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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
六 花さそふ 嵐の庭の
51/54

邯鄲の夢、覚めて煉獄 二

 硬い感触が拳に食い込み、髑髏が砕ける。白波立つ水(おもて)が、内側から爆ぜた。

 憎き仇敵の、野狗子(やくし)の仮面を、緑の汚泥ごと叩き潰す。

「ゴォッベェッ!」

 水提灯(ちょうちん)の言葉は、果たして人間のものであったか。水提灯の中にある鋼の髑髏(しゃれこうべ)を歪ませ、大きく後ろへ吹き飛んだ。可怪(おか)しな具合に首が曲がり、泥と肉片と鉄塊で()ね上げた巨体が転がる。

「グッ、バアァハァッ!」

 波濤を思わせる破音と共に照明がちらつく。傾いた床も相まり、止まらない衝撃を嵌め込み窓が受け止めた。荒波が打ち付ける様に、白い割れ目が縦横に走る。

「……ぐぅっ」

 追い打ちの好機に、片膝をついた。

 身体が意思に追いつかない。経絡(けいらく)は乱れ、肉体は泣き言を漏らし始めた。望まず打ち込まれた毒が全身に回り、吐き気を引き起こす。()せた咳に、赤いものが混じった。

  ――摩利支天(マリシテン)の加護が無いだけで、()れ程に辛いのか。

 両肩で大きく動かし、息を整えるのが精一杯。苦しさと共に面当て(マスク)を剥ぎ捨て、口元の血を乱暴に袖で拭う。

『どうやら、(はら)を定めたようだな』

 ()の期に及んで囁きかける、異相の声。

『聞かせて貰おうか、赤目忍。貴様は、どう死ぬ?』

  ――知らぬ。()れより、奴を倒すのが先決。

 (まこと)。丹田に力を込め、失った気を練り直す。

 あの、悪意で膨れ上がった化物を生かしてはならん。世に放てば、再び永見に、ひいては自らに害が及ぶ。

 (ゆえ)に、此の手で息の根を止める。

 でなくば、溜まった鬱憤は晴らせぬ。

  ――だから、邪魔をするなっ!

 言うことを聞かぬ膝を持ち上げ、段平を前に突き出す。

 決意を伝えれば、異相は何も言い返さず。(おさ)な過ぎた物言いに、閉口したのかも知れぬ。

 ()れは(其れ)(さいわ)い。何しろ、立て込んだ厄介事は終わってないのだから。

「……クゥッ、……フフッ……ウアァハハァッ!」

 床に寝転がった野狗子が不意に(わら)い出した。最初は小さく、徐々に大きく。

「スゴイナ……。これガ赤目ノ、(ウツワ)ノミナモトッ、カァッ!」

 ぎちぎち、と。痙攣する異形の頭を上げる。髑髏に浮かぶ黒点が(あや)しく潤んだ。

「アア……欲シイッ!ソノ肉体ガアレバッ、(バク)ニダッテ勝テルッ!」

「……()だ、言うかっ」

 嫌悪の色で、野狗子を睨む。怪異は愉悦に鉄歯を打ち鳴らし、立ち上がる。

 と、片腕が()げた。呆気なく、音も立てず。緑色の膿肉が床で潰れ、べちゃり、とした土塊と変わる。傷口が泡立つものの、再生する気配は微塵も無い。

「……オヤ?」

 髑髏が不思議そうに顎を鳴らす。

「……コノからだモ、ソロソロ限界カ」

 感慨深げに獲物を見やる。怪異の黒き眼窩には何が映っているのか?ひょっとしたら、不敵に頬を緩めた(しの)び崩れかも知れない。

 相手は片腕だけとは言え、腕が落ちた。一方的に手負いでは無い証左。少しだけ安堵し、乾いた唇を舐める。

「早ク彼ヲ、僕ノ一部二、シナイト」

戯言(たわごと)を繰り返すな」

 足元に転がる段平を蹴り上げ、空中で掴んだ。ひと振りで泥を振り払い、甘く蔓延(はびこ)る妖鬼に切っ先を突き付ける。

 威勢良く構えるも、身体の軸は定まらず。指先にまで回った猛毒が小刻みな震えを呼ぶ。

「くれてやる気など、無い」

 だとしても。荒い息で答える。外道に落ちたとて、最後の一線を超える気は毛頭ない。

「抜カセッ!」

 野狗子が迫った。

 水妖を纏った骸骨は、残った片腕も身体に取り込んだ。人形(ひとがた)を捨て、背から無数の茨蔦を生やす。

「喰ワセロォッ!」

 重い足音を轟かす。近付くにつれ、髑髏を覆った水提灯が縦に割れた。

 天頂から腹の下まで、一直線に亀裂が入る。大きく広がる口腔(こうくう)に鉄の牙が並び、粘り気を帯びた(よだれ)を撒き散らす。

「赤ァッ目ェッ!」

 湿り気を帯びた低い声が欲望を撒き散らし、襲い掛かった。牽制も読みも無い、一直線に押し寄せる暴食の津波。

 狙いは――首かっ!

