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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
六 花さそふ 嵐の庭の
52/53

邯鄲の夢、覚めて煉獄 三

 足裏で起こした火花が気化した毒に燃え移り、唐突な烈光が視界を覆う。

 鼓膜を突き破る業火の雄叫びと、肌を突き刺す重い衝撃。甘い悪臭も、飛翔する野狗子(やくし)も、何もかもを呑み込み、吹き飛ばす。

「ぐぅっ!」

 膨れ上がる熱の波浪に押し出され、身体が打ち上がった。

 咄嗟(とっさ)に身を丸め、腕で顔を(かば)うのが精一杯。吹き飛ばされた勢いの(まま)、瓦礫(まみ)れの床に叩きつけられる。

 寸前、五点倒置で身を護ったのは、長年の修行で培った血肉の(わざ)か。

「……っ!」

 だとしても。痛めつけられた身体には酷。(うずくま)った儘、冷や汗が額から滲み出る。

「……うぅっ…………っ!」

 無理を重ねた身体は、既に限界を越えた。

 左腕、背中、右肩、そして脇腹。内臓も(いささ)か毒に侵され、身を(むしば)む。

 満身創痍。()れど、眠るには日付も回り、夢見るにも些か遅過ぎた。痛む五体を叱咤し、顔を上げる。

「ギャアアアッ!」

 野狗子の放つ奇声が、炎が巡る瓦礫の山に響き渡る。

「熱イッ!熱イィッ!」

 緑の泥の上で、水提灯(ちょうちん)が火達磨となって転げ回った。空を舞った翼は焼け落ち、残った身体も灼熱の衣に纏わりつかれる。

 怪異の威容も今は昔。三尺(九十センチ)にも満たぬ水袋は、赤い焔と緑の水蒸気に煽られる。焦げた異臭が鼻先を掠めた。

「アアッ早クッ!次ノッ、器ヲォッ!」

 水袋の下から、辛うじて焼け残った腕が伸びる。裸火の帯に巻かれ、(しな)びた指先が瓦礫に引っ掛かる。力を入れると、弾けて潰れた。

「……諦めよ」

 立ち上がったのは先。脇腹を押さえつつ、地面を藻掻く水妖に冷たく言い放つ。

 彼我を分かつ、二間(四メートル)の隔たり。這いずる水妖にとって、険しき峰々にも(まさ)る絶望の道(のり)

