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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
六 花さそふ 嵐の庭の
48/54

隔てる扉 二

 目を開けぬ永見を腕の中に抱え、鉄の墓標が林立する谷間を走る。

 左手の感覚は消え失せている。代わりに、手首から先が熱く()け付いた。割れた骨が神経を逆撫でする(たび)、脂汗が面当て(マスク)の内側を(つた)う。

 だが、立ち止まるは死と同義。背後から濡れた足で床を叩く、ひた(ひた)と滴った野狗子(やくし)の気配が追ってくる。徐々に、甘ったるい刺激臭が濃度を増した。

 天を仰げば、自立機(ドローン)が黒雲の如く渦を巻いた。天から見下ろしてくる幾十、いや百を超える『おたまじゃくし』の目がぎろり、と回る。

「そこカァッ!」

 沸き立つ泥水の様な怒号が背中を撃った。頭上から、風切り音と敵意が固まって降り注ぐ。先頭を切る鉄騎が、鋭利な回転翼を鎌に変え襲いかかる。

「ちぃっ!」

 乱暴に舌を鳴らし、段平(だんびら)の腹を噛む。空けた右手で棒手裏剣を見舞った。駆動部を貫き、螺旋を描いて墜落する。

 だが、多勢に無勢。一機だけ撃ち落としたとて、別の二機、三機が隙間を埋める。

 凶兆の影が増す。

  ――切りが無いっ!

 永見を支える左腕に力を込めた。込み上げる悲鳴を無視し、鉄柱の死角を縫う。右へ左へ、影から影へ。怪異の視線を(あざむ)き、攪乱する。

 やや遅れて、押し潰される鉄と肉の音。

「進路ダッ!道ヲ断テッ!」

 水提灯(ちょうちん)の命令を受け、『おたまじゃくし』は動きを変えた。狙いを男の首から、足止めへ。

 壁や床、鉄塔へ。命知らずに機体を突き立て、前の道を穿(うが)つ。鋼の雨が鉄の血管を千切(ちぎ)り、緑色の廃液を噴き出させる。

 断線した回路が爆ぜて赫い傷を刻み、黒煙混じりの緑霧が視界を遮った。

「逃ガサナイッ……!僕ノォ、身体ァッ……!」

 水提灯の粘着質(ねんちゃくしつ)な水音。煙る毒雲の奥から、黒い影が浮かぶ。

  ――近いっ!

 首を回し、逃げ道を探す。()(かく)、前へ。瓦礫を乗り越え、毒沼の上を跳ぶ。

 魔窟の(あるじ)此処(ここ)に居る。と言う事は、抜け道はあるという証左。

 ()れど目に()く限り、(わず)かな風穴さえも見当たらず。腰の端末で地図を確認する余裕も無い。

  ――何処(どこ)にあるっ!

 焦りが思考を泥沼に沈める。息苦しさで呼吸が乱れ、心臓が早鐘を打った。

 腕の中にある永見の華奢な身体が、鉛の(よう)に重い。


『哀れ。実に、哀れ』『退き時、潮時を見誤った者の末路よ』


 脳裏に重なり響く、嘲笑(あざわら)う声。


『滑稽。誠に、滑稽』『逃げ切れたとて、罪から逃げる事、(あた)わず』


 (うち)に住まう異相の住人。

 幻聴が鼓膜を震わせ、精神を削り取る。


『手負いの身で荷物を抱え、何処(いずこ)へ逃げる()もりか』『諦めよ。全て、徒労で終わりを告げよ』『此処(ここ)がお主の限界。()の地が終焉』『天意を、天命を受け入れよ』


  ――いや。()だ、やれるっ!

 段平を強く噛み締め、誹謗を一蹴する。

 (たと)え天意に(そむ)き、天命を(まっと)う出来ずとも。永見を無事に帰す(まで)()の足は止められぬ。

「……っ!」

 崩壊の始まった(はがね)の迷路を遮二無二、突き進む。(かす)かに肌を撫でる、外気の流れを頼りに奥へ。数少ない選択肢を、細い糸を辿(たど)る様に繋いでいく。

 だが――。


  クギャ……アァッ!


