名人の正体 二
松平の運気は悪いのか、鉄格子の鍵穴に収まる相方を見付けられず。残りふたつ。
「チィッ!」
結局、白蛇は最後の賭けにも負けた。乱暴に舌打ちする姿を、鍵束の奏でる高音が嘲笑う。
「待ってろっ。今から教育してやるからよっ」
だが、其れでも諦めず。白い顔に浮かぶ黒目が獲物を下から仰ぎ見る。中々の執念。噛み付けば離さぬ、蛇の如き粘着質な闘志は一体、何処から湧き出すのか。
然れども。扉は彼の手で扉を開く事は最後まで出来ず。
不慮の事故に備え、気付かれず腰を落とす。と、突如として重い音が白き空間を駆け巡った。
素手で鉄を殴る、低く鈍い衝突音。一度ならず、何度も。警告するかの様な重い衝撃が途切れなく続く。
「あぁ、クソッ!」
何かを察した顔で、松平は鍵を回す手を止めた。白い顔は天を仰ぎ、細く長い指が額に乗る。
「気付くのが早ぇよ。もう少し、手加減しろってんだっ」
力無く毒突く白蛇の姿に、牢の中で小さく首を傾げてしまう。
何処か妙。異変を前に、刑事は不思議と落ち着いていた。直前の悟った顔と言い、何れこうなると予想していたか。
では、彼は何を予見していたのか?探るべく、不可視の触覚を音の鳴る方向へと伸ばす。距離は近い。金属の壁を叩き続ける音に怒声が重なった。
「松……部っ!コ……開け…………いっ!」
「マ……!何や……んだっ!予備の鍵……持っ…………がってっ!」
「誰……!バール……って来いっ!早……!」
澄ました五感が扉の向こうにある声を拾う。些音聞金を通さぬが故、所々が零れ落ちる。が、眼前の白蛇が抜け駆けしたのは間違い無い。
「度が過ぎたようだな」
「んっ?何がだっ、小僧っ」
「お仲間から随分な仕打ち。色々、策を弄したのが災いとなったようだの」
「は?ソレが何だったってっ?」
白蛇の口元が薄く開いた。嘲り混じりの赤い舌が覗く。
「いい子ちゃんぶって事件が解決できると思うか?こんなもん、大事の前の小事、ってヤツだ」
さも当然の様に。平然と言い切る刑事の輪郭を冷めた目でなぞる。
「其れが正義の味方の言葉か?いち市民としては、薄ら寒い話なのだが」
「幻滅したか?なら、勝手に隅っこで泣いてろ」
松平は床に唾を吐き、煙草を口元に寄せた。鉄扉を叩く音が響く中、ゆるりと紫煙が漂う。
「大体な、小僧。正義ってのは法が決めるコトだ。オマエ等のちっちゃい脳ミソで考えられる、ちっぽけな正義感とは違うんだよ」
「法は万人の元に平等で有る可き。其方の玩具ではあるまい」
「理想論を振りかざしても、何も変わらねぇよ。オレは権力から法の執行を任されている。ソレが現実だ」
煙草の根本を咬む松平の顔に、薄っすらと異相が浮かぶ。自らの権勢に酔い痴れる凶相から、淡緑や間宮と同じ匂いを嗅ぐ。
指先が冷たく感じ、胃の腑が不快に捻れた。
彼は、欲望に忠実なのだ。
間宮は名声、淡緑は享楽。そして眼前の刑事は職務という願望に囚われている。法の執行官という皮で、欲望を包みこんでいるに過ぎない。
故に、出来るのだ。覚悟した上での暴挙、暴論を。正道を進む代償だと、微塵も疑っていない。
「……取り返しのつかぬ事になるぞ」
「忠告、ありがとな。小僧」
煙草を指先で摘む彼の黒目が、僅かに細まる。相手を小馬鹿にした、何処か狂った眼差し。
「だがな。物事ってのは、後戻り出来なくなってからが本番なのさ。尻の青いガキが、知ったような口を利くんじゃねぇ」
嘯く松平の背を叩音が襲う。素手で殴る低い音から、金属同士が衝突し擦り合う、硬く高い音律に。
「バカ野郎っ。署内を壊すつもりかよ」
何を考えてるんだ?と、首の後ろに手を当て、音のする方向へ足を向ける。壁と鉄格子に囲まれた中、錠口に突き刺した鍵を残した儘。