「くぅっ!」

 段平の刃を立て、峰に左腕を押し当てる。引くのは駄目。()し切る勢いで頭から突っ込み、染み付いた忍びの動きで怪異の大口を斬り払う。

「グオォッ!」

 ()れ違った野狗子から溢れる呻き。太い足が(もつ)れ、前のめりに倒れた。ずん、と(にぶ)い振動が回廊中に響く。

「クゥッ!シブトイやつメ゙ッ!」

 蔦を器用に使い、のそり、と肥えた袋を持ち上げた。縦広の裂口が憎しみを込め吠える。

()の言葉、そっくりお返しする」

 段平の刃を青眼に構え、牽制する。

 一動作で簡単に息が上がった。四肢の動きも鈍く、鉛を背負ったかの(よう)。悟られまいと意気がるのがやっと。

 互いに決め手に欠けた。

 立ち位置を入れ替え、一歩も動かない。いや、動けずにいた。自然、睨み合いが始まる。

 何方(どちら)が先に()を上げるか。不毛な我慢比べ。

 だが、張り詰めた静寂も長くは続かない。

「ナァッ!」

 不吉な地鳴りと絶え間ない振動。回廊全体が沈む。

「くぅっ!」

 照明が闇に飲まれ、壁に大きな亀裂で引き裂かれる。床は細かく抜け落ち、頭上から大きな破片が降り注いだ。

 遂に、終わりが始まった。




 今(まで)とは違う、地響きを(ともな)う絶望的な縦揺れ。形を失いつつある四方の割れ目から、鉄と油の匂いを(はら)んだ熱風が荒く吹き込む。

「ナッ、ナンダッ!」

 野狗子は狼狽(うろた)えた。太く短い足は一歩も動かず、(ただ)立ち尽くすのみ。

「くうっ!」

 考えるより先に身体が動いた。(いくさ)は二の次。丹田を燃やし尽くす勢いで、練った気を全身へ送る。

 崩れゆく壁の動きを見極め、生じる隙間に身を()じ込んだ。踏む(はし)から消えていく床が追従する。

 だが、足りぬ。

 崩れ落ちる床を蹴り、次の足場へ。道なき道を走る最中(さなか)、背負い鞄の紐に段平の刃を当て、引き裂いた。中身を探す暇など無い。

  ――()れっ!

 (こぼ)れ出す道具の中から、目当ての(かぎ)縄を掴む。残りは裂けた鞄と共に奈落へ吸い込まれた。

 未練は後回し。鈎縄を左手に引っ掛け、段平は右手に。

「マッ、待テェッ!」

 背後で野狗子の怒号が炸裂した。回廊が形を失う中、執念の絶叫が濛々(もうもう)たる粉塵を貫く。

 振り返れば、異形の大口は(いま)だ落ちず。惨状を顧みる事もせず、背から伸ばした無数の蔓草で巨体を宙に吊る。

「イサギヨクッ、明ケ渡セェッ!」

 緑の先鞭が追い越し、僅かに残る道を閉ざした。蜘蛛の巣状に巡らされた捕食の罠が取り囲む。

 まるで、毒蜘蛛の巣。今や野狗子の身体全体が、忍び崩れを取り囲む大きな網となり、檻と化した。

  ――いい加減にしろっ!

