第二話 初めて興味を持ったもの
それからというもの、俺は椎名さんがピアノを弾ている日だけ、音楽室にお邪魔しては、椎名さんの演奏を聴いていた。
そのこともあって、クラスで時々話すようにまでなった。
中学時代だったら、からかわれていたかもしれないが、高校生になってそういったことでからかってくる人はいなかった。
というか、俺の友達にそんなことでからかってくる人がそもそもいないから、それはそうか。
そして、今日も今日とて、椎名さんの演奏を聴いている。
最近の日課は、演奏を聴きながら読書をしたり、勉強をしたりすることだ。
椎名さんに一応聞いたが、『良いよ』とのことだったので、勉強などをさせてもらっている。
それよりも、ここまで、椎名さんの演奏を聴きに来ていること自体、俺にとっては異常なのだ。
そもそも、俺は飽き性なので、やりたいと思ったこともすぐにやめてしまうことが多い。
だけど、かれこれもう一週間ぐらいは過ぎている。
だから、これは異常なのだ。
それに、最近は早く椎名さんの演奏を聴きたいと心の奥底から、思うようにまでなってしまっている。
いつもだったら、やりたいことができても心から思うということは、なかなか少ない。
皆がやっているから、たまたまCMで流れてきたから、なんとなくやってみよう。
のように、表面的なものが多かった。
心からやりたい、と思ったことがあるのは確か幼少期以来な気がする。
気が付いたら、心の奥底からというものが無くなっていて、忘れ去られていた。
だから、俺には『何もない』ということになっていたのかもしれない。
皆にとっての普通が、俺にとっての異常だとしても、今、この時間だけは、だれにも邪魔されたくないし、大切にしたい。
演奏を聴きながら、考えごとをしていると椎名さんが演奏をやめて、話しかけてきた。
「ねぇ、四谷君ってさ、音楽とかに興味があるの?」
「ううん。あまりなかったかな」
「なかった?」
「うん、なかった。逆に言ってしまえば、今はあるってことになるのかな」
「そうなんだ。じゃあさ、せっかくだし、弾いてみない? ピアノ」
大切そうにピアノを見てから、俺を見る。
俺は戸惑ったが、やがて答えを見つけ、口に出す。
「うん。弾いてみたいかな、たぶん無理だけど」
「そういうこと言う人は、大体できてしまうのが鉄則じゃない?」
そんなこんなで、ピアノを弾くこととなった俺は、まずは、音符の読み方から始まった。
どれくらいたっただろうか。
俺には、音楽の才能がないのかもしれない。
なぜなら、音符というか楽譜が読めないからだ。
「俺、ピアノ無理かも」
「大丈夫だよ! 初めてなんだし、私も同じだったから」
少し寂しそうなでも、遠くを見ているようなそんな目をする椎名さん。
『同じ』という言葉に引っかかって、俺は聞かずにはいられなかった。
「こんなに上手いのに、『同じだった』ってどういうこと」
「えっとね。私も始めたときは、全然、楽譜が読めなかったの。大体、耳コピで、なんとなくで弾いていたから」
最初は戸惑っていたが、椎名さんは、昔のことを話してくれた。
「私ね、ピアノを始めたきっかけがあって、小さい頃、たまたま家族と出かけたの先で、ストリートピアノを弾いている人がいてね。その人、人の前でも堂々と弾いていたし、何よりも、とても楽しそうに弾いていて、『私もあんなふうになりたい!』って憧れたのがきっかけだったんだよね」
椎名さんは、俺に向けていた視線を外して、ピアノの方を見る。
それから、ピアノを指でやさしくなぞった。
「それでね、幸い私の親戚にピアノを弾ける人がいて、その人のお家にピアノもあったから、貸してもらって、その人に教えてもらってたんだよね。でも、中々できなくて、『やっぱり、やめた方があきらめた方がいいんじゃないか』って何度も思ったんだよね。でも、諦めきれなかったし、それに弾いているときどうしようもなく楽しかった。だから続けていたら、今では、弾けるようになったんだよ」
再び、椎名さんは顔をあげ、俺と視線が合う。
「私の初めて興味を持ったもの。大切だったもの。だからってのもあると思う。でも、続けていれば、できることもあると思うんだよね。だから一緒にがんばろ。四谷君」
「......! そうだね。がんばるよ。久しぶりに、幼少期ぶりに心の底から、やりたいと思えることだから。興味を持ったことだから。夢中になれることだと思うから。だから、大変だと思うんだけど、教えてくれないかな?」
椎名さんは、微笑む。
後ろが窓で、光が差し込んでいるからか、天使のように見えた。
「もちろん。これから、気長にやっていこうね。改めて、よろしく。『四谷 慧人』君」
「こちらこそ。『椎名 瑚都音』さん。それと、俺のことは『慧人』でいいよ」
「じゃあ遠慮なくそう、呼べせてもらうね。じゃあさ、慧人君。私からも一つお願い。私のことは『瑚都音』って呼んでくれると、嬉しいかな」
「瑚都音...さん。......でいい?」
「うん!」
俺たちは、互いに名前で呼び合うことになった。
茜色の太陽に照らされた音楽室で、こうしてまた一歩踏み出したのだ。
『何もなかった』俺が、『音楽』という興味を持つことができたものを始めることを。
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