第二十五話 出会いのち逃亡
影が踊る。眼に生は無い。それでも彼らは楽しそうに笑いながら、舞い踊る。矢が身体に刺さろうと。悲鳴を轟かせ倒れては、また笑みを浮かべて舞い踊る。終わりの見えない舞踏会。
その舞踏会には飛び入りの男が一人。深々とフードを被った男。命を刈り取る刃の嵐を僅か一歩で避けきってしまった。予想外の男。
主役はまだ来ない。それでも時は待ってはくれず。飛び入りの男は渦中へと。
刃が宙を舞う。
数十本という銀色に鈍く輝く命を刈り取るために動く刃の群れの中で、男もまた舞い踊る。
刃はフードを被る男に殺到しては対象を見失い、発見してはまた殺到する動作を繰り返していた。
「チッ!」
フードを被る男、カインにとって相手の初撃を避けてからこの攻撃に脅威を感じては居ない。だが、相手を把握しきれていないのは誤算だった。
相手は操作系スキル持ちである事は予想していた事であったが、これほどの使い手だとは正直考えていなかったカインは、相手を探す事に難儀している。
周囲には複数の気配と影が見え隠れするのだが、それら全てが実像のように息を潜めているのが判る。
カインはその影に仕込み矢を放つなど行うが、影に当たっては悲鳴をあげて倒れこみ、また起き上がるのだ。
結論から言えば、非常に危うい立場に立っている事をカインを肌で感じる羽目になっていた。操作スキルでもかなりのレアスキルと呼べる複数操作。
短剣やナイフを操り攻撃する一方で自分の隠れ蓑を操作し、本体への攻撃をさせない周到さと精神力の高さ。そして何より魔力の質の良さと量。小利口な相手と戦うのは何時も苦労する。カインはそんな事を考えていた。
兎に角、現状の打破を行うために相手を誘き出す事を開始するために、突破口作りを先ほどから行っていたカインは避けながらも仕込み矢を惜しみなく使っていた。
当てる矢と当てない矢を決め、当てる矢は影に当てない矢は壁に打ち付けている。やがてカインの狙う最後の一本が壁に刺さると同時にその壁にに走りこむ。
しかし、近づく前に影が大量に現れて壁を覆ってしまう。カインは初めて唇をかみ締め、悔しがる表情を出す。ローブで顔の半分が見えなくとも、唇を噛み締めれば悔しい事がよく見えた。
「中々。どうして、どうして。」
声が聞こえてくる。
「面白いじゃないか。」
響き渡るのは澄んだ川のせせらぎのように淡いながらも自己主張を忘れない芯の通った若い男の声。カインが矢を打ち込んだ壁に現れた影が人の形を成す。
「操作系スキル持ちは厄介だな。」
―――あれは、魔法かスキルか。いや、生態か?
カインは情報を探るためにこの都市の有力者の息子が住まう屋敷に侵入していた。息子の屋敷には書物が管理されている保管庫があることも相まって、都市を牛耳っているかもしれないのが魔族である可能性の証拠探しと書物の運び出しをしていた。
前者に関しては、有力な物的証拠が出てこなかったために、早々に見切りをつけて保管庫を探していたのだが、どうやらパーティでもあるようでカインにとっては動きにくい状況であった。
「フ、君が軽率な行動を取ったからだろう?」
顔が良く見えないのは全身を覆うおぼろげに漂う黒い物体の群れによって口元以外が隠されているからである。
この屋敷に侵入してから変化があったのは今回のパーティーに呼ばれていた者達が参上し、俄かに忙しさを増すメイド達が動いている時であった。
「興味深いな。」
結果から言えば、自ら罠に引っ掛かったので、自業自得ではある。だが、それでもカインには一つの考えあるのも事実だった。だからこそ、あえて罠に飛び込むような事をした。
あり得ない。可笑しい。自嘲の波がカインに押し寄せてきていたが、不思議と不快に感じる事はなかった。
何処か、既に諦めていたのかもしれない。
操作系スキル持ちということはエーファを操った者の可能性が非常に高かったのである。カインにはアレンよりエーファの記憶の一部を見ていた。そこから、カインは人に愛されている事を知り、その事が純粋に嬉しかった。
その記憶を大事したいという願いとカインに託された敵討ちを。というエーファの願い。そしてイーナとハルカを頼むと刷り込まれたアレンの僅かな記憶もまたカインの中に入っていたのだ。
