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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
五 夜をこめて 鳥の空音は
41/54

名人の正体 三

 慌ただしく立ち去った姉の背を目で追う。時を置かず、目紛(めまぐる)しい警官達の雑踏に飲み込まれた。(かろ)うじて見える足元も、道を折れ曲がって姿を消す。

 顔色が悪い、か。

 姉の言葉を頭の中で反芻(はんすう)し、顔を撫でてみる。

「其処まで、かの?」

 どうも実感が湧かず、首を傾げてしまう。

 確かに、慌ただしい数日であった。が、修業の日々と比べれば遠く及ばぬ。気怠(けだる)げも無く、活力は十分。千里は無理でも、五百里くらいは走れよう。

 どうしたものか。持て余した五体を長椅子に預け、視線を虚空(こくう)に遊ばせる。

 群青の制服は誰何(すいか)の声ひとつ無く通り過ぎ、喧騒(けんそう)が右から左へと流れる。大きく開いた窓硝子(ガラス)から、赤みの薄まった日差しが弱々しく差し込んだ。

 ゆっくりと立ち上がり、窓越しに外の景色を眺める。

 赤い灯火(ともしび)が陰り、(とばり)が落ちる。藍色の空を薄めんと、四方八方で白い(かがり)火が焚かれた。

 ほろ(ほろ)と、はら(はら)と。

 (たちま)ちに夜陰を取り崩し、白妙(しろたえ)たる営みを生み出す。が、暗色へと変わる夜空は、無限の虚無を(もっ)て微かなあかりを飲み込まんとした。人類の叡智を嘲笑うかの様に。

 人が夜を克服した。と思案したのは皮相(ひそう)的だったやも知れぬ。

 闇を恐れる。(ゆえ)に火を(もち)い、文明を作り上げた。原始の蒙昧(もうまい)を払い、自らの時間を広げ続けた。

 だが、幾世(いくよ)に渡り努力して手に入れた空間も、結局は(ごく)僅か。地面より少し高い位置で、明暗の(せめ)ぎ合いが続く。どんなに工夫を凝らしたとて、地を()定命(ていめい)の者が、夜の(すべ)てを手に入れるのは難しいだろう。

 背筋の芯に寒気を覚え、身震いする。

 春も(なか)ばに近付いたと言うのに、夜は(いま)だ冷え込む模様。息で窓が白く曇り、見慣れた慈姑頭(くわいあたま)の輪郭が(ぼや)ける。

 欠けた断片は白い跡を吸い上げ、(またた)く間に輪郭を結び直す。が、本来、映り込む(はず)の無い顔がこびり付いた。内障子の(ふち)で覗き込む、淑女の泣き顔。


 ううぅっ…………


 涙で濡れる目元を袖で(ぬぐ)う佳人が夜景と重なる。

『哀れや、(哀れ)

 ()れで三度目。前と同じく哀音が耳元で(ささや)いた。驚きは無し。胸の鼓動も静かに受け止める。

浅慮(せんりょ)が過ぎました……。なんと愚かな事』

「……確かに」

 幻影の()()する悲泣(ひきゅう)に、薄い笑いが込み上げる。

「姉に無用な心配をかけた。全く以て、不明の至り」


 ぐぐぅっ…………


『軽々()り、(軽々成り)

 淑女の影の上に、壮年の怒り顔が二重(ふたえ)写しとなり(ひず)む。

梵鐘(ぼんしょう)の響きも聞かず、善悪の差別を怠る。()れを愚かと呼ばず、何を阿呆と呼ぶか?』

「……阿呆はなかろう?」

 あんまりな物言いに、口端と眉尻が連れ立って下がる。

「生憎と、善悪は(わきま)えておる。横から口差しされる()れ無し」


 きゃはっ…………


 次は童。低い鼻を(すす)り、(あどけな)くも残忍に(わら)いに取って代わる。

『重愆(重愆)。戒律を破った上で、(おご)った態度だね。破滅するのも当然だよ』

「……何が言いたい?」

 薄く浮かぶ童顔に眉根を下げる。信心するは摩利支天。聞き(おぼ)え無き御託は無用。


 はぁっ…………


『図星を突かれた挙句(あげく)癇癪(かんしゃく)か。(しの)びから遠ざけた理由、此れでも分からぬ、とは』

 妙に懐かしい(かす)れ声。窓面の明光が揺れ、別の顔を映し出す。

 老爺の顔ではなく、別の顔であった。透き通った硝子(ガラス)に浮かぶ見慣れた輪郭の中で、髪を結んだ男が炯々(けいけい)とした双眸(そうぼう)で射抜く。

『否、分かってる。故に、現出した』

 影は言う。眼前の男と同じ声で。

『忍びに(あら)ざる者が、安易に忍びの業を使えばどうなるか。何もかも知った上で』


 ――知ったように言うな。


『知っているさ。そうであろう?』


 ――ならば。其方(そなた)なら如何(いか)にした?


