第11話 仮死の眠りと嘆きの朝
キャピュレット邸の奥深く、夜の静けさが広がるジュリエットの部屋。
銀の月明かりが窓辺から差し込み、彼女の横顔を淡く照らしていた。
ベッドの脇、机の上には、小さな薬瓶がひとつ、冷たい光を放っている。
ジュリエットはその瓶を見つめたまま、震える手を膝の上で握りしめていた。
「……本当に、これを飲めば……すべて、うまくいくの?」
囁くような声が、夜の帳に溶けていく。唇を噛みしめ、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「もし、効かなかったら? もし、本当に死んでしまったら? ……神父様が間違っていたら……」
不安が、波のように押し寄せる。彼女の心に、暗い想像が次々とよぎった。
──地下の霊廟。冷たい石の中で目を覚ましたら? 棺の中で、窒息するかもしれない……。
──それとも……この薬は、本当は毒……? 父や母が望む通りの結婚を拒んだ私を……?
「……違う、そんなこと、あるはずない……神父様を疑ってどうするの、私は……っ」
目をぎゅっと閉じ、ロミオの顔を心に描く。あの夜、そっと額を寄せてくれた優しい瞳。朝の光の中で見た、彼の笑顔。
──ロミオ……あなたに、また会うために。
彼女は震える手で薬瓶を取り、静かに蓋を開けた。鼻をつく薬草の香りに、一瞬ためらいかけるが──
「あなたの腕の中で、目覚めたいの……それだけを、願ってるの」
ぽつりとそう言って、ジュリエットは迷いなく、薬を口へと運んだ。
ごくり──喉を通る冷たさに、全身が震える。そしてそのまま、ベッドに身を沈め、瞼を閉じる。
すぐに、彼女の呼吸は止まり、白い顔には安らかな眠りが宿った。
* * *
翌朝。
キャピュレット邸は、早朝から祝宴の準備で騒がしかった。
召使いたちが花を飾り、台所では料理の香りが立ちのぼる。
「ジュリエットお嬢様ー、起きる時間ですよ! 花婿様が待っておられますよ〜!」
乳母が陽気に歌うように階段をのぼり、部屋の扉を開けた。
「ほら、お寝坊姫。もう……」
声が止まる。
「……お嬢様?」
部屋の中は静かだった。窓から差す朝陽が、ベッドの上のジュリエットを白く照らしていた。
乳母は近づいて、肩に手を伸ばす。
「……冷たい……!」
次の瞬間、悲鳴が屋敷中に響き渡った。
「誰か! 誰か来て! お嬢様が、ジュリエット様が……!」
* * *
「ジュリエット……ジュリエット!」
キャピュレット夫人が駆け込み、ベッドにしがみついた。
「嘘でしょ……! なんで……どうして……!」
その叫びに応じるように、キャピュレット卿が部屋に現れた。
彼の威厳ある顔が、見る見る青ざめていく。
「まさか……今朝が……こんなことになるなんて……」
そしてそこに、婚礼衣装を手にしたままパリス伯爵が立ち尽くす。
「ジュリエット……そんな……目を覚ましてくれ……頼むから……!」
誰もが涙を流し、声を震わせる中──ただ一人、ロレンス神父だけが、静かに十字を切っていた。
「……神よ、どうか彼女にお慈悲を……」
誰も知らない。ジュリエットはまだ生きていることを。
誰も気づかない。彼女の中で、静かに時が進んでいることを。
部屋は次第に、喪の装いへと変わっていく。
祝福の花は黒のベールに包まれ、笑顔の代わりに嘆きの声が満ちる──
「花嫁は永遠の眠りについた……飾りも衣も、すべて葬儀のものへと変えよ……」
キャピュレット卿の声は、誰よりも深い悲しみに沈んでいた。
ジュリエットは、霊廟へと運ばれる。
すべては──再び、愛しき人と巡り会うために。




