無意味な異世界風単位、やめないか
『この国の貨幣は小銅貨10枚で銅貨1枚、銅貨10枚で銀貨1枚の価値で……今回の報酬は銀貨6枚と銅貨5枚だ』
『1メテルが大体地球の1メートルだ』
のような文章、なろうファンタジーで見かけたことがある人は多いだろう。
世界観の肉付けのために使われるだろうこの表現にあえて言いたい。
それいる?
まず貨幣問題。日本の貨幣に置き換えてみて欲しい。
『この国の貨幣は1円玉5枚で5円玉、5円玉2枚で10円玉で……。今回の報酬は100円玉6枚と10円玉5枚だ』
650円でいいじゃん!
わざわざ読者に算数の問題を出す意味は多くの場合、無い。
さらに難しいものだと金貨表記と価値表記がごちゃ混ぜになって「金貨50枚の中から6,000ギルだけ取った」のように目が滑る文章も読んだことがある。せめて金貨に揃えて欲しい。切実に。
わざわざ金貨表記を使いたいなら、それなりの納得できる理由が必要じゃないだろうか。
例えば複数の種類の金貨がある場合や、物理的に金貨が存在することに意味がある場合なんかだ。
『手数料は取られるが、皇国貨に交換していきな。こんな古臭い硬貨じゃ都会ではパンすら買えないよ。今のレートはレオ銀貨7枚で皇国銀貨5枚だよ』
『旅人かい?かさばる硬貨より宝石の方が持ち運びしやすいよ。この辺りじゃ安く買えるトルマリンのブレスレットなんてオススメさ。ひとつ如何かね』
『銀貨アタック!!さっきの報酬銀貨30枚は、靴下に入れてならず者の頭をぶん殴るのに十分な金額だった』
『看板に銅貨が三枚描いてあるだろう?ここいらの奴は文字も読めないし計算もできないから、こうやって絵にするし、ひとつずつ交換してくんだよ』
……みたいに、ただ650円等と金額を示すだけじゃ出来ない事はいくつもある。そのような表現の為なら金貨表記を使うのも納得がいく。そうでなければわざわざ100円玉6枚なんて表記を使う意義は薄いんじゃないだろうか。
続いて、独自単位について愚痴りたい。
メテルだのグラーだの、メートルグラム単位をもじって異世界感を出そうとする作品も多く見かける。が、なんでそこだけ翻訳しないの?と言いたい。
例えば尺貫法で動く異世界があったとして。
『10尺先に4匁ばかりの石、ありけり』と異世界語で話しているのを『3m先に15gくらいの石があった』と小説内で表記するのになんの問題があろうか。
(メートル法ほぼ互換の)独自単位にこだわる割に、野うさぎだのジャガイモだの金だの、それっぽい物を地球産品種名そのまま輸入して使ってるのも不思議だ。
ウサギっぽい(のに好戦的だったりする)胡乱な生き物や馬と呼ばれる異世界騎乗動物は、きっと地球と違った部分がある異世界品種のはずなのに、日本語小説にするにあたって慣れ親しんだ品種名に雑ローカライズされているようなのだ。
ルシのファルシがコクーンでパージされても意味がわからないから独自用語を減らしたいのも、わかる。
だったらこだわるべきはメートル単位の置き換えじゃなくてその価値観をずらした方がいいんじゃないだろうかと思う。
『この世界のトップアスリートは100メテルの距離を10セカンで走る』
よりも
『この世界のトップアスリートは100メートルの距離を4秒で走る』
の方が異世界にならないだろうか。
高レベルの冒険者はたった500kgの棍棒なら軽々と振り回すし、1週間で4000kmくらいなら走れる。
そんな風に、安易な単位フレーバーで満足せずに、異世界を味付けして欲しい。
そんな、一読者のワガママ。