引き換えに、罪を重ねる 二
鉄管の上に降りるや否や、闇の奥処まで届く重低音。亡者の嘆きを思わせる慟哭が壁や鉄管に反響する。
臓腑を掻き回す不協和音が正心の声と重なった。外と内、双方からの挟撃。逃げ場無き責め苦に、軽い目眩を覚えてしまう。
「くっ!」
歯を食い縛る。強く頭を振り、幻覚を追い出した。震える膝を無理に奮い立たせ、足を進める。
過ぎ去った足跡を光の束が通り過ぎた。
不意に谷底を襲う閃光。白濁とした柱が次々と生まれ、鉄骨や配管の表面を舐め回した。一本、またゞ。探索の明網が行き交い、怪しき人影を炙り出す。
――早過ぎる。
ついさっき、不審な音を立てた。とは言え、動きが早い。如何に警備が厳重とはいえ、尋常の域を超えている。
悪態を吐く余裕も無い。光の追跡に見付からぬ様、慎重に。九十九に折れ、時に真上へと伸びる鉄の道を走る。地図が指し示す矢印を頼りに天守へ。甲高い足音は警報音が掻き消した。
何度、影に身を潜めただろうか。時に鉄管の裏にしがみ付いて逃れ、時に濃い闇の澱みへ同化する。頭上を警報音と探照灯の爪先が闇夜を薙ぐ中、やがて本丸の影が夜の靄に浮かび上がる。
後もう少し。逸る気持ちが足を急がせる。
矢先、意識の死角から羽音が飛び込んだ。細く、高く、耳の奥を煩わせる金属音。項に焦げる警鐘が走り、音の出処を目で追う。
頭上を飛ぶ視線と絡み合った。鋭角的な金属の箱が、回転翼の力を借りて夜空を舞う。
自立機。南蛮の戦で猛威を振るう、鉄の死神。
「なっ!」
風を食む回転翼の隙間に居座る物体を認め、息を呑んだ。空を飛ぶ鉄騎の背に、乗り込んだ怪異の影。巨大なひとつ目を細め、と大きな口が横に広がる。
ギャ……アァッ……!
『おたまじゃくし』が口を開け、吠えたのが合図。怪異を乗せた奇怪な自立機が、見定めた獲物を目掛け急降下する。
前日に見た報せと重なった。
遠い異国で長く続く、戦場のひと幕。逃げ惑う兵士に無機質の殺意が襲い掛かる。最後は決まって、ぶつかる寸前に映像が止まった。
「くっ!」
手甲の裏から棒手裏剣を引き抜き、素早く投げつけた。白刃は回転翼ではなく、その中心――駆動部を正確に射抜く。
火花が散り、制御を失う空飛ぶ悪意。『おたまじゃくし』共々、眼下に広がる闇へ吸い込まれる。
聞いた事の無い断末魔が尾を引いた。やがて、遥か下で潰れる音が木霊する。
「……画面の向こう側と同じ、か」
他人事として見ていた映像が、眼の前で顕現する。気付けば、長く息を止めていた。
だが、感傷に浸る暇も与えてくれぬ。
「っ!」
別の飛音を鼓膜が拾い上げ、思わず舌打ちする。一難去って、又一難。無慈悲な殺意が続け様に押し寄せる。
――しつこいっ!
警報音と、探照灯。そして『おたまじゃくし』を載せた自立機。死地に飛び込んだのだと痛感する。
だとしたら、好都合ではないか。
脈が早くなるのを感じる。不覚にも、自然と熱い血潮が全身を巡った。
足取り軽く、鉄から鉄へ。左右の壁が途切れ、本丸の壁がぬらり、と眼前に現れた。手が届くまで五間も無い。この一本道を駆け抜け、最後に飛翔すれば良い。
足を止めざるを得なかった。
天守の壁から鋭利な殺意が、唸りを上げ飛翔する。体重を逸らし、仰け反る様に身を翻す。風を切る音が頬を掠めた。
「相変わらず、気に入らねぇガキだっ」
気に入らなそうに鼻を鳴らす音。何度か聞いた声に、目線を前に向ける。
正面。本丸に伸びる鋼管の脇に据えられた、鉄製の螺旋階段。踊り場から忌々し気に睨み付ける、腹の突き出た人影。
大黒だ。
点検用だろうか。螺旋階段の踊り場で大黒が不敵に嗤う。全裸では無く、濃緑の背広を纏っていた。手には大きな木と樹脂の複合体。形からして連弩か。
「当てて良いのか?」
いきなりの挨拶に、わざとらしく溜息を吐く。
「狙っておったのだろう?此の身体を」
「今だって狙ってるさ」
獰猛に口端を広げ、舌舐めずりをひとつ。重そうな凶器を構え直し、標的に狙いを合わせる。相手の手元から小さな回転音が弦を巻き上げ、弓が撓った。
