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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
六 花さそふ 嵐の庭の
50/54

邯鄲の夢、覚めて煉獄 一

 逃げる。()けた白灯の下、一色の世界が続く通路の中を疾走する。

 違う色は時折(ときおり)見える、()め込み窓から覗く漆黒のみ。其処(そこ)も立ち上る黒煙が不吉な影絵を躍らせた。

  ――成程(なるほど)

 息が熱いのは、何も疾駆だけでは無いらしい。建物全体に、火災の熱が回っているのは確か。焼ける鉄の匂いが面当て(マスク)越しにも伝わる。

「赤目ェッ!」

 野狗子(やくし)は追って来た。毒と執着心を撒き散らし、背面から肉薄する。(たる)んだ水袋を揺らす音が耳を煩わせた。

「逃ガス、モノカァッ!」

 水提灯(ちょうちん)の中に浮かぶ髑髏(しゃれこうべ)が気を吐く。爛々と燃える害意を感じ取り、身を屈める。頭上を丸太の様に太い緑の上腕が通り過ぎ、通路の壁と窓硝子(ガラス)を粉砕した。

  ――()(まま)では、じり貧か。

 歯の奥に挟まる焦燥感。単に逃げただけでは、(いず)れ追いつかれる。

 反撃の切っ掛けが欲しい。状況を打開する一撃が。

 機会は早くやって来た。

「せいっ!」

 呼気を鋭く、曲がり角を勢い殺さず折れる。直後に壁を蹴り上げ、身を高く。

 天井の照明に足を置き、天地を逆様(さかさま)へと変えた。動かぬ左手も、口元の息を隠すくらいには使える。

「ナッ、消エタッ?!」

 (わず)かに遅れた野狗子は獲物を見失い、突き当りで足を止めた。自分の目が信じられぬか、頭の水鉢を激しく揺らす。

「ド、どこダ⁈」

 (あた)りを必死に()め回すも、頭上は留守。全くの隙だらけ。

  ――仕掛けるなら、今。

 天井から足を離し、頭上へ。鉄の髑髏に段平(だんびら)を振り下ろす。

 刃は泥水と鉄の骨を裂いた。脳天から股下(まで)一直線。深い剣(げき)が吸い込まれる。

 道の折れ目を利用し敵の目を(あざむ)き、隙を生じさせる。観音(がく)れの術の応用。

「ギャアアアアアッ!」

 野狗子が絶叫を上げ、身を(よじ)らせた。確信の手応(てごた)え。怪物の命を奪うまではないものの、怪異を(ひる)ませるさせるには十分。

 着地と同時に間合いを詰める。足に力を込め、次の斬撃を準備する。

 だが、振るえず。不意に邪魔が入る。


阿呆(あほう)が』


 突如として頭蓋(ずがい)に響く、爺様(じいさま)の不穏な声。

「なっ!」

 (いぶか)しむ(いとま)すら与えられず。腕が沈み、膝が砕けた。不意に腰から力を失い、肩が重くなる。

 全身から力が抜ける。左手の痛みがぶり返し、背中が熱く、(きし)む。

  ――何故(なにゆえ)っ!

 関節が鈍り、鉛を背負う感覚に息が止まる。折角(せっかく)の好機だと言うのに、後退(あとじさ)るしか無い。


下愚(かぐ)(まさ)しく、下愚』

摩利支天(マリシテン)の加護、何時(いつ)までも続くと思うたか?』


 淑女と壮年。揺れる床から、崩れる壁から白い気配が(しの)び寄り、四肢に(まと)わりつく。

「グオォッ!」

 (ほぞ)を噛む隙に、野狗子の背中へ与えた傷口が大きく泡立ち、(またた)()に癒着していく。

  ――元の木阿弥(もくあみ)かっ!