「いやダッ!コンナノッ、アッテタマルカッ!」

 水提灯を激しく揺さぶり、空いた穴から中身が飛び散った。(したた)り落ちるは、汗か涙か。

「ドウシテダッ!僕ハ、人類ノうえ二、くんりんスルものナノニッ……!」

 子供の我儘に等しい癇癪を繰り返す(さま)に、冷ややかな視線を注ぐ。

  ――哀れ。

「あかめぇッ!きさまガッ……、ぼくのいウコトヲきケバッ!」

 この期に及び、()だ求めるか。死に体を晒しても(なお)、他者を奪うことでしか己を保てぬ外道の邪執。

「其方は、過ったのだ」

 言い聞かせる様に。静かに語りかける。

「生き続けた事が。(そもそも)、生まれ落ちた事が。人を害せねば生きられぬ、(ことわり)(あだ)なす邪見の輩ぞ」

 願って異形の生を受けたのではあるまい。とは言え、怪異の犯した非道に対する免罪符にはならぬ。

「バッ……ばか二ッ……、スルナァッ!」

 当の野狗子は聞く耳を持たず、憤怒に身を焦がした。燃え(さか)る火の粉と共に、毒々しい悪意の怨嗟を噴き上げる。

「ぼくハッ……!ひとヲこエタッ……しんかノちょうてんッ、デッ……しはいしゃダッ!」

  ――()れ以上は、無駄か。

 小さく歎息し、燃える水妖から視線を外した。運良く足元に転がっていた段平(だんびら)を拾い上げる。

 いっそ、ひと思いに介錯するのが情けか。

「……いや」

 白刃に欠けがないか確認しつつ、思い留まる。

 身体の大半を失ったというのに、生にしがみつく異形の執念。人とは作りが違う故、何処に急所があるのか、読み切るのも困難。

 果てして、どう刃を震えば息の根を止められるやら。首を捻るしか無い。

  ――ならば。放って置いても事足りるか。

 直に息絶えるのは目に見えている。臨終に立ち会えば、其れで済む話。

 だが、油断は禁物。大黒はひと欠片からでも元の姿へと戻った。野狗子が違うとは、言い切れはしない。

  ――どうしたものか。

 煮え切らぬ思いが、切っ先を鈍らせる。(とど)めを刺すべきか。()(まま)、業火に焼かれるのを見届けるか。

「どうやら、お悩みのようですね」

 背後から、くぐもった拍手の音が降り掛かった。




 芯の無い、乾いた拍手。曖昧に籠もった布()れの音が、熱風に乗って耳を打つ。火の粉の舞う中、白い手袋が煤煙の隙間に浮かんだ。

(バク)……」

 瓦礫の山を焼く炎の陰影が揺れ、手袋の主が、出し抜けに現出する。

 熱気が滞留する紅の庭には不釣り合いな、灰色の背広姿。首元には、()ぐに忘れそうな、特徴の無い相貌が据えられた。

「見事です、赤目様」

 もう一匹の怪物は口元に緩やかな弧を描き、(うやうや)しく一礼する。

「まさか、ここまで綺麗に片付けて頂けるとは。夢にも思いませんでした」

 表情も精巧な仮面ならば、立ち振る舞いも造り物めいていた。不自然さを感じさせる、人形に似た動き。

「良く言う……」

 弱々しく、毒()く。

「道筋を作ったのは、其方(そなた)。違うか?」

 的の得た指摘に対し、獏は何も答えず。口元の笑みを絶やさず、沈黙を守る。

「……で。今更、何用だ?」

 無遠慮な闖入者に、嫌悪の眼差しを投げつける。

真逆(まさか)、また横取りする気か?」

「はい。弊社の不始末ですので」

 悪びれる風も無く、背広の男は肯定した。

「赤目様はどうも、お疲れのご様子。ですので、幕引きは弊社で」

阿呆(あほう)を申せっ」

 声を荒げると、傷口が呻きを上げた。骨身を襲う、耐え(がた)き痛みの嵐に、思わず眉間に皺を寄せる。

「ご無理なさらず。後は、お任せください」

「まっ!」

 待て、という言葉が喉に引っ掛かった。(けわ)しき眼光を浴びせるものの、脇を通り抜ける獏の背中には届かず。既に、燃え残った野狗子しか眼中に無い模様。

「ナ……なにヲ……スルきダ……」

 震える声で問い(ただ)す水提灯。頭に残った緑の泥の塊が、不規則に渦を巻く。怯えているのは明白。

「実際にお会いするのは、初めてですね」

 対して獏は朗らかに。気負いの無い足取りで、無様に転がる上半身の前で止まる。

「でも、じきにお別れですが」

「あかめェッ!」

 突然、水妖が吠えた。残された頭部の水流が、激しく中身を掻き乱す。

「いまスグぼく二ッ、ソノからだヲヨコセェッ!」

 切迫した叫びは、残り火が爆ぜる音に吸い込まれた。

 最後まで傲慢な命令に、痛む左手を眉間に添える。よもや、応じるとでも思うたか。

「無駄ですよ」

 優しく、だが冷たい言葉が獏の口から淡々と綴られた。

「乗り移ったとしても、貴方の居場所はもう、弊社にはありませんから」

「ナッ……!」

 白い手袋が、驚く野狗子の首根を掴んだ。其の儘、軽々と。残った緑の泥を摘まみ上げる。

「マッ……まテッ!バッ、ばくッ!」

