引き換えに、罪を重ねる 一
深夜。忍具を収めた鞄ひとつを抱え、最終の乗合に飛び乗る。
座席に深く腰掛ければ、上着の裏に隠した革鞘が背中に当たった。刺青が遺した、形見の段平。
他に乗り込んだ客は皆無。道から伝わる振動と、重苦しい駆動音が延々と続いた。乱暴に曲がる度、吊り革が一斉に踊る。
「ふぅ」
軽く息を吐き、窓枠に頭を預ける。
昔の習いに従えば、北方からは宜しからず。吉方から忍び入る為、西方へ。道順の都合から、自然と距離が伸びる。
験担ぎなのは承知の上。だが、望みを繋ぐ細い糸。頼り無いが、縋るしか無い。
視線を窓の外へと向ける。硝子の奥に映る顔が剥離した。
目深に被った半鍔の帽子に深い色の面当。幾重にも屈折を繰り返し、折り重なった幻と目が合う。
誰かにそっくりな、だが何処か違う鏡合わせの凶相。
『貧乏籤を引いたな』
口端を上げる残酷な笑みだった。
『何故に其処まで骨を折る?裏切った者を救う義理は無かろう?』
――義理は無い。だが、縁はある。
『縁?』
――友が悪漢に捕まったのだ。何もせぬ訳には行かぬだろう。
真。
押し掛けた相手とは言え、一度なりとも友と呼んだ。見捨てる選択肢など端から無い。
此れは、けじめなのだ。
もしかしたら。異相を呼び込んだとばっちりを、彼女は受けただけかも知れない。
であるならば。尚更、助け出す理由も深くなる。災いの種を蒔いたのは己が身。花を咲かせる前に、芽は摘まねばならぬ。
『便利な言葉だな。友、と言うのは』
独善だと言いた気な薄ら笑いに、永見の境遇を愚弄する性根に、奥歯を鈍い音で轢き潰す。
『だが、誰かに犠牲を強いるのは如何なものか』
黙って虚像を睨み付ければ、異相は追い打ちを仕掛ける。
『姉上は泣いておったぞ』
愉悦に満ちた詰問。意識を抉る鋭利な棘を前に、目を閉じる。
然れど、瞼の裏に先程の光景が焼き付いて離れず。
外から差し込む薄明かりの中、静かに立ち去る積もりだった。が、私室から足を踏み出した瞬間、室内灯が一瞬にして居間を漂白する。
「忍、どこへ行くつもり?」
硬い杖の音と共に、姉が出口を塞いだ。
「夜も遅いのに。大きな荷物を持って」
普段の呑気を消し、全てを見透かした賢姉の瞳が全身を射抜く。普段では見た事も無い、人が変わったかの様な迫力に、進むも引くも出来ず。其の場に立ち尽くすのみ。
「もしかして、蜂谷くんの所へお泊り?にしても、時間が遅すぎやしない?」
せめてもの優しさなのだろう。姉が用意した逃げ道に飛び付きたい衝動を殺し、頭を振った。
「……永見を、助けに」
ようやっと捻り出した言葉に、姉の目が少し見開く。
「永見さん?」
「悪漢に捕まった様だ」
此の後に及んでは、姉に嘘を吐けぬ。短く真を告げると、彼女は肩を落とした。
「……なんで、そういう大事なこと、先に言わないの」
沈黙の後、呆れた様に天を仰ぐ。悲痛な色を浮かべる顔を隠したか思えば、長い髪を掻き毟り出した。
「スグに警察に言わなくっちゃ。今から電話……」
「暫し、猶予を」
慌てて左右を探す姉を手で制した。俄に、姉弟を分かつ空気が張り詰める。居間が風船の中身なのか、指先に圧が掛かった。
「……他に、なにかあったの?」
疑惑の棘を含んだ姉の問いに、沈黙で答える。
「どうしたのよ。黙ってないで答えなさい」
胸を締め付ける罪悪感と、詰問の連打。呼吸すら忘れる重圧に、ただ言葉を探した。乾いた口が自然と開き、また閉じる。
「彼女との、約束なのだ」
嘘。白い目を向けた姉に、迫真の大芝居を打つ。
だが其の実、真でもある。
永見の事、忍びの事。ずっと躊躇し、後回しにし続けた。
故に今、報いを受けねばならぬ。覚悟を先送りにした咎を、臆病に振舞った罰を。
其れが、正心を失いし外道の出来る、唯一の恩返し。
「…………」
どの位、見つめ合ったか。鋭い双眸に確りと受けて立つ。
分かっている。忍びの業を振るうてはならぬと。振るえば、奈落の底に落ちると。
たが、永見を救うには必要。今は禁忌を犯すも厭わぬ。
「……分かったわ」
意外な言葉に顔を上げると、姉上は微笑んでくれた。今生の別れを予感させる、寂しげな翳り。
「終わったら、すぐ帰ってらっしゃい」
余りにも、優しい声だった。
見てられず、其の場で視線を下げた。帽子を深く被り。無言で横を素通りする。