素早く指を袖の奥に仕舞い、鉄格子の狭い隙間から伸ばした。布地越しに鍵先を摘んで指を回せば、鍵穴から軽い音が鳴る。
焦るな。ゆっくりと鉄格子の扉を押し、開いた隙間から顔を出す。丁度、奥では硬い音と共に扉が開いた。雪崩込む数人の制服と、ふたりの背広。
「……上杉警部に部長、ついでに署長もですかい。一体、なんの用で?」
白蛇は新たな来訪者達に半ば囲まれていた。にも関わらず平然と、楽しがる様に鼻で笑う。
「おっ、おっ、おっ!」
猫背の向こう側に立つ、恰幅の良い男の指が震えた。仕立ての良い背広で着飾った、口髭を蓄えた男。
「オマエぇっ!何やってるのか分かってんのかっ!」
喉の奥が詰まった呻きを続けたかと思えば、途端に雷鳴が轟く。
「ナニって、休憩ですよ。ずっと働き詰めでしたからね」
「そっ、そっ!そんなワケがあるかっ!」
再びの大喝。途切れず唾を飛ばす勢いに、周囲の人間が引く。
「松平っ!勝手に捜査するなって、何度言ったら分かるんだっ!大体オマエはっ……」
「まぁまぁ、そんなに血圧を上げなさんな。それより、もうすぐ犯人が白状しますから。コレで部長の点数も爆上がりっすよ」
「いや、松平。今回ばかりは暴走し過ぎだ」
顔を真っ赤に染める口髭に代わり、灰色の背広が会話を引き継ぐ。肌が浅黒い、妙に窶れた中年の男性。
「は?だから何だってんだ、上杉」
白蛇は朝黒に向けて大きく肩を竦めて見せた。今更とも言いた気に、口をへの字に曲げる。
「市民をダメにする麻薬を撲滅させるにゃ、多少のムリは必要だろ?まぁ見てろ、もう少しでゲロさせるからよ」
「ああ、そのコトだがな……。松平」
上杉と呼ばれた浅黒の刑事は口ごもり、白蛇から視線を外した。腰に手を当て、溜息と共に言葉を継ぐ。
「……少年は釈放だ」
不意の宣告に、松平の顔色が変わった。
「はぁ?ナニ言ってんだ?」
細い片眉を跳ね上げ、白蛇は素っ頓狂な声を上げた。同僚を呑み込まんと、薄い口が大きく開く。
「小僧は殺人犯だぞ?シャバに出せるワケねぇだろうがっ!」
「ソレだがな……。落ち着いて聞いてくれ」
浅黒の刑事は肩を落とした。激しい剣幕で詰め寄る同僚を見据え、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。
「松平が化研に送ったサンプルについて、速報が送られてきた。……人間のモノじゃ無い、だとさ」
「え?……いやいや、おかしいだろっ?!」
少しの間を置いて、松平の白い顔が更に青白く染まる。骨格から歪んだかの様に、蛇に似た輪郭を驚きで引き攣らせる。
「昨夜、依頼したばっかなんだぞ!そんな早く出るワケ……」
「出たんだよ。さっき、早便で届いた」
いつも、こうなら良いのにな。と、灰色の背広を着た男は薄く笑う。
「とにかく、だ。少年を殺人罪で起訴しても却下されるのがオチ。なんせ、ヒトじゃねぇんだからな」
固まる白蛇の撫で肩に、浅黒の手が静かに置かれた。熊手の様に大きな掌。
「ふっ……、ざけんなっ!」
が、松平は慰めの手を振り払う。勢いに任せ、正対する相手の襟元を絞り上げる。
「他の罪状もあるだろうがっ!『GB』にも関わってんだろっ!ソッチでっ」
「松平の気持ちは分かってる」
乱暴に食って掛かる白蛇に対し、浅黒は黙って視線を合わせる。
「だがな。『GB』の件だって、鳥居の話じゃ関わりが薄そうじゃねぇか。コレ以上の勾留はムリ筋だ」
「そのムリを押し通すのが警察の仕事だっ!そうだろっ、上杉!」
「……分かってくれっ、松平」
首元を締め上げる手に、自らの掌を重ねた。特段、力を入れる訳でも無く、ただ添える様に。
「これ以上は庇いきれねぇ……」
