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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
六 花さそふ 嵐の庭の
44/54

引き換えに、罪を重ねる 一

 深夜。忍具を収めた鞄ひとつを(かか)え、最終の乗合(バス)に飛び乗る。

 座席に深く腰掛ければ、上着の裏に隠した革鞘が背中に当たった。刺青(いれずみ)(のこ)した、形見の段平(だんびら)

 他に乗り込んだ客は皆無。道から伝わる振動と、重苦しい駆動音が延々と続いた。乱暴に曲がる(たび)、吊り革が一斉に踊る。

「ふぅ」

 軽く息を吐き、窓枠に頭を預ける。

 昔の(なら)いに従えば、北方からは(よろ)しからず。吉方から忍び入る(ため)、西方へ。道順の都合から、自然と距離が伸びる。

 (げん)担ぎなのは承知の上。だが、望みを繋ぐ細い糸。頼り無いが、(すが)るしか無い。

 視線を窓の外へと向ける。硝子(ガラス)の奥に映る顔が剥離した。

 目深に被った半(つば)の帽子に深い色の面当(マスク)。幾重にも屈折を繰り返し、折り重なった(まぼろし)と目が合う。

 誰かにそっくりな、だが何処(どこ)か違う鏡合わせの凶相。

『貧乏(くじ)を引いたな』

 口()を上げる残酷な笑みだった。

何故(なにゆえ)其処(そこ)まで骨を折る?裏切った者を救う義理は無かろう?』

  ――義理は無い。だが、(えにし)はある。

『縁?』

  ――友が悪漢に捕まったのだ。何もせぬ(わけ)には行かぬだろう。

 (まこと)

 押し掛けた相手とは言え、一度なりとも友と呼んだ。見捨てる選択肢など(はな)から無い。

 ()れは、けじめなのだ。

 もしかしたら。異相を呼び込んだとばっちりを、彼女は受けただけかも知れない。

 であるならば。尚更(なおさら)、助け出す理由も深くなる。(わざわ)いの種を蒔いたのは己が身。花を咲かせる前に、芽は摘まねばならぬ。

『便利な言葉だな。友、と言うのは』

 独善だと言いた()な薄ら笑いに、永見の境遇を愚弄する性根に、奥歯を鈍い音で()き潰す。

『だが、誰かに犠牲を()いるのは如何(いかが)なものか』

 黙って虚像を睨み付ければ、異相は追い打ちを仕掛ける。

『姉上は泣いておったぞ』

 愉悦に満ちた詰問。意識を(えぐ)る鋭利な棘を前に、目を閉じる。

 ()れど、(まぶた)の裏に先程の光景が焼き付いて離れず。




 外から差し込む薄明かりの中、静かに立ち去る()もりだった。が、私室から足を踏み出した瞬間、室内灯が一瞬にして居間を漂白する。

(しのぶ)、どこへ行くつもり?」

 硬い杖の音と共に、姉が出口を(ふさ)いだ。

「夜も遅いのに。大きな荷物を持って」

 普段の呑気(のんき)を消し、全てを見透かした賢姉の瞳が全身を射抜く。普段では見た事も無い、人が変わったかの(よう)な迫力に、進むも引くも出来ず。()の場に立ち尽くすのみ。