 機を逸した。目論見は潰え、死地へと反転する。

「オノレェッ!」

 水提灯の憤りに、正心の囁きが重なる。


(しの)びに(あら)ざる者』

『忍びの(わざ)、使う(なか)れ』


 童と爺様。見えざる手が、重くなった身体を更に締め付ける。

「ちょこまかトォッ!」

 大振りの拳が唇の横を擦り抜けた。烈風が頬を斬り、鮮血が飛沫(しぶ)く。

 常ならば軽く躱せていた打撃。

  ――不味い。

 内と外。両面からの挟撃に、不利を悟る。()為体(ていたらく)では(なぶ)り殺されるのは確実。後ろへ飛び退き、間合いを切るしか無い。

 ()れど。正心を欠いた代償に、五体は思う様には動かず。

「遅ォイィッ!」

 水提灯が踏み込みと、回廊の振動が重なった。大きな揺れで床が傾く。予期せぬ地変に足を滑らせ、壁際まで追い()られる。

「くそっ!」

 慌てて立ち上がるも、既に手遅れ。

「むだダアァッ!」

 野狗子の突き出した右腕が広がった。文字通り。人腕の体を捨て、幾つもの太い泥鞭へと変化する。

 投網の様に襲い掛かる、膿んだ泥の束。眼の前で四方へ割れた攻撃に、逃げ道などあろう(はず)も無い。

「しまっ!」

 重い泥の切っ先が四肢に()つかり、絡みついた。両腕と右足。粘質の塊が、身体の自由を()ぐ。

「ヤット、捕マエタゾッ」

 ()んだ水面に浮かぶ骸骨の、黒い眼窩(がんか)がゆらり、と喜悦で揺れた。波立つ顔色は緑泥に沈んでいると言うのに、至福であるのがひと目で分かる。


「サァ。覚悟ハ、いいカネ?」

最期(つい)のけじめ。果ての(みそぎ)』『今、此処(ここ)で選べし』

 正心の断罪が、水提灯の宣告と重なる。

「僕ノ一部ト、ナリタマエ」

『忍びとして死ぬか』『忍びを()て、死ぬか』


「選べる訳……、無かろう」

 (まこと)。到底、呑めぬ沙汰に、悔し(まぎ)れの呟きが口から漏れる。

「アア。選ブノハ、僕ダカラナ」

 頷く頭に嘲笑を()じらせる野狗子。()の背から太い(くき)が生え伸び、(うね)った。幾つもの棘を持つ、薔薇を思わせる長い管。違うのは、花弁がひとつも無い所か。

「サァ。はっぴーえんどヲ、始メヨウ」

 喜びに満ちた響きと共に、無花の(いばら)が首に巻き付く。(ひし)めく棘が皮膚を(えぐ)り、肉を食い破った。

「がぁっ!」

 何かが入ってくる感触。熱した何千本もの針が、血管を傷付け溶けていく。内側から焦熱地獄に(あぶ)られる、熱く、鋭い激痛。

「――――――――っ!」

 今(まで)発したことのない、高音の絶叫が喉から(ほとばし)る。

 得も言えぬ激()に、視界が揺さぶられた。臓腑が全て裏返り、中身を()き回す。()れでも、体内を蝕む蹂躙(じゅうりん)は収まらない。

「オオッ、これハッ!」

 絶頂の表情に変わる野狗子と反比例する様に、全身を駆け巡る毒が容赦無く意識を削ぎ落とす。

 最早(もはや)、五感は使い物にならず。全身に(まと)わり付くのは、ねっとりとした不快な泥濘(でいねい)。息を吸うのも痛く、甘く燻る毒が命脈を犯す。再び嘔吐するも、喉の奥まで粘液が詰まり、咳き込む事すら(あた)わぬ。

 緩やかな死の抱擁。(すべ)無く瞳孔が裏返り、視界が反転する。




「……素晴らしい」

 脳幹の裏側で、知らぬ男の声が響く。

 幼少の、忍びの修行とは違う記憶。だが、我が事のように思い出せる。

 ゆっくりと意識を開けば、無機質な白い床と硝子(ガラス)の壁。透明な(おり)を挟み、見上げる白衣の群れ。

 妙な感覚が全身を支配する。

 まるで、別の生き物へと生まれ変わったかの(ごと)き、変異した肉感。少なくとも、人間の知覚とは全く違う。

 耳が無いのは()ぐに理解した。なのに音を拾えるのは、肌が聴覚を持っているから。いや嗅覚、味覚も。海月(クラゲ)の様に透き通った肌には、全ての感覚が備わっていた。

  ――何が、起こってる?

 必死に抗うも、指ひとつ動かせず。自宅の居間で映像を眺めるかの様に、物事が進む。

 ()れは……夢?()れ共……、誰かの記憶?