背後で姉の気配が少し動く。何も声を掛けられぬ儘、玄関を出た。
突然、車体が大きく跳ねた。不意に襲われた縦揺れに、泡沫の夢から現実に引き戻される。
空席許りが目立つ車内に独り。青白い蛍光灯が、闇の底を走る密室を切り取る。澱んだ夜気が肌を撫でた。
『其れも又、良し。貴様の責め苦には相応しい』
窓に映る影が、卑しい笑みと共に霧散する。残されたのは漆黒の夜景だけ。
背凭れに寄り掛かり、息を吐く。
「次は陸道東、陸道東。臨海防疫所へお越しの方は――」
生気の無い電子音が目的地を知らせてくれた。傍らの釦を押し、赤い灯火を点ける。
やがて何事もなく、乗合は止まった。手甲の裏に仕込んだ棒手裏剣が音を立てぬよう、慎重に降り立つ。
鼻を突いたのは、薬品と潮風が混じった異臭。
春の気配は汚れ切った排気に搔き消された。沿道の木々も葉を付けず茶色い幹を晒し、街灯が病的な色で光の輪を描く。隣の車道で、大きな駕籠を背負った貨物車が横を追い越した。
土地の歴史を切り捨てた、殺風景な景色。ごうん、と昏き空が鈍い音を響かせる。
「……此処か」
端末を取り出し、地図を確認する。
施設を上空から俯瞰した、精緻なものだった。建物内部の部屋、通路、その他諸々を確認することが出来る。
四方を道路で切り抜かれた敷地を、高く聳えた塀で囲う。その内側、中心の建屋を守る様に、大小の構造物が所狭しと敷き詰められている。
其れ等は独立しているようでいて、空中回廊によって蜘蛛の巣の様に連結されていた。
「砦、いや城だな」
線図を指で動かしつつ、独りごちる。
中心の建屋が天守閣ならば、周囲を固める建屋は宛ら曲輪。回廊は渡櫓と狭間を兼ねていよう。見上げる三間余りの塀は城壁で、脇の車道は空堀か。
守り易く、押し入りを防ぎ、忍び入るを拒む。良く出来た今世の魔城である。
「ん?」
永見を示す光点は、橋の下で確認した時より少し右へ移動し、中央の建物――本丸の深奥で止まっていた。
感嘆の息が漏れる。どんな絡繰で位置を特定しているのか、見当もつかぬ。が、渡りに船。
端末を仕舞い込み、前鍔越しに前方を見る。
地図とは見た目が違う大門は、拒絶の意思を示す様に煌々と照らされていた。固く閉ざされた鉄門扉の上で、監視の眼が忙しなく首を振る。
「此れを通用門、とは呼ばぬぞ」
思い描いた絵図との違いに、思案する頭を手で支える。
万川集海に従うならば、裏口から忍び入るに利得有り。だが、蟻の這い出る隙すらない物々しさ。手詰まり感に思わず舌打ちする。
とは言え、手を拱く暇は無い。使えるものを探す為、丹田に溜めた気を広げる。
――掛かった。
背後から迫る、重低の駆動音。五感の網が、巨大な鉄の塊を捉える。光の双槍を先頭に、足元から振動が伝わる。
街灯の傍で屈み、靴紐を直すふりをする。作り出した死角で袖口に指を忍ばせ、棒手裏剣を一本、引き抜く。
其の間にも、貨物車は加速度的に近付いた。車輪が回る音、濃さを増す排気臭。十間が瞬く間に消える。
今。
腕を撓らせ、手の内に隠した棒手裏剣を放つ。残心も見せぬ早業。鋼の刃は闇を裂き、運転席の窓硝子を粉々に砕く。
「うおぉっ!?」
罅割れ砕かれた窓の隙間から、驚愕で顔を固める髭面が見えた。予期せぬ襲撃に慌てふためき、彼の腕が反射的に舵を切る。
巨体が大きく傾いだ。
制動を失い、四角い車両が大きく左右に揺れる。貨物車の片輪が縁石の上で跳ね、抗えぬ自重に引かれ横倒しとなる。
硬い地面と鉄が噛み合い、轟音と共に散る火花。四角い車両は勢いを殺せぬ儘、歩道を横切り門柱へと激突した。
誰の目からも分かる惨事。門扉を守る監視の目が一斉に、大音響の元へ吸い寄せられる。
好機。
生まれた死角に潜り込み、街灯の柱を駆け上がる。一歩、二歩。重力に逆らい、垂直に。
幼少より麻の木を飛び越えた脚の力。多少の高さで諦めると思うたか。
「っ!」
頂点に達した勢いに任せ、数間離れた塀へ跳躍一番。上端を掠めつつ、底知れぬ魔窟の中へ頭から飛び込む。
落ちる間際、ちら、と鉄門に視線を飛ばす。壁が外界を遮る最後まで、扉が開く素振りは無かった。
接地した瞬間、全身を使った受け身で落下の衝撃を殺す。慣性の残り滓を前回りで分散すれば、怪我ひとつ追わずに地面へ降り立つ。
白い壁に囲まれた中は、死んだ様に静まり返っていた。
「誰も居ないのか?」