 不吉な奇声が進行方向を塞ぎ、眼の前で道を潰した。二の矢、三の矢。()(たび)に逃げ場を削り取られていく。

  ――しまった!

 ついに壁際まで追い詰められた。見回せど、目に飛び込むのは延々と続く終端。出口はひとつも無い。

 左右に伸びる細い(あい)路すら、ゆっくりと舞い降りた自立機によって(はば)まれた。

「サア、今度コソ、ちぇっくめいとダ」

 毒々しい(もや)を越え、姿を変えた野狗子が現れる。

 水鏡で作られた美貌が冷笑を浮かべた。

 腐肉と泥漿(でいしょう)()ね合わせた身体が、ゆっくりと近寄る。

 崩れかけた四肢を、膿緑の粘垢(ねんこう)が辛うじて支える、無残な命の贋作(がんさく)

「赤目。大人シク……」

 頭部を(かたど)る水球がぶくり、と泡立った。愉悦に声を湿らせ、白骨の浮き出た腕を伸ばす。

「…………ナンダ?」

 触れる寸前、白と緑の指先が止まった。

 (いぶか)しげな声で、見せかけの玉顔を振り回した。警戒心が、水提灯の中身を淀ませる。

「地震、デハ、ナイ?」

 怪異の疑念は、世界が上げた悲鳴で跡形もなく吹き飛ばされる。

 ずぅん、と。低く、鈍い振動を伴って。

  ――来るっ!

 身構えると同時に、床が波を打った。壁が(いなな)く。天井を支える鉄柱が、共振して鉄片を降らす。

「ヌオォッ!」水提灯が(つまず)く。

 徐々に近づく、絶え間のない地響きの震源。激しき縦揺れから、身を挺して眠り姫を庇う。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 壁の向こうから轟く咆哮が、側壁(そくへき)を打ち破る。