「…………そうかいっ」
かなりの間を置き、松平は力無く呟いた。同じ階級の男から手を離し、背を向ける。其の背が寂し過ぎたのだろう。灰色の背広が肩に腕を回した。
「さて」
最後まで後ろで控えていた、白毛に覆われた男性が初めて声を発した。集まった中でもひと際大きく、輪郭すら隠す髪や髭は相当に白い。雪男を思わせる風貌。
「部長。そろそろ宜しいですかな?」
問い掛けに、大人しくしていた口髭が頷く。白髭は丁寧に礼を返し、左右の警官に合図を送る。
「さ、皆さん。少年を釈放して下さい。丁重にお願いしますよ」
地下室から助け出され後、事情聴取として更に別室で質問の嵐に合う。
深夜にあの廃墟で何をしていたのか?から始まり、間宮の事、淡緑の事、そして水提灯の事。
「……分かりました。誘拐事件として各方面に手配します。ご安心を」
永見について話が及べば、聞き取りしていた中年警官の額から汗が流れる。
何せ、昨日の今日。警官達にも赤鬼の残滓が残っているのだろう。彼方此方に視線を泳がせ、そそくさと席を立った。ひとりで一室を占拠するのも心苦しく、一緒に部屋を出る。
とは言え、行き場は無し。廊下を忙しく行き交う警官達の邪魔にならぬ様、端に所在無く置かれた長椅子の上へ身を預ける。
「ご苦労さまです」
誰に掛けられた言葉なのか。声の出元に視線を向ければ、白髭が朗らかに歩み寄った。窓から差し込む赤い日差しに、白髭の髭が淡い赤色染まる。
「此れは?」
「君の所持品です。解放された時、渡しそびれてしまったのでね」
差し出された紙袋を開けば、忍び道具の幾つかに、廃墟で投げ捨てた端末。電源を入れれば、不死鳥の偶像が画面に浮かんだ。
「ご丁寧に、有難う御座います。助けて頂けるだけで無く、此処まで」
慣れない今言葉で礼を言えば、白髭も小さく頷く。
「いえいえ。ワタシも貴方のお姉さんに、随分とお世話になっていますから」
「姉?」
寝耳に水。瞬きを忘れた顔を向けると、白い眉の奥から優しげな瞳が覗く。
「もしや、姉も何か仕出かした?」
「ふぉっふぉっふぉっ」
問いには答えず、愉快そうに口髭を揺らす。
「聞きたいのでしたら直接、お聞きすれば?丁度、いらっしゃったようですし」
朗らかな視線で合図を送られる。間を置かず、背後から松葉杖を突く音。
振り返ると、危うい姿勢で駆け寄る女性の姿が視界に飛び込んだ。緩やかな彫りの上に険しい皺を作り、足音高く床を蹴りつける。
「姉上?」
間違えようも無い。姉、璃が嵐を呼ぶ怒気を纏い、眼前へと迫る。
「忍っ!」
姉の口から迸る、背筋を凍らせる一喝。不自由な足元にも関わらず、一足一刀の間合から手にした杖を大上段に振り上げる。
「なにしてんのよっ!このバカ弟っ!」
轟音を立て振り下ろされた。頭骨の頂点にある急所、天道を砕かん許りの一撃。脳天から激痛が走り、目から火花が散る。
「なっ、何を……」
足裏に力を込め、気が遠くなる重い衝撃に何とか耐える。打たれた頂点を両手で押さえると、からん、と軽い音が足元で転がった。姉が手にしていた杖だ。
「ホント、心配したんだからっ……」
もう一度、姉に見る。細い腕が震えていた。鼻を啜り、戦慄く声は次第に嗚咽へと変わる。
「……姉上、御免」
大粒の涙で化粧の崩れた姉の顔。思わず、小さく丸まった身体を抱き寄せる。
最近、子女を泣かせて許り。重ね合わせた温かい胸の中で、瘡蓋を剥がすのが早過ぎた傷口の如き痛みを覚えた。
「其れで姉上。仕事は?」
「ソレどころじゃ無いわよっ!」
長椅子の隣に腰掛け、大声を張り上げる姉。手にした拭布で勢い良く鼻を擤む。
「いきなり忍からSOSが送られてくるしっ!ビックリしてたら、今度は警察から連絡っ!しかも逮捕って!」
