第十三話 憂鬱な日
夕暮れが煌びやかな光を葉の隙間から差し込ませる森の中。
男は一人、刃を敵の喉下へ突き立てた。魂が抜けていったかのように男の握る短剣にズシリ。重みが乗ってきている。男はただ、敵の瞼に優しく触れて、終わりを告げさせた。
風が、木々を揺らし、葉を擦れ合わせる儚くも騒々しい音が場を包み込む中で、ハルカは立ち尽くし、イーナは崩れ落ちた躯を見つめている。
「カイン!」
ハルカは叫んでしまった。何故、そうなったのかハルカには理解できなかった。ただ、目の前の理不尽な現実を説明してほしい思いで一杯だった。
「どうして!」
「………勇者様。」
「どうして殺したんですか…!」
カインと呼ばれたフードを深く被る男はゆっくりとハルカと呼ばれる勇者へ向き直る。ハルカは顔を引きつらせると共に、顔を背けてしまう。
「君の今の行為が俺の答えだ。」
何時もと変わらない声だった。
「…ッ!?」
カイン顔には僅かな血痕が付着しているがそれをどうこうするわけでもなくただ、その瞳はハルカを見つめていた。
ハルカは目の前で屍となった人間を殺す事ができなかった。
「君の行いで、アレンは死んだようなものだと思わないか。」
「ア、アレンは勇者様を護るのが役目なのです!勇者様の為に死ねたのならそれは―――!!」
「イーナ!!」
「……勇者様!」
「私の、責任…。」
「あぁ、そうだ。」
カインは血に濡れた短剣の刃を拭き、鞘に収める。
「私の」
「でも…私は…私には。」
「殺せなかった。そんな事は既に判りきっている事だ。何故、君は動かなかった。」
「…………。」
「カイン!」
「黙っていろ。君にも責はある。イーナ。何故初動の牽制を怠った。」
「ッ!」
「相手が、エーファだったからか?」
「まさか、敵だったなんて…。」
「今更だな。ハルカ、イーナ。二人はエーファの挙動の怪しさを感じながらもそのままで居た。それが罪だ。」
エーファは操られていた。フードを深く被る男。カインは、再び今しがた、自らの手によって殺したエーファを見つめた。安らかな顔をしている。
カインにはエーファの顔が確かにそんな顔に見えていた。一瞥した後にカインはすぐに他方へ意識を飛ばす。その行為が徒労である事は判りきっていても―――。
既に、エーファと共に襲撃してきた魔族は全てが始末している。第二襲撃するにも今くるという馬鹿な真似はしないだろう。彼らは狡猾だった。
エーファが魔族に襲われている演出を行っていたため完全に勇者一行は後手になってしまったのだ。
エーファは操作スキルによって操られていた。洗脳魔法では説明がつかない運動量の上昇といった付与魔法に似た影響を身体が受けていたからである。
操作系スキル持ちは有視界距離で他者を操作する能力が一般的にある上に、スキル持ちは限りなく少ない。十中八九レアスキル持ちで、魔物を使っていた事から魔族の仕業であるとカインは予測していた。
エーファを助けに入ったハルカはエーファを背中にし、魔物を切り伏せた。決して強い魔物ではなかった。魔物と呼ばれる分類がなされる魔族で、飛行できるが決して高く飛ぶ事は出来ず、人間の身長程度に浮く事が出来る程度の飛行能力。攻撃手段は牙や爪などで獲物に襲い掛かり、首などの急所を傷つけ留めを刺し、捕食する。
アレンはエーファの元に寄ってハルカを援護するべく矢を放ち移動していたが、エーファから禍々しい殺気を感じとり、咄嗟にエーファの剣を握る右手付近の地面に矢を射り牽制行動を行った。だが、エーファはアレンを一瞬視界に収めながらも、ハルカに斬りかかって行ったのだ。その事に、気付いたハルカは初動を避ける事ができたのだが、それは殺気を感じ取った咄嗟の行動でしかなかった。
それがエーファのものだと知ったときにハルカはまったく動く事が出来なかったのである。そしてそれはイーナも同じく、彼女は状況判断が出来ていなかった。二人は優秀な素質を持つ人間であったが、圧倒的に経験と状況把握能力が弱かった。
