第1話 宿敵の争いと恋の嘆き
美しきヴェローナの町に、宿命のように憎しみ合う二つの名家があった。
だがその争いの渦中に──互いの家に生まれた少年と少女が、禁じられた恋に落ちる。
──朝焼けに照らされたヴェローナの石畳が、きな臭い空気に包まれていた。
「おい、見ろよ。あいつらキャピュレットの従者だ」
「おや? これはこれは。モンタギュー家の腰抜けどもじゃないか」
モンタギュー家とキャピュレット家──古くから争いを続ける二つの名家。その従者たちは、市場の広場で偶然にも鉢合わせた。
一人が無言で親指を噛み、相手に向ける。
「それは、俺に向かってか?」
小さな挑発。だがそれは、長年の憎しみの火種に油を注ぐには十分だった。
「やってやろうぜッ!」
次の瞬間、剣が抜かれ、罵声が飛び交う。野菜のカゴが倒れ、通りすがりの老婆が悲鳴を上げる。
血が流れ、怒号が響き、町が混乱に沈む。
「やめぬか、愚か者どもが!!」
その怒声を伴って、ヴェローナの守護者・大公エスカラスが白馬に跨がり、従者たちの乱闘に割って入った。
彼の威厳ある瞳が両陣営を射抜く。
「次にこのような騒ぎを起こせば、命をもって償わせるぞ」
静まり返った空気に、誰もが肩を震わせた。
──ヴェローナの町に、一時の平穏が戻った。
*
その騒ぎから離れた庭園の片隅、若きモンタギューの子息・ロミオは、蔦の絡まる石垣にもたれて座っていた。
「はあ……世界は美しいのに、俺の心だけが陰ってる」
片手には白いハンカチ。そこにはロザラインの名前が刺繍されていた。
ふと、親友のベンヴォーリオが草を踏む音とともに現れる。
「またここに隠れてたのか、ロミオ」
「……見つけたのか。俺の沈黙にすら価値はないというのに」
「おいおい、詩人ぶるなよ。騒ぎがあったってのに、お前だけ真っ白な服で無傷だなんてさ」
ベンヴォーリオは苦笑しながら隣に腰を下ろす。ロミオはため息をつき、空を仰いだ。
「愛って、なんだろうな……ベン。火のように熱いのに、触れれば凍る」
「またロザラインのことか?」
ベンヴォーリオが言い当てると、ロミオは頷きながら額を押さえる。
「俺は、彼女の瞳の中に全てを見た。なのに彼女は、誓いを立てたんだ。“誰にも心を開かぬ”ってな……」
「そんな女はやめとけよ。今度、キャピュレット家が舞踏会を開くらしいぜ」
「宿敵の家だぞ……招かれてなどいない」
「仮面舞踏会だ。顔を隠せば、誰だって貴族になれる。どうせ暇なんだし、俺と一緒に行こうぜ。きっと綺麗な子がいる。ロザラインなんか吹っ飛ぶほどのな」
ロミオは口を結んでいたが、しばらくの沈黙の後、瞳に小さな光を宿す。
「なら……証明してみせる。彼女が一番美しいってことを」
ベンヴォーリオがニヤリと笑う。
「よし、それでいい。恋の病に効くのは、新しい恋だけだ」
その夜、ヴェローナの空に浮かぶ星々は、まだ知らなかった。
──仮面の奥で交わる運命が、あの悲劇の序曲になるとは。