「身体能力の向上、超回復、そして記憶の奪取能力も確認できました」

 淡々と語る声が次第に熱を帯びた。

「……所長」

「ああ……」

 白衣の一団は、中央に陣取る人物へ視線を集めた。細眼鏡を懸けた彼は感慨深げに頷く。

「間違いない……成功だ」

 彼の言葉で、一斉に歓声が沸き立った。

「やりましたねっ、所長っ!」

「これで、(バク)に大きな顔をさせませんよっ!」

 次々と駆け寄り、細眼鏡へ惜しまぬ賛辞を捧げる。拍手の輪が自然と生まれた。

「みんな、ありがとう……」

 温かい祝福に、眼鏡を外して喜びの涙を拭う。

「さぁ、所長っ!さっそく名付けを!」

「ああ……」

 白衣のひとりに促され、細眼鏡が強い眼差しを向ける。

「検体コード、V-6Q。呼称は、そうだな……『野狗子』としよう」

 再び湧き上がる喝采の(うず)。その中心で、細眼鏡が満足そうに頬を緩めた。

「これで、獏の鼻をあかせるぞ」


「失敗だ……」

 (またた)きすれば、様相が一瞬にして変わった。場所は()(まま)に、細眼鏡が生気を失った顔で項垂(うなだ)れ、頭を抱える。

「所長!諦めるのはマダ早いですよっ!」

 漏らした弱気に、若い白衣の男が声を荒げた。

「まだ改良の余地はあるハズですっ!そうすれば、獏だって超えられますし、弊社も……」

「ムリだ」

 自らへ投げかけられた励ましの言葉を遮り、首を横に振る。

「元々の効率が悪すぎる。能力を少し使うだけで、動体が簡単に損壊するのでは、使い物にならん」

「では……、(野狗子)は……」

「廃棄、だろうな」

 力無く、肩を落とす。

「近く弊社も、同じ判断を下すだろう……」

 

 再び同じ場所が映し出された。先と比べ、視線が低い。感覚も混在せず、独立している。

 此れは別の記憶……大黒のか?

「た……助けて……」

 白と赤に彩られた背景で、命()いする白衣の男。涙と汗で汚れた顔の眼前に銃口を突き付ける。

「ケッ!」

 躊躇(ためら)い無く撃ち殺し、床に転がった死体を蹴り飛ばす。

「人間ふぜいがっ!弱いクセにイバりやがってっ」

 上から唾を吹きかけると、隣の鷲鼻(わしばな)が顔を(しか)めた。

「キッタネェなぁ。かかったらどうする気だよっ」

 黒焦げの死体を投げ捨て、不満気に鼻を鳴らす。生意気な態度に、大黒は気分を害した。

「あぁっ?文句言うんじゃねぇよっ」

「はぁっ?!ケンカ売ってんのか?」

 威勢のいい言葉で鷲鼻が詰め寄ってくる。クソッ、弱いクセしてイキリやがって。

「ふたりトモ、けんかハヤメロ」

 序列を分からせてやろうかと、拳を振り上げた所に、野狗子が割り込んだ。三人の中で唯一の名持ち(モンスター)。いや、元、だ。

「うっせぇなっ!しゃしゃり出てくんじゃ……」

 腕()くりする鷲鼻の鼻息が一気に(しぼ)んだ。捕まえた研究員を頭から(むさぼ)る野狗子に、視線を外す。

「まぁた着替えかよ」

 皮肉を込め、大黒は(おど)けてみせた。

「今日だけで何度目だ?そんなんじゃ、残したヤツも、あっという間だぜ?」

「分カッテイル」

 ()して気にせぬように、答える野狗子。

「ダカラ、手伝エ」

 水提灯の言葉に、大黒は鷲鼻と顔を見合わせた。確かに廃棄寸前を助けられたが、頼んで助けて貰ったワケではない。

「なんでオレたちが……」

「何ナラ、ちからズクデ、従ワセテモ良イガ?」

 緑の泥顔が(あや)しく光る。ヤバい、本気だ。

「クソっ、分かったよっ!」

 ふたりが束になっても敵わない。苦々しく舌打ちし、振り上げた拳を下ろす。

「で、どうすんだ?」

「僕ノ体液ヲ、特効薬トシテ、市場ニ()ク」

 野狗子が出した提案に、大黒は鷲鼻と顔見合わせる。

「それで?」

「……少シハ、頭ヲ使エ」

 返る声は余りに冷ややか。ゆっくりと歩みを進め、ある機械の前で立ち止まる。

「体液ダケデモ、僕ノ効果ハ、変ワラナイ。甘イ蜜ニ、ありハ(ムラ)ガルダロウ」

 ヤツの新しい手が、機械に触れた。

「その中カラ、適合シソウナ身体ヲ選ンデ、使エバいい」


 場面が大きく変わった。

 見覚えのある、教室の一角。幕を降ろし、薄暗闇に染まる中、車座で小さく輪を作る集団。

「『あの人』からのお達しだ。転校生を献上しろ、だとさ」

 聞き馴染(なじ)みのある声が苦々しく言い放った。――今度の記憶は、間宮?

