けじめ 三
2025.04.17 戦闘部分を若干修正
2025.04.19 さらにタイトル修正
刺青の手に握られた細長い小瓶は手の内に隠れ、全ては見通せず。だが、指の隙間から覗く濃い緑の液体は見て取れた。
「其れは?」
得体の知れぬ物を目の前に身構えると、持ち主は不敵に笑う。
「コレかぁっ⁉街でぇ出回るぅ粗悪品じゃぁねぇぞぉっ!」
出回る?街で?
的を得ぬ返事を前にして眉根を寄せるも、刺青は無視して瓶の突端を自らの首元へと押し当てる。
「キャッハァーッ!コレでぇ形勢逆転だぁっ!」
言い切るより早く、突き出た瓶の根元を指で押した。泡立つ音が微かに鳴り、中身が見るゞと減っていく。
何処へ消えた?決まっている。刺青の体内へ、だ。
「キタキタキタキタ――ッ!」
口元が恍惚の笑みで引き伸ばされ大きく反り返る。何度も全身を引き攣らせ嘶けば、昏き夜空へ向けた咆哮が狭い路地を駆け抜けた。
異常は身体にも現れる。
首元の皮が盛り上がった。血脈の管が目に見えるまで膨らみ、折り重なった淡い緑の筋が脈を打つ。
穢れた蚯蚓腫れは首元を皮切りに全身を這い巡った。首元は言うに及ばず、手首、そして顔の彫りの下にも達する。
「コレコレッ!コレだよぉっ!キッくぅっ!」
縦横に入り乱れる淡緑の脈道が瞬く間に広がる中、本人は狂乱に興じるかの如く、狂った笑みを浮かべたまま。
瞼を閉じされぬ程まで突き出た眼球は薄緑色に濁り、その上を両の眼が忙しなく動き回る。
絶叫が終わる頃、其の様を人と呼ぶには大いに憚れた。
「化物」
相応しい言葉が口をつく。
南蛮の蒔絵と共に伝わる話を思い出した。悪魔という禍神と魂を引き換え、望みの物を得るという昔話。其処に出てくる禍き醜魔と瓜二つ。悍ましき変貌に、眉を顰めるしかない。
成程。他人を見下し、他人を蔑み続けた挙句、人間である事を捨てたか。
「ゲヒャヒャヒャヒャッ!ざぁんねぇんっ!」
狂った嬌声を上げ終え、刺青の成れの果てが長い舌を伸ばす。ゆるりと上げた顔には狂乱に満ちた笑み。
「コレでぇテメェにぃ、勝ち目はぁねぇっ!黙ってぇ殺されろやぁっ!」
血走った目を覆い切れぬ上瞼が僅かに下がった。目を細めたのだろうか。
「其れは口惜し」
間違った自尊心で人に非ざる姿へ変化たとて、人の言葉までは捨てぬ、か。
妙な心残りにむず痒さを覚え、つい緩んだ返しとなった。
だが、お気に召さなかったらしい。途端に波打つ唇を戦慄かせ、大きく歪んだ口を開く。
「スカしてんじゃぁ、ねぇよぉっ!」
ひと回りほど厚みを増した腕を怒りのままに振り下ろす。用済みとばかりに投げ捨てた空き瓶は固い音を立て地面から跳ね返った。
その音が合図。
淡緑の妖怪へと変化した刺青の足先が前に出る。と思えば、瞬きする隙もなく間を詰める。
速い。今まで取った拍子が崩れ、反応が遅れた。明らかな失態。
「死ねやぁぁつ!」
暴風を巻き起こす横殴りの一撃に、数本の髪が逃げ遅れて犠牲となった。喧嘩慣れした輩とは言え、明白に人が放つ圧ではない。
どうにか人外の一撃は頭を下げてやり過ごせたものの、勢いに当てられた。上体が思いの外、前に流れてしまう。
其処を狙われた。
「おぅるぅあぁっ!」
迂闊に近づいた顔面を狙い、魍魎の左膝が飛ぶ。一直線に迫る膝頭を既の所で見切り、素早く身を横へと逸らす。豪風を纏い唸りを上げた膝は頬を掠めて通り過ぎた。
「っ!」
肌に擦れた熱い感触。歯噛みしつつ、足裏に力を込めて踏み込む。そのまま横へと転がりながら飛び退き、彼我との間を空ける。
分が悪い故、持ちたる術はひとつしかなかった。
「キャハッ!なんだそりゃあっ!」