復讐というカインも行為自体は肯定できるが、嫌悪していた代物に自ら身を投じている事に違和感を持ちながらも、自身もまた人の子である事に安堵してしまった事に自嘲を感じていたのである。
「?」
「どちらが」
だが、それでもカインの勝ちは揺るがない。そこには相手の情報を把握し、己の力量を知っているからこその勝機。
敵は慎重な性格でありながらも傲慢で自己顕示欲が強い。そのために、態々カインに判るように攻撃を行い、回避する事を考慮に入れて遊んでいたのである。そして、カインが講じた策を打ち破り、悔しがる表情を見て悦に浸る。そこには既に、勝ちを確信した薄ら笑いがべったりと張り付かせていたに違いない。
「―――なっ!?」
壁に矢を刺していたのはカインである。それは規則性を持って。敵はどう見ただろうか。一見してむやみやたら。とまでは行かないながらも、その行動を不審に思い、観察していたはずだ。その結果が壁を闇で覆うという行為。そして、カインが出した表情の変化。
「軽率かな?」
その状況、心理状態こそが、全てだった。
だからこそ、敵は姿を見せた。中途半端な慎重さを兼ね備えていたからこそ、カインのやろうとしている事を把握し、表情、動作を闇の中で観察していた。己の闇を過信し、カインの力量を過小評価した。
故の嘲り、故の慢心。
「ガッ…アァ……。キ、キ…ガァ!!」
影の後ろにはカインが立っていた。
その両手に握られる短剣の一つは左わき下より上向きに差し込まれ、もう一本は頚椎へと差し込まれている。血は出なかった。
「なるほど、お前も人形か…。」
カインのつぶやきは、その影が死に、そして蘇生したような錯覚を覚えるほどの纏われた空気の変化からだった。
「―――ハハハハッ!強いなぁ。人間。楽しいものを見させてもらった。人形相手だったことは詫びようじゃないか。」
声質が突然豹変する。カインはその声に狂喜じみた戦士だという印象を受けた。喋っている奴はここには居ないにも関わらず、この声からは殺気が刷り込まれている。
「褒められたついでに質問を何個か宜しいかな。」
カインはさして驚く事もせずに言葉を紡ぐ。その事にご機嫌な感情を隠そうともせずに、声の主は喜々としていた。
「質問?ハハハッ!よし、良いだろう。言うがいい。」
「目的は?」
「何、確認のためだ。強いか否か。それが大切なのだよ。」
「森で女剣士を操ったのはお前か。」
「ん、あぁ。正確に言えば私の人形が。だがな。そうであるとも言えるが、違うとも言える。」
「……何故、人を襲う。」
「聞いてどうするのだね?」
「確かに……そうだな。質問を変えよう。何故、魔界から出てくる。」
「フ、フフフ。言ってしまいたいが、それはそれで余の立場が無くなるのでな。」
「―――少しくらいはいいだろう。」
「フ、フハハハハ!!参った余の負けだ。目的がなければ動きはしまい。だが、侵攻せよと号令は掛けておらんよ。」
「最後に。お前は魔王なのか。」
「―――如何にも、お前達のいう魔王で相違ない。道楽好きな魔王様だ。人間よ、せいぜい楽しませてくれ。こちらは退屈すぎてな。」
それを最後に影は溶け消え、底には血を噴出しながら倒れる青年の死体だけが残った。周りを見れば、死んでいるのは皆、メイドや執事達である。
そういうことか。カインはため息をつくと同時にすぐにその場を後にしようと移動を開始する。
空気が変わっていた。
騒ぎすぎた事を後悔する。しかし、遅かった。
「おい!」
その声が聞こえたと共に、突き刺すような殺気が左より迫ってくる。カインは即座に前転し、迫りくる殺気を回避した。
視線を流し目で送ると右手の壁に深く長剣が刺さっていた。それと同時に殺気が膨れ上がりを見せた事を感じ、囲まれてしまった事を悟るカイン。しかし、未だに冷静さを保っているのは、これまで何度もこのような状態に陥ってきたからである。
形と状況は違えど、殺気と闘争の中で生き延びてきたのはカインであった。だが、同時に長居しすぎた事の後悔もしていた。
「何者だ!」
「貴様……!何故殺した!メイドも…執事も…、皆…皆殺す必要があったのか!」
「………言っても、聞き分けないだろう。」
