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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
五 夜をこめて 鳥の空音は
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正心 二

 黄昏(たそがれ)と漆黒の境目に位置を取る、薄灰色の()れた背広。膝下は水面の奥へと沈まず、床に立つが(ごと)く黒革靴が暗き水鏡を踏み締める。

「化物め」

 思わず、悪態が喉を鳴らす。

 足元が濡れるのを嫌ったのか、水の(おもて)に足を置く奇怪な行動。一体、(いく)つの理外(りがい)を持ち得ているのか。川底に足を置く者からすれば、少し見上げる形となる。

「赤目様に対する、たび重なる不手際。大変、申し訳ございません」

 妙に白い手袋が拍手を止め、揉み手する仕草に変わった。

「弊社としましても、これ以上のご負担を()いるのは心苦しく」

 先の爆発の煽りで耳が遠い。にも関わらず、透き通った声は内耳に届いた。一度聞けど、忘れてしまう特徴の無い声音。

(ばく)

 意外そうに。名を呼べば、組み合った手袋がふたつに別れ、上擦(うわず)った声が橋脚の間に反響する。

「覚えていらっしゃいましたか」

「当然」

 半分真、半分嘘。

 実際、過去に聞いた声色を記憶から(さかのぼ)れず。特徴の無い、という(おぼろ)げな記憶だけの当て推量。

 だが、脳裏の片隅には鮮烈に焼き付いている。淡緑の根城で起こった惨事を。

 刺青と坊主が死に、何もかもが灰燼に帰した修羅場。其処(そこ)で商談を持ちかける(よう)に言葉を交わした。

 既に声音(こわね)は忘却の彼方(かなた)だが、相手が獏、と名乗る者なのは、(かろ)うじて憶えていた。

「で、先の言葉は?」

 警戒心を隠す積もりは毛頭無い。不意に現れた背広へ、疑惑の目を切っ先として突き刺す。

「何を求めているのは分からぬが、見ての通り今は取り込み中」

 手の内で溺れかける鷲鼻(わしばな)を勢い良く引き上げる。気管に入った汚水を撒き散らし、激しく咳き込んだ。

(また)、其方らとは二度と会わぬ(やく)を結んだ(はず)()れ以上、何を話す?」

「その件に関しまして、弊社も重々、承知しております。が……」

 歯切れ悪く、白い手袋が自身の胸の辺りを押さえる。

「実は、弊社内で重大インシデントが発生しまして」

()れが?」

 都合を語る薄闇を睨み付けた。意に介せず、獏の独白は続く。

「事が明るみに出ますと、弊社のイメージにも影響を及ぼしかねませんので。どうにか穏便に解決すべく、協議を重ねていたのですが……」

 一旦、言葉を切って言い(よど)んだ。

「……折り合い悪く、赤目様を巻き込んでしまった様でして」

 申し訳なさそうに。だが、録音した声を流したかの(よう)な感情の()もらぬ声。

 獏の流した音声に一拍、思案を入れる。

「巻き込む、とは?色々とあった故、仔細を申して貰わねば分別つかぬ」

 (まこと)。一体、何処(どこ)までを巻き込んだ、と言うのか。獏の胸中に(ひそ)む真意を探りに、影の向こうへ目を凝らす。

 ()れど正心を(うしな)い濁ったか、闇の奥を()かすに(いた)らず。

「左様でございますか」

 片方の手袋が逆の肘を支え、空いたもう片方は影の切れ間に吸い込まれる。

「そうですね、御学友とのじゃれ合いを除くすべて、でしょうか」

「……警察もか?」

「いえいえ。国家機関を操れるほど、弊社は大きくありません」

 可笑(おか)しそうに、獏の手袋が左右に振られた。何処(どこ)まで信じて良いのか判断に苦しむ反応。

「失礼、話が()れてしまいました」

 場を取り(つくろ)(よう)な、わざとらしい咳払い。

「ともあれ。弊社もこれ以上、赤目様にご迷惑をお掛けするのは、本意ではございません」

 手袋が腹の前で綺麗に重なった。お辞儀をする際の腕の組み方。

「つきましては、後のすべてを弊社にお任せ頂けませんでしょうか?」

「……どういう意味ぞ?」

 疑問を口にすれば、白い手袋が開いた。片方の指が濡れそぼった鷲鼻を指す。

()の者を?」

「ええ」

「どうする気だ?」

「もちろん回収し、その後に廃棄いたします」

 当然であるかの様に。冥暗の継ぎ目から覗く灰色の背広から、躊躇(ためら)いなど微塵も感じさせず。

「殺すのか?」

「いえいえ、あくまでも弊社不良品の処分ですので。ご心配には及びません」

 手袋が(せわ)しなく位置を変える。だが、両腕の動きによる弁明も響かず。無造作に濡れ髪を(つか)み、鷲鼻の頭を後ろから強く引き抜く。

 指が食い込む頭皮越しに、彼が震えていると分かった。春の夜、川水は冷たい。だが、(おび)えて萎縮した首筋と息の浅さに、他の意味も含まれるのが容易に受け取れる。

「人、だぞ?」

「どんな形であれ、弊社の製品に変わりございませんので」

 正確には不良品ですが。と、獏は手袋を広げた。

「では。残りのふたりも同じく、葬るか?」

 呼吸ふたつ分。間を開けて黙考の後、再び口を開く。

()れだけではない。怪異を生み出す『GB』も、其方(そなた)らの撒いた種か?」

 言葉にするのも(もどか)しく、語尾が早くなる。

 聞きたい事が山ほど生まれた。

 怪異が付け狙う理由、『GB』を生んだ経緯。(たくら)みの根底で見え隠れした糸が()り合い、一本の()んだ緑の紐となって目の前の闇へと伸びる。血の色が混じった先は、白い手袋に握られていた。