 身を固定する蔦を巻き取り、後方から詰める腐肉の気配に舌打ちする。上下左右、逃げ場も無ければ、避ける足場も見当たらない。

「モラッタアァッ!」

 飲み込まんとする異形の(あぎと)は、もう眼と鼻の先。じっとしていれば喰われるだけ。万事休す。

  ――伸るか、反るか。

 覚悟を決めた。

 残った足場を捨て、何も無い宙へと飛び降りた。重力に導かれる(まま)、五体は瓦礫と灼熱の夜空へ舞う。

「ヌゥッ……、ウァアァッ!」

 裂けた口が、絶望と驚愕を()い交ぜた声を上げる。

 完全に慌て、取り乱す野狗子の声。触手が一本、物凄い勢いで追いかけて来た。命を狙うのでは無く、救うかの(よう)に。

 全て、読み通り。

 (すく)い上げんと胴に絡みつく巻き蔓を、段平で突き刺す。樹液が吹き出し、甘臭い瘴気が鼻腔を襲う。

「グギャァッ!」

 怪異の悶絶に合わせて暴れ、のた打つ緑の触手。荒ぶる蔓(しろ)から振り落とされないよう、力を込めた右手を軸にして逆上がり。動く茎幹を足場とし、再び駆け上がる。酷く不安定な綱渡り。

「オッ……オノレェッ!」

 野狗子は行く手を遮らんと、残った棘茎を全て攻撃へ転じた。妖躰を支える蔦が減り、がくん、と大きく揺れ落ちる。

  ――なんのっ!

 何とか転落を食い止め、怒れる触手の攻撃を避けつつ別の蔦へ。剥き出しとなった支柱に根を張る親蔓へ飛び乗るや否や、足場を切り落とす。

「クゥッ、ソォッ!」

 一本、二本。九郎義経が乗り移ったかの如き八艘(はっそう)飛び。()先の代わりに緑の足場を次々と傷付け、崩落を免れた鉄骨の梁へ向け飛び移る。

「ヤッ……ヤメロオォッ!」

  ――止める阿呆が、何処(どこ)にいる、と?