「もしかして、蜂谷くんの所へお泊り?にしても、時間が遅すぎやしない?」

 せめてもの優しさなのだろう。姉が用意した逃げ道に飛び付きたい衝動を殺し、(かぶり)を振った。

「……永見を、助けに」

 ようやっと(ひね)り出した言葉に、姉の目が少し見開く。

「永見さん?」

「悪漢に捕まった様だ」

 ()の後に(およ)んでは、姉に嘘を()けぬ。短く(まこと)を告げると、彼女は肩を落とした。

「……なんで、そういう大事なこと、先に言わないの」

 沈黙の後、呆れた(よう)に天を仰ぐ。悲痛な色を浮かべる顔を隠したか思えば、長い髪を掻き(むし)り出した。

「スグに警察に言わなくっちゃ。今から電話……」

(しば)し、猶予を」

 慌てて左右を探す姉を手で制した。(にわか)に、姉弟を分かつ空気が張り詰める。居間が風船の中身なのか、指先に圧が掛かった。

「……他に、なにかあったの?」

 疑惑の棘を含んだ姉の問いに、沈黙で答える。

「どうしたのよ。黙ってないで答えなさい」

 胸を締め付ける罪悪感と、詰問の連打。呼吸すら忘れる重圧に、ただ言葉を探した。乾いた口が自然と開き、また閉じる。

「彼女との、約束なのだ」

 嘘。白い目を向けた姉に、迫真の大芝居を打つ。

 だが其の実、真でもある。

 永見の事、忍びの事。ずっと躊躇し、後回しにし続けた。

 (ゆえ)に今、(むく)いを受けねばならぬ。覚悟を先送りにした(とが)を、臆病に振舞った罰を。

 ()れが、正心を失いし外道の出来る、唯一の恩返し。

「…………」

 どの(くらい)、見つめ合ったか。鋭い双眸に(しっか)りと受けて立つ。

 分かっている。忍びの(わざ)を振るうてはならぬと。振るえば、奈落の底に落ちると。

 たが、永見を救うには必要。今は禁忌を犯すも(いと)わぬ。

「……分かったわ」

 意外な言葉に顔を上げると、姉上は微笑んでくれた。今生の別れを予感させる、寂しげな(かげ)り。

「終わったら、すぐ帰ってらっしゃい」

 余りにも、優しい声だった。

 見てられず、其の場で視線を下げた。帽子を深く被り。無言で横を素通りする。

 背後で姉の気配が少し動く。何も声を掛けられぬ(まま)、玄関を出た。




 突然、車体が大きく跳ねた。不意に襲われた縦揺れに、泡沫(うたかた)の夢から現実に引き戻される。

 空席(ばか)りが目立つ車内に(ひと)り。青白い蛍光灯が、闇の底を走る密室を切り取る。(よど)んだ夜気が肌を撫でた。

()れも(また)、良し。貴様の責め苦には相応しい』

 窓に映る影が、卑しい笑みと共に霧散する。残されたのは漆黒の夜景だけ。

 背(もた)れに寄り掛かり、息を吐く。

「次は陸道東、陸道東。臨海防疫所へお越しの方は――」

 生気の無い電子音が目的地を知らせてくれた。傍らの(ボタン)を押し、赤い灯火を点ける。

 やがて何事もなく、乗合は止まった。手甲の裏に仕込んだ棒手裏剣が音を立てぬよう、慎重に降り立つ。

 鼻を突いたのは、薬品と潮風が混じった異臭。

 春の気配は汚れ切った排気に搔き消された。沿道の木々も葉を付けず茶色い幹を晒し、街灯が病的な色で光の輪を描く。隣の車道で、大きな駕籠を背負った貨物車(トラック)が横を追い越した。

 土地の歴史を切り捨てた、殺風景な景色。ごうん、と昏き空が鈍い音を響かせる。

「……此処(ここ)か」

 端末を取り出し、地図を確認する。

 施設を上空から俯瞰した、精緻(せいみつ)なものだった。建物内部の部屋、通路、その他諸々を確認することが出来る。

 四方を道路で切り抜かれた敷地を、高く(そび)えた塀で囲う。その内側、中心の建屋を守る様に、大小の構造物が所狭(ところせま)しと敷き詰められている。

 其れ等は独立しているようでいて、空中回廊によって蜘蛛の巣の様に連結されていた。

「砦、いや城だな」

 線図を指で動かしつつ、独りごちる。

 中心の建屋が天守閣ならば、周囲を固める建屋は(さなが)ら曲輪。回廊は渡櫓(わたりやぐら)と狭間を兼ねていよう。見上げる三間(あま)りの塀は城壁で、脇の車道は空堀か。