「だがな。ムカつくが、野狗子が許してくれねぇ」
だが、大黒は絶対的優位を其の手で手放す。照準から目を離し、連弩の切っ先を下ろした。
「今はココで勘弁してやる。ありがたく思うんだな」
「それはゞ。尻にでも敷かれたか?」
「ケッ!」
安い挑発には乗らず。大黒は恨めしそうに唾を吐き、険しい視線を放り投げる。背後、羽音を率いた唸りに向けて。
「カスどもっ、攻撃すんじゃねぇぞっ!」
大声を張り上げれば、『おたまじゃくし』を乗せた鉄鳥は四方を囲んだ儘、示し合わせて中空に静止する。親に叱られた子供の如く、一斉に殺気を潜めた。
「懐いているな。其方の隠し子か?」
「うるせぇ!」
大黒は苛立ちを隠さず、連弩を乱暴に肩へと担ぎ直す。
「とにかくっ、大人しく付いて来てもらうぞっ。招待状は受け取ったんだろ?」
「招待状?」
記憶の無い響きに首を傾げる。と、大黒は眉間に大きく皺を寄せ、激しく毒つき始めた。
「あのマヌケ野郎っ!だからオレはムリだって言ったんだっ!」
詰る言葉が止まらぬ。癇癪を抑え切れず、手摺りを乱暴に蹴りつける。
「其の間抜けとは、鷲鼻の事か?」
疑問を口にすれば、大黒は押し黙った。暫く目を白黒した後、痛快に笑い飛ばす。
「鷲鼻、かっ!あのブサイクにゃあ、ピッタリな名前だなっ!」
脂ぎった肌が探照灯の残光を弾き、闇夜に不快な艶を放つ。
「とにかく、結果オーライだ。無能なバカ野郎のせいで少し予定は狂ったが、なんも問題ねぇ」
大黒の調子の良い軽口に、自然と踵を上げ、膝を軽く曲げる。臨戦態勢。
「仲間が死んだというのに。よくも嬉しそうに笑えるな」
「は?ナニを言ってんだ?」
嘲笑の質が変わった。信じられぬ、という正気を疑う一瞥が、冷風に混ざり頬を突き刺す。
「アイツが死ぬワケ、ねぇだろ?いったいダレが――」
「獏だ」
「ナニぃっ!」
短く名前を教えれば、大黒は顔を引き攣らせ、目を見開く。
「なんでテメェが獏のコトをっ?!」
唇が戦慄き、顔を真っ赤に染める。銃床を肩に押し当て、先端を乱暴に突き付ける。
「妙な縁があってな。だが、其の場に居合わせたのは偶々」
動揺を隠せぬ大黒を前に、敢えて一拍。大黒の反応をじっくりと窺う。
「可哀想に。命乞いの最中、獏に踏み潰されたぞ」
「クソッタレェッ!」
真を伝えれば、大黒は吠えた。
怒りに任せ、引き金に掛けた指が動く。立つ位置を摺らし、放たれた凶矢の軌道から逃れた。刹那まで頭があった空間を貫き、背後で金属同士が噛み合う鈍い音。
直後、霧雨の様な音が背中を濡らす。瘴気を孕んだ真夜中の湿気に、柑橘の匂いが漂い始めた。
「いきなり何を」
「うるせぇっ、獏の手先めっ!」
甚だしい思い込みが、会話を切り捨てた。
「こうなりゃぁっ、ハナシは別だぁっ!」
堰が決壊する。絶叫が頼り無い鉄橋を震わせた。熱り立つ大黒に合わせ、大人しかった自立機が呼応する。一段と唸りを上げる耳障りな羽音。
クワゥ……ァアァ……ッ!
『おたまじゃくし』が総出で不協和音を奏で始めた。不吉な合唱を背に受けつつ、足裏へ全身の力を送る。
鉄管を踏み込み、大きく跳躍。殺意を宿した機械と妖気の鼻先に、足を突き出して迎え撃つ。
足裏で、柔らかいものが潰れた。
怪異の口から漏れる濁った音。眼球が腐った果実の様に圧壊し、厚皮から汚らわしい飛沫が霧散する。
此処で終わりにさせぬ。
蹴り潰した自立機が落下するより早く、鉄の躯体を足場に強く蹴り下げる。作用と反作用。物理の理を強引に説き伏せ、身をより高く闇の彼方へ。
上空から待ち受ける別の自立機。『おたまじゃくし』の口が大きく開く。
ギャアッ!
吠える怪異を横目で捉えた。白い歯の並ぶ口が迫る。
噛み付かれる寸前、手鉤の爪を『おたまじゃくし』の目玉に突き立てた。掌底の要領で押し付ければ、茶色い怪異を容易く裂き、鉄の胴体を破壊する。
――いや、まだっ!
