引き換えに、罪を重ねる 三
大黒が奈落へ消えたとて、目下の脅威が去った事にはならず。
グゥ……ギャァッ!
主を失った『おたまじゃくし』の咆哮が虚空を震わす。怪異を乗せた自立機が、切れ味鋭い断続音を上げ肉薄する。
数は二機。我先にと狭い足場へ特攻を仕掛ける。
――諄いっ!
傷を痛がる暇は無い。身を伏せ、迫る一機をやり過ごす。
凶暴な風圧が項の上を通り過ぎ、背後で圧壊する鉄と肉の断末魔。遅れて灼熱と火の粉が舞い戻る。
どうやら、勢い余って壁に衝突したようだ。
だが、終わりではない。
クシャ……ァッ!
最後の自立機が顔の横を通り過ぎ、帽子を煽った。後ろ髪が回転翼に巻き込まれ、黒い束が削られる。
「くっ!」
素早く立ち上がり、階段の手摺りを足場に宙へと踊り出る。重力に逆らいつつ、手甲の裏から棒手裏剣を引き抜いた。
狙いは空中の鉄騎。空中で身体を翻し、遠心力を乗せた一投。
夜気を裂き、ぎゅん、と鳴る細き鋼が『おたまじゃくし』目玉を貫く。手裏剣の重みに鉄騎が揺れた。怪異の死骸を捨て、ひっくり返る。
「ふんっ!」
闇夜に堪える自立機を踏みつけた。最後の足掻きを足場に使い、再び螺旋階段へと足を着ける。
振り返れば、哀れな足場は推力を失い、高度を下げた。黒煙を吹き乍ら横殴りで鉄管に激突し、爆炎を上げて四散する。
「ふう……」
耳鳴りを残し、騒々しさが消えた。遠くで喚き立つ警報音の音。探照灯の光源が遠くの壁に軌跡を描く。
「……っ!」
胸を撫で下ろすと共に、指に走る激しき痛み。眉根に皺が刻まれた。脈打つ疼きを食い縛り、改めて左手の状態を見る。
中指が在らぬ方向へ曲がり、どす黒く鬱血していた。先端だけでなく、全体から熱を発し、爪も割れて剥がれかける。
顔を歪める中、少しの安堵が胸中を巡った。
丸々と太った大黒に、革靴で踏み躙られたのだ。骨が折れただけなら儲けもの。砕かれ、二度と戻らないよりかは、ずっとまし、だ。
とは言え、放って置いては後々、大事。物入れから三尺手拭いを抜き取る。口と片手で引き裂き、小さい方の布を滑り止めとして痛む指に巻く。
残りは口元に咥え、きつく噛んだ。
「……うぐっ!」
痛む指を健手で固く握り、強く引っ張る。口に布の味で満たされた。
だが、我慢。酷使で歪んだ骨を、無理矢理に誤った噛み合わせから引き剥がす。
「……かはっ!」
最後に元の位置へ嵌めた。別の指を添え木にし、残した切れ端できつく巻く。
此処でようやっと、口から切れ端を離せた。肺の底から熱い呼気を吐き出す。
気休めの応急処置なのは分かっている。試しに動かしてみても力は入らず、動きも僅か。代償として高いのか、安いのか。判断するのは難しい。
『無様だな』
耳の裏で異相の声が響いた。何時も聞く、自分と同じ声。
『震えているではないか。小鹿の様に』
「黙れっ」
声を荒げてしまった。眉間の皺が別の意味を持つ。
『邪険にするのも如何なもの。死なば諸共の仲ではないか』
だが寄生する声は愉快そうに、苛立ちを甘露の如く啜る。
「黙れと言っておる!」
一喝。だが、内から響く声は止まらぬ。
『おお、怖いゞ。――だが』
語尾の温度が下がった。嘲る調子が鳴りを潜め、声音を冷たく引き絞る。
『どの面を下げ、彼女と会う気だ?罪に塗れた外道であろう?』
「別に。何でも構わぬ」
真。要は永見を無事に救えれば良い。其の他は、全て些事。
『……佐様か』
少しの間を置き、乾いた声が脳裏に響く。
『其れも宜しかろう。罪人同士、相性も良いだろうて』
「何っ!」
だが、呼びかけても異相の声は応じず。一方通行な遮断。自分勝手な逃げ口上に、憎々しく踵を鉄床に蹴りつける。
「全く」
応じぬ相手に愚痴を言っても始まらぬ。左手を庇いつつ、階段を上がる。
三周ほどしたであろうか。眼下で気の抜けた、何かが弾ける異音が響く。
「?」
視線を落とせば、走り抜けた鉄管から炎の舌が漏れ出した。
接合部から緩み、自重で捻じ切れる。大きな破砕音が続き、螺旋階段までも共振して軋んだ。突き上げる熱風に、帽子を強く押さえる。