 守り易く、押し入りを防ぎ、忍び入るを拒む。良く出来た今世の魔城である。

「ん?」

 永見を示す光点は、橋の下で確認した時より少し右へ移動し、中央の建物――本丸の深奥で止まっていた。

 感嘆の息が漏れる。どんな絡繰で位置を特定しているのか、見当もつかぬ。が、渡りに船。

 端末を仕舞い込み、前(つば)越しに前方を見る。

 地図とは見た目が違う大門は、拒絶の意思を示す(よう)煌々(こうこう)と照らされていた。固く閉ざされた鉄門扉の上で、監視の眼が(せわ)しなく首を振る。

「此れを通用門、とは呼ばぬぞ」

 思い描いた絵図との違いに、思案する頭を手で支える。

 万川集海に従うならば、裏口から忍び入るに利得有り。だが、蟻の這い出る隙すらない物々しさ。手詰まり感に思わず舌打ちする。

 とは言え、手を(こまね)く暇は無い。使えるものを探す(ため)、丹田に溜めた気を広げる。

 ――掛かった。

 背後から迫る、重低の駆動音。五感の網が、巨大な鉄の塊を捉える。光の双槍を先頭に、足元から振動が伝わる。

 街灯の(そば)で屈み、靴紐を直すふりをする。作り出した死角で袖口に指を忍ばせ、棒手裏剣を一本、引き抜く。

 ()の間にも、貨物車は加速度的に近付いた。車輪が回る音、濃さを増す排気臭。十間(二十メートル)(またた)く間に消える。

 今。

 腕を(しな)らせ、手の内に隠した棒手裏剣を放つ。残心も見せぬ早業。鋼の刃は闇を裂き、運転席の窓硝子(ガラス)を粉々に砕く。

「うおぉっ!?」

 (ひび)割れ砕かれた窓の隙間から、驚愕で顔を固める髭面が見えた。予期せぬ襲撃に慌てふためき、彼の腕が反射的に舵を切る。

 巨体が大きく(かし)いだ。

 制動を失い、四角い車両が大きく左右に揺れる。貨物車(トラック)の片輪が縁石の上で跳ね、抗えぬ自重に引かれ横倒しとなる。

 硬い地面と鉄が噛み合い、轟音と共に散る火花。四角い車両は勢いを殺せぬ(まま)、歩道を横切り門柱へと激突した。

 誰の目からも分かる惨事。門扉を守る監視の目が一斉に、大音響の元へ吸い寄せられる。

 好機。

 生まれた死角に(もぐ)り込み、街灯の柱を駆け上がる。一歩、二歩。重力に逆らい、垂直に。

 幼少より麻の木を飛び越えた脚の力。多少の高さで諦めると思うたか。

「っ!」

 頂点に達した勢いに任せ、数間離れた塀へ跳躍一番。上端を(かす)めつつ、底知れぬ魔(くつ)の中へ頭から飛び込む。

 落ちる間際、ちら、と鉄門に視線を飛ばす。壁が外界を遮る最後まで、扉が開く素振りは無かった。




 接地した瞬間、全身を使った受け身で落下の衝撃を殺す。慣性の残り(かす)を前回りで分散すれば、怪我ひとつ追わずに地面へ降り立つ。

 白い壁に囲まれた中は、死んだ(よう)に静まり返っていた。

「誰も居ないのか?」

 塀の外で大きな騒動が起こっている。なのに壁を一枚、隔てただけで人の気配、生物の息吹が掻き消える。

 無機質な鉄管、白煙を吐く煙突、機械が稼働する低い鼓動。城の臓器は動いているが、管理する人の匂いが皆無なのだ。

 ()れだけ大きな施設。夜勤の作業員や警備員が居ても可怪(おか)しくは無いというのに。

「さて」

 罠か、(ある)いは招かれざる客人への特異な持て成し(かた)か。ともあれ、呑気に構えていられない。

 中腰を維持し、建屋の間に(わだかま)る闇を進む。同時に四方に気を放ち、不可視の触覚で網を張る。

 反応があった。外ではなく、内側から。


『不徳、此れぞ不徳』 『未だ、罪を重ねるか』 『踊り狂う時は過ぎたのに。舞い遊ぶ時に(あら)ず』 『救い難き阿呆(あほう)。其の行い、神仏は見逃さぬ』


 淑女、壮年、童、老翁。仁義忠信を(つかさど)る幻聴が内耳(ないじ)に響く。

 正心が、骨の(ずい)まで染み付いた忍びの心得が、五体を内から(むしば)む。

