第三十七話 濁流への投身
安寧の日々は終わりを迎える。
何がかが起こり、何かが始まる。
その中心には進むべき道に沿って男が向かう。
カインは向かう。ただただ。訳も知らず。何を託されたかも知らず。
「お前は、自分の役割がなんだと思っている?」
カインを射抜くような瞳がそこにはあった。妙齢の女性。肩の下まで伸びた栗色の髪色は滑らかに纏うように垂れていた。
似ている。と初対面で思った。だが、カインは口に出す事はしなかった。その無駄な配慮を無視するかのように。カインの目の前にいる女は言葉を紡ぎ出していた。
「まぁ、良いわ。まず、お前が思っている事の半分は正解している。その半分、アンナは私の血族の姿をしているわ。だけれど、あの姿は私ではない。私の娘の姿。それも幼少の頃の姿ね。」
「それを俺に話してどうなる。」
「お前が聞きたがっていたのだろう。」
「……」
「強情な奴だな。気に入らない。だが、良い眼をしている。お前は確かに適合者にて、選ばれた者よ。」
「勝手だな。」
「あぁ。勝手だ。たかだが殺し屋一匹。その勝手でどうなろうと世界は困らない。何も変わらない。だが、お前が動かねば世界は変わる。今度こそ。止まった時が動き出し、混沌へと世界を突き落とす。」
「何を言っている。」
「お前には魔王に会ってもらう。」
「なんだと……?」
思わず耳を疑う。目の前にいる女はたやすく言葉にしたがその言葉にどれほどのものが詰め込まれているのか理解しているのだろうか。
カインは心底驚いた。現実味のない話ばかり。
「お前達が勝手にそう呼んでいるだけだがな。正確に言えば奴は……番犬だな。」
「……?」
「詳しい話は本人に聞けば良い。お前は連行だ。奴の元へな。」
その言葉に、反応し、身構える。
「無駄な足掻きだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、カインの身体は言う事を利かなくなった。それだけではなく、身体を縛り付ける何かが這ってくる感覚が襲ってくる。
やがてそれは痛みを伴い縛り付ける。
「がぁ…ぐっ!!」
一体何が起こっているのかカインには理解できなかった。女は言葉を出しただけ。もしかしたらその言葉がこの不可思議なスキルの発動条件だったのかもしれない。
そんな馬鹿な事があってなるものか。考えつつも必死に自分の考えを捨てようとしながらも、無駄である身体の自由を取り戻そうともがく。
「お前に私は殺せない。それどころか触れる事すらできない。」
女の顔には感情など何もなかった。
「い、一体…こいつは……!」
「私は封術士。そう呼ばれている存在。この世界で生まれた全ての対象を管理する。」
―――馬鹿げてる!
カインは心底その事を叫びたかった。
それほどありえない事だという認識だったのだ。伝説の人物であり、封印スキル唯一の保持者にして、生物最強と謳われた存在。
封術士を神と崇める宗教団体が存在するほど、この世界に大きな影響力を持っている。伝説上の人物に贈られた名称である。
「本当なら、とっくに引退していたんだけどね。娘が死に。ジルベルトは逃げ出した。だから、私が未だに現役。そして既に、血は途絶えた。だから、お前に託すのだ。」
初めて、女の瞳が揺らいだ。そこには明らかな悲しみ。
「な、何を……!!」
「世界を、お前に。勇者に託す。往くが良い。時期に勇者もそちらへ行く。」
「ちぃ!」
カインの左腕が動く。
「へぇ。」
指先の形状を変化させて戦闘状態になると左腕は勝手に何かを切り裂いた。
カイン自身、驚くよりもまず身体が順応する。判断は逃走。今回は既に、宿屋後にある路地裏に術式を隠し描いている。
だが、カインは逃げる事が出来なかった。
―――反応しないだと!