そして、アレンがその身にエーファの刃を全身で受け、絶命する直前、魔族を駆除し終えて、間に入り体勢の整えなおしを行ったカインに最後の力を使い、アレンはスキルを使用した。
奇しくもそのスキルは魔眼。カインが事の発端となった他者の眼球から記憶を抜き取るスキル。アレンは自分の消えていく命を惜しみなく代価として差し出し、刃を受けた瞬間にエーファの瞳から記憶を抜き出していた。
それをカインに託したのだった。カインに巡る他者の記憶。そこにはエーファが蹂躙される様を最後に途切れていた。左目が赤く右の眼球が全て黒に塗り潰されているような眼と共に。
頭に激痛が走る中、カインの行動は速かった。アレンがスキルを使って託したと理解すると共に、エーファの苦痛を消し去る事。そしてこの場の脅威の排除。
全てを一緒くたに成すにはエーファを殺す以外ない。即座に対峙するカインはエーファの動きとは思えない敵の行動を読むために、避けに徹し、僅かな攻撃の機会を悉く最小の威力で相手に傷を負わせて行った。
カインは相手の出方を伺いながら、エーファにまだ微かに自我が残っている事を祈った。祈ってしまった。
それはカインにとって最後の希望ではあり、自分自身の弱さである事を自覚していた。それでも、カインはそれに縋りたかったのである。カインは人間としてエーファを本気で好いていた。それだけはカインにとって掛け替えのない事実だという事を自覚していた。
果たして、カインの思いがエーファに影響を及ぼしたのかは定かではないが行動に変化が起きる。
瞬きするほどの短さで不自然な身体の停止を掴むカインはその停止こそ、エーファの最後の願いだと受け取っていた。
カインは懐に飛び込み敵が剣を振り下ろす瞬間に左腕に仕込んでいた短剣の剣身を寝かせてエーファの剣戟を受けたのだった。金属のぶつかり合う甲高い悲鳴ともとれる音が響き渡ると共に、敵の。エーファの首には一本の刃が差し込まれ血を滴らせていた。
「過ぎた事だ。説教はもうやめておく。だが、君達二人はもう旅を続けるべきではない。」
カインはそれだけ言うと、穴を掘り始める。二人は未だにアレンの死体の元で嗚咽を漏らしている。カインはため息をついた。話を聞いていたのか居ないのか。
取り合えず、死体は埋葬しておく事にするためにカインは穴を掘った。エーファは自分が好いた人間だったので、畜生どもに食われてしまうのは忍びないという感情からだった。
アレンの方は、カインからすれば腕の立つ弓使いという印象しか持たなかったので別段埋める予定はなかった。
エーファは何時操作されたのか。具体的な時期は掴めない。それでもここに長く滞在する事は拙い事になってくる。勇者一行にエーファを引っ付かせて旅に同行させようと画策していたカインであったが、それが逆に失策となってしまった事を悔いた。
自分が一人で気ままな生活をしていく上でエーファは枷でしかなかったが邪険には扱えなかったのでなんとかしたかったのだが、まさかこういう事態になるとは。
カイン自身もまったくの想定外だった。兎に角、もしかしたらカイン自身も勇者を狙う魔族の標的にされてしまう可能性が高く、既になっている危険性もある。
これ以上この地域で活動しては村に申し訳ないと考えるカインはそうそうに移動する事を決めた。
「どうして…」
「どうして…カインさんは平然としていられるんですか!」
「…………。」
「どうして……どうして…。」
「聞いてどうするんだ。俺が答えて君はどうしたいんだ。」
「私は…。私……どう、どうしたい。判らない…。判らないよ……。」
「勇者様。落ち着いてください。大丈夫です。私が、私が傍に居ますから。」
「…イーナ…。イーナ…!!」
ため息しか出ない。カインはやれやれと頭を振りながら作業を続けた。
「アレンの死体を動物達に食われたくなかったら。イーナが焼くなり、埋葬するなりしてやれ。それが今できる事だと思うが」
「……今……。」
それから、暫くして3人は黙々と穴を掘り。死者を埋葬し、ハルカは手を合わせ小さな石をその上に置いていた。