 立ち(どころ)に息が乱れた。不快な汗が額から落ち、右目に染みる。

  ――分かっている。だが、暫し待て。

 呪詛とも言える声々を奥歯で()り潰す。

  ――せめて、永見を救う(まで)()の後ならば、どうなっても構わぬ。

 だが、沸き立つ影の追求は収まらぬ。断罪の言葉を唱え、道を踏み外した代償を執拗に求める。振り払おうとも背中に張り付き、逃がしてくれない。

「くっ!」

 悪態が喉を()いた。迫る四人の気配から逃れようと、動きを早める。

 焦る気持ちが、足元を(おろそ)かにした。

 爪先に小石が当たり、(つぶて)となって闇を走る。向かいの鉄管に当たり、静寂を汚す異音が甲高く反響した。

「しまっ!」

 即座に、複数の足音が応じた。闇の奥から引き()る、何処(どこ)かぎこちない摩擦音が近付く。

「ちぃっ!」

 失態を()いるのは後。手近な隙間に身体を()じ込み、息を殺す。

 相手は静かにやって来た。

 闇の中から目を()らせば、薄緑の作業服を着た男達が、奥深い(よど)みの中から姿を現す。

「…………」

 一団は無言で立ち止まり、懐中電灯の光を(かざ)した。つい先刻まで居た場所を執拗(しつこ)く舐め回す。照り返しを受け、青白い顔が漆黒の底から浮かぶ。

 虚ろな白目に、縫い合わされた(よう)に閉じた口。折り重なる光線の中で、不自然な(つや)を放つ。

 (まさ)に亡者の群れ。口に出さず、腹の底で舌打ちする。此処(ここ)が魔窟である、と痛いほど思い知らされた。

 首筋に冷たい汗が流れる中、本人達の意思とは思えぬ緩慢な捜索は(しば)し続いた。

 だが、成果を得られる(はず)も無い。亡者たちは獲物が見当たらぬと悟ったか、互いに顔を突き合わせた。内、ひとりが口を開く。

 戦慄が走る。

 口内は詰め物で埋まっていた。舌が有るべき場所に大きな眼球がぬらりと現れ、ぎょろりと辺りを()め回す。

 

 オォォ……ギャァアァ……ッ!


 虚空へ向け、籠もった声でひと鳴き。耳朶(じだ)を打つ産声は、路地や警察署の出来事を鮮烈に思い起こさせる。

「…………」

 索敵の咆哮か、威嚇か。油断ならない時間が過ぎる。

 やがて、亡者の一団は再び動き出した。誰もが等しく、膝を使わぬ(いびつ)な動きで狭間の奥へと去って行く。

 だが、白い背中が消えても()ぐには動けず。(てのひら)がじっとりと汗ばみ、鼓動が早鐘を打つ。

  ――少し、黙って貰おうか。

 誰にとも無く、胸中で(つぶや)いた。向けられた先は去りゆく怪物へか、其れ共、未だ脳内で囁き続ける四人の影へか。

「……ふぅ」

 肺の(よど)みを全て吐き出した後、夜風を息長(おきなが)の法で吸い込む。乱れた気を落ち着かせる(ため)、手で顔の半面を覆う。

 ()の先、地面を這い回るのは愚策。何処(どこ)か別の道は無いか。活路を求めた視線が天を仰ぐ。

 宙を走る鉄管が飛び込んだ。巍然(ぎぜん)する建屋の渓谷を縫って、無数の鉄管が四方に伸びる。壁や華奢な吊り金具に支えられた、体重を掛ければ悲鳴を上げそうな頼り無い管。

「行けるか?」

 首を(かし)げる時間も惜しい。素早く背負い鞄から手(かぎ)を取り出す。手袋の(よう)に嵌めれば、手の内から鉄爪が生える登攀忍具。

 壁に鉄爪を食い込ませ、米俵と同じ体重を押し上げる。

 手応えは十分。指の力も借り、猫のしなやかさで垂直の壁を駆け登る。

 鉄管の高さを超えるのに然程(さほど)、時間は掛からず。十分な高度を稼げば、身を宙に躍らせる。

 音も無く、錆びた鉄管の上へ着地。瞬間、足元の管が(かす)かに震え出す。

 不気味な低い唸りが、夜の静寂(しじま)を切り裂いた。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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