カインは思わず顔を顰めて毒づいた。
「だから、無駄だといったはずだよ。その左腕はあたしの管轄外だから無理のようだけど。」
管轄外。
ここにきて、カインは理解した。いや、気付いた。しかし、何処かで受け入れる事を拒んでいしまっていた。
己の託された左腕が自分の想像の遥か上を往く代物だという事に。
そして、目の前に居るのは人を超えた存在だという事に。
一瞬の動作停止。少なくとも、それは隙になっている。普段のカインならばこのように対峙する状態で僅かとはいえ、相手の攻撃もなく、ただ隙を作る事などありえなかった。
それほどの衝撃を受けていたという事になる。
だが、女にはそのような僅かな隙をつく必要もなく、ただ視線をカインに這わせるように固定した。
指を撫でるようにカインに向ける。
次の瞬間、カインの目の前に人一人が入れるような門が出現した。そこから吸い込まれるような力を受ける。
「ぐぅ!!!」
動く事が既にできなかった。
どうする事も出来ず、カインはただ叫びもがくことしかできなかった。
ここにカインは圧倒的な差を思い知らされる。
技術も経験も。まったく役には立たず。ただ目の前の圧倒的な力の前に、自分の歩んできた。培ってきた全てが出し切る事も出来ずに文字通り封術士によって封殺された。
その事実に絶望を感じつつも、何もできずただただ、子供が駄々をこねるかのようにもがくしかできなかった。
やがて辺りは光を失い、元の静寂たる空間に戻る。
「こんな物寄越して……貴方は何がしたかったのよ。」
懺悔でもしたかったのか。覚悟していたのにその覚悟が甘すぎて。自らが護ると誓った者を失った男。
その男の遺言。結局、女は渡されてから開封していなかった。
状況がそれを許さなかったのもある。外からは喧騒が響き渡ってきていた。それでも、確かに、女の顔は寂しそうでありながらも、何処かあやす子を見るように。
その渡された書状を見つめてしまっていた。
「アンナ様!」
一人の男が叫びつつもこの空間、室内に入ってくる。その顔は憔悴していながらも確かにアンナと言った女を見据えている。
「数は。」
既に先ほどのように凛と整えられた顔立ちのアンナがそこにはいた。
「26。既に味方の半数である60名がやられました。」
「いや、十分だ。時間は稼げた。私も往く。撤収しなさい。」
その言葉に頭を垂れる男はまた外へと駆けていった。
味方は精鋭ぞろいだったはず。アンナはそう考えつつも諦めていた。元々、守護者選出が決まってからは試練を与えて選出者を試すのが通例であった。
その試練の厳しさ故に、ここ数百年。勇者は選出されようが、守護者は出てこなかった。それほどの重要な任を持つ。勇者が倒れた場合の代役となる存在。そして勇者を護るのが役割。
だが、ここにきてカインという男が選出された。そこからアンナの周辺は慌ただしくなった。東の翁がカインに古代人の左腕を授けた事も起因ではあるが最も大きなものは、化け物側に古代人の遺跡がある程度の、使用用途を知られていたという事実。
だからこそか。アンナは小さな呟きをこぼしていた。
ここまで迅速に勇者および、守護者の排除に乗り出してきている。
「さて、カイン。行こうか。あんたには是が非でもやってもらわねばならないんだ。勇者が朽ちた場合。あんたが。あんただけが人間の代表となる。」
窓から外を眺め見る。黒煙が天に伸び、人が倒れ、化け物がそれを食らう。異形達が跋扈し、またその化け物を人間が。人間と歩む化け物が防ぐ。
「勇者の選定に守護者の確定。気付くのは仕方ないとしても―――」
―――ここ数百年で一番の戦争になりそうだね。
その言葉は誰にも届く事は無く。化け物がこの部屋に入ってきたときには、誰も存在していなかった。
性急に動いていきます。
強引に。強引に!
勇者は何故人間なのか。そこが大事にしていきたいところ。
カインもまた然り。
それでも、今後の展開を考えるのが大変ではあります。
ここでカイン側を一区切りつけて勇者側の描写挟もうか。云々で悩みますが、書きやすい方を。