――不味い。
嫌な気配。急ぎ螺旋階段を駆け上がる。
階下で大きな火球が咲いたのは、少し後であった。
足元が揺れる中、螺旋階段を一段飛ばしで急ぐ。頭上を塞ぐ蓋が不意に途切れ、無骨な鉄扉が顔を出した。非常口を示す緑色の灯りが、煤けた取っ手を頼りな気に照らす。
汚れた鉄扉から突き出た握り板を押し下げてみる。が、中の閊えが邪魔をする。
「くっ!」
下がり切らぬ取ってを前に、隠し物入れに忍ばせた枢鍵を取る。片手とて難しさは変わらず。時を置かず、手応えが返ってきた。
かちり。
指先に伝わる小さな手応え。重い金属音が閂の外れる音を奏でた。隙間から気配を窺い、そっと開く。
襲ったのは、煮詰めた果実の匂い。人工めいた不健全な芳香に、面当てで護った鼻を摘む。でなければ、嗅覚が死んでしまう。
だが。突っ込んだ顔を引き戻すと、下から肌を焼く熱波が吹き上がる。同時に、背後で響く鉄階段の拉げる重い轟音。
振り向かず、舌打ちする。
先の爆発は、思ってたよりも深刻であった模様。退路を断たれたのが、何よりの証拠。
最早、道は前だけ。意を決し、扉の隙間から滑り込む。
寒々しい程に広い部屋。いや、研究室か工場であろう。
高い天井は、大樹の如き鉄柱に支えられた。陽の光とは違う人工の暖色が照り、其の下で円筒形の機械が群れて並ぶ。
内側の壁にも、鋼管の束が這い回った。床は汚い緑の灯火の澱で濁る。
ごうん、と天井から鈍い音が降り注ぐ。どこか、四人の怨嗟にも似ていた。
「誰も居ない、か」
目を細めた顔を顰め、ぼつり。口から独り言が吐いて出る。
視界には人気はおろか、鼠の影すら見当たらぬ。単純な動作音と相まり、巨大な鉄の墓場に迷い込んだ錯覚を覚える。
果たして、斯様な場所に永見は居るのだろうか?
不安から携帯へと視線を送った。地図を開き、永見の居場所を確認する。
有り難い事に、地図は建屋の内部も示してくれた。近い。同じ階に居る模様。
「良し」
矢印を頼りに奥へ。警戒を解かず、物言わぬ墓標の狭間を進む。
規則正しい作動音と、液体が循環する水音に取り囲まれた。何かを訴えかける、悲痛な心音。
横目で機械のひとつを眺める。大きな窓が、墓誌の代わりに刻まれていた。緑液の中で視線が交わる。
直ぐに目を離した。胃袋から不快が込み上げる。
淡い緑の体液に浮かぶのは、肥大化した目玉。半ば溶けた『おたまじゃくし』の出来損ないが、力無く揺蕩う。
いや、他にもある。
骨が白く透けた人の腕。四肢と臓腑を失った胴体。嘗ては人間であっただろう、頭部の片割れ。
「……外道が」
喉から溢れる酸味を飲み込んだ。肩が震えるのは、吐き気だけではあるまい。
何が目的なのかは知らぬ。知りたくも無かった。
だが。一歩でも間違えれば、道徳から外れた営みに巻き込まれたに違いない。
――そして、永見も同じく狙われたのならば。
最悪の想定に、足が自然と先を急ぐ。気付けば、駆け出していた。
遺骸を飾る円筒の棺を、次々と通り過ぎる。幾つ数えたであろうか。部屋の終端まで近付くと、重厚な鉄扉が飛び込んだ。
把手も鍵穴も無い、一枚板の扉。隙間から漏れる甘い腐臭が密度を増した。
――誘っている。
直ぐに理解した。だが、何の為に命を懸けて死線を潜り抜けたのか。
――待っていろ。今、助け出す。
息を殺し、扉に触れる。其れだけで重い鉄扉は滑らかに開いた。
一瞬、白い光が網膜を焼く。
「…………っ!」
鼻を捻じ曲げる異臭が霧散した。代わりに満ちるのは、澄んだ朝の匂い。登校する生徒たちの喧騒が、遠くから聞こえる。
飛び込んできたのは、怪しき工場の最深部などでは無く、見慣れた学び舎の教室。
窓の外からは朝陽が差し込み、白く輝く光の粒子が煌めく。黒板は綺麗に掃除され、今日という一日の始まりを告げていた。
「……朝?」
思考が空転し、呼吸を忘れる。
違う。今は深夜。裏門で隙を作り、鉄管の上を走り、死地を抜けてきた。
真逆、あれが夢だと言うのか。ならば、何処から?
