赤鬼と獏 一
2025.04.17 タイトル修正
2025.04.19 さらにタイトル修正
夜更け、大きな橋を渡る。遠き昔には国境を示した事もある、広い川面の上に架けられた橋である。淡い夜の、薄い雲にかかるは僅かに欠けたる十四日月。
果さて、胸に抱えし幾望は叶うものだろうか。願わくは万事恙なく矛を収めればよいが、そうは問屋が卸さぬだろう。
「クソぉ……覚えてろぉ」
「聞き飽きたわ」
すぐ前で白い息を吐く刺青の愚痴は止まらない。劈くような大声ではないものの、こうも続けば流石に耳障り。頭垢の目立つ長髪の上から革鞘に納めた段平で小突く。
手のある獲物は、先の諍いで案内役が振るった広刃の拵えである。
捨て置いても良かったが何処か惜しくもあり、鞘ごと奪い取った。手入れを怠り刃に汚れが目立つものの、研ぎ直せば一縷の望みはあるやもしれぬ。
「痛ってぇなぁ、ソレで刺すのヤメてくれなぁいっ⁉」
「ならば文句を言わずに道を示せ。何なら次から抜き身でも構わぬぞ?」
丁寧に脅してやると語尾を濁し、そのまま押し黙る。漸っと文句を零せば痛い目に逢う、と学んだようだ。疎らな街灯と行き違う車の前照灯を道標に、己の根城へと先導する。
故あって、騒ぎの後から始まりし二人旅。因縁を結んだ商店街からは遠く離れ、今は背後で眩く放つ灯火の一部となる。進む先にも光芒は拝めるが、見比べるもなく進む先にある篝火は小さい。
「にしても、の」
思わず唇から呟きが漏れる。正直、川を越えるまで歩くとは夢にも思わなかった。
彼是、半刻は歩いたというのに、目的地は未だ先。元より修行にて鍛えた足腰の御蔭で疲れは微塵もない。
が、先を進む刺青はそうもいかぬらしい。先より足の上がりが悪く、躓きかける機会が増えた。明らかに歩き疲れた様子に、頭が傾かぬよう先に押さえてしまう。
川向うから徒歩で辿れぬ道程にも関わらず態々押し寄せ、迷惑を無理強いする何とも曲がった性根。地に深く根を下ろした在郷の民を蔑ろにするのは図々しいと言うしかあるまい。
羽虫は光の強い方へ寄ると言うが、邪な者も同じなのだろうか。
「あぁっ、文句あるぅ⁉」
悪口と早とちりした刺青が牙を剥く。いちいち食って掛からねば、気が済まぬのか。
「別に。縄張りが広いと思ったまでよ」
皮肉の積もりであったが、どうも理解できなかったらしい。気を良くした刺青はふん、と自慢げに鼻を鳴らす。
「当ったり前っだろぉ。オレらはなぁ、未来のぉ支配者様ぁだぜぇっ」
「支配者?」
楽し気に喉で転がした嗤笑を聞き留め、つい繰り返してしまう。
「あぁっ、世界を牛耳ってやるんだからなぁ!」
当惑した反応が面白かったのか、刺青の語り口は一層の熱を帯びた。
「覚えておけよぉ⁉テメェは未来の主人にぃケンカを売ったんだぁ。楽に死ねると思うなぁ⁉」
どうやら既に支配した気でいるらしい。余りに大きな風呂敷を前にして、頭から困惑が溢れ出す。激しい奔流に手で抑え込むしかない。
いやはや。その話が真であれば、日ノ本は暗澹たる未来しかないようだ。
「では聞くが、苦しめて殺すのは誰の仕事となる?其方では難しかろう?」
少々、調子付かせてしまった。天狗となった相手の浮かれた頭へ冷水を浴びせると、声の下から赤らめた顔を強張らせる。
