第四十三話 想定外
室内は適度な温度に保たれており、太陽の光が無くとも、最適な光源を有していた。地表部分から奇妙に思いつつも発光している原理がカインには良く判らなかった。
その光はそれほど高い有視界範囲を作り成していなかったが、カインにとっては逆に敵との交戦がある程度避けられない状況になっていった。
十字路を右に進む内に、ある程度の遺跡の破壊を実行しつつ移動をしている。その中で、まだ目的物は発見されてはいない。やはり、地下にある。その考えが確信に変わったカインは早々にこの階層である地下二階部分の探索を切り上げていた。
階層がしたになるにつれて、化け物が増えていく傾向を掴んでいたのだが、強さから言えば苦労するほどの敵達ではなかった。それでも、十字路で殺した敵が出て来る際には苦労したのは事実である。
いうなれば、その敵以外はカインでも楽に対処できたのであった。さらに気になる事も見つけていた。強い敵は二体一組で行動していた。他の化け物は不規則で完全な無秩序による行動衝動だったとカインは考えている。
恐らく、強い敵は巡回する警備兵という役割を担っているのだろう。というのがカインの考えであった。
ともあれ、何から何までカインにとっては目新しい代物ばかりで心を躍らせた。
今まで見た事もないような化け物が跋扈し、巣を作り日々の日常を謳歌しているのだ。それも、所構わず巣を作るわけではない。きちんと区間を取り決めているというのも興味深かった。そして、餌となる物を栽培しているという事も。
それは木だった。
違うところは実るのは人間の子供のような物体。いや、正確に言うならば殆ど外見は人間の赤ん坊と変わらない上に心臓の動きすらも確認できた代物。
カインは今、それをもぎ取って確認したのである。不思議な光景であった。人間らしき者らが幹や枝となり、子となる存在が果実として実る。
化け物はこれらをもぎ取って食べていたのである。
カインはナイフを取り出すと果実の頭に切っ先を入れる。本当ならばここで痛みのあまりに泣きだすのが人であろう。だが、この果実にはそれがない。
しかし、滴り落ちる液は確かに真っ赤である上に、臭いも血液のものだった。
生憎と味までは確かめようとは思えなかった。いくらカインであったとしても、今は食糧に困っているわけでもなければ追い込まれてもいない。
ただ、困った問題があった。重要な事でもあるし、半ば解決しているような物であったが、どうにもカインには踏み込めないものがあった。
その問題というのは、この木が生えている室内に地下へと通じる道があると言う事だ。既に、それらしきものを見つけてはいるのだが、扉は近づけば横に開き、離れると閉まるという仕組み。そして、開いた時に地面が紫色に発光するのである。
不気味だ。というのがカインの素直な気持ちだった。ただでさえ、餌が人間型なのを見ている上に、未知の存在に身を委ねるのは億劫だった。
そもそも、地図からして謎に満ちている。構造的に階段の表記ではなかったからである。今までは階段によって地下へと降りてきた。
それが突然、変わっているのも妙な話であった。
魔王自身、この事に関しては行けば判るの一点張りであったのだが、カインからすればどのように下に降りるのか非常に気になる所である。
考えられる事は、紫色に発光した地面が下に落ちると言う事だ。ともすれば受け身云々をどうしたら良いも考えなければならない。地下までは数十mだ。こんな所から落ちてはカインとて普通の人間だ。即死である。
これが、本当に下へ行くための移動手段に用いられたとするならば、地面はゆっくりと下に落ちていく事になるだろう。だが、カインにとって、それは想像もできない上に、確証のないものに自分の命を委ねるほど楽天家ではない。
だが、考えあぐねていると突如その下へ行く手段に用いられると予想される扉が開かれた。ここで、カインはやはりこれは動いているのか。という気持ちを持たざるを得なくなり、これに乗って地下に降りることを決心する。
その異質な空間から出てきたのは、人型の化け物であった。
背丈はカインを優に超し、2mはあるだろうか。ここの魔族同様に体躯はある。だが、決定的に違う点は身体の細さであった。赤黒い皮膚に腕はだらりと伸び、自身の膝あたりまで垂れている。
