第三十話 意味の模索
人間と呼ばれる者達がいる。人間に化物と呼ばれる者達がいる。彼らは今日、化物と呼ばれる者達を殲滅するために、殺すために集い、敢行した。化物と呼ばれた者達は、同族を殺し、人間は異なる者達として殺した。
「うっ…うぇ………。」
夕暮れに靡く旗の下で男は一人体内に巣食う穢れたものを追い出そうと躍起になっていた。辺りには、大地に染み込まれて行くであろう赤黒い液体の溜まりが無数に出来ている。
腕が臓物が、頭が、身体が、血を流し、地に伏せ、屍は時を経て消えていくだろう。カズヤにとって、今回の依頼ほど自分を追い込んだ経験はなかったと自負していた。未だ、覚悟を決める事も出来ずに、彼は依頼を遂行した。厳密に言えば、彼は殆ど何もできなかったのだが―――
カズヤの嘔吐する姿を遠目に見ながらも、ハルカは自分があのような姿を見せる事がなかった事に驚いていた。それと同時に、きっと彼があの姿をしてくれたからこそ、自分は大丈夫だったのかもしれない。そんな事も思っていた。どちらにせよ。ハルカも護衛やイーナ達と同じく殺したのだ。今までの討伐依頼のように簡単な仕事ではなかった。
勇者二人に違いがあったとするならば、これまで生きてきた経験の差である。ハルカは死を何度も見てきた。人間の死を、知り合いの。短い間であったとしても友と呼べるべき者達の死を目の当たりにしてきた。その差が今回の殺し合いで浮き彫りとなった。
それだけに、ハルカにはカズヤをなんとかしたいという思いがあった。それは、本心でもあれば、また何か違ったものであるとも感じられていた。
生き残った人間達は戦後処理を行っている。負傷者の手当てや搬送を行いつつ死亡した者達を埋めていく。その中を、オークは跋扈する。腕の無い者、全身傷だらけの者。彼らは同族を殺し、生き残った。
「ありがとう。」
オークは嘔吐しているカズヤに賛辞の言葉を入れた。そこには、純粋な感謝の想いが乗せられていた。カズヤを含め、その場にいた大多数が固唾を呑んだ。今回の依頼は討伐。紙面上では討伐。事情はこの有様。虐殺。ギルドは大攻勢を持って、オークの縄張りを占領し、皆殺しを行った。
「何が……。」
カズヤは呟く。どろどろ何かが巣食う。
人間と敵対行動を行ったオークのある部族の殲滅。正当性はもちろん、依頼をしてきたオーク側にあった。縄張り争いから戦争に発展し、依頼側のオーク部族の大半は戦死。敵側オークは勢いそのままに周辺へと侵攻し、他種族の縄張りや人間の街を襲っていた。その部族の討伐依頼を勇者一行は受けたのであった。
ギルドは当初から事態を重く見ていたために、討伐隊編成を行っていたのだが、オークが勇者に依頼したのは個人依頼であった。このことにより、二重依頼が発生してしまう。ギルド側としては、本来、ランク指定討伐対象を狩猟したハンターや、傭兵での編成を行っていたのだが、勇者一行が同じ事案にて行動をしている事を把握すると共闘を呼びかけ、勇者側もそれに応じた形になった。
「うっ……。あぁ……何でだよ…。」
カズヤは呟く。震えが消えない。視線が泳ぐ。大地を、己の腕を、吐き出した汚物を。ただ、眺める。
ギルド側としては少数でなんとかできる敵ではない事を知っていたための打診であるし、勇者一行も偵察行動を行ってから、討伐隊編成を考えていた所だったので利害一致していたために、いざこざも無く討伐隊編成は完成していく。
何かが、切れそうだった。
カズヤとしては、依頼を聞いた時、断りたかったはずだ。現に、戦場へ向かう時から顔色が悪かったのを全員が知っている。だが、あのまま放っておく事もできない上に、今回はカズヤが居たから受けられた依頼である。加えて、西の大陸での初戦闘で魔族との戦闘である。経験を積むのにはもってこいであった。
当初は勇者一行も悩みはしたが、ハルカ自身が依頼を受けると言ったのだ。その発言に、イーナはハルカの成長を又一つ垣間見る事ができたと感じていた。
「なんで……。」
カズヤは言葉を搾り出していた。立ち上がりもせずに、自分の手を見つめている。
「お前は、俺達の為に。苦しんでくれている。その行為がただ、嬉しかったんだ。」
オークはカズヤと短いながらも仕事を、食事を、会話を共にした。オークはただ、その中でカズヤは良い人間だという感情を持っていた。故に。オークには彼が自分たちのために苦しみ、同じように悲しんでくれているという考え方に至っていた。
戦後処理で駆け回っていたギルド役人やハンター。傭兵。異人、オーク。70名が参加した今回の戦争。厳密に言えば紛争に近いものに人間が介入したようなものではあるが、勇者一行にしてみれば最大参加人数で初の大規模戦闘。