 芯を揺さ振る暴力的な破砕音。分厚い壁が瓦礫の雨に変わり、内側へと()ぜた。飛散した砕片が慰霊碑の列を殴りつけ、中身を無惨に吐き出させる。

「あんのぉクソガキィっ! テメェだけはぁっ!」

 巻き上がる粉塵の向こうから届く、聞き覚えのある悪態。

  ――もしや、と思ったが。

「やっぱりぃココかぁっ!ドンピシャだぜぇっ!」

 大黒(だいこく)は濃厚な殺意を撒き散らし、瓦礫を踏み砕いた。




 ぽっかりと空いた大穴から、巨大な影が躍り出る。土煙を切り裂き、()異形(いぎょう)が姿を現す。

 先の、小奇麗な背広姿とは似ても似つかぬ。

 肉体と呼べるのは半身だけ。残りの片身は道すがら集めたのだろう。再生の足りぬ部分を、瓦礫で無理やり補完した。半機半妖の、(ゆが)んだ醜悪な姿。

「絶対にぃっ、殺すぅっ! 八つ裂きにしてやるぅっ!」

 (すじ)張った肉を更に膨張させ、鉄屑を寄せ集めた片足を踏み鳴らした。首に掛かる襤褸(ボロ)が激しく揺れる。

「ヨクモォッ!いい所ダッタノニィッ!」

 野狗子も癇癪を爆発させた。横から獲物を奪われ、水提灯の根本から小さい泡が吹き出す。

「邪魔バカリ繰リ返ス、役立タズッ!オトナシク、ヒッコンデロッ!」

 籠もり(なが)らも、がなり立てる水音。耳(ざわ)りな声に、大黒の濁った瞳が動く。獲物である餓鬼を素通(すどお)りして。

「うるせぇっ!アレはぁ、オレの獲物だぁっ!」

 理性を失った獣の雄叫び。鉄骨と廃材が癒着した大腕を、棍棒の様に振り回す。周囲の自立機が巻き込まれ、(はかな)い火花を散らして砕け散る。

「ダマレッ!コノ欠陥品ッ!」

「ああっ?!」

 水提灯の罵倒に、大黒は充血した目で睨む。

「ソレはテメェもぉ、同じだろうがぁっ!」

「きさまト、一緒ニスルナァッ!」

 双方が同時に牙を剥く。大黒が砲弾の如く突進し、野狗子が両手を天に(かざ)す。

 怪異同士の、潰し合いが始まった。




「行ケッ!」

 水提灯の命令に従い、自立機が一斉に大黒へと突撃した。

 肉と鉄が()つかり、へし折られる硬質()(やわ)い音。『おたまじゃくし』の編隊は命を顧みず、矢継ぎ早に身魂を捧げる。

 ()れでも、もう一方の怪物は歩みを止めぬ。

「うぜぇんだよっ!」

 自爆を物ともせず、水妖を吹き飛ばした。勢い良く墓標に叩きつけられ、(ひしゃ)げる水提灯。蛍光色を壁に残して()り落ちる。

 衝撃で壁の配管が破裂し、緑の蒸気が噴出した。視界が白と緑の混濁に覆われる。

 千載一遇。

 ふたりの(いさか)いを利用せぬ手はない。汚染された断層を盾に、大黒が空けた大穴へと、ふたりして飛び込む。

 鉄筋の隙間を()り抜ける背中を、数機の自立機が見咎めた。

「寄るなっ!」

 矛先を変える鉄騎の襲来より早く、残った棒手裏剣を全て打ち放つ。吸い込まれた白刃が五月雨となり、消魂(けたたま)しい風鳴りを沈黙させた。


  グゥ……ギャアァッ!


 遅れて、異変に気付いた別の『おたまじゃくし』が向き直る。

  ――悠長に待つと思うかっ!

 壁の上から滴り落ちる垂水(たるみ)の傍で、指先を(こす)る。

 焙烙玉の着火に使う、爪に仕込んだ硝石から火花が散った。(たちま)ち、濁緑の落水が火柱に変わる。

  ――撒いたか。

 紅蓮の炎壁に目を細め、胸を撫で下ろす。

 が、読みは外れた。

 ぐおん、と重い振動が響く。飛び込んだ通路の奥で、逃げ道を閉ざそうと鋼鉄の垂れ幕が降り始める。緩やかな風を巻き上げ、鋭利な金属音の連打と共に。

  ――冗談ではないっ!

 慌てて永見を抱き、床を踏み込んだ。既に半分以上、道が消えている。腕の中で眠る(ぬく)もりを掻き抱き、必死の疾走。最後の一間(二メートル)、足を揃え滑り込む。

  ――間に合えっ!