頭に血が上りすぎている。一見でそうとわかるほど男の一人は憤怒に駆られ、話しかけたわりには、こちらの話を聞こうともしない態度。勇者一行。カインは頭を抱えたかったのを必死に抑える。
今夜、カインが遭遇した茶番は本来勇者一行のために催される予定だったようだ。カインはその事を知らず、一足先に屋敷に侵入し、情報収集しているうちに歓迎を受けてしまった。そして、あろうことに催しを考えた当事者が満足して帰ってしまっていたのだ。
少し考えれば判ったはずだ。今さらながらカインはほとほと自分が馬鹿であったと穴があったら入ってしばらく籠りたいとさえ思ってしまっていた。
あまりに安易な行動をしてしまった自身の行動に悪態をつけたい所をカインは目の前に迫る刃の突きを避けながら中断する。いずれにせよ、予見していた事に自ら突っ込んだのだ。今更、どうこうなるわけでもないと諦めて目の前で起こっている生命の危機に対処する必要があった。
使い勝手が悪いから何度も使いたくは無い。そう思うほどカインのスキルは消費力がとても高く、何度も使えば気絶してしまうし、度を過ぎれば即、死に直結する。それに加えて、条件を整えなければ満足に扱う事もできない代物ばかりである。
先ほどの敵との戦闘で無駄使いではないにしろ、避けられた戦闘だという事と、使わなくても何とかなったかもしれないが、それを度外視しても厄介なモノを使ってしまった事がさらにスキル自体の使用限度を狭めていた。
「カズ…。コイツに何を言っても無駄だ。暗殺者は喋る口を持たん。」
「喋っているのが聞こえんのか。」
「………。」
長身の男はゆっくりと剣を両手に握り抜く。先ほどの一撃は槍使いの男であるが、初撃をはずした後の連撃にこない事から、慎重な性格だろうとカインは予想していた。
「弁明しておくと、殺したのは不可抗力だな。こいつらは魔族に操られていたに過ぎん。」
強いな。全員が全員多様な強さを兼ね備えている。カインは舌打ちを心の中で打つ。どうやら、覚悟を決めなければ逃げる事さえできないようであった。
「貴様……。」
「信じるとでも思っているのか。殺し屋。」
「あぁ。信じて欲しい。」
その言葉の後、カインは冷や汗を流す事になった。膨大な魔力が空間を包み込んでいくのを感じ取ったからだ。
とんでもない内容量と鋭利な刃物を全身に押し付けられているかのような殺気の塊が膨張していく。
その事に全員が気付いている。だが、護衛であろう二人からも緊張している事が良く観察できている。あの二人にとっても、この魔力は想定外か。
あるいは―――。カインは嫌な予感を内部に宿していた。
「…カズ…ヤ。」
「…風?」
室内なのに僅かな風の流れを感じる一同。今まで彷徨っていた殺気や魔力という不可視の爪がカインを斬り付けるかのように向けられる。
カインは笑みを浮かべていた。
これほどの使い手。魔力を感じたのは人生で初めてだったからである。そこには純然たる好奇心によって突き動かされるカインの姿があった。
「死ねよ…。」
真っすぐに突き刺さる殺気。気圧されるように無意識に身体が動きたがっているのをカインは感じている。
カインは恐れている。目の前の青年に。身体が悲鳴を挙げている。
―――逃げろ。殺される。
だが、凍てつくような冷静さを持ちながらもカインには全てを焼きつくような好奇心が介在している。その共存は異端。
故に。
だが、それでも―――
「……勇者か…化物の間違いじゃないか?」
カインは笑みを浮かべ言葉を紡いだ。
殺到する風を横に飛び込んで避ける。右耳から壁の崩れ落ちる音がしたが、そんなものに構っている暇は無かった。目の前に刃が迫っていたのだ。
一瞬のうちに間合いを詰めてきた事に驚く事よりも、防げるか否かの判断を瞬時に行うカイン。
「アァァァ!!!」
左腕から出した短剣を逆手に握り剣身で防御しようと首元に差し出す。ぶつかり合う事による甲高い音が鳴り響くと共に、カインは後方に吹き飛ばされる。受身を取り足で綺麗に着地をするが左腕は垂れ下がっていた。
苦悶のうめき声は沸いてきていない。短剣は粉々に砕け散り、柄と握りの部分しか残っていなかった。さらに腕につけていた篭手も砕け散ったようだ。
