表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/20

第十九話「天下統一、静かなる勝利」

第十九話「天下統一、静かなる勝利」

長安城頭に漢の旗が再び翻ったことは、天下の趨勢を決定づける転換点となった。大将軍・録尚書事となった馬謖は、勝利の熱狂が冷めやらぬ中、すぐさま関中一帯の統治体制確立に着手した。彼は過去の記録と自身の経験に基づき、公平な税制を敷き、戦乱で荒廃した土地の復興を奨励し、法と秩序を厳正に布いた。何よりも、漢王朝の正統性を広く民衆に知らしめ、人心の安定を図ることに心を砕いた。成都の陳祗との連携も密にし、関中は急速に蜀漢の新たな、そして強固な基盤へと変貌していった。


一方、関中という戦略的要衝を失った魏の司馬昭政権は、深刻な動揺に見舞われていた。敗戦の責任、内部の権力闘争、そして日に日に増大する蜀軍の脅威。国力は目に見えて衰退していく。それでも司馬氏は、残された力を振り絞り、洛陽周辺に最後の防衛線を敷き、必死の抵抗を試みた。


数年の歳月が流れた。関中を完全に掌握し、国力をさらに充実させた馬謖は、ついに魏に対する最後の戦いを開始した。もはや彼に、かつてのような未来を垣間見る力はほとんどなかった。だが、彼は動じない。集められた膨大な情報、練り上げられた緻密な作戦、そして姜維、王平をはじめとする、数多の死線を越えてきた仲間たち。それらを信じ、彼は冷静に、しかし着実に魏軍を追い詰めていった。潼関での死闘、黄河を巡る激しい攻防。蜀軍の士気は高く、馬謖の采配は的確であった。対する魏軍は、内部の不和も露呈し、蜀軍の前に後退を重ねる。


そして、景耀八年(西暦265年)。ついに蜀漢軍は、魏の首都・洛陽を完全に包囲した。城内にはもはや抗う力はなく、魏帝・曹奐は、実権を握る司馬炎(司馬昭の子)と共に、白旗を掲げて降伏した。曹操が興し、一時は中原に覇を唱えた魏王朝は、ここにその歴史の幕を閉じた。漢室再興へ向けた最大の障壁は、ついに取り除かれたのである。


洛陽陥落と魏の滅亡。その報は天下を駆け巡り、江南の呉王国を震撼させた。共通の敵を失い、今や単独で強大化した蜀漢と対峙しなければならない。長江の天険という頼みの綱はある。しかし、国力、兵力、そして勢い、その全てにおいて差は歴然としていた。呉の都・建業の朝廷では、降伏か抗戦か、国論が二つに割れ、激しい議論が日夜繰り広げられた。


陸遜の子、陸抗は、呉軍の誇りを胸に徹底抗戦を叫んだ。「長江を盾とし、水軍を駆使すれば、蜀とて容易には渡れまい! 孫呉の意地を見せる時ぞ!」彼の言葉は、多くの将兵の心を奮い立たせた。

しかし、穏健派の重臣たちは、冷静に現実を見据えていた。「国力差は明らか。無益な戦は民を苦しめるだけだ」「蜀の馬謖は仁政を敷くと聞く。あるいは、我らの国体を保つ道もあるやもしれぬ…」呉帝(孫休)は、両者の間で苦悩した。


その呉の動揺を見極めた上で、蜀漢の丞相(魏滅亡後、馬謖はこの最高位に就いていた)となっていた馬謖は、武力による性急な侵攻を避けた。彼は、かつて自身が学んだ「心を攻める」戦略と、過去の蜀呉間の不信の歴史を繰り返さないという決意に基づき、外交交渉による解決を目指した。

馬謖は、能弁な使者を建業へ送った。使者は、呉の朝廷に対し、蜀漢の威を示しつつも、驚くほど寛大な臣従の条件を提示した。

「漢王朝の宗主権を認め、皇帝陛下に臣下の礼を取るのであれば、呉王の尊号と地位は永代に渡り保証される。江南の広大な土地は、今後も呉王家による高度な自治領とし、独自の法や慣習も尊重する。江南の豊かな交易も、漢帝国の保護の下で、より安全に発展させることができよう。これは、呉の国体と民の安寧を保ち、新たなる漢帝国の一員として共に繁栄する道である」

それは、呉の誇りを一定程度認めつつ、実利をも提示するものであった。ただし、この大幅な自治権の容認は、将来的に統一王朝の安定に課題を残す可能性も秘めていたが、馬謖は、目先の完全な併合よりも、無用な流血を避け、長期的な融和を優先する道を選んだのだ。


無論、馬謖は外交だけに頼ったわけではない。彼は長江沿岸に大軍を展開させ、軍事的な圧力をかけ続けた。また、間諜を通じて呉内部の穏健派と連携し、臣従論が優勢になるよう工作も行った。

陸抗ら抗戦派は、最後まで抵抗の意志を示したが、国力差は覆いがたく、また蜀が提示した条件は、厭戦気分の広がる民衆や兵士たちの心を捉え始めていた。陸抗自身も、呉への忠誠と、民の未来の間で、苦渋の決断を迫られた。


数年に及ぶ、粘り強い外交と圧力。その結果、ついに呉の朝廷は、抗戦を断念し、「漢への臣従」を受け入れることを決定した。興漢五年(西暦270年)。呉の最後の皇帝は、建業の宮殿において、蜀漢の使者を前に、静かに臣下の礼を取り、伝国の玉璽を献上した。三国時代は完全に終焉を迎え、天下は再び「漢」の名の下に統一された。そしてそれは、大きな戦乱を経ることなく達成された、稀有な「静かなる勝利」であった。


成都では、天下統一の報に、民衆の歓喜の声が天地を揺るがした。長安の宮殿にいた劉禅も、涙を流してその成就を喜んだ。前線で戦い続けてきた姜維や王平もまた、長年の宿願が達成されたことに、深い感慨を覚えていた。彼らは、かつて街亭で絶望の淵にいた若者が、幾多の苦難を乗り越え、ついに亡き丞相の夢をも超える偉業を成し遂げた姿に、心からの敬意を表した。


しかし、その偉業の中心にいた丞相・馬謖の表情は、晴れやかさの中にも、どこまでも静かで、深い思索の色を帯びていた。彼は、洛陽の宮殿の一室で、窓の外に広がる、統一された広大な版図を眺めていた。

(…終わった。長きに渡る戦乱の時代は…)

彼は、自身を翻弄し続けた予知の力から、完全に解放されていた。未来は見えない。だが、それでいいのだ。見えないからこそ、考え、備え、仲間を信じ、最善と信じる道を選び取る。その過程こそが尊いのだと、彼は知った。外交という、血を流さない戦いで天下を統一できたことも、彼にとっては大きな意味を持っていた。

(これは、武力による征服ではない。対話と、相互の利と、そして平和への希求が生んだ、静かなる勝利なのだ…)

彼は、亡き孔明、そして費禕の面影を胸に描きながら、静かに目を閉じた。漢室は再興された。だが、本当の戦いは、この平和をいかに維持し、真に豊かな国を築いていくか、これから始まるのかもしれない。その重い責任と、未来への静かな決意を胸に秘めながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