「うっせぇ!多目がやってくれるだろうよっ!」
唾を飛ばし吐き捨てる様は何処か悔し気。獲物を奪われて腹が立つのか、それとも別の思惑か。
「あ奴が一番強いのか?」
多目。空中回廊で出会った黒眼鏡の名。恐らくは淡緑を統べる頭目。
念には念。少しでも相手を知れれば、その分だけ正しい判断を下せる。即ち先を読み、優位を奪える。
ならば、知り足りぬという事は無い。
「あぁ、強ぇよっ!それにぃヤベェ。一度スイッチが入れば止まんねぇ。それこそ殺しちまうまでなぁ」
引き出すだけ引き出そうと尋ねれば、大きく舌打ちしながら振り向く。半身の横顔に張り付く顰め面は何処か苦々しそうだ。
「あの緑の毒を取り込んでか?」
「毒う⁉」
気掛かりとなる方へ話を向けると、此方に向けた片眉を怪訝そうに跳ね上げる。軽く頷くと、横顔の眉間がさらに険しくなった。
「アレはぁ毒じゃねぇっ!GBっつうんだよっ!」
「じぃびぃ?」
英文字を繋げればなにかの略称になるのは知っているが、何を意味するのか見当つかず。学んだ知識から引き出すとしても、符号する言葉は見つからない。
「グリーンボーイに決まってんだろぉ!分っかんねぇのかよぉ」
額に手を当て黙念を始めた途端、苛立たし気に言い捨てた。だが知りたいのは名前ではない。
「で、使うのか?」
「当ったり前ぇだろっ!」
腹底に溜まった感情をそのまま叩きつけた。
「なんか知らねぇけどぉ、多目にゃ相性イイんだよっ!一度キメりゃあ、誰ぁれも手が出せねぇ」
口の端を歪める刺青からは黒眼鏡への心服は感じられぬ。どうも桃園の契りを交わした仲では無いらしい。
「左様か」
これ以上、根掘り葉掘り聞き出そうとすれば、訝しがるかもしれぬ。此処までとして話を切った。
黒眼鏡とは一度、手合わせしているものの力量を測るには足らぬ。
GBなる毒を呷れば読み切れるものではないし、抑々一騎打ちを応じるのかも分からぬ。問答無用とばかりに囲って襲われれば手は無い。
恐らくは先走ったのだろう。
万川集海に能案内を知らずしては仕損じ多し、とある。相手の居場所、人の数と配置、逃げ道、罠の位置を予め知るは第一の要。
だとしても今宵、押し入るのを選んだ。一度戻って準備を行うならば、相手にも猶予を与える。今なら相手は何も知らぬし、急襲されるとは微塵も思ってないだろう。
後は己の裁量と、天運に任す他ない。さて、これから振る賽の目は丁か半か。
「結局、全ては天意に従うまでよ」
何気なく出た言葉は冬の名残を含んだ寒風の中へと消える。刺青はもう見てはいなかった。
更に四半刻。幅広の台車が悠々と交差する大通りから外れ、九十九に折れる夜闇の道を二人して進む。
月明かりの下に浮かぶのは何処も彼処も手入れが行き届かぬ荒れた小道。脇には背の低い藪が続き、舗装が割れた先からも顔を出す。
立ち並ぶ軒先から行住坐臥の残り香を感じるものの、余人の気配はない。打ち捨てられ、忘れ去られた世界に迷い込んでいた。
「さぁ、着いたぜぇ」
其の惑いし道の奥、行き止まった所に向け刺青が顎をしゃくる。
「ココさぁ。オレ達のぉアジトぉ」
その先を目で追うと成程、悪巧みするにはうってつけの根城であった。
光源を受け入れるのを拒み、鬱蒼とした深い夜闇に溺れる建屋。酷い壁の汚れが闇の色味を深め、窓は内側から貼られた板張りで内側を隠す。