ぼろぼろに破れた衣服から欠片が落ちていた。それでも、カインは表情を変えていない。そこには、馬鹿正直な戦い方をしている相手に安堵している事が大きかった。
やはり、勇者は戦闘慣れしていない。動きが直線的で予測が可能で力に身体を使われている。すさまじい速度で交錯する両者だが、そのたびにカインは吹き飛ぶ。だがそれでも尚、致命傷は受けていない。初撃で左腕を壊されただけである。
「おい!カズ!」
「拙いな。完全に暴走しているぞ。」
二人のそんな声を耳が聞いていたのだが、それよりも耳障りな風の音がカインの身体を裂くべく飛んでくる。
それを、再び避けると勇者が何度目かの懐に飛び込んできていた。
両者の視線が合わさる瞬間、カインは笑みを浮かべたと同時に勇者の後ろに居た。
―――俺の間合いだ。
「!?」
「グッ!」
カインは呻き声を漏らす。本当ならば頚椎に短剣を刺し込みたかったのだが、勇者の周りに見えない何かが存在し、身体を傷つける事が叶わなかった。
そのまま見えない鎧とでも言うべき何かは膨張し、カインを吹き飛ばす。風か。カインは痛みに耐えながらも着地する。
勇者は風使いか。一体どんな魔法とスキル持ちなんだ。放射型でありながらも感染付与型をも持つような魔法ともスキルとも言える技を使用していたことにカインは興味をそそられる。
しかし、カインには分が悪かった。正面から戦うには負担が掛かりすぎる。いくら相手が戦闘になれていなくも余力の差が凄まじく、カインは既に左腕が役に立たない上に、その事がさらにスキル使用限度を狭めた。条件付けによりカインの身体は酷使されすぎている。これ以上の戦闘を行えば左腕は治癒者でも直しきれるか不安になるほどの傷だと理解していた。
「何故だ…。何故…。結婚する予定で…。二人は愛し合っていて…それをアンタは…」
カインは殺した青年が何故勇者を呼んだのかを理解した。祝ってもらえる人でこれほど宣伝効果と名誉ある人物は王族関係や著名人だけだろうから、よほど青年は勇者に接触していたのだろう。
「殺す必要がなかったのなら、殺しはしなかったさ。」
「……アンタは…!!」
―――殺さなければ、開放できないんだ。
「なんで、殺したんだよ!!」
今はここから逃げる事を考えなければならない。カインは最後の力を使い込む覚悟を決める。
勇者が再び突っ込んでくるが、カインは仁王立ちでそれを受け、吹き飛ばされる。さらに追撃を入れるために、風の刃がカインを襲うが、それを転がりながら避けると立ち上がるカイン。
準備は整った。後は逃げるのみ。カインはそう思ったが、相手が隙を見逃してくれる可能性は低かった。今までの戦闘から勇者の直線行動は尋常ではないほど素早い。それを考慮するのならば、相手の隙を見てからでないと辛かった。
勇者は立ち上がったカインをにらみつけると剣を前にかかげた。これでお終いにするとでも思わせるかのように。そしてそこに収まる魔力と共に、風がその周りを取り囲んでいく。
拙い。これは、拙い。
カインの全身が総毛立つ。
切っ先から剣何本分かも判らないほど伸びた白い刃。可視化しているがわずかに揺らめき風に戦がれれば消えてしまいそうなほどの儚さを醸し出している。見た目だけは。
あの純白にどれほどの魔力を宿しているんだ。カインは出鱈目過ぎる魔の剣に化けた代物を見て顔を顰める。迷う暇すら惜しい状況が完成していた。
「―――爆ぜろ。」
圧縮されていく魔力の棒は次の瞬間に爆ぜた。耐え切れなくなったかのように飛び消え、一瞬の静寂の後、カインの周りに眼に見えるほどの純白なカーテンが取り囲んでいる錯覚さえ覚える光景が広がっている。
その純白の群れは耳障りな強風を感じさせる音を出し、それが、カインに殺到した。それは、風刃の大群。
抜け出す隙間もないほどの密度で完成された迫り来る刃の牢獄。
カインがその壁に切り刻まれる瞬間。
床が光り、その空間は風同士の激しい対立によって破裂した。
後に残るのは白く発光していた余韻を残しながら消えていく紋様と気絶した勇者に駆け寄る護衛二人だけであった。
一先ずここで区切りかな?
さて…。次からは西大陸編。と言った所ですかな