 吐き出しそうな慟哭(どうこく)に代わり、同じ顔へ問い(ただ)す。


 ――立て続けに襲われた不可解な出来事。救ったのは(ひとえ)に忍びの(わざ)ぞ。他に(すべ)など有るものか。

 

 (まこと)

 淡緑との(いさか)いも、赤鬼との死闘も。鷲鼻と大黒や間宮の件、(ことごと)く同じ。(じい)様、()いては祖先から受け継いだ体術、知識の御蔭(おかげ)

(まさ)に、愚鈍』

 異相は(たの)し気に目を細めるものの、()(さま)、笑みが陰った。

『無粋な客人ぞ。まあ、良い』

 機嫌を損ねた異相が顎を(しゃく)る。()の先で触覚が揺らぐ気配を掴んだ。何かを急ぐ、不穏な気配。

『……いや、()れも一興』

「ココに居たのかっ、探したぞっ!」

 異相の言葉と、緊張に満ちた硬い声が重なった。ひと(きわ)大きい怒声に、窓面に並ぶ影の群れは一斉に霧散する。

「……鳥居、刑事?」

 前()れも無く訪れた声の主に目を向ければ、(いか)つい体躯に角張った頬面。周囲を疑う視線を回しつつ、正面に(じん)を取る。

「何か?」

「いいか、驚かずに聞いてくれ」

 力の入った両手を肩に置いた。服越しに指が食い込み、軽く痛みが走った。

「……今、警察病院から連絡があった」

 途切れ(途切れ)。慎重に言葉を吟味し、太い唇に覆われた口が動く。

「昨日、君と一緒に居た少年たちだが……。先ほど、何者かに殺されたらしい」




「……何故(なにゆえ)?」

 口の中が乾く中、どうにか言葉を(つむ)ぐ。鳥居刑事は緊張の面持ちを変えず、(かぶり)を振った。

「状況は分からない。たった今、病院から連絡が来たばかりだ」

「……全員か?」

 今度は首が縦に。唐突なる報告に目を瞑り、数瞬の冥福を祈る。

 多目が死んだ。確か、永見の口からも出た名前。間宮も親しげに話していた事から、幼馴染か、()れに近い間柄だったと推察する。

 で、あるならば。永見の悲しく歪んだ顔が脳裏に浮かぶ。

「犯人は?」

 再び、頭を横に振る刑事。(ふし)くれた顔には緊張が色濃く(にじ)む。

「まったく分からない。監視していた警官の話では、いつの間にか殺されていたようだ」

「死因は?」

「そんなコトより、もっと大事な事がある」

 鳥居刑事が顔を寄せた。鬼気(きき)迫る形相(ぎょうそう)で質問を遮る。

「犯人の目的も分からない今、ココも危ない。証拠隠滅が犯人の目的なら、きっとキミも狙うだろう」

 此処(ここ)が危ない?疑問を口にするより早く、肩の骨が(きし)んだ。手放したくないかの(よう)な力の込め方。

「安全な場所を用意した。そこまでオレが護衛しよう。早くっ!」

 言い終わるより先に、強面(こわもて)の腕に背中を強く押された。いや、叩いた。背中一面に熱を感じ、息が詰まる。

「少し、待たれよ」

 性急に事を進めんとする刑事に、(くさび)を打ち込む。先を急ぐ刑事の足が止まり、怪訝(けげん)な顔で振り返る。

「姉が迎えに来ているのだ。何処(どこ)かに移るのであれば、彼女も一緒に」

 途端(とたん)、荒削りの顔が醜く歪んだ。

「ええいっ、クソッ!」

 人目も(はばから)らず、強面(こわもて)は汚い言葉を吐く。忌々(いまいま)しそうに足元の床を強く踏み鳴らすと、逆剥(さかむ)けた手が腕を掴んだ。

「キミの姉さんは別の人間が保護しているっ。後はキミだけなんだっ!」

 (あがら)うも構わず、汗を()いた太い腕に力が(こも)った。血管を這う肌の上を、白い指の輪郭が重なる。

 輪郭?疑問が浮かぶより先に、答えがやって来た。


 ……ううっ……

 ……ぐむぅ……

 ……きゃはっ……

 ……はぁ……


 四人の名人が窓枠を跳び超えた。肌から温度も伝わらぬ、気配だけの存在で五体に(まと)わり始める。


『理缺の者よ、(理缺の者)