一方的な攻勢、相手は反撃の糸口も掴めずに防戦で手一杯。
傍からでも分かる優位、気を良くしたか、化物が唇を震わせて吹き出した。
「ちょぉっとホンキ出したらぁ、そのザマかよぉっ!どうしちゃったんですかぁ⁉」
口元を晒して高笑い。嘲り満ちた笑渦に狙われ、薄汚れた視線が肌を刺す。
其れでも返せる言葉を持ち合わせておらず。反論の余地なければ当然。ただ口を閉ざしたまま、ゆるりと身を立ち直すしかなかった。
火の出る程まで赤くなった羞恥の顔を、掌で隠したまま。
「本当に、どうかしておるな」
真。此処で三病のひとつを患うとは。
恐れず、侮らず、考え込まず。万川集海で散々学んだにも関わらず、この為体。
其の様で良くも先刻、大言を叩いたものだ。今の姿を古里の者に見せてみよ。きっと同じ様に腹を抱えて笑うだろう。
「少々、小馬鹿にしていたようだ。済まんの」
情けなさを心の隅へ仕舞い込み、一呼吸。腰を落とし仕切り直す。
其の所作が癪に障ったか、淡緑の妖魔が放つ笑い声は忽ち鳴りを潜め、怒号へと変わる。
「だからぁっ!スカすなってぇ、言ってんだよぉっ‼」
醜悪に崩れた顔を更に醜くひん曲げ、淡緑に染まった拳で殴り掛かる。
が――
「ぶぅるぅあぁつ!」
肩を引く動きに合わせ顎を引けば、大きな拳は空を切り。
「きぇええぅっ!」
左足先の出方を見定めれば、右上段の回し蹴りは簡単に捌かれ。
「ぞぉるぅあぁっ!」
次々と繰り出す剛腕の連撃も、打って変わって当たる気配すら無し。
当然だ。既に見切っているのだから。
例え速く動けたとて仕掛けが丸分かり。裏を掻こうとする動きすら出鼻から透けて見える。
寧ろ、振りの大きい雑な攻撃に終始した。緑の怪物へと堕ちてまで得た邪な力に振り回されている。此れでは当たれと言われる方が難しい。
「ケヒャヒャっ!手も足もぉ出ねぇってぇかぁあっ!」
それでも相手を読めぬ、読む気さえ思慮の外にあるのだろう。薄草色の魔物はご機嫌なまま攻撃を続ける。相手に手を出させぬ程、圧倒的に押し込んでいるに違いない。
「出して欲しいのか?」
「はぁっ⁉」
「手が良いか、それとも足か。好きな方を選べ」
驕りではなく、怒りを誘う挑発。相手から賢察を奪う為の策。釣り針は大きいが、単純な相手には丁度良い。
「っざけんなぁっ!」
乗ってきた。肩をより怒らせ、何度も拳を振り回す。元々から単純な立ち回りが更に雑になる。
ならば。読みも狙いすら無い殴打を避けつつ、逃げ惑うように路地の壁際へと身を寄せる。
「死ねぇっ!」
大きな肩を引き絞った西洋被れの正拳突き。好機と見た一撃は顔の脇を素通りし、其の向こうにある壁を手荒く叩く。低く重い音が耳元で震えた。
「ぐひゃあぁっ!」
引き散った悲鳴が上がる。間髪を容れず怪人は殴った手を押さえ、悶絶する顔を作った。化物に堕ちたとて、固い壁を殴れば痛いようだ。
「何方も必要では無かったな」
余程、強く殴ったのだろう。もう使い物にならないと、傍から見ても瞭然。手の甲の一部が酷く歪んで盛り上がり、赤く腫れ始める。骨のひとつは折れているはず。
煽ったとは言えど自業自得。策に乗って頭に血を滾らせ、見境を失った。意図も読まず、勝手に思い上がった己の浅慮を恨め。
「クソがぁっ!」
それでも化物の習性か、引かぬ痛みを堪えながら拳を振るう。気概は立派。だが思考する余裕すら失い、ただ闇雲に振り回すだけ。
「手が所望か」
幼稚な攻撃が届く前、鋭く鳩尾の下へ一撃。狙い違わず拳は急所のひとつ、電光へと食い込む。
「ぐおっ!」
強かな一撃で横に傾く化物の身体。肝臓の上を抉ったのだ。えも言えぬ重い痛みが襲うだけではなく、暫くは尿に赤いものが混じるであろう。