 断頭台の切っ先が鼻先を掠めた。慈姑(くわい)頭の先端を、風圧が巻き込む。

 遅れた髪を置き去りに、地獄から隔たれた。




 頭皮の痛みと引き換えに立ち上がると、やけに明るい白亜の回廊が広がる。

 清貧な空気に五感が洗われる。騒乱の残響は防火壁に断ち切られた。耳を澄ませど、何ひとつ届かない。

「ふぅ」

 静(ひつ)の中、冷たい夜気が火照った頬を撫でた。段平を仕舞う余裕も生まれる。

 だが()ず、やらねばならぬ事がある。

「永見」

 床に座り込み、腕の中の温もりを揺すった。目は閉じた儘、返事は無い。彼女の口元から()()()、と緑の毒液が糸を引く。

()れかっ」

 右手の指を口内へ。躊躇なく喉奥へ指を突っ込み、嘔吐中枢を抉る。

「……っ、げほっ、げほっ……」

 御河童(おかっぱ)頭の背中が激しく波打ち、緑色の胆汁を吐き出した。それでも止まらぬ咳。肩が大きく上下する。

 収まるまで背中を擦り続ける。新鮮な空気が彼女の容体(ようだい)を落ち着かせた。

 呼吸が落ち着くまで、暫く掛かった。

「…………しぃ……君?」

 長い睫毛が震え、ゆっくりと(まぶた)が開く。

「っ……、ここは……?」

 焦点の定まらぬ瞳に、吐息に(まじ)わった。弱々しい声と虚ろな眼差し。未だ、夢と(うつつ)の狭間で漂っている。

「永見……」

 緊張が解け、全身の力が抜けた。

 と、同時に忘れていた激痛が蘇る。左手だけではなく、破片の刺さった背中も。堰を切って押し寄せる責め苦に、目の前が(しら)む。

「えっ?」

 ()の場でへたり込むと、御河童頭の顔から血の気が消えた。

「し、しぃ君っ。どうしたのっ?……きゃっ!」

 慌てる彼女が、がくん、と姿勢を崩す。歯を食い縛り、転がりかけた彼女の重みを胸で受け止める。

「あぁ。一寸(ちょっと)、な」

 顔を青()める永見に笑ってみせる。だが、頬が引き()るのは止められず。

「チョットって……手、ケガしてるじゃんっ……」

 矢張(やは)り、勘付かれた。永見の手が、包帯代わりに巻かれた布地を、上からそっと包む。

「あっ……、痛かった?ゴメンっ……」

「気にするな」

 目を伏せる彼女に、努めて明るく振る舞う。

()れより。早く此処から離れなければ、な」

 壁に手をつき、立ち上がった。

 動ける。其れだけが不幸中の幸い。永見も支えが必要であったものの、自分の足で立ち上がる事が出来た。

 改めて周囲を確認する。

 複数の渡り廊下が交錯した通路が伸びていた。

 暖色灯の続く、長い直線が左右に走る。何方(どちら)も、突き当りで二手に分かれた。所々に取り付けられた嵌め殺しの窓から、(いま)だ夜の中だと分かる。

「……入り組んでおるな」

 口の中で小さく(ぼや)く。

 一見では抜け出せそうもない悪意の迷宮。そう簡単には帰してくれぬらしい。

 果たして、どの道が出口に至る正解なのか。脱出口を探す支えに右手の指を額へと置く。

 と、永見がはっ、とした様に周囲を見回した。

「そういえば……、トオルはドコ?……一緒に来てないの?」

 無邪気で、残酷な問い。

「いや、知らんっ」

 嘘。面当て(マスク)の下で唇を噛み、声を荒げてしまう。

「一緒に、来たんじゃないの?」

「さぁ、の」

 自ら吐き捨てた言葉の棘に、喉が熱く灼けた。

大方(おおかた)、自分の部屋で震えているのであろう?」

 嘘。

 間宮は、人の形を失った。彼女の想い人は、この世の何処(どこ)にも居ないのだ。

 本当ならば、彼女に伝えるべきだろう。

 だが、躊躇われた。

 理由は、取って付けた様に後から浮かぶ。(いわ)く、彼女は今、感情的になっている。曰く、伝えるのは逃げ(とお)した後で良い。

 なのに、喉に詰まる(わだかま)りは溶けてくれぬ。

「なんでっ、そんなふうに言うのっ!」

 永見は言葉を荒げた。濡れた瞳に、ありったけの怒気を詰め込む。

「トオルのコト、なんにも知らないクセにっ!」

 何も知らぬが故の純粋な刃が、一番触れられたくない場所を抉る。

「……あ奴の性根くらい、とうの昔に理解しておる」

「ウソつきっ!」

 見透かす様な、鋭い眼差しが射抜く。

「ねぇっ!ホントのコトを言ってよっ!トオルはドコにいるのっ?!」

 御河童頭が利き手に(すが)り付く。毒の影響か、彼女の手は氷のように冷たい。立つのがやっとの状態だというのに、汚れた裾を強く握り締めた。

 今にも泣きそうな顔で。

「……っ」

 つい、彼女から目を逸らした。

 胸の奥底から沸き立つ、苦い怒りが喉から声を奪う。

 何故(なにゆえ)、間宮なのか。

 人の道を踏み外し、化物に成り果て、(あまつさ)え彼女を生贄に捧げようとした男。

 一体、彼の何が、永見の心を縛り付けるのか。

 ――と。

 混濁する思考で、外した視線の先。厚い防火壁の隙間から、何かが滲み出る。

 とろりとした、緑色の粘液。先程まで嗅いだ甘い瘴気が鼻に突く。

 消毒液の匂いで満ちる清潔な回廊が、瞬く間に冒涜的な悪臭で塗り潰されていく。

「……なに、このニオイ」

 永見も異変に気付き、服の袖口で鼻を覆った。示し合わせた様に、空調が不気味な音を立てて止まる。

  ――もう、来たのかっ!

 一瞬、呼吸が遅れる。

 低く打ち鳴らす鐘の(ごと)き打撃音と共に、防火壁が内側から丸く盛り上がった。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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