曲輪を示した低く薄い塀に立て付けた門は半ば外れ、赤錆を浮かせて朽ち果てていた。饐えた匂いが鼻につくのは、建屋全体が臭気溜まりの中にあるのだろう。
闇に溺れているにも関わらず烏がひと鳴きし、逃げるように羽撃いて南の夜空へ消えた。
「真か?」
「ウソついてぇどぉすんだよぉ」
用心を重ねて疑いの言葉をかけるも、即座に否定される。
「多目とぉヤんだろうぉ?止める理由はねぇなぁ」
「お前等の頭目が負けるかも知れぬぞ?」
「それはぁイイねぇ」
何処か嬉しそうな嫌らしい笑みを浮かべた。何を望むのかまで明白にまで透けた、暗い期待で濁った卑しい目。何方に転んでも良いようだ。
「でさぁ、もぅイイだろう?」
背を見せ、後ろ手に縛られた手首を差し出した。三尺手拭は解け目もなく、しっかと固めたまま。
「ここまで付き合ってやったんだぜぇ、解いてくれたっていいだろぉ?」
懇願のつもりか、卑しくほくそ笑む刺青。何かを企んでいるのだろうと一目で分かる態度に少し逡巡する。戒めを解くのは吝かではないが、出し抜こうと下らぬ行いされるのも気分が良いものではない。
「分かった。だが勘違いするな」
とは申せ、この者には役目がある。手枷を手拭へと戻しつつ、肚から力を込めた言葉を送る。
「其方は先触れ。話をつけに男が一人参ったことを主に伝えよ」
縛った本人が解くのだ。時を待たずして、戒めは一本の手拭へと戻っる。
「っ!」
と、外すや否や、自由となった男は勢い良く振り返って唾を吐きかける。来た。半身で唾沫を避け、返す刀で手にした手拭いを武器にして振るう。
ぱんっ、と火薬の発破音に似た短く硬い音が鳴る。手首を絡める目算が外れた。相手は手合せを望まず、一目散に根城の入口へと向かう。
「ハハッ!アバヨぉっ!オツムの足りないノータリンっ!」
捨て台詞を残して門を飛び越え、大きく口を開けた暗い小広間の奥へと消える。暗影に隠れた高笑いが壁に跳ね返って響いた。
「全く」
想定通りとはいえ、釈然とせぬ思いに首から先が曲がる。折れぬよう掌で包むしかない。
陽中陰術四カ条のひとつ。二人で行き、一人は返って一人は留まり入る事。
二人して敵の主人宅へ押し入る時、一人は戸に寄って隠れ、残った一人は戸から離れて家人を呼び、案内を乞う。主人を知る者からの使い、と言って。
家人は取り次ぐ為、主人の元へ向かうだろう。その後を隠れ忍んだ一人が追えばよい。
然すれば、狙うべき主人の元へと労せずして行き着く。刺青には案内を乞う役と主人の元へ向かう家人の役、二役を演じて貰ったのだ。
その習いに沿い、奥へ消えた刺青を追う。丹田から幾つもの姿無き腕を飛ばしながら。
建屋の奥に巣食う害意を探る触覚の網には、人の気配は掛からなかった。
感じ取れるのは廊下の曲がり角と要所ゞで間仕切られた立板。内部を迷路に作り変えたようだ。更に足元を危うくしたいのか、箱や本、何かの水溜りが彼方此方に放置されたまま、好き勝手に床を汚す。
「多目ぇっ!あのガキを連れてきたぜぇ!」
手柄を誇示するかの如く、薄闇の先から誇らしく響く声。梟の眼持ちか、吹き溜りの住人の習わしか。雑多な道を苦にもせず、家人は騒がしく進んでいた。
だが、気付かぬのか?
