第十二話「北伐の旗、新たなる戦い」
第十二話「北伐の旗、新たなる戦い」
延熙十六年(西暦253年)、蜀漢の頂点に立った馬謖は、まず国内の安定に全力を注いだ。費禕の突然の死がもたらした衝撃は大きく、国全体が動揺していた。彼は大将軍・録尚書事として、持ち前の冷静さと分析力、そして記録書記官時代に培った実務知識を駆使し、内政を預かる陳祗と緊密に連携しながら、乱れの兆候を見せていた綱紀を粛正し、人心の安定化を図った。その政務処理は的確かつ迅速であり、当初は彼の若さや過去を不安視していた者たちも、次第にその手腕を認めざるを得なくなっていった。
彼は執務室に籠もり、膨大な報告書と格闘する日々を送った。各地の太守からの報告、税収の記録、軍の編成状況、そして魏や呉からもたらされる諜報。それらを比較検討し、問題点を洗い出し、対策を講じる。記録書記官としての数年間は、彼に、国家という巨大な機構を動かすための、地道で基礎的な知識と視点を与えてくれていたのだ。
そして、その執務の中で、彼は自身の内に宿る不可解な力――予知夢――とも向き合っていた。時折見る断片的な未来の光景。例えば、ある地方で続く日照りから、深刻な旱魃へと発展するかもしれないという予兆。あるいは、北方の国境付近で、これまで比較的大人しかった羌族の一部に不穏な動きがあることを示唆するイメージ。彼は、それらの情報を鵜呑みにすることは決してなかった。曖昧で、解釈が必要で、そして何より、自分の行動で変わってしまうかもしれない不確かなものだ。しかし、完全に無視することもできなかった。彼は、予知で得た「懸念」を、公式な報告や他の情報と照らし合わせ、裏付けを取りながら、可能な限り現実的な対策へと繋げようと試みた。旱魃の兆候が見える地域には、陳祗と相談の上で、事前に食糧備蓄の強化や用水路の整備を指示する。羌族の不穏な動きに対しては、姜維にそれとなく注意を促し、監視を強化させると同時に、懐柔のための使者を送る準備を整える。それが常に成功するとは限らない。時には杞憂に終わることも、逆に対策が裏目に出ることもあった。予知能力は、彼にとって便利な道具ではなく、むしろ判断を惑わせ、精神をすり減らす、常に注意深い扱いを要する劇薬のようなものだった。
一方で、彼は姜維との関係にも心を配った。北伐への情熱を燃やすこの若き将軍を、ただ抑えつけるだけでは、いずれ大きな不満となって爆発しかねない。馬謖は、姜維を執務室に呼び、その軍才を高く評価していることを改めて伝え、北方の守備だけでなく、来るべき北伐に向けた具体的な準備(兵士の訓練、兵站ルートの調査、羌族との連携強化など)の一部を彼に任せることで、そのエネルギーを建設的な方向へ向けさせようとした。
「姜維将軍、貴殿の力は、必ずや北伐成功の鍵となる。今は焦らず、来るべき時のために牙を研いでほしい。私も、その時を見極めている」
姜維は、馬謖の言葉と、具体的な任務を与えられたことに、一定の納得を示した。しかし、彼の心の奥底には、依然として「なぜ今ではないのか?」という焦りと、馬謖の真意を探ろうとする思いが燻っていた。二人の間には、協力と牽制が入り混じる、微妙なバランスの関係が続いていた。
そんな日々が数年続いた。延熙十九年(西暦256年)。蜀の国内は安定し、国力は着実に回復していた。兵糧の備蓄も目標に達し、軍の再編と訓練も進んでいる。一方、魏では司馬師が病没し、弟の司馬昭が権力を継承していたが、その基盤はまだ盤石とは言えず、国内には依然として反司馬氏勢力や、皇帝との対立といった不安定要素を抱えている。
馬謖は、集めた情報を丹念に分析し、そして自身の内なる声(それは予知というより、長年の思索と経験から来る確信に近いものだった)に耳を澄ませた。そして、ついに決断した。
(…時、至れり)
その日、成都の朝廷は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。大将軍・録尚書事である馬謖が、後主・劉禅と重臣たちを前に、重大な発表を行うという知らせが伝わっていたからだ。居並ぶ文武百官の視線が、静かに玉座の前に進み出た馬謖に注がれる。
馬謖は、深く息を吸い込み、顔を上げた。その表情には、数年前の自信なさや苦悩の色はなく、最高指導者としての覚悟と威厳が満ちていた。
「陛下、ならびに諸卿。長らくお待たせいたしました。今こそ、我らが亡き丞相・諸葛亮孔明様の御遺志を継ぎ、漢室再興の大義を果たすべき時が到来したと、この馬謖、確信いたしました。これより、我が蜀漢は、再び北伐の旗を、高く掲げん!」
その宣言は、静かだが、確かな決意の響きをもって、広間にこだました。一瞬の静寂の後、場は大きな興奮と熱気に包まれた。
馬謖は、冷静に言葉を続けた。
「無論、これは血気にはやる無謀な戦ではありません。この数年間、我々は国力を蓄え、兵糧を備蓄し、軍備を整えてまいりました。そして、ここに、周到なる計画を練り上げております」
彼は傍らの者たちに巨大な地図を広げさせ、具体的な作戦計画の概要を説明し始めた。まずは、魏の力が比較的及びにくく、かつ我々と連携可能な羌族が多く住む隴西地方を最初の目標とする。決して焦らず、兵站線を確実に確保しながら、一歩一歩、着実に進軍し、関中への圧力を高めていく。それは、かつての街亭での自身の失敗を、骨の髄まで反省したからこそ立てられる、現実的かつ粘り強い戦略であった。
(…丞相、ご覧ください。私は、あの過ちから学びました。そして、貴方の夢を、今度こそ…)
彼の心には、北伐成功への決意と共に、再び失敗するかもしれないという恐れ、そして、この決断がもたらすであろう未来(予知ではもはや見通せない、未知の未来)への重い責任感が交錯していた。だが、もう迷いはなかった。
「この戦いは、我々蜀漢の総力を挙げたものとなります。多くの困難が待ち受けているでしょう。しかし、我々には丞相が遺された大義がある。そして、それを成し遂げるだけの覚悟と力が、今の蜀にはあると、私は信じております! どうか皆様、この馬謖と共に、この大業に臨んでいただきたい!」
馬謖の力強い言葉と、緻密に練られた計画は、集まった者たちの心を強く打った。
「おお! 大将軍! よくぞご決断を!」
真っ先に声を上げたのは、姜維であった。彼の顔は、抑えきれない喜びに輝いていた。「この姜維、大将軍の先鋒として、必ずや涼州を切り開いてご覧にいれまする!」
陳祗ら、これまで内政を重視してきた者たちも、馬謖の計画の現実性と、その揺るぎない決意を目の当たりにし、異論を唱える者はいなかった。一部に残っていた古参の将軍たちの不信感も、この数年間の馬謖の指導力と、今回の周到な準備の前には、もはや影を潜めていた。
孔明の死、費禕の死という大きな悲劇を乗り越え、蜀漢は再び、「北伐」という大きな目標の下に、心を一つにしようとしていた。大将軍・馬謖の掲げた旗の下、新たな、そして真の戦いの幕が、今、静かに、しかし力強く上がろうとしていた。彼の胸には、重い責任と、未知なる未来への覚悟、そして、亡き師と恩人の遺志を継ぐという、静かな、しかし燃えるような決意が宿っていた。