『道心から(はず)れ、天に(そむ)く愚かな男』

『血気の勇を誇れども、守るべき(ことわり)を忘れた』

『名に(たが)いし所業(しょぎょう)、まさに(あだ)とならん』


 代わる(代わる)内耳(ないじ)(じか)に響く幾重(いくえ)もの声。泣き、怒り、笑われ、呆れられる。

「さっ、コッチだっ!早くっ!」

 名人の幻像に四肢が(から)んだ。自我は彼岸(ひがん)(ふち)へと(いざな)われ、現世(うつしよ)の出来事から引き離される。抵抗する力が()せ、糸の切れた傀儡の(ごと)く引き()られる。

 再び強く歩み出す強面(こわもて)の後ろ姿に、慈姑頭(くわいあたま)の面影が重なる。


 ――何故(なにゆえ)に、()け狙う?


『何と人聞きの悪い(もの)言いよ』

 異相だけが振り返った。口元に薄い下弦の月を浮かべ、親愛と侮蔑の情を示す。

其方(そなた)とは表裏。絶えず、(そば)に付き添うのが運命(さだめ)というもの』

 何時(いつ)も聞く声音(こわね)で答えた。耳ではなく、骨から伝わる声。

 

 ――常ではなかろう?


『いや(いや)。四人に(はば)まれ、中々に表へと出られなかった(まで)

 

 ――四人?


『彼らと手を切ってくれて助かった。お陰で、こうして話し合えるからの』


 ――元より、其方(そなた)が居る(はず)も無し。

 

『聖人にも人心()り、とは其方(そなた)が前に言った事。()しや、己が例外だと自惚(うぬぼ)れておらぬよな?』


 ――黙れ。

 

『いや、愉快(愉快)年端(としば)も行かぬ未熟者が悔しがるか。四人が最後の挨拶したがるのも道理』


 ――嘘を言うな。


『嘘から出た真。と言う(ことわざ)を知らぬのか?正体を知っている癖に、別人と(とぼ)けられれば、失望もしよう』

 返す言葉も無く、苦渋(くじゅう)に満ちた沈黙を飲み下す。

『さて、如何(いか)にする?赤目忍(あかめしのぶ)




「どうしたっ!早く来いっ!」

 夢遊から()めると、何時(いつ)の間にか足を止めていた。数歩先を行った刑事が苛立(いらだ)ちの声を上げ、振り返る。

 気付けば、玄関まで五間(十メートル)もない距離。(せわ)しなく働く警官達は手を止め、視線が声を荒げる強面へと向かう。少年を(とら)える幽霊を気にする者は誰も居ない。

 成程(なるほど)、と不意に口元が緩む。

 道理で気配(けはい)しか(さと)れぬ(わけ)だ。

 名人は、誰の目にも映る有形(ゆうけい)の客人では無かった。姿を(かたちど)る肉体を、元より持ち合わせず。

 ()うの昔に分かっていた。が、(あま)りにも都合の悪い真実に、目を(そむ)けた。

 ()()けを、今、払う事になる。太田女史も言ったではないか。現世(げんせ)において、神忍に及ぶ腕の持ち主はひとりだけ、と。

「なっ、何がおかしいっ!」

 刑事が声を荒げた。牙を向き睨み付ける姿が何と滑稽か。

 (まった)くの(まと)外れ。()れは自嘲。最早(もはや)、偽り続けるは(あた)わず。

「いや。刑事も大変だな、と」

 異相を追うのを()め、強面(こわもて)と向き合った。沸々(ふつふつ)と腹の底から競り()がる怒りを(おもて)に出さぬよう、()えて顔に不遜(ふそん)を張り付かる。