 だが、暗闇からの返答は無し。白い手袋も微動だにせず、寂滅の暗幕に浮かぶ。

「大事な事ぞ。答えよ」

 不確かな態度に、声が荒れた。頬に走った(ひび)が割れ、亀裂が深く侵食する。どろりとした殺気が(あふ)れ出し、中身が外へと染み出していく。

 (おさ)え切れぬ外道の圧気を前にして、獏の語調が下がった。

「申し訳ございません。弊社の秘匿義務に触れますので、お話は出来かねます」

「ならば、渡せぬ」

 決別の意を含め、鷲鼻を掴んだ手を下ろす。

「狙われ、殺されかけたのだ。仕返しするに、誰からも(とが)められる(いわ)れ無し」

 再び水面下で暴れる傷だらけの痩身。掌から伝わる苦悶に、(さら)なる力を加える。

(おの)ずの手で始末したければ、()ず対価を用意せよ。話は()の後」

 言葉の可笑(おか)しさに、喉が震えた。

 他人に任せても()したる問題など無し。なのに拒否するとは。善人の()りは既に出来ぬらしい。

「そう言われましても。弊社の情報を開示するには、色々と手順が必要でして」

 白い手袋の片方が上がり、顎の辺りを(さす)る。困った、と言いた()な仕草。だが、その指先からは一滴の懊悩(おうのう)も感じられぬ。

「今すぐ開示できるとなりますと、永見嬢の所在地くらいしか」

 色味を帯びた言葉に、心臓が跳ね上がった。




「……知っているのか?」

「ええ」

 肯定を(つむ)いだ涼しい声に、芯から震えた。硬く冷たかった肌に血が通い、内耳を(ふさ)ぐ耳鳴りが嘘の(よう)に霧散する。

 行方の手掛かりすら無い永見の報せ(情報)。暗所に差し込むひと(すじ)の光明は、己の不始末さえ彼方(かなた)へと吹き飛ばした。

「宜しければ、すぐにでもお教えいたしますが?」

 甘美な毒()に、思わず唾を飲み込む。

 食らいつくのは厳禁。手を伸ばすだけでも、獏に弱みを見せる事となる。

 だが、拒絶の言葉が喉に張り付き出てこない。

 分かっている。拒絶すれば、取り返しの付かぬ後悔に一生涯、(さいな)まれる事になる、と。理屈でなく、直感で。

 上手(うま)い手は無いか。逡巡(しゅんじゅん)が眉間に深い(しわ)を刻む。(ひたい)から焦燥が細かな薄片となって剥がれ落ちる。

()ずは居場所を。引き渡すのは、報せ(情報)の質を確かめてから」

 落とし所を見つける為、交渉の(くさび)を打ち込む。

「おや、担保をお求めですか?」

「生殺与奪を譲るのだ。値切るのであれば結構。知りたい話は、()の男に尋ねるまで」

 再び鷲鼻の頭を無造作に吊り上げる。水上に立ち、見下ろす獏へ自慢する(よう)に、出来うるだけ高く。

 全裸の男が弓反りとなり、上半身が水面から抜き放たれる。ぎゃあ、と汚水()じりの悲鳴が上がった。

「承知いたしました」

 間を置かず、獏は答えた。至極(しごく)あっさりと、予定調和の台本を()ぞる様に。

「永見嬢の所在を、赤目様の端末に転送いたしました。ご確認いただければ」

 了承から実行まで、灰色の背広は何もしていない。疑問を抱くより早く、鷲鼻を掴む手が離れた。

 (あせ)る指先で端末を(あやつ)り、画面に命を吹き込む。幾何学の光彩が(はじ)け、平面の地図が隙間無く浮かび上がる。

 (まった)く見知らぬ場所。建物を意味する(かこ)いが固まる一角に、赤い矢印が突き立つ。

何処(どこ)だ?」

 思わず呟くと、Mix-Sceneが反応した。線画が遠ざかり、見聞きある近隣の地形へと変わる。同時に浮かんだ窓に(しる)されるのは住所。

 遠い。大河を超えた先にある建物群。淡緑の根城と同じく、対岸の(はる)か先にある。

