第四十一話 個々
日は未だ見えず、風は死に、それでも緑は戦ぐ。
始まりはいつだったのか。追われるように過ぎ去っていく時の濁流に男はただ流されていく。一体、自分は何者でどんなものを背負っていたのか。
知らされた情報の全てが嘘臭く鼻を指で摘まんでしまいたいほどに悪臭だった。
それでも、確かめなければならない。
既に動いてしまっている。それを感じられないほど、男は鈍感でもなければ、生きる事を疎んでもいなかった。
自らで考え、自らで行動する。
他者との連携も何も必要ではない。その時々に対応するのだ。
問題は無い。男は覚悟を決める。
ただ、死ぬことが何よりも怖い男は、死ぬ確率が一番高いであろう物事に引きずりこまれ、勝手に進行していく事態に嫌気がさしていた。
だから覚悟は決めた。だからこそ、自らの意志で渦中に飛び込む。
それでも、死ぬのは怖かった。
死を恐れながらも竦み上がる事は無く、歩みを辞める事はなく―――
少女は考えることを辞めた。
異邦より、その濁流の中に放り込まれた者がいる。
平凡な日常を謳歌していた者達は突如として世界を放りだされ、濁流に呑まれ、岸辺に辿り付き、未知へと歩まされた。
断りを入れられた訳でもなく、まして謝罪すらなく、決定した物事の道を歩むことだけを要求された。
何を想う。何を思う。
その道は自ら決めたモノでも自ら行動して歩むモノでもない。
理不尽な死が身近に存在し、それがいつ襲ってくるかもわからない。その恐怖を誰もが持ちながらも必死に隠していた。
今、彼らには選択肢は残されていない。喚き散らすこともなかった。
ただ、嗚呼。その諦めのような心のため息を漏らしていた。
この世界で変わったのは確かな事である。だが、だからなんだというのだろう。
力を得た。望み得たい力ではなく、万物を殺す力を無理やり背負わされた。少女は苦悩した。
何故、こうなったのかを。人知れず涙を流して世界を呪った。
それでも、事態は変わらず、少女は決められた道を歩んでいた。
進むうちにこの道も全てが悪い訳ではないと悟る。
今ではその道の有難味を感じられるほどの成長を遂げていた。この世界での成長。
だけれども、それは決して自らが望んだことではなかった。
始まりはやがて日常となって心を蝕む。
だからこそ、少女は考えることを諦めた。
だからこそ、この世界の歴史を知り、その先にある自らがやれと背中を押されているものを見据える事が出来ていた。
今は。もう前だけを向こう。
恨む事もせず、望む事もせず。
ただ、この果てを目指して。少女は他者を殺す覚悟を決めたのであった。
自らの意志で、少女は殺す事を覚悟し―――
その少年は酷く迷っていた。
この世界に来た事自体に感謝をしていたのは何時だったか。とても長い時間、この世界で生活している錯覚を覚えている。それでも、少年は変わる事がなかった。
物を殺す。その行為が怖かった。恐ろしかった。気持ち悪かった。嫌悪した。
気付いてしまった。これは自らを取り巻く現実だと言う事に。
それでも、心のどこかでそれを必要だとも捉えていた。その事で自らに嫌気がさしていた。絶対に殺しはしない。そんな淡く、崇高な決意が、今では跡形もない。
初めこそ感謝した力。他者を護れる力。
圧倒的で、かっこ良くて。正義の味方になれるとも感じていた。
日常が楽しく、剣の訓練が辛くとも。苦しくとも。続けられるほどに。
少年は変わる事を恐れながらも、その力によって変わって行った。
その事を自覚している。だから心に亀裂が生じ、やがては音を立てるまでに至った。
力を得ても、結局自らの心は変わらなかった。力はどんどん少年を変えていくのに、心は変わる事をずっと拒んできた。
だが、力は少年を侵食していく。
何故だろう。どうしてだろう。
何度となく自問自答を繰り返しては答えの出ない日々が続き、少年は物を殺す事ができなかった。
いつの間にか。殺すという行為ができなかった。虫を踏み潰す事も無くなり、肉食が億劫になった。
何故、殺し。何故、生きるのか。
彼は殻に籠った。籠る事を許され。そこで初めて。与えられた力と対峙した。
だからどうなのだろうか。
だからどうしたいのだろうか。
そこには変化はなく、何時もの。昔の少年の姿が居るだけだ。
だからこそ。だからこそだ。
少年は変わる事を受け入れる。そうして、変わらない事を理解した。
少年は覚悟をしなかった。どうなるか分からない先の見えない道を歩む勇気などない。
だから、覚悟もしない。だけど殺す。生きるために。覚悟するために。
嫌悪する。殺す事に。それでも良いと。
少年も覚悟はしたのだ。自ら殺す事に嫌悪する覚悟を。
三人は歩む。
真っ暗な道。前を向いて歩くのか。
真っ暗な道。目が慣れるまでそこでじっとしているか。
差異は、歩むまでの時間。
その時間が。
後者ならば―――