「足か」
右の脇腹だけ痛むのは収まりが悪い。呻く緑の妖怪を押して後ろに退かせると、出来た隙間を使って右脚を打ち下ろす。しなりを加えた中段蹴りは左脇腹の急所、月影を穿った。奥にある膵臓も悲鳴を上げるに違いない。
「ぶぇっへぇっ!」
急所に二撃も与えれば十分。間合いを取り相手の出方を伺う。
人体の重要な器官を立て続けに痛打すれば、淡緑の化物は両脇を抱え膝をついた。其のまま身体を前に折り、喉奥から込み上げた反吐を吐き出す。泥に似た黄土色が混じる緑の汚物が彼の足元に広がる。
「て、テメェ」
下から仰ぎ見る瞳には敵意で満ちていた。いや、視野にある全てが憎む敵なのかも知れぬ。
「ゆ、許さねぇからぁなぁっ!」
口の端から泥流を溢し、怨言を吐く。震えて伸びる手の先には、先に見かけた細長い小瓶。
再び怪異へ化ける気か。思い通りなどさせぬと許に、刺青の拳ごと小瓶を蹴り飛ばす。
赤橙色の火花が飛び散り、小さな閃光が弾けた。人気のない小道で花弁を開いた彼岸花。
靴裏に仕込んだ火種が反応したのだろう。が、驚くしかない。僅かとはえ、燃える様な代物を体内に取り込んでいたとは。
「ぐぎゃあぁぁっ!」
刺青が焼けた手を押さえ、右へ左へと地面を転げ回った。裏返った絶叫が薄汚れた闇に溶ける。
「大袈裟な」
小さい溜息をひとつ。弾けた火花は極々小さい。手の皮の上辺だけを焼いた程度であろう。騒ぎ立てる程でもない。
喚き散らす口を塞ぐ為、地面を暴れ回る首根っこを掴み、引っこ抜く。
「な、なんだよぉ!」
涙と涎、吐瀉にも塗れた緑の濡れ鼠が睨み返した。何という執念。此処まで無様な姿を晒してもなお、悪増の念だけは捨てぬとは。
ならば、その大元を絶とう。
僅かに力を込めて締め上げ、落とした。
落とした緑の化物を腹這いに転がし、懐から取り出した三尺手拭を使って後ろ手に縛り上げる。ついでに足首も。此れで目が覚め暴れたとて、再び押え付けられるのは容易となる。
淡緑の化物は幾分か人の形を思い出した。
全身を巡った緑の蚯蚓腫れは跡も無く引いた。突き出た出目金の両眼も奥へ引っ込み、肌の色も戻りつつある。元通り、とは言えぬものの邪鬼の如き姿の面影は消え失せた。今ならば、辛うじて人と呼んでも差し支え無い。
「さて」
身動きを奪ったところで相手の懐を弄る。物入れの全てに手を突っ込み、目的のものを探す。
やはりあった。
緑の水で満たされた小瓶が五本。掌に収まる大きさの細く長い瓶だ。
どうやら形の変わった注射器の様である。透明な材質ではあるが、硝子ではない。終端には小さく細かい針がみっしりと並び、もう一方は蓋のような大きな釦。
此れが刺青を化物へと変えた薬、いや毒か。
激しき毒を好んで欲する者が居るとは俄に信じられぬ。が、東の都は人が多い。手前で縛り上げられ転がる刺青と同じく、分別危うい者が数多くても不思議ではない。
試しにひとつだけ手に取り、針を下に向け釦を押してみる。
と、饐えた匂いと共に幾筋の緑液が地面を汚す。鼻を曲げる程の悪臭に顔を背けてしまった。
「うぅ……」
余りの腐臭が気付けとなったか、それとも手の痛みか。重たげに首を動かし、半目を開けた瞳孔に生気が宿る。
「何だぁ、コレぇ⁉縛られてるぅっ⁉」
気が入った途端、騒がしい声を上げた。後ろ手に縛りあげられる己の身を驚き、のた打ち回る。
「解けぇっ!ダレかぁ、助けてぇよぉ!」
が、手足が不自由では芋虫が地を跳ねるだけ。化物から芋虫に変化させられ、這う事さえままならず転げ回る緑の虫を見下ろす。相手も気付き、噛みつかんばかりに口を大きく開いた。