塀の外で大きな騒動が起こっている。なのに壁を一枚、隔てただけで人の気配、生物の息吹が掻き消える。
無機質な鉄管、白煙を吐く煙突、機械が稼働する低い鼓動。城の臓器は動いているが、管理する人の匂いが皆無なのだ。
此れだけ大きな施設。夜勤の作業員や警備員が居ても可怪しくは無いというのに。
「さて」
罠か、或いは招かれざる客人への特異な持て成し方か。ともあれ、呑気に構えていられない。
中腰を維持し、建屋の間に蟠る闇を進む。同時に四方に気を放ち、不可視の触覚で網を張る。
反応があった。外ではなく、内側から。
『不徳、此れぞ不徳』 『未だ、罪を重ねるか』 『踊り狂う時は過ぎたのに。舞い遊ぶ時に非ず』 『救い難き阿呆。其の行い、神仏は見逃さぬ』
淑女、壮年、童、老翁。仁義忠信を象る幻聴が内耳に響く。
正心が、骨の髄まで染み付いた忍びの心得が、五体を内から蝕む。
立ち所に息が乱れた。不快な汗が額から落ち、右目に染みる。
――分かっている。だが、暫し待て。
呪詛とも言える声々を奥歯で擦り潰す。
――せめて、永見を救う迄。其の後ならば、どうなっても構わぬ。
だが、沸き立つ影の追求は収まらぬ。断罪の言葉を唱え、道を踏み外した代償を執拗に求める。振り払おうとも背中に張り付き、逃がしてくれない。
「くっ!」
悪態が喉を衝いた。迫る四人の気配から逃れようと、動きを早める。
焦る気持ちが、足元を疎かにした。
爪先に小石が当たり、礫となって闇を走る。向かいの鉄管に当たり、静寂を汚す異音が甲高く反響した。
「しまっ!」
即座に、複数の足音が応じた。闇の奥から引き摺る、何処かぎこちない摩擦音が近付く。
「ちぃっ!」
失態を悔いるのは後。手近な隙間に身体を捩じ込み、息を殺す。
相手は静かにやって来た。
闇の中から目を凝らせば、薄緑の作業服を着た男達が、奥深い淀みの中から姿を現す。
「…………」
一団は無言で立ち止まり、懐中電灯の光を翳した。つい先刻まで居た場所を執拗く舐め回す。照り返しを受け、青白い顔が漆黒の底から浮かぶ。
虚ろな白目に、縫い合わされた様に閉じた口。折り重なる光線の中で、不自然な艶を放つ。
正に亡者の群れ。口に出さず、腹の底で舌打ちする。此処が魔窟である、と痛いほど思い知らされた。
首筋に冷たい汗が流れる中、本人達の意思とは思えぬ緩慢な捜索は暫し続いた。
だが、成果を得られる筈も無い。亡者たちは獲物が見当たらぬと悟ったか、互いに顔を突き合わせた。内、ひとりが口を開く。
戦慄が走る。
口内は詰め物で埋まっていた。舌が有るべき場所に大きな眼球がぬらりと現れ、ぎょろりと辺りを睨め回す。
オォォ……ギャァアァ……ッ!
虚空へ向け、籠もった声でひと鳴き。耳朶を打つ産声は、路地や警察署の出来事を鮮烈に思い起こさせる。
「…………」
索敵の咆哮か、威嚇か。油断ならない時間が過ぎる。
やがて、亡者の一団は再び動き出した。誰もが等しく、膝を使わぬ歪な動きで狭間の奥へと去って行く。
だが、白い背中が消えても直ぐには動けず。掌がじっとりと汗ばみ、鼓動が早鐘を打つ。
――少し、黙って貰おうか。
誰にとも無く、胸中で呟いた。向けられた先は去りゆく怪物へか、其れ共、未だ脳内で囁き続ける四人の影へか。
「……ふぅ」
肺の澱みを全て吐き出した後、夜風を息長の法で吸い込む。乱れた気を落ち着かせる為、手で顔の半面を覆う。
此の先、地面を這い回るのは愚策。何処か別の道は無いか。活路を求めた視線が天を仰ぐ。
宙を走る鉄管が飛び込んだ。巍然する建屋の渓谷を縫って、無数の鉄管が四方に伸びる。壁や華奢な吊り金具に支えられた、体重を掛ければ悲鳴を上げそうな頼り無い管。
「行けるか?」
首を傾げる時間も惜しい。素早く背負い鞄から手鉤を取り出す。手袋の様に嵌めれば、手の内から鉄爪が生える登攀忍具。
壁に鉄爪を食い込ませ、米俵と同じ体重を押し上げる。
手応えは十分。指の力も借り、猫のしなやかさで垂直の壁を駆け登る。
鉄管の高さを超えるのに然程、時間は掛からず。十分な高度を稼げば、身を宙に躍らせる。
音も無く、錆びた鉄管の上へ着地。瞬間、足元の管が微かに震え出す。
不気味な低い唸りが、夜の静寂を切り裂いた。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