早口に吐き出すと、軽く噎せ返った。咳き込んだ背中をゆっくり撫でる。
「ありがと。で、ぜんぜん意味が分からないからさっ。思わず仲間に電話しちゃった」
「仲間、とは?」
「ココの警察署長。忍も試合場で会った事あるでしょ?白いヒゲのおじいさん。……って、なんて顔してんのよ?」
其れは、するであろう。怪訝そうに覗き込む姉に、つい閉口してしまう。全く、何処まで顔が広いのか。
「まぁ、その人のお陰でカワイイ弟の状況が分かったワケ。いい?今度会ったら、忍もお礼を言いなさい」
先に教えて欲しかった。胸中に浮かぶ言葉を飲み込む。
睨んでくる姉には悪いが、先程まで話していたのだ。ちら、と先程まで居た場所に視線を送るも、既に白髭の姿は無し。取り敢えず、見えぬ背に向け黙礼する。
「そんなコトよりっ!」
視線を外した隙に、姉の身体が密着してきた。寄せてくる顔に暑苦しさを覚え、思わず身を引いてしまう。
「なんで一言、お姉ちゃんに相談しなかったのっ?!そんなに頼り無いっ?」
「頼り無い、と言う訳ではなく……」
歯切れが悪くなるのは致し方ない事。だが、姉は何か勘違いしたのか。未だ揺れる瞳に力が込もる。
「ならっ、姉弟の間に隠しゴトはナシッ!さっ、包み隠さず話しなさいっ!」
真剣な眼差しに、つい掌で顔を隠す。
包み隠さず、と言うのは無理な注文。
不可思議な事柄が多過ぎる。淡緑が毒から水提灯まで、悪夢めいた奇譚が続くのだ。素直に信じてくれるとは思えぬ。
が、何も知らぬ姉は目敏い視線で、今かゞと待ち構える。絶対たる姉の威光を前に、気弱い弟は贖う術無し。
「実は――」
肚を決め、ゆっくりと唇を抉じ開ける。慎重に、物語の辻褄を合わせ乍ら。
淡緑に襲われた。仕返ししたら、今度は謎の二人組。しつこい襲撃を追えば、間宮と繋がっていた。奴はどうも、永見の身柄を誰かに渡したらしい。
何も間違ってない。ただ、所々が抜け落ちているだけ。
「そういうコトね。忍の焦る理由が分かったわ」
両腕を組み、何度も頷く姉。だが、
「だ・け・どっ!だったら尚更、早く大人に言うべきでしょうっ!何でもかんでも、自分で解説しようとしないっ!」
「そうは申せど」
上からの物言いに、つい口を尖らせてしまう。
「何時帰ってくるか、分からなかったであろう?話の仕様が無かったのだ」
「忍ねぇっ……、なんのために端末渡したと思ってるのっ!」
姉の鉄拳が再び振り下ろされ、同じ箇所に衝撃が走る。流石に其の場で蹲るしか無い。
「で、この話は警察にも?」
頭蓋に衝撃が駆け回る中、何とか頷く。
「そ。なら任せるしかないわね」
姉は物思いに耽る様に天を仰ぎ、目を閉じる。ようやっと痛みが引いた頃に開き、武器に用いた松葉杖を持ち直す。
「さて。ココに長居するのも何だし、さっさと残ったヤボ用を片付けて帰りましょ」
「野暮用?」
「忍の釈放手続きがまだなのよ。ホント、警察って役所仕事よねぇ」
長椅子から立ち上った姉は大きく伸びをする。すとん、と力を抜くと、重そうな自分の肩を交互に揉んだ。
ならば、同じく腰を離そうとすれば、鼻先に杖の先端が迫る。
「忍はイイわよ」
と、姉の言葉が続く。
「ずっと尋問を受けて疲れているでしょ?顔色悪いし、戻ってくるまで休んでなさいっ。分かった?」
有無を言わせぬ確認。首肯すれば、尋ねた顔に笑顔が戻る。
「スグ戻るからぁ。絶対に待ってなさいよぉっ!」
と、去り際にも念押し。姉の懸念ほど疲弊はしていない。が、問答無用の愛情には従うしかない。
大人しく待つしか選択肢は残ってない様だ。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