「転校生って……あの田舎者です?」

 取り巻きの声に、不承(不承)、頷く。

「誰かさんが口を滑らせたせいで、『あの人』が興味を持ったようだね。運動神経が素晴らしい、だとか。厄介な話だよ」

「で、どうするんですか?間宮さん」

「どうもこうも。言われた通りにするだけさ」

 大袈裟(おおげさ)に肩を(すく)めてみせた。その前に、分からせてやるつもりだ。

どちらが、格は上なのか。

「ツバキ」

 意識が車座の外へ向かう。壁際で、所在なく下を向く幼馴染。

「話を聞いていただろう?」

 しばらくの間を置いて、永見の頭が小さく頷く。

「なら、やるコトは分かるよね?」

 間宮は、かつての恋人へ破顔した。誰もがうっとりと目尻を下げる、計算し尽くされた笑顔。

 こういう時に大事なのは、失っても痛くない駒。

「ヤツに近付き、落としてくれ。色仕掛でも、泣き落としでもイイ。ヤツを、赤目を連れて来て欲しい」

 永見は顔を上げない。拳を握りしめ、自分の世界に閉じ籠もる。

 やれやれ。机から腰を上げ、みんなの輪から外れる。彼女に、自分の立場を教えてやらないと。

「イヤ、なんて言わないよね?」

 眼の前に立ち、生意気な顎に指を添える。

「キミは僕のために、尽くしてくれるんだろ?」

 軽く力を込めると、悲しそうな顔が持ち上がった。瞳に涙を溜め、それでも首を縦に振るしかない哀れな女。

 頼むよ。もう、そんなコトでしか使い道がないんだから。




「ドウダ?」脳内で囁く、陰湿な嘲弄。

『愉快、であろう?』内なる異相もまた、愉悦に声を合わせる。




  ――巫山戯(ふざけ)るな。

 理性が焼き切れる。他人の記憶である筈の光景が、我が事として怒髪が天を衝く。

  ――何処まで、永見を(もてあそ)ぶか。

 口の中に(あふ)れ出す悔しさを、奥歯で思い切り噛み砕く。ごり、と鈍い音が頭蓋に響き、鉄錆の味が舌に広がる。

 痛い。

 脳を焼く鋭い激痛が、麻痺しかけた神経を無理矢理に叩き起こす。

 生きている証が、未だ簒奪者(さんだつしゃ)の手に渡っていない心臓が、血潮を熱く(たぎ)らせる。

「まぁ……みぃ……やあぁっ!」

 気付けば雄叫びを上げていた。

 忍びの血から発する怒りでは無い。人間としての、制御出来ぬ、してはいけない激情。腹の底よりも深く熱い場所から、業火が噴き上がる。

()(さま)ぁっ!」

 感情の激流に任せ野狗子の髑髏を、奥にある間宮の面影を睨む。

「ナニィッ!」

 水提灯に浮かぶ黒い眼窩が大きく広がった。水面が激しく波打ち、大きな身体を身動(みじろ)ぐ。

「マサカ、意識ガッ?!」

 だからどうした。そんな下らぬ話より、憎むべき外道の顔へ一発見舞(みま)わせるが先。

(くた)ばれぇっ!」

 気合慷慨(こうがい)。全身の筋肉を膨張させ、血管が切れよと(ばか)りに力を込める。壁に足裏を合わせ、封じられた腕を無理矢理、押し上げる。

 皮膚が裂けた。骨が悲鳴を上げる。耳の奥で打ち鳴らされる、(はじ)け跳ぶ健と筋肉の音。

 構うものか。鮮血が舞うのも(いと)わず、丹田に残る気も残らず激昂の釜に()べる。燃え上がった紅蓮の(ほむら)を力に変え、執拗に食い込む粘着の枷を引き千切る。

「バカナッ……、ニンゲンごときガ、コノ拘束ヲッ?!」

 水提灯が酷く狼狽(ろうばい)した。泥濘と肉塊で固めた巨体を()()らせ、世迷い言を垂れ流す。

  ――()のっ、阿呆がっ!

 耳を貸さず、首元に巻き付く茨の幹を両手で(むし)り取った。(てのひら)に棘が刺さるなど、些事(さじ)に過ぎぬ。痛みも(いと)わず、強引に手繰(たぐ)り寄せる。

「ヌゥワァッ!」

 綱引きに負けた野狗子の上体が大きく泳いだ。醜悪なる泥人形が無様に前のめりで引き倒される。水提灯の中で漂う黒い髑髏が無防備に近寄る。

「間宮ぁっ!」

 緑の汚泥が震える鼻先に、憤怒で固めた拳を撃ちつける。

 硬い感触。砕ける音。

 憎き仇敵の顔面が歪むのを、()の目で見届けた。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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