「これで、よろしいでしょうか?」

 灰色の背広が契約の履行を誇示する様に、両手を広げて見せた。

()れが本物である証拠は?」

「……赤目様は、(うたぐ)り深いようで」

「性分でな」

 不敵か自嘲か。笑って見せれば、獏も釣られて口端を上げた。他人へ不幸を振り撒きそうな、(つく)り物めいた薄ら(わら)い。

「弊社の信頼にかけて、本物であると保証いたします。きっと赤目様にご満足いただけるかと」

「そうか」

 約定は()った。鷲鼻の首に食い込ませた指を()く。

 だが、素直に逃す()もりは無し。立ち上がるのに()わせ、鮮血と川水で濡れそぼつ背中を蹴り飛ばす。

「あぐっ!?」

 無様に川水を跳ね上げ、鷲鼻が転がった。川面の上に悠然と(たたず)む、獏の足元へ。

「…………うごっ……ばぁっ!」

 熨斗(のし)を付けて返してやると、全裸の男は四つん這いの格好で猛烈に()せ返った。()で肩を上下させ、ぜぇぜぇと夜気を(むさぼ)り喰らう。

 ()の鼻先に、黒革靴がぬらりと踏み込んだ。

「おや?随分(ずいぶん)と汚れてしまわれましたね」

 歌う(よう)に弾んだ獏の一言に、大きな鼻先が上を向く。間を置く(ひま)も無く、鷲鼻は彫像と同じ仕草で固まり、徐々に全身を小刻みに震わせた。

「ばっ、獏……っ!?」

 悲鳴に近かった。

 金切り声を上げ叫ぶと、後退(あとじ)ろうと手足を無様に()き回す。が、膝下(ほど)の深さしか無い川中。思い通りに進めず、彼の周囲が泥で(にご)り始める。

「弊社資産の無断利用と施設の私物化。機密情報の不正アクセス」

 呼吸も荒い鷲鼻へ、獏の足が前へ出る。革靴が水面を踏み進むにつれ、暗幕の切れ目に隠れた顔が(あら)わになる。

 (まれ)に見る異相であった。

 一見、何の変哲も無い相貌。目が()り、鼻が有り、口が有る。()れだけ。のっぺり、とした肌の上に配置された記号的な造作(ぞうさく)は、人である印象だけを残す。

 だが、()れは上辺だけ。

 見る者が見れば呼吸を止め、冷や汗が止まらぬ事になるだろう。凡庸(ぼんよう)過ぎる輪郭の中にある、悪意だけを抽出し、凝縮した厄災の()姿を。

「製品の権限では不可能なコンプライアンス違反。一体、誰の手引きでしょうか?」

 畏怖と恐慌を顔に張り付かせ、鷲鼻は苔()す橋脚の壁へと(にじ)り寄る。が、触れるのが精一杯。水鏡を歩む獏に(たちま)ち追いつかれ、行き場を失う。

「回答もせずに逃走ですか。残念です」

 獏が小さい吐息を漏らした。落胆したのかも知れぬ。

「たっ……助けっ…………!」

 鷲鼻の視線が獲物であった少年へ、(すが)(よう)に向けた。助ける義理は皆無。冷たく見返せば、獏が視線の間に割り込み、断ち切る。

「ヒィッ…………!」

 鷲鼻の喉から(よじ)れた呼気が鳴った。腰を抜かし、特徴の無い相貌を見上げ尻餅を付く。

「い、いやっ。こ、コレは違うんだっ。誤解だっ!」

 しどろもどろに、声を震わせ叫んだ。泣いているのか、少々(かす)れた涙声。

「ぜ、全部っ。野狗子(やくし)……、そうっ!ヤツがっ!」

 不意に突き出された指先が虚空を突いた。罪の所在を他所(よそ)へ逸らそうと。

「あ、アイツにっ、ダマされたダケなんだっ!裏切るなんて、元々……」

 必死の言い訳も、川のせせらぎに吸い込まれた。獏は何も語らず。(ただ)、冷ややかに見下ろす。

「……わわっ、分かった。御社に忠誠を誓い直すっ!だから……」

 鷲鼻が(ひざまず)き、胸の前に手を合わせた。懸命の懺悔を前にして、黒靴の片方がゆるりと上がる。

