「師範代」の「代」を「師範」への敬称だと勘違いしている少年と、普通に「代理」や「補」程度の意味だと理解している少女のお話
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、事件、法律、国家、宗教、言語などとは一切関係ありません。
坂大 紫は困惑しつつも、常からの習慣に従い、己に能う限り冷静に状況を見極めようとしていた。
「もう一度言います! どうか俺の師範代になってください!」
困惑の源は眼前の少年、門家 誠である。
剣術道場からの帰り道、石塀木塀に囲まれた住宅街の交差点にて、彼は危機に陥っていた。
前方には鈍器や鎖を構えた不良グループ。
左方には涎を垂らす野犬の群れ。
右方には縄と頭陀袋を持った黒覆面の集団。
そこへ後方からやってきたのが、肩に担いだ鞘袋に真剣を納めて住宅街を闊歩する少女、則ち紫であった。
なお、4者の内、この時点で明確に法を犯しているのは紫のみである。
それはそれとして、鞘袋に納めたままの刀を振り回し、三方の苦難を適当に追い払った紫は、腰を抜かして這い蹲る誠に礼と自己紹介を受けた後、前述の様に頼まれたのだ。
(俺の師範代になれ、とは……?)
紫は表情を変えぬまま、内心にて首を傾げた。
単語の意味は判る。
「俺」とは誠自身のこと。
「師範代」とは「師範」の代理、「師範」の次席として門下生を指導する免許、或いは役職を意味し、ある程度の権限を持って師範の代理や補佐を行う権利を持つ。
「部長」に対する「部長代理」、「測量士」に対する「測量士補」、「蟹」に対する「蟹蒲」。それが「師範」に対する「師範代」。
その上で、「師範代になれ」とは?
免許になれ、というのは流石に理解しかねる。
役職になれ、というのであれば理解できるが……しかし、「俺の師範代」とは?
単純に文法的に考えて、最も妥当性が高いのは、「俺」は師範であり、その代理を務める師範代になれ、ということだろう。
とはいえ、状況から考えて、この場合の「俺」――誠少年が何かの師範を務めているとは考え難い。紫を師範代に任じるというなら、師範である誠はそれより高い技術や知識を持つ自負があるのだろうが、それならば不良と野犬と強盗集団に囲まれた程度で動けなくなるのも不自然である。
道場剣術としては一流でも実戦経験がない、という可能性はあるものの、それでも道場で教える分には不都合もないし、初対面で他流の紫を勧誘するのも如何なものか。
となれば、「俺の師範代」――この言葉はつまり、紫を師範代レベルの実力であり、実際にその免状を有していると見抜いた上で(実際に紫は坂大流剣術の師範代であった)、「俺だけの師範代になってくれ」という螺子の外れたプロポーズ紛いの独占欲を発露したのではあるまいか。
十分に有り得る話である、と紫は考えた。
「只でとは言いません! 師範代として雇わせてください!」
と、ここでまた風向きが変わる。
彼は今、「師範代として雇う」と言った。文字通りに受け取れば、金銭の支払いを以て、師範代の役に就けということだ。これは即ち、「金を払うから師範代の役割を演じろ」と、自分の道場で師範代として師範――恐らく彼自身だろう――の代わりに剣を教えよという意味に相違あるまい。自身を表看板として最上位に置きつつも、実際には経営者として剣は握らず、門下生への指導は腕のある者に任せようと言うのだ。
現状、紫は金銭に困っている訳でもないし、まるで従う義理も道理はない。
悩む迄もない、断ろう……と紫が思った所で、また話が変わる。
「ど、どうか、俺の、しふぉっ……げふっ、しふぉんだいになってください!」
黙ったままでいた紫に対し、焦りを感じたのか、誠少年は咳き込みながら再度頭を下げた。
しかし、今度は先程までとはまた文言が異なる。
(しふぉんだい……シフォン代、か……?)
まさか、今までも「師範代」ではなく「シフォン代」になるように頼まれていたのか。
シフォンとはフランス語で襤褸布を意味する言葉だ。柔らかい布から、転じて絹織物のことも指す。あるいは、その柔らかさから更に転じ、メレンゲをベースにした柔らかい菓子、シフォンケーキをそう呼ぶ場合もある。
いずれにせよ、初対面の相手をその対価、シフォン代にしようと言うのは、あまりに無礼だ。
しかし、どのようなシフォンを想定しているのかは判らないが、流石に現代日本において人一人をシフォンの対価とすることが有り得るだろうか。紫は茫漠とした瞳の奥で思案する。
幾らかでも時代を遡れば、口減らしを兼ねて子どもを僅かな対価と引き換えにするような時代もあったろうし、それが我が子ではなく、通りすがりの相手を拐かしてという場合もあったろう。であれば、そのような考えをする者がいても、不思議はない?
紫には判断が付かない。それでも、判断が付かないなりに、警戒心を高め、剣を構える。
ところが、それを見た誠少年は、劇的に反応した。
「! 俺に稽古を付けてくれるんですね、師範代!」
何故そのような理解になるのか、紫には理解できない。そして、やはり「師範代」は「師範代」であり、「シフォン代」ではなかったらしい。ならば、何故突然「シフォン代になれ」と言い出したのか。紫には何もかも解らなかった。
判らないものは斬り、解らないものも斬る。坂大流剣術とは、そのような流派であった。
斯くして振るわれた一撃は、誠少年の額を正面から痛打し、彼の脳裏に焼き付いた。麗にして暴。直にして騒。その時の紫の持つ限りを込めて振るった剣を元にし、誠少年は後に門家流警棒術の開祖となった。
町に小さな護身術道場を開いた彼は、その時になって初めて、「師範代」が「師範」の敬称ではないことを知ったのだった。
おしまい。
実際の師範代の役割は、分野や流派によって異なりますので、必ずしも作中の通りの立場とは限りません。(が何にせよ「師範代」は「師範」の尊敬語ではないです)




