け物は顔を離す。すると、ハルカは自らの力で立ち上がった。


「さて、次はどうするかな。生まれた奴らも使おうか。何せ、勇者と守護者だからね」


 化け物は「楽しみだな」などと笑みを浮かべていた。だが、その笑みが瞬く間に消えて化け物は振り返る事になった。


「あ?」


 化け物は突如、素っ頓狂な声を挙げる。化け物にしてみれば儀式は終わった。最上級のスキルを行使して死者を操る事に成功している。死んだ直後の人間、特に魔力量が膨大な者ほど、操る事は難儀な事を知っている化け物は面倒な過程を行ってハルカを操った。


「なんで?」


 はずだった。


「舞うが良い。剣戟よ」


 それは誰の声だっただろうか。発したのは間違いなくハルカであったが、こんなにも底冷えするほど低い声を発する事が出来るのだろうか。そんな疑問を浮かべている間に、ハルカの周囲には「剣戟」の名のままに数多に形作られた刃達が浮遊する。


「感謝しなければならないな」


「……本性が出たってわけか」


 化け物はそう呟くと、マルセンとイーナを盾に後方へ下がる。さらに、生まれた化け物どもを呼び寄せようと行動する。生れ落ちた化け物は形こそ、成熟しているが、暫くは意識不明の状態になる。


 這い出てくるのはあくまで植えつけられた本能が勝手にやっているだけに過ぎない。頃合いだろうと化け物は思い、自分の血でぬらした両手を地面に押し付ける。


 響き渡るは女の悲鳴。ソプラノにバスとテノールの大合唱とでも言えばいいだろうか。化け物どもの咆哮が木霊する。


「さて……どっちが本物だろうとどうでもいい。だけど、軽々しく僕のスキルを破ったのはいけないな。お仕置きが必要だ」


 まだ軽口を叩く余裕はあるようだ。


「判ってる。うん……ダメ。殺す。殺すよ?」


 そういいながら、笑みを浮かべては苦々しい顔にころころと表情を変えるハルカ。攻撃してくる様子がないと見るや、生まれた化け物どもをハルカへ向ける。その数は18体。その中にマルセンとイーナを混ぜ込ませた。


「嗚呼、殺すよ。皆殺し」


 その呟きと共に、剣戟は舞った。


 阿鼻叫喚とはこのことだろうか。化け物どもの悲鳴が挙がる。一瞬だった。一瞬で五体満足でいる生物が小さい化け物以外に見えなくなった。無尽蔵に出現した剣戟により、襲い掛かった人数よりも多くの肉塊が辺りに散乱する。


「馴染まないな」


「……やってくれる」


 この光景を見て、初めて小さい化け物の顔が真剣な物となる。もはや、人間などこの場では塵や埃と同じ扱いを受けるだろう。


 頭部に剣が突き刺さった状態で絶命しているのはマルセンだったものだろうか。右足が皮一枚で繋がって巨躯な化け物の屍骸に押し潰されているのはイーナだったものなのだろうか。


 そんなものは、今のハルカであったものには関係なかった。今、目の前にいる小さい化け物を殺すことだけで頭の中が割れてしまいそうだとさえ、思っている。


「足止めに力を割こうとしたのは辞めておくよ。君に失礼だね」


 その言葉と共に、上着を脱ぐと漆黒の皮鎧を着込んでいる事に気が付かされると共に、左腕の異形さを際立たせた。灰色に着色されながらも金属を思わせる篭手が左腕全体を覆い隠している。カインの違いは多くある。カインの場合、腕自体が異物であるが、この化け物は異物を腕の上から装着している。指先に至るまでを覆い隠しているが、その左腕だけは無造作に握りしめる動作を繰り返している。


「待ってくれてありがとうね」


 その言葉で、両者は微笑んだ。


 それが殺し合いの始まりで、二人は一歩の内に数mはあったはずの間合いを縮めていた。剣と手甲がぶつかり合うと激しく火花を散らし、その光源によって二人の顔が薄暗い室内で輝きを放つ。


 狂喜。その笑みはまさに狂喜の一言であった。


「聳え降り注ぐ」


 ハルカの呟きに地面が呼応する。遥か上にある天井が呼応する。地面が隆起し、刃となり、天井からは雨のように刃が零れ落ちてくる。足の踏み場も無くなれば、いよいよ地面からも刃が襲い掛かる。化け物はその場から飛び退くが、続々と上下から刃が迫る。だが、化け物は着地するとおもむろに左腕を振り上げ、そのまま地面に打ち付ける。


 一体何がどうなってそんな現象を引き起こすのだろうか。左腕を中点とし、その周辺の地面が一斉に窪む。そしてハルカの足元までそのくぼみが延びると、その周囲の内に出来るはずであった刃がこなごなに砕かれる。それをみつめるとハルカは後方へ下がった。その一瞬の動作によってハルカは難を逃れる。


 地面から夕暮れを見ているかのような鮮やかな橙色が噴出してきたのである。それが、爆発によって出来たものだと気付くのに若干の時を必要とするほど鮮やかであった。このとき、化け物はこの光に便乗して姿を眩ませる。


 その行為を見抜いていたハルカは鼻でせせら笑った。


「後ろに気をつけろ」


 ハルカはそう言うと、化け物の背中に寸分の狂い無く一定の間合いを保つ剣が三本。ハルカにとって爆発の目くらましなど問題にすらならなかった。


 全てが見えていた。この空間のどこに化け物がどういう行動をしているかを把握していた。視線を向ける事無く、ハルカは僅かな魔力の動きを視野の中に投影し、脳内で今いる空間を客観的に把握していたのである。


 化け物は気付かない。いや、気付いたが遅かった。


「馬鹿な」


 その言葉と共に、化け物は背中から貫かれる。苦しみ、抜き放とうとするが、その刃は魔力の結晶。そう簡単に抜けるはずも無い。左腕ならば可能なのかもしれないが、生憎と深々と貫通しているために、抜き去ることは不可能で、ささやかな抵抗として、背中から出ている刃から柄までを折ることしかできなかった。


 地面に叩きつけられる音がハルカの左斜め後ろから聞こえてくる。恐らく化け物が落ちたのだろう。この空間で、動くものは最早存在していないかような静まりが広がった。


 しかし、辺りに静寂が舞い降りたように感じられたのは瞬きするくらいの短さだった。


 何かが数多に蠢くのを肌で感じることができる。その数多は、確認するまでもなかった。ハルカはため息をつく。ハルカを囲むのは数十体の化け物の群れであった。ハルカがこの遺跡で初めて殺した牛の頭を持つ化け物と猿型の化け物、そしてカインが殺した強靭な足を持つ化け物が群れていた。どうやってこの数を集めたのか。そんなことは些細で酷くどうでもいいことだった。今のハルカにとっては。


「悪足掻き。足掻いて、足掻いて」


 一斉に襲い掛かってくる化け物どもの群れ。先頭は強靭な足を持つ化け物。その後ろからは猿型が空中に飛び上がり迫り来る。最後に牛頭が地響きを踏み鳴らしながら襲い掛かる。


「結局、殺される。何のために、襲い。何のために、殺す。何のために食し、何のために捨てる」


 もはや、その言葉に意味があるのかすら判らない。それでも、ハルカにはその自問自答は重要な意味合いを持っているのだろう。だから、今のハルカは笑っているのだろう。今、このときを何よりも狂喜している。だからこそ、零れた言葉。


「殺そう。そして、生きるのは私だ」


 それが合図。

 虐殺の始まりにして終わり。



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