乱戦の中で、迫り来る凶器を避け、無我夢中で相手を殺す事だけを考えて得物を握り、切り伏せた。敵オークは百数十体はいたはずだ。その全て。雌も雄も子供も全て殺した。
「他意はない。だが、ありがとう。それだけは言える。それだけは。」
オークはこれからどうやって生きていくのだろうか。依頼をしたオークの部族は全滅している。街にいた数体が生き延び、全員が雄。種が滅ぶ事が確定している。そして、彼らオークは生涯に一体の雌しか愛さない事で知られている。
他のオークとの間に種を残すという選択肢はなかった。彼らはただ、日々を謳歌し、自分の達の代で種の歴史が終える事をかみ締めながら生きていく。
「な、あ。何でだ……?」
オークはカズヤに背を向けて去っていった。
「なんでだよ。……何で!」
―――何で、皆。平然としていられるんだ。
カズヤは叫んでいた。
泣きながら、喚き散らした。理解できなかった。
カズヤには、同じ種を平気な顔を斬り殺したオークが、自分にありがとう。といった事が理解できなかった。
そして、周りで平然とした顔で戦後処理をしている人間達の行動も理解できなかった。ハルカ達が平気で殺し、今は話し込んでいるのが理解できなかった。傭兵達が、金の話をしているのが、今後の事を。酒の事を話しているのが理解できなかった。
「俺は、無理だ!アンタらみたいに戦って行けない!俺は、俺には無理だ!」
何かに押し潰される。カズヤは漠然と迫り来る何かに恐怖していた。そして喚く。
全てを投げ捨てたいと心底思っていた。目の前の笑顔が怖かった。殺しをして何故笑っていられる。他の奴らも、人間だからオークを殺していいのか。人間じゃない奴を人間は殺してもいいのか。
何で皆、平然な顔をして行動できているんだ。カズヤには映る全ての光景が理不尽なものとして映っていた。護衛の二人が宥めようとカズヤに声を掛けるがどうにもならない。
肩に手を置けば振り払われる。終いには剣を握っていた。震える腕で震える剣を仲間に向けていた。
その光景を見つめていたハルカは何かに突き動かされた。自然と身体がカズヤに向けられる。彼女の眼に映るカズヤはかつての自分に見えていたのかもしれない。
ハルカには今の彼のように、暴れまわる泣き叫ぶ勇気も、元気も無かった。それだけの差だと。
沸き起こるナニか。言葉は紡がれる。
「じゃあ。何がしたいの。」
抑揚のある声がカズヤに投げ掛けられた。
「カズヤは。カズヤは何をしたいの。今、今後。この大地で、この世界で。」
「な、何を……」
「何がしたいの?何をしたいの?」
ハルカの瞳がカズヤを刺す。感情の見えない表情を作りなすハルカを見て、カズヤは気圧された。
目の前に佇む女性は誰だろう。
誰?カズヤは一瞬、見当ハズレな事を考えてしまっていた。それほど、目の前にいる女性は一体何者なのだろうか。カズヤにはそれほどの別人に見えていた。
「ねぇ。」
「う、煩い」
「じゃあ、どうするの?」
「煩い!」
「何の目的も無く」
「煩いって言ってんだよ!」
「殺してきたの?」
「―――!!」
言葉が出てこなかった。
心臓を掴み取られて、握られている。キリキリと何かが傷む。身体が全て固まったかのように、カズヤは動く事もできず、ハルカを見つめていた。ハルカの顔は先ほどと何ら変わっていない。だが、空気は変わっていた。
今まで殺してきたものが曖昧と浮かび上がっては消えていく。初めて殺したのは小さいゴブリンのような奴だった。カズヤは思い浮かべる。村を荒らし、家畜を殺した魔族を討伐するために、カズヤは村へ行き、魔族の群れを殺した。護衛二人と。
―――どんな顔だった?俺はどんな思いで殺した?どうやって殺した?
「何のために殺してきたの?」
ハルカはカズヤを見つめる。
「どうして、殺したの?」
カズヤがハルカを見つめる。
「何のために、どうして。」
場を支配していた。全員が二人のやり取りを見つめている。
全員が足を止めていた。そして飲み込まれていく。
「考えて。」
ハルカはカズヤの目の前に立った。切っ先がハルカの喉元に向けられている。
既に、震えは消えていた。次第に剣はゆっくりと下がっていき、最後には大地に伏せた。音を立てながら、まるで崩れ落ちるかのように。
「大丈夫。」
頬に触れる。
「大丈夫だって。」
涙を指で拭う。
「ね?」
カズヤは崩れ落ちた。意識を失い、全てをハルカに預ける形で。
「お休みなさい。元気になってね。」
優しく包み込みながら、ハルカはカズヤの耳元でそう呟くのであった。
実際、死体を見るを直視できないですよね。
私は水死体や飛び降りは見た事がありますが、後者は直視できませんでしたね。
吐き気というよりも恐怖でした。死を見たという事に対する恐怖が吐き気よりも強かったのを今でも覚えています。
それにしても、ハルカさんは聖人になりつつありますな。