 不遜な態度をかなぐり捨て、水提灯が哀願を始めた。一()の望みを懸け、異相の怪異に命乞いを試みる。

「ぼくナラ、キットへいしゃ二ッ……!」

「お疲れ様でした」

 だが、遮るように一言。眉ひとつ動かさず、白い指が手品のように閉じる。

 ぱん、と。

 乾いた音がしたかと思えば、手の中にあった怪異に穴が開いた。

「コンナノ……ウソダ…………」

 野狗子の残り(かす)が、音も無く崩れ始めた。

 気の抜けた破裂を起こし、水妖は瞬く間に枯れていく。(せき)を切った泥流が、床に緑の水溜りを作り出した。

 獏の手袋は緑色に染まった。袖口が廃液で濡れそぼつ。床を跳ねる汚泥で汚れる足元。

 ()れでも。獏は気にも留めず、(こぼ)れ落ちる命脈を黙って見つめる。

「ぼくハ、えらバレタ、じんるいの……。しんかノ……」

 失う体液が増えるにつれ、水妖の譫言(うわごと)が徐々に小さくなる。

 逆に、残った緑の泥は体内を駆け上がった。水提灯が膨らみ、大きな眼球へと変わる。

「ヨコセ……。ソノからだ、ガアレバ……」

 最後の悪足掻(あが)き。()れも、長くは続かない。

「ぼく……ハ…………」

 見開く眼球も力尽き、最後に泥となって黒く焦げた床に落ちた。




 呆気ない、野狗子の最後。

 人を超えたと(うそぶ)いた怪異の、無惨な末路。

「……(ちり)ひとつ残さぬ、か」

 獲物を奪われた恨み半分、残りは感嘆。複雑な心境が入り混じった、短い溜息を漏らす。

 だが、獏からの反応は皆無。(けが)れを免れた片方の手袋が、懐から手巾(ハンカチ)を取り出した。何の変哲も無い布地が、汚れた衣服の表面を撫でる。

 ひと吹き。()れだけで緑の痕跡は、跡形もなく消え失せた。

其方(そなた)が最初から出張れば、もっと早く片付いたのでは?」

「いえいえ」

 獏は死地に不釣り合いな声を上げ、軽やかに手袋を横に振る。

「すべては、赤目様のご尽力のおかげ。弊社はサポートしたに過ぎません」

「思ってもない言葉を吐くのは止めよ」

 獏の顔を見()え、静かに間合いを詰めた。悟られぬ(よう)、乱れた呼吸を丹田に沈める。

「……何故(なにゆえ)、けしかけた?」

 ()れでも、腑に落ちぬ違和感を問わずにはいられなかった。

「野狗子の叛意に気付いたとて、其方(そなた)ならば容易に倒せた(はず)

 言葉を切り、獏の被った仮面を見る。変化無し。作り物の微笑みを崩さず、黙って見詰め返す。

「だが、()えて放置した。しかも、自ら手を下さず、部外者に汚れ役を任せた」

 相手の奥底を覗く様に、双眼を細める。

「何故か?答えよ」

 沈黙が、火の手が回る焦熱の檻を駆け巡った。額から汗が吹き出し、頬を(つた)う。

 獏は何も答えない。

 手袋の片方を顎の下に当て、少し首を傾げる。落ち着かせようとするのか、本音を見せぬ為か。

「……赤目様。それは少々、買いかぶりでございます」

 やっと出た言葉は冷え切っていた。

 ゆっくりと両手を開き、悲しく訴えるかの様に、肩を(すく)めてみせる。

「お恥ずかしい話、弊社も失敗作の対応したのですが、すべて後手に回りまして」

「ならば。外に騒ぎのひとつも無い理由は?」

 (まこと)。耳に届く音は爆ぜる火の粉と、吹き抜ける風切り音のみ。

「建物が崩れる程の爆発と火災。其の前には事故もあった」

 視線を横に動かし、開けた建屋の群れを指す。

「弊社とやらの対応が遅いならば、()っくに警察や消防が飛んで来るのが道理」

 にしては、静か過ぎた。遠くで鳴る警笛(サイレン)すら、御上(おかみ)の耳に届かぬとは思えぬ。

其方(そなた)ら。先回りして止めたな?」

 疑いの目で仮説を口にすれば、獏は柳に風と受け流す。

「さて?行政サービスは弊社の管轄外でして。弊社へのクレームは困ります」

「無能にしたのは、(わざ)とであろう?」

 白々しい態度に、更なる追撃を加える。

「野狗子の手足であった淡緑を、赤鬼に襲わせたのも同じ」

 あの時も、全てが終わった後に御上の警笛が聞こえ始めた。

「更に言えば。警察に流れた『GB』の動きも潰した」

 だとすれば。ひとり気を吐いた松平も、哀れな被害者かも知れぬ。

 見当違いな正義感を振り翳した白蛇にも問題はあろう。が、()れを差し引いたとて。御上の幕引きは少々、強引過ぎた。

「全ては、其方(そなた)ら弊社が裏で糸を引き、世間を操った。野狗子の、失敗作の力量を推し量る(ため)に」

「……赤目様のお言葉、何か根拠はございますか?」

 獏の声に僅かな揺らぎ。白い顔に埋まった双眼がすぅ、と細められる。

「何も。単なる勘よ」

 真。自嘲を込め、両肩を落とす。

 結局は荒唐無稽な絵空事。根拠の無い戯言と(そし)るならば、其れ(まで)