「怪我を押してまで働くとは。上司から殴られた痛み、残っておろう?」

 嘘。学び()で再会した際、平然と振舞っていた。外見(そとみ)からも赤みは残っておらず。()れで痛みがぶり返すとは思えぬ。

「えっ……?」

 だが、強面の顔が強張(こわば)る。怒りから動揺へと変わった顔の上に指が触れた。健在である(はず)の右目を隠す(よう)に。

「おや?」

 不思議な動きに、わざとらしく片眉を上げる。

「松平警部の(ひじ)打ちは顎。場所が違うのでは?」

 指摘に、刑事の動揺が更に大きくなる。構わず(つま)先から一歩、前に出た。()の分だけ強面(こわもて)、いや、得体の知れぬ何者かが後退(あとじ)る。

「な、ナニを……」

「変装は上手(うま)いが、芝居は下手(へた)()り替わるなら、もう少し観察眼を(やしな)った方が良い」

 正体が違う、など直ぐに見破った。姿を変え警察署に乗り込んだ度胸は意外だが、内容が(ともわ)わぬのでは、画竜点睛を欠くというもの。

「さて。本物の鳥居刑事は何処(いずこ)に?真逆(まさか)、殺したとは言わぬよな?」

 相手を選ばぬ鳴鯨(めいげい)の術を使えば、強面に集まる視線が更に厳しくなった。強く響く不穏な言葉も相まり、制服組の顔色が変わる。

「ば、バカな……」

 空気の異変を感じ取った変者は(ひど)く汗を()き始めた。署内に立ち(のぼ)る鋭い警戒心に辟易(たじ)ろぎ、(せば)まる群青の輪に一歩も動けずにいる。

「観念せよ」

 放つ言葉に熱が()もる。

 分かっている。()れは(ただ)の八つ当たり、だと。

其方(そなた)失敗(しくじ)ったのだ」

 認めたが(ゆえ)(あやま)ちの重さが身を焦がす。(おの)が不甲斐なさを(たきぎ)にし、燃え(さか)る激情の矛先を、(てい)の良い(にえ)へと向ける。

「くっ、そおぉぉっ!」

 追い詰められた男は拳を握り、腹の底から吠えた。有らん限りの絶叫で、疑惑と緊張に満ちた静寂を震わす。

 と、前()れも無く、仮初(かりそ)めの身体が崩れた。

 表面が(いく)つも(ひび)割れ、肉が(かたまり)で剥がれ落ちる。着衣した背広の内側から次々と穴が空き、吐き気を呼ぶ腐臭と膿緑の泥濘が(あふ)れ出した。刑事の五体は、見る間に緑の汚泥を()れ流す不浄へと変わる。

「ぐっ……、うげぇっ!」

 不幸にも()いでしまった警官が()の場で吐いた。袖口で呼吸を(かば)い、恐るゞ視線を落とす。飛び散った肉片ならぬ土塊(つちくれ)が足元で(うごめ)く。

「なっ!」

 身構えるより早く、汚緑の泥土が身震いした。

 刑事であった男と、群青の輪の間に()いた腐った苗床(なえどこ)から、短い手足が生える。丸い身体を(よじ)って這い出せば、白い歯の揃った口を開けた。

 また、あの『おたまじゃくし』。次々と緑の塵垢(じんこう)から姿を現す怪異に、居合わせた誰もが顔を青褪(あおざ)め、冒涜ぼうとく的な死臭から距離を取る。


 ホギャアァ!


 ざわつきが混乱に昇華された。怪異の群れが(しゃが)れた(だみ)声を張り上げれば、警官達は総じて腰が砕ける。

「顔を守れっ!乗っ取られるぞっ!」

 気色を失い、足元も覚束(おぼつか)ぬ群青を叱咤する。同時に、飛び跳ねた『おたまじゃくし』を殴り飛ばした。低く(つんざ)く絶叫の隙間を縫い、不可視の五感を無作為に広げる。

「くっ!」

 次々に振り掛かる怪異を追う網膜の隅で、全裸の男が脱兎(だっと)(ごと)く跳ねた。

 肌に薄緑の(うみ)(かぶ)り、惨劇を置き捨て出口へと急ぐ痩身。()の背は、記憶にある不逞(ふてい)(やから)と重なり合った。鷲鼻(わしばな)だ。

「待てっ!」

 逃がしはせぬ。足元で耳(ざわ)りに(わめ)く『おたまじゃくし』を踏み潰し、鷲鼻を追う。全裸の男は既に外へと飛び出した。半透明の扉が音も無く閉まり掛ける。

 両肩を縮めて擦り抜ける寸前、硝子(ガラス)面に焼き付いた名人の影と視線が交錯した。

「っ!」

 一瞬、息が止まり、動悸が早くなる。

 もう、(いつわ)る事は出来ぬ。

 名人が誰なのか、問う()でもない。(はる)か前から、言葉を解する以前より、何度も言い聞かされた()()

 ()()に及び、隠し通すは無理筋。己の不徳を認めるしかない。

 正心を、(うしな)っていたのを。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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