左目は深紅に染まり、右眼はどす黒く塗り潰されているようにも思えるほどの単色。瞳もなにもない。その眼には、深紅の球体と黒の球体が嵌めこまれているだけだという印象を持たせるには十分なものであった。
その眼が顔の印象を決定づけている。
顔立ちは無駄が無い。鼻の骨は無く、頬の肉は無く、頭蓋骨がむき出しになっている。肉の造形がこびりついているのは頭皮から鼻上まであり、耳は無い。
異様。だが、その顔はこの空間に嫌なくらいにお似合だった。
「ほぅ。鼠が居ると聞いていたが」
その言葉と同時にカインの全身は機敏に動いていた。
カインは咄嗟に間合いを開ける。先ほどは扉から3mほどの距離から辺りを観察し、思考の海に潜っていたのだが、いきなり扉が開いたことと同時に後方へと飛び去っていたのである。
「ふむ。カインといったか」
殺気が満ち満ちて来る。カインは知らずに笑う。
―――コイツは、強い。
予想外だった。
相手は操作系スキル持ちだという認識から、完全に遠距離攻撃特化だという先入観を持っていた。これが、今脆くも崩れ去る。
一歩。
腰をふと下げて右足を僅かに浮かせた。その動作だけで数mを一気に詰めてきたのだ。文字通り、カインは咄嗟に左腕を動かす事しかできなかった。いや、半ばその動作は左腕自身が関わってきていたのだが、今のカインにそんな事を考える余裕はなかった。
暇を与えない、だらりと伸びていた長い腕が地面から天井へと突き上げて来る。この時、カインは完全に視界から腕の軌道を見失っていたために予期する事が出来なかったが、またしても左腕がそれを捌く。鞭のようにしなってくる腕の攻撃をなんとか受け流すと、視界に入っていた敵の目が怪しく光り、その眼の色がやがて強烈なまでの発光を見せた。
瞬間的に総毛の鳥肌。
カインは無我夢中で右手に飛び退く。
視線を泳がせながら敵の視線がまるで視認できるかのように、細い二本の赤と黒の線が地面に降り注ぎ、接触した部分は爆発し、破片を周囲に撒き散らす。
―――無茶苦茶だ!
そんな叫びを心の中で吐き出しつつも、敵が首を向けるとカインは体制を立て直して、距離を詰める。後退するのは逆に不利になると判断した。一発でも当たれば致命傷。掠ったとしても行動に支障が出るだろう。ならば、相手が撃ちづらくなる接近戦を選択した。
光と共に、伸びる光線とでもいうべき死神の光がカインのフードを焼き切る。素顔が晒されてしまうが構わずに敵へと襲いかかった。
カインは左手甲にある円形の溝から液体を発射する。その液体は瞬時に硬化し、針のような鋭利さを持ちながら、敵の喉元へ向けて迫った。
敵は身体を捻りながらも光線照射を辞めた。その敵自身の身体がぶれているにも関わらず左腕、いやこの時、敵の左腕は既に鞭と呼べるほどに昇華した武器となっていた。その鞭がカインの右下から迫り来る。と、カインは接触する瞬間に跳躍、勢いを殺さずに左足を振り切り、敵の頭部へと直撃させる。同時にカインの耳元で鞭のしなりが轟音と共に横切った。
間髪いれずにカインは右手で敵左腕を掴むと、その腕に絡みつき、関節を決めるために全体重を掛けて押し倒そうとする。
だが、左腕の筋が思った以上に伸びる事が無かった事から、即座に、この関節攻撃が無意味な事を悟る。すると、腕を離し地面に手をついて一回転しながら敵の左側へ降り立つ。
敵は、笑みを浮かべて左腕を裏拳の要領でカインに伸ばしてきた。カインは自身の左腕を形状変化させると共に、それを受ける。重い衝撃と共にカインは吹き飛ばされるが、これはワザと距離を開けた。
相手に隙を与えず、こちらの手の内を知らせず。あの接近戦から吹き飛ぶまでの動作全てが囮。
既に、左腕は変化を重ねる。射撃形態へと変わる頃合いにカインは十二分な間合いが取れていた。
敵は光線を放つ事はせずに接近戦を挑んでくるようだった。腰を下げて、膝を押し曲げる。その動作を見た直後に迫り来る速さに冷や汗がどっと背中から流れ落ちるのをカインは感じ取った。と、同時に体中が熱くなり、上体を固定し狙いを付け躊躇い無く撃ち込んだ。
伸びる赤黒い光線が一閃。敵の頭部を消し去った。
「……くぅ」