「オイッ、テメェッ!無事で済むと思なぁっ!」
耳を貸すにも値せぬ罵声、立場を弁えず駄々を捏ね始めた。仕方ない。喚き散らす赤子の鼻先へ力強く足を踏み込む。地面から風船を割る音が鳴り、埃が舞った。
「ひぃっ!」
傷口が開いたか、一瞬にして青褪める刺青の鼻穴から濁った血が垂れる。それきり、喚き声は聞こえなくなった。
「問うことがある。答えてくれるか?」
声を掛けると刺青は大きく首を縦に振る。流石に敵わぬと悟ったか。ならば話は早い。
「残りの二人は何処だ?近くには居なかったようだが」
あの晩で見かけた三人組の内、此度のいざこざで出くわしたのは刺青だけ。他の二人は影すら見かけなかった。特に頭目らしき黒眼鏡が気掛かり。
「ふたりぃっ!?誰のコトぉっ⁉」
が、やはり要領を得ず。あれだけの騒ぎを起こしてこの有り様。目出度い鳥頭との会話に、つい頭を抱えてしまう。
「本当に覚えてないのだな」
「だからぁ、何のコトだってぇっ!フザけんじゃぁねぇぞぉ!」
逆に苛立ちを募らせる刺青。鬱憤した感情を隠そうともせず目尻を吊り上げる。
「七日前の晩、回廊で小太りの出歯亀を殴りつけたろう。その後に何があった?」
此処までお膳立てし、ようやっと過去を思い起こす事にした様だ。まじまじ睨む事、数瞬。澱みの消えた目が大きく見開かれる。
「ああっ!あの時のぉっ!」
ようやっと思い出したか。安堵の息と共にしゃがみ込み、緑の芋虫を目を真っ直ぐ見据えた。脅すでもなく、睨むのでもなく、ただ両の眼で相手を強く見射る。
「答えてくれるな」
だが、刺青は視線を外し、口を閉ざした。
「もう一度聞く。 其方らの頭目は何処に?」
繰り返したものの、変わらず逸らしたまま。多分に答えたくないようだ。
仕方ない。立ち上がり、緑の小瓶を指に挟んで見せつける。元の持ち主であった顔に驚きと焦りが相乗りする。
「ソレはっ!」
野太い悲鳴を上げる刺青。構わず、次の毒瓶を落として踏みつける。足裏と地面の間で線香花火が再び花咲いた。
「ばっ、バカ野郎ぉっ!いくらで取引されているかぁ、知ってんのぉっ‼」
「知らぬ」
続けて三度目。過ちを戒めるように処分する様を眼の前に見せつける。何方が上か、足りぬ頭でも分かったであろう。
「あっ、あっ……あぁっ…………‼」
口を開いたまま呆然とする刺青。心做しか息苦しそうにも見える。その目と鼻の先に最後のひとつを翳した。
「これが最後だ。何処に居る?」
「……アジトだよ」
観念するまで時は要しなかった。項垂れ疲れ切った声でぼそり、と呟く。
だが、黒眼鏡の居場所を確かにするには大いに足りぬ。毒を満たした瓶を手の裏へ引っ込め、さらに問い詰める。
「其処は何処だ?」
名残惜し気に毒瓶を目で追うが、この期に及んで再び口を噤む刺青。
このままでは埒が明かぬ。足を縛った手拭いを解き、腰の革紐を掴む。そのまま力任せに持ち上げ、無理に立たせた。
「うぉっ!これならぁあっ!?」
涙目で慌てふためいた挙げ句、愚かにも逃げる素振りを見せる緑の芋虫。許されると思うか?羽も生やさずには飛び立てる訳も無く、首根を押さえ後ろ手を絞り上げる。
「まぁ、落ち着け。悪いようにせん」
大人しくなるまで徐々に力の加減を加える。苦悶で押し黙るまで時は要しなかった。
「な、何をぉさせるぅ、つもりぃっ」
手の内で藻掻く愚者にも確り通じるよう、ゆっくりと強く言い聞かせる。
「根城まで案内せよ。連れて行け」
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