「だが、降り掛かった出来事を継ぎ接ぎするには、一番しっくりくる故」

 (もっと)もらしい言葉を並べてみたものの、結局は推測の域すら達しておらぬ。()れだけ、知らぬ事が多すぎた。

「実の所、どうなのだ?思い違いならば、違う、とだけ言ってくれれば良い」

 確証など無い妄言に突き合わせるのも野暮。息を()ぎ、相手の出方を待つ。

「……残念ですが、赤目様」

 だが。獏が口を開くには、少々、時間を要した。

「その件に関しまして、お答えすることは出来ません」

「……何故?」

 思いがけぬ言葉に、不穏な影が脳裏を過ぎる。

「弊社の秘匿義務に抵触しますので」

 申し訳ございません。と、深々と頭を下げる獏。肯定も否定もせず、腰を直角に折り曲げる。

 酷く不自然な、事務的な謝罪。だが、何方(どっち)付かずの返答が、雄弁に物語った。

「……巻き込まれた者を、何だと思っている?」

 義憤が、燃料となって全身に熱を伝える。

「野狗子を先に止めておれば。永見は怖い目になど合わずに済んだ」

 一度、疑ってしまえば止め()を失う。

 野狗子が永見を(さら)う理由など、(はな)から無かった。別の誰かが、入れ知恵した疑惑が鎌首を持ち上げる。

「あの怪異を野に放たなければ、間宮も無様な最後を迎えなかった」

 段平を握る右手に、力が戻った。空となった(はず)の丹田に、気力が注ぎ込まれる。

「間宮の取り巻きも、淡緑も。其方(そなた)の思惑に踊らされた挙句、(いたずら)に骸を晒した」

 獏に対する憎悪が沸き立ち、自然と足を前へと動かした。決して目は逸らさず、ゆっくりと。足元が覚束(おぼつか)(なが)らも、着実に。

「そう、言われましても」

 人を模した怪異は困ったように、わざとらしく嘆息した。

「弊社の社会的貢献には、必要な犠牲となります。どうか、ご理解のほどを」

「貴様っ!」

 残る力を振り絞り、深く踏み込んだ。

 確かな殺意を込め段平を一閃する。狙うは、獏の首。

 手応えは、有った。筈だった。

「……ご満足、いただけましたか?」

 ――だが。

 眉ひとつ動かさず、微動だにしない背広姿の怪異。首と胴が離れぬ事実に、決死の一撃を加えた身が固まる。

 斬った感触は手の中に残った。なのに、異相の男は微笑む首を乗せ、平然と立っているではないか。

「……何故……っ」

 答えは、()ぐ目の前。軽く、余りにも軽くなった右手が震える。

  ――有り得ぬ。

 口の中が、瞬時に乾く。

 刺青(いれずみ)の形見であった段平の刀身が、根本から霧散した。

 まるで、最初から存在しなかったかの様に。残された鍔と柄だけが、獏の首元に触れていた。

「……くっ」

 瞬きも出来ず、掠れた声が喉の奥で凍て付く。

「それとも、ご不満がまだおありでしょうか?」

 獏は差して気にする素振りも無く、言葉を重ねた。影絵に似た、実存感の希薄な声音。

 音も無く膝から崩れ落ち、塵の積もった瓦礫の上に正座する。

  ――勝てぬ。

 張り詰めていた糸が切れた。支えていた気概が、砂塵となって吹き飛ばされる。

 五体無事ならば、などという言い訳以前。

 何しろ、どう倒せばよいか、全く見当が付かず。百(ぺん)、獏と対峙したとて、退治する手掛かりすら得られぬであろう。

 そう思わせる程の、神忍の爺様すら凌駕する脅威が、彼我の間に横たわった。

「ああ、ひと言、忘れておりました」

 心を折られた男を見下ろし、獏は(ねぎら)いの声を掛ける。

「永見嬢は無事でございます」

 其の一言で、失った生気が戻る。

「……真か?」

 灰色の怪異を見上げれば、静かに頷いた。

「弊社が匿名で通報したようで。警察に無事、保護されたようです」

 淡々と言葉を紡ぐと、胸の物入れ(ポケット)から懐中時計を取り出した。

「これで赤目様と契約は終了となります」

 蓋を開け、時間を確認する。

「望まれました通り、二度と会うことはないでしょう」

 一瞬、獏は自ら仮面を剥いだ。

 其れは満足気な、そして残忍な笑み。全てを見透かし、掌の上で転がした超越者の眼差し。

  ――嗚呼、分かった。

 正に今。獏に夢を、思いを喰われたのだ。

 怪異を打ち倒すという、途方もない夢を。

「それでは。これにて失礼いたします」

 間髪を入れず、獏は元の表情を作り直した。垣間見せた悪意を瞬時に塗り潰し、能面の(ごと)き無機質さを取り戻す。

「赤目様。お休みなさいませ」

 軽い会釈の後、超越した者は颯爽と(きびす)を返した。もう此処(ここ)に用は無い、と背中が語る。

「……ま、待て」

 呼び止めるも、怪異は止まらない。振り返る事も無く、揺らぐ陽炎の狭間へ。

「獏……っ!」

 指先を伸ばすも、虚しく空を切った。喉を震わせた咆哮も届かない。

 灰色の背広は蜃気楼の様に、忽然と姿を消した。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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