「……許してくれっ!獏っ!」

 獏の足裏が鷲鼻の鼻先へ(せま)った。咄嗟に血(みど)ろの両腕を上げ、最後の抵抗を試みる。

 無駄だった。

 (かば)った腕ごと、鷲鼻の身にめり込む。

 悲鳴も無く、突き出た鼻が押し潰される。圧倒的な膂力(りょりょく)に、後頭部が背後の壁に食い込んだ。

 ぐちゃり。

 湿った破砕音と共に、鷲鼻の脳天は()れた石榴(ざくろ)となって弾ける。壁に真っ赤な飛沫が飛び散り、脳漿混じりの肉片がへばり付いた。

 獏は無言の(まま)、事も()げに足を引き抜く。

 大事な部位を失った身体が一瞬、激しく痙攣する。時を置いて震えが止まれば、ずるり、と水中へと没し、水面を汚した。




「赤目様、ご協力ありがとうございます」

 姿勢を正し、深く一礼する獏。戻した時に見せた笑顔は満足そうであった。

「これで弊社も、対外的に示しが付けられたかと」

「御託は結構。其れより」

 にこやかに語りかける獏を手で制す。

「地図が示す場所の仔細を。矢印が永見の場所で良いのだな?」

「ええ。その通りです」

 翼が()えたかの(よう)に、口軽く答える灰色の背広。

「初めて会った場所に近いが、此処(ここ)其方(そなた)らの――『弊社』の一部か?」

 今度は逆に沈黙。笑顔を崩さず、だが拒絶の意を見せつける。

「ならば別の質問。此処(ここ)野狗子(やくし)は?」

「恐らく」

 素直に獏は首肯した。

「残念ながら現在、弊社の統制から離れた状態でして」

「何っ?」

 (てのひら)の中にある最悪の情報を飲み込み、元凶を見()えるべく視線を跳ね上げる。

 が、(すで)に記号に似た異相の顔は無かった。灰色の背広も、白い手袋も。

「……やってくれたな」

 前と同じく、忽然(こつぜん)と。元より居なかったかの(よう)に、希薄な気配すらも残さず消えた。ご丁寧に鷲鼻の遺体と共に。

 (しば)し呆然となる。

 狐か狸に()かされたと(いぶか)しむ程の、唐突な幕切れ。だが、灰色の橋脚に残る血痕が、現実の出来事だと教えてくれた。

 掌が徐々に上がり、顔の半面をそっと覆う。耳の奥で獏との会話を噛み砕き、咀嚼(そしゃく)する。

「……見事な(たばか)(よう)よ」

 導き出した結論に、唇の隙間から漏れた。

 元より、仕組まれた茶番。でなければ、自らの失態を(こぼ)すとは思えぬ。

 十中八九、獏は行かせたいのだろう。御河童(おかっぱ)頭を餌に、(いま)だ怪異の残る()毒の壺へと。

 呼吸に合わせ肩を上げ、ゆっくりと下げた。瞳を閉じ、波打つ心を(しず)め雑念を消す。

 口約束を信じるしか無い。

 あの異相には前科がある。今回も真っ赤な嘘とて、(なん)ら不思議に(あら)ず。手に(あま)る巣穴を掃除させるため、体の良い捨て駒に仕立て上げる算段とも見て取れる。

 が、他に選択肢など持ち合わせず。

 ならば、行くしか無い。

 永見が居るなら(もう)け物。もし騙されたとて、ひとりの阿呆(あほう)が勝手に地獄を見るに過ぎない。

 橋(けた)の下から歩み出る。春の軟風が頬を撫でた。見上げれば漆黒の空を囲う、(おぼろ)げな灯火の群れ。地上の喧騒を重たい闇が(あざ)笑う。

 今宵は(つごもり)、雲多し。

 死の日()るには絶好の頃合いぞ。


この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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