奥に進むにつれ、臭気が変わっていく様を。腐臭から鉄を含んだ血の匂いへ。長い年月を経て固着した錆びた汚臭ではない。正に今、流されたばかりの冷たく鋭い香り。
息を変える。薄く、浅い二重息吹。いかな変化も見逃さぬよう目を配り、動きが遅れぬよう静かに腰を落とす。知らず知らずに足の運びを変えていた。幾分か膝を真上に上げ、爪先から足を置く。抜き足、差し足。故に忍び足。
「多目ぇっ?何処だよぉっ!?おおいっ!誰かぁ、いなぁいっ⁉」
刺青も遅れて感付いた。声音に戸惑いを含ませ、迷宮を突き進む。
一歩進む度に血臭は濃度を増した。鼻を拭い、口を濯いだ唾を飲み込む。何もせずとも、進むだけで口腔は血の味で満たされた。
どれほど進んだか。刺青が上階へと歩みを進めたのと同じく、真っ直ぐと伸びる廊下から上階へと歩みを進める。
その先にある、仄かに明るい階段の下で足を止めた。この場所だけ目張りを張り忘れたのか、余光が一角の闇を希薄する。
「在竹ぇっ!コレってぇ、どういうコトぉっ!」
泣くとも困るとも判断つきかねる顔で奥へ声を投げかける。然れど、踊り場に立つ坊主頭は答えない。背後に闇を従え、涙と鼻水に塗れた顔が見下ろす。
「多目はドコぉ!ホラぁっ、ガキが追いついたじゃんかぁ!何があったんだよぉ!」
尋常ではない、と肌で感じたのだろう。狼狽え戸惑いを吐き出しながらも、坊主頭には近寄ろうとはしない。直感は正しい。血腥い死臭は彼の奥から発するのだから。
鯉口を切る代わり、段平の留め金を指で弾く。仲間内でも話し合いは進まない。一方的に刺青が叫ぶ中、彼我との間合いを推し量る。
刺青と坊主頭にある隔たりは、斜め上へ凡そ一間。階段下から此の足元までの平地は二間。どちらが動いても、応じる猶予はある。
「取込み中、失礼」
殊更に平静を装い一歩、また一歩と間合いを見極め割って入る。右手は隠し物入れの中へ、左手は逆手ですぐ握れるよう、段平に当てながら。
「何か知らぬが、此方は用が合って参った。多目なる者に取り次いでくれぬか?」
と願い出ても、返ってくるのは沈黙ばかり。坊主頭は滂沱の涙を流しながら口を開くが、声を発せずにいた。
ただ、時を同じくして背後の闇が揺らぎ、影が渦を巻き徐々に深まる。
怪しむべき事柄が起こった。
坊主頭の両足が床から離れ、頭は徐々に虚空へと釣り上がる。首から下をゆらゆらと力無く、風に靡いた柳の様に揺らぐ。
「っ!」
暫く宙空に留まる哀れな不良。異様な光景を前に、暫し固まってしまう。
其の間隙を縫って、唐突に坊主頭の胸から刃が生えた。縦に赤い筋を引いて突き出でる二振りの刃。
ぶぼぉ、と口から鮮やかな赤い花を咲かせ、瞳孔が裏返った。確実なる致命傷。胸板を貫いた熱い感触を最後に味わい、絶命を待つしかない。
「ぶひゃあぁっ!」
惨劇を目の当たりにした刺青が絶叫する中、上体を二対の刃で突かれた骸は昏き虚空を楕円を描いて踊る。
暗闇の中で糸を引く力に贖う術は無かった。有り得ぬ力の作用で暗闇の中を大きく三回転。そのまま腰から床へ崩れ落ちた仲間の元へと飛翔する。尋常ではない速さに贖えず、受け手は飛びついた肉塊に勢いよく押し倒される。
「くっ!」
刺青に感ける暇は無かった。階下に降り立った重苦しい影から目を離すのは危うかった。影は密度を増した黒き塊へと変わり、揺らぎながらも通路一杯を蓋する。
くぉぉぉぉっ!
地の底から沸き上がるような咆哮が肌を震わせた。突風に似た衝撃を真正面から受けてしまい、目を細め歯を食い縛る。その間だけ、影を垣間見るしかなかった。
故に、再び目にした変化は筆舌に尽くし難い。
「あっ、あ、あぁ……」
上半身を骸の返り血で染め、肉塊の横から顔を出した刺青が巨漢を指差す。その先が激しく震えるのも無理はない。
闇から生まれ落ちた黒き塊は人の形を模っているが、人と呼ぶには躊躇われた。
面廊を一杯に塞ぐ巨躯の丈は七尺余り。天井まで届く隆々たる二の腕は壮年男子の胴回り、腿もひとつで同じ幅はあるだろう。
丘陵に見違うまでに膨張した全身は赤黒く脂光りを返し、太く割れた鋼筋の表皮から白い湯気を立てる。
見下ろしてくる粗削りの顔にあるは、赤き光点を発する眼に筋肉質の鼻と頬肉。岩の裂け目に似た唇はきつく結ばれた一文字。
眼前に相対する巨大な異相異形。額に立派な角があれば赤鬼と呼んで差し支えなかった。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