半ば鉄屑となった機械を掴む。慣性を力尽くで捻じ伏せ、空中で半回転。手にした残骸を建屋へ投げつける。
大黒の居る、螺旋階段に向けて。
「ぬぉっ!」
肥満の男が驚きつつ、矢を放った。風を切る太い杭が、怪異と鉄塊を貫く。
漆黒が一瞬、反転する。
機械の、貫いてはならぬ箇所を貫いたか。自立機が、闇夜に白い世界を焼き付けた。
僅かに生まれた隙に鉄管を踏み直すと、勢いを殺さず前へ向かって蹴る。
相手の反応が全て遅れた。
五間の間がみるゞ埋まる。残るは鉄管と螺旋階段を隔てる隙間だけ。
「クソがぁっ!」
慌てた大黒が引き金を引くも、矢は放たれず。弦を巻き上げる、駆動装置の音が止まらず。
失策は見逃さない。鉄柵目掛け、全身を発条へと変える。
足が離れる寸前、背後の空気が瞬時に沸騰した。
鼓膜を劈く炸裂音と、圧縮された大気が背中を熱く押す。幾つか、破片が背中を刺すのを感じた。
――痛っ!
背負い鞄が防いでくれたとはいえ、五臓六腑を揺さぶる衝撃までは庇い切れず。背を灼く感触と共に宙へと投げ出される。抗えぬ儘、配管から身体が引き剥がされる浮遊感。
「ぬおっ!」
片腕を上げ、身を守る大黒。目を背ける直ぐ目の前で、鉄柵に胸板から叩きつけられた。
「がっ!」
肺を激しく押し付けられ、口から汚い嗚咽が漏れる。背中を走る激痛と、前から襲われた衝撃。一瞬、視界が暗転する。
姿勢を崩し、鉄柵の反動で弾き出された。跳ねた身体が螺旋階段から離れていく。
重力が、足元から奈落へ引きずり込む。
――なんのっ!
咄嗟に腕を伸ばした。左手が床板に引っ掛かる。渾身の気を送り、最後に残った指一本で食らいつく。
全ての体重が、たったひとつの関節に食い込み骨が軋んだ。宙に浮いた足が虚空を掻き、深淵が口を開く。
「ザマァねぇなっ!クソガキィッ!」
巨大な影が覆い被さった。頭上から降り注がれる、粘着質な声。
「形勢逆転ってヤツだ。残念だったなあっ!」
大黒が醜い愉悦を浮かべ、見下ろしてきた。ねっとりとした視線が、鉄柵の外で揺れる我が身を嬲る。
「死ねば……、身体は手に入らぬぞ……」
意識が途切れそうになる程の痛みを堪えつつ、肺の残滓を絞り出した。額に脂汗が滲む最中、其れでも揚げ足を奪い取る。
「……良いのか?」
「うるせぇ!」
顔を真っ赤に茹で上げ、泥と油に塗れた革靴の裏を高く振り上げる。狙われたのは、残された指。
「こうすりゃ落ちんだろぉが!ええっ!?」
――みしり。
踏み付けられた爪先が悲鳴を上げた。言葉にならぬ激痛が脳髄を焼き、肺腑から声にならぬ呻きが押し出される。
「ヤツのカタキ……ってな!覚悟しろやっ!」
大黒の足首が重みを増した。卑下た笑みを張り付かせて身を乗り出し、手にした連弩を突き出す。鏃が狙うのは、無様にぶら下がる男の眉間。
待っていた瞬間。
骨を砕かんとする苦悶を意識から追い出し、踏み付けられた楔を起点に夜の帳を蹴る。指一本を引き換えにした、決死の横回り。腱が焼き付く熱に耐え、勢い良く天地を逆様にする。
「ぬがぁっ!?」
間の抜けた大黒の顔が急所を晒した。其の横面を、逆立ちから繰り出した蹴りが深々と抉る。予期せぬ抵抗に肥満体は姿勢を崩し、階段を支える鉄柱まで吹き飛ばされる。
指に掛かった重石から解放される。
「せいやっ!」
裂帛の気合いと共に、鉄柵の隙間に足を捩じ込んだ。足場を得て上半身を引き上げれば、螺旋階段の内へ身を躍らせる。
「このぉガキゃあっ!」
大黒は意地汚く握り締めた連弩を、殺意に任せて振り上げる。だが、遅い。狙いを付ける前に、構えた矛先を蹴り上げる。
為す術も無く、乾いた音を立て階段を転げ落ちる凶器。
「なっ!」
贅肉に囲まれた目が自らの獲物を追いかけた。その隙を見逃す道理無し。大黒の、丸々と肥えた手首を捕まえる。
「ナニぃっ!」
肉付きの良い口から放たれる、裏返った声。手の内に隠した手鉤の爪が、柔らかい肉に食い込む。
「ぎゃあっ!」
鉄爪が繰り出す呪縛の痛みに、大黒は暴れた。腕を引こうと足掻き、傷口を広げる。黒く濁った血が迸り、鉄床を汚す。
離しはしない。腰を引く大黒の重心を奪い、片手で腕を絡める。懐へ滑り込み、太った身体を腰に乗せた。
柔道で言う、一本背負い。――終いだ。
ゴォッ……ガァアッ!
周囲で羽撃く『おたまじゃくし』が騒めき立った。後の祭り。背中の重みが消え、生温かい風圧が通り過ぎる。
「うがあぁあぁぁっ!」
放物線を描く大黒は、簡単に鉄柵を乗り越えた。引力に呑まれ、夜の深部へ消えていく。
数瞬の間を置いて、一際大きな衝突音が峡谷の底から響き渡った。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