体中に痛みが駆け巡る。想像以上に無理な攻撃を加えたために、負荷が重く掛かってきていたのだ。
敵は駆け抜けるままの勢いで地面に突っ伏し動かなくなる。
それを見つめながらもカインは何故、この見覚えのある敵がここに居るのかを考える必要があった。
元々、コイツは魔王が操っていた私兵の一人ではなかったのか。魔王自身もそれを認めている。カインは近いうちに殺して良いと言われていたので会う予定ではあった。魔王が非常にどうでも良いような口ぶりで死んだ所で困らないと言っていたのが印象深く記憶に残っていた。
だが、どうだ。現にコイツは今、魔王の手引きかどうかも判らないがここに居て、カインに襲いかかってきた。この事が今の自分の立場の危うさを再認識させる。
踊らされている可能性も考える。だが、それと同時に何故こうも判りやすい行動をとったのかを説明できなかった。あの魔王の事だ余興が好きだと言う事は判る。だが、これでは聊か芸がない。かといって封術士がこれをする必要性もない。これらから考えるに、コイツは魔王が操っていない間は普通に一個体としての活動を認められていた。
その可能性もあると感じていた。
もうひとつ考えられることは―――
「―――!?」
その思考は中断せざるをえなかった。
殺気と共に、死んだはずの敵が行動を開始した事による状況の悪化からである。
土人形でも作っているようだ。そんな印象を持たせる。消えた頭部を作りなそうと首元が盛んに分裂してはくっ付く事を無数に行っている。この行動に危機感を覚えたカインは即座に仕込みナイフを投げる。だが、敵の腕によって容易に受け止められてしまう。その行動を見て、頭部が無くても、自立した行動が出来る事にカインはまず驚いた。
この事から、敵に明確な弱点が見受けられないと言う事になってしまう。
焦りを感じつつも、カインは次の手を打つ。一気に間合いを詰めて、左腕で敵を切り裂こうと狙う。この左腕は封術士の攻撃を打ち消した実績がある。それを考えたカインはこの左腕ならば有効打になり得ると間合いを詰めたのであった。
だが、次の瞬間には敵の右腕にカインの攻撃は受け切られる。
「……模倣しただと!」
驚愕の呟きがカインの口からこぼれ落ちると共に、敵の両腕はカインの左腕のように籠手型へと変化し、指先は鉤爪のように鋭利に伸びていた。
やがて、顔は綺麗に再生されてしまう。
「面白い」
その一言と共に、浮かべる目と口元を吊り上げて笑みを浮かべる敵に、カインは沿岸都市で対峙した死神を思い出していた。
同類。
姿形は違えども、今の敵にはそう感じさせるものがあった。狂気とでもいうのだろうか。身に纏う空気云々の話ではない。纏う物自体はまったくの別物だという認識をカインは持っている。
だが、カインという一個体全てが同類だと認識し始めたのであった。
「守護者か。殺せる内に殺すのが……やはり、良いだろうな。時もない」
―――来る!
そう思った瞬間、左腕は勝手に動き、カインは宙を回っていた。
一体何が起こったのか。そう思ったのは一瞬。既に、地面が迫ってきている。
―――速
辛うじて意識を刈り取られる事は無かったが、相手の速さに完全に対応出来ていなかった。どうやって攻撃されたのか。考えられる事は敵の鉤爪の下から突き上げ来るような攻撃によって、吹き飛ばされたのだろう。
全身を駆け巡る痛みは針が内部を突き進むほどに思えていた。どうにか、痛む身体に鞭打って適当な受け身を取るも、半ば地面に叩きつけられたようなものであった。
逃げようとしても、不可能だという事が、カインの本能と経験全てが理解していた。数多くの現場をこなし、死地から帰還してきたカイン人生そのものが、今生き残るという可能性が無い事を告げているからだ。
目の前の敵相手に、逃走術式をこの空間で組み上げることなど、出来る自信がカインにはなかった。
いくら、ほぼ100%逃走できるスキルであったとしても、それを発動できなければ意味は無いのだ。頭の中で術式を構築し、身体で表現する。頭で考えても身体で作れなければスキルは発動しない。
震える手足を無理やり使って身体を起こす。敵は笑みを浮かべているままだった。
「弱いな」
その言葉に背筋が凍った瞬間。
風が戦ぎ―――
敵の四肢を切り裂いた。