「もぅ!しぃ君たら、おっそいよぉ!ちーこーくーっ!」
疑念を挟む前に、無邪気な声が飛び込んだ。教室の窓際、特等席から呼ぶ声。
出処を見定めれば、其処に彼女は居た。
「どうして遅れるのっ!せぇっかくっ、カノジョが早起きして登校したのにっ!」
頬を大きく膨らませ、上目遣いで睨む永見椿。
愛らしい仕草に、思わず苦笑が漏れた。傷ひとつ無く、恐怖に怯えてもいない。いつもの、明るく快活な彼女の姿。
「……済まぬ。出掛け、姉上に呼び止められて、の」
戸惑う前に、口が勝手に動いた。淀みなく、自然と言い訳が滑り出す。
――違う。永見とは同じ級では無い。
脳裏の隅で、警鐘が鳴る。だが、安らかな空気に、心地よい温もりに流される。
記憶が、泡沫の贋に絆される。
「ホント?ウソじゃないよね?」
胡散臭そうに、疑いの眼差しを向ける御河童頭。疑問を拭えぬ剣幕に、つい目で助けを求めた。隣で爽やかな笑みを浮かべる、間宮透に。
「諦めろ、赤目。お姫様はワガママだって、キミも知っているだろう?」
悪戯っぽく目を細め、肩を竦めて見せる。気障な軽口に、敵意は微塵も感じられない。ただ面白そうに、誂う好青年が笑っていた。
――違う。間宮とは、殺し合いをしていた筈。
「そう育てたのは其方であろう?責任を取らぬのか?」
「いやいや。今のカレシは赤目、キミだよ」
意味深に、優男の手が肩に触れた。
「こういうのは、赤目が適役だと思うけど?」
――何を言う。永見は間宮を選んだではないか。
雨の公園での、悲痛な叫びが蘇える。『トオルがっ、スキだからっ!』という、彼女の叫び。
あの言葉は、幻聴だったのか?
――痛い。
混濁する意識の残影に、内から頭が痛んだ。耐え難い違和感が蟀谷を貫く。
「えっ?しぃ君っ、どうしたの!」
永見の顔色が変わる。吐息が触れる距離まで顔を寄せ、覗き込む。
「具合が悪い?保健室に行く?」
「……いや。大丈夫」
心配する永見から離れ、片手を持ち上げた。いつもの癖で、頭を掻こうとして。
何気なく朝陽に透かされた、穢れた包み布が時間を凍りつかせる。
「此れは……」
薄汚れた切れ端で乱雑に巻かれた左手の指。先端が赤黒く変色し、醜く腫れ上がる。爪は割れて血が滲んだ。
鮮烈な、死闘の痕跡。
「……うっ!」
まじゞと傷と向き合った途端、忘れていた激痛が蘇る。
指先から手首、肘、そして肩へ。神経を焼き切る鋭い痛み。骨から這い上がり、脳を穿つ激痛に、視界が色褪せる。
上書かれた記憶が、元に戻る。
炎に溺れた鉄管。奈落へ落ちた大黒。夜闇に響く『おたまじゃくし』の絶叫。
――此れは、悪夢。
ようやっと、目が覚めた。
今は朝では無く、学び舎にも居ない。間宮は頭を喪い、永見の行方も知れず。
故に、地獄へ足を踏み入れた。血と泥に溺れ、己の正心を失い乍ら、足を止めず捜し求めた。
「しぃ君?」
不思議そうに首を傾げる永見から距離を離す。其の儘、蹌踉めきつつも壁際へと移動した。目の前の光景が、ぐらりと揺らぐ。
「――しぃ君」
空気が変わる中、永見が名を呼んだ。胸元に手を当て、上から釦を外し始める。
口元には何時もと違う、卑しき夜鷹の媚笑。
――永見が、斯様な真似をする筈が無い!
躊躇は無かった。
妖しく光る御河童頭の眼差しを無視し、左手を高く振り上げる。
狙うは、目の前にある壁。否。幻覚の皮を被った、現実の何か。
程無く、硬質な衝撃音。布切れが破れ、骨が悲鳴を上げた。
「…………っ、ぐっ……!」
歯を食い縛り、奥底から込み上がる悲鳴を抑え込む。嫌な汗が噴き出し、其の場で蹲る。視界は明滅を繰り返し、使い物にならない。
だが、必要な事。
脳天を突き抜ける激痛。此れこそ、直視するべき真実。虚飾の世界で信じられる、現実への錨。
故に、耐える。容赦を知らぬ荒波を。
――今が、踏ん張り所ぞっ!
奥歯が砕けるかと錯覚する、長い煉獄の時間。若干、波が引く頃合いを見計らい、固く閉じた目を開ける。
元の場所へと戻っていた。
眩い朝陽は、冷たい工場の非常灯へ。黒板や壁は、無骨な鉄柱へ。爽やかな空気は、鼻を突く腐臭と湿気へ。
そして、ふたりは掻き消えた。
「……っ、はぁ、はぁ……っ!」
荒い息で肩が上がった。冷や汗を手で拭い、顔を上げる。
両足で立つ場所は、通り過ぎた部屋の続き。
灰色の墓標と天井を支える鉄柱が規則正しく並んだ。大気は人工的な腐臭に満たされ、不快を誘う緑の光が、床から毒々しく滲み出す。
違うのは、中央を貫く通路。水提灯が、緑と濁った金の縦縞が走る紳士服に袖を通し、城主であるがの様に、恭しく佇む。
其の姿を他人と間違うものか。間宮の身体を奪った怪異――野狗子である。
「…………目ヲ覚マスナンテ。ヤハリ赤目ハ、野暮ダネ」
液状の頭部を揺らめかせ、心底、残念そうに肩を落とす。
振舞う仕草は、嘗ての持ち主に似ていた。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