 一番太い幹を段平で斬り捨て、宙へ踊る。最後の数歩は諦めた。投げ放った鉄の爪が、形の残った瓦礫の(ふち)へ食い込む。

「ウワァッアアァァッ!」

 瓦礫と埃の上を振り子の様に翔け抜ける中、野狗子の断末魔が爆発音に掻き消された。

 正に今、怪異の檻が崩れ落ちる。

「ナンデッ、ナンデェッ!」

 残った残骸に(すが)ろうと茎を伸ばすも届かず。緑の泥は()(すべ)も無く、奈落へ吸い込まれ、消えた。




 静寂が(にわか)に訪れた。

 正確に言えば、崩壊の残響はある。ただ、(やかま)しく、鼓膜を(わずら)わせた声は途絶え、鼻を腐らせる悪臭が幾分か薄まった。

「……ハァッ……」

 肺が大きく膨らみ、(しぼ)んだ。全身に激痛が走る。どうにか足で床を踏めば、吐き気が込み上げて来た。

 耐えられず、吐く。

 滲んだ血と、淡い緑の毒が胃液に混ざった。頭の奥で、硬いものが挟まったかの(よう)な不愉快な鈍痛が脈を打つ。

 だが、意識だけは(たも)つ事が出来た。

 膝から力が抜ける。破片と塵芥が敷き詰められた床に、腰からへたり込んだ。

「……生きて、るのか?」

 呟くことで、ようやっと実感が湧いた。

 気になる身体の位置に視線を向ける。

 左指は紫色に変色。右手の傷口も痛々しい。首筋から滲む赤い血は襟元を汚した。背中も()ける様に熱い。

 だが、心臓は鼓動を繰り返す。

 毒に侵され、蝕まれたものの、五体は自分の意思で動かせられる。

 赤目忍である(まま)此処(ここ)に居る。

「……いや、()だだ」

 喜びを噛みしめるのを途中で止めた。

 大黒(だいこく)の例もある。()の目で亡骸を確認するまでは、油断は禁物。

 誰も見てないのを良い事に、裂けた断崖の際まで移動した。ぽっかりと空く大穴から下を覗く。

 視界に広がるのは、一面に広がる瓦礫と熱波。緑の粘液も、醜悪な肉塊も、鉄で出来た骸骨すら見当たらない。

 全てが闇に呑まれ、動くものは何ひとつ無い。

 無い、(はず)だった。

「……何?」

 奈落から吹き上がる欠片に、背筋が凍る。

「……嘘、……であろう?」

 信じたくなかった。悪夢の再来を。

 底から緑の疾風が吹き荒れた。黒い影が夜空を斬り裂く。業風に煽られ、屁泥(へどろ)の飛沫が舞い散った。

「ギャハハハァッ!マタ落トセルト、思ッタカァッ!」

 怪鳥は上昇し切ると、宙返りして急降下。眼前で翼を羽ばたかせ、眼前で姿勢を変えた。

「二度モ、同ジ手ヲ食ウ、僕デハァッ、ナアァイッ!」

 漆黒の空に、野狗子の高笑いが響く。

 其処(そこ)に水提灯の名残りは微塵も無い。開いた割れ目を更に大きく裂き、肋骨から伸ばした半透明の皮膜を羽撃(はばた)かせる。

 芯としていた鉄の骸骨と肉片を失い、小さくなったものの、腐った悪臭は健在。水妖は、蝙蝠を思わせる飛翔体へと変貌を遂げた。

「……化物め」

「ナントデモ、イウガいいッ」

 中央に浮き出る、染みの様な模様が嘲笑(あざわら)う。間宮を思い出させる、卑しい面影。

「きさまトイウ(ウツワ)ガアレバッ、ヤリ直セルッ!」

 羽が大きく震えた。風を巻き上げ、頭上へ高々と舞い上がる。

「クゥッ、クゥッカアァッ!」

 一気に高度を下げ、凄まじい勢いで滑空を始めた。轟音を纏った暴力を正面から受け、勢い良く背後へ弾き飛ばされる。

「――――っっ!」

 鉄筋の浮いた壁に強く叩きつけられた。何も出来ぬ儘、緑の水(たま)りへと投げ出される。

 息が詰まり、口内に鉄の味が広がった。段平が手から離れ、澄んだ音を立て遠ざかる。

「カナリ手間ヲ、カケサセテクレタガ――」

 野狗子は瓦礫に足を降ろし、ひと鳴き。全身から緑の涎を垂らし、染みで出来た顔が愉悦に浸る。

「最後ニ笑ウノハ、僕ノヨウダネ」

「そうとは……限らんぞ……」

 途切れ(途切れ)。じん、とした熱が脇腹に広がる。折れたか、そうでなくとも(ひび)は入ったか。

  ――だとしても。

 壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。左腕に絡みつき、離れなかった鈎縄を右手に持ち替える。

 鉄の爪が、じゃきり、と音を立てた。

「クッ、カカヵァッ!ソンナからだデ、何ヲスル気カネ?!」

「……貴様を……倒す手立て」

 染みが、ぶくり、と波を立てる。

「アキラメロッ、赤目ッ!おまえノ、負ケダッ!」

「…………諦めは……悪い方でな……」

 真。地を這ってでも、生き足搔(あが)くのが性分。生きて帰るのが、忍びの(なら)わし。

「……ぎりぎりデ生カスつもりダッタガ、気ガ変ワッタ」

 全身を濡らす緑の薄膜が、忌々(いまいま)()(うごめ)いた。殺気を皮膜に張り付かせ、体内の泥水を掻き乱す。

「きさまハ、殺シタあとニッ、身体ヲモラウッ!」

「やれるものなら……やってみろ……」

 右手に構えた爪を前に突き出し、低く身を沈める。

「クゥワアァッ!」

 野狗子は翼に怨念を込め、再び大きく飛び跳ねた。再び天空へ飛翔し、先程よりも高く舞い上がる。

「死二ィッ、サラセェッ!」

 不吉な風切り音と共に、頭上から野狗子の悪意が降り注ぐ。

「……断る」

 呻きと共に、痛む右腕を持ち上げた。手にした鈎縄を回し、天に向かって投げる。

 直上の突き出た鉄管に、爪が掛かった。漏れ落ちる毒滝の向きが変わり、水妖から半身を隠す。良き塩梅。

「なにヲスルカと思エバッ!むだダアッ!」

 怪異は()えた。首筋を狙う、薄く研ぎ澄まされた緑の翼。首を()ねる算段か。

  ――今っ!

 最後の力を足に込め、縄を強く引いた。壁を蹴り勢いをつけ、再び空中へと舞い上がる。

 拍子で配管から鈎爪が外れた。五体が緑の滝を越え、夜天の頂へ。

「ばかメ゙ッ!」

 濁った泥の羽を動かし、怪鳥が軌道を修正した。多少の動きでは狙いを外さず、殺意を孕んだ翼を反転させる。

  ーー狙い通りっ!

 野狗子の翼が届くより先に、落ちた鈎縄の爪と交錯した。眼前を通り過ぎ、足元へ至る瞬間、踵で勢い良く蹴り飛ばす。

 鋼鉄の爪と、足裏に仕込んだ硝石が激突し、鮮やかな火花が散る。

 ()れだけで良かった。

 空中に満ちた緑の毒霧が、即座に引火する。爆発的に広がる(ほむら)の幕が一帯を飲み込む。

「ナッ……」

 言葉を発するより先に、紅蓮の壁が怪鳥を包み込んだ。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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