幼馴染 一
2025.04.17 微修正。タイトル修正
2025.04.19 さらにタイトル修正
腕を素早く振り、足は繰り返し地面を蹴る。絶えず肺が空気の交換を繰り返し、強く打つ鼓動は熱を帯びた手足へ活力を送り続ける。
然れど足裏の違和感が全力を拒んだ。差は縮まらない。五十数間で行う俊足の競い合いも後少し。細やかながら相手が先を行く。
「っしゃっ!」
最後まで追いつけず。競った相手は強く短い雄叫びと共に拳を突き上げた。すぐに共連れが駆け寄り、輪になって互いの手を叩き合う。
歓喜の様を横目に額から流れる汗を腕で拭った。少々乱れた息を整え足の具合を確認する。大丈夫、痛みはない。
淡緑との騒動から明けて三日。代償として足裏の痛みが残った。幸い、歩く駆ける跳ねると、ひとしきりの動きは出来る。ただ思った通りとはいかず、どこか固い。
いや、粗を探すのは辞めるべき。相手は押しも押されぬ陸上部の大黒柱。始業前に嗾けられた余興。体を温める暇もなかった。上げようと思えば幾らでも上げられる。
だが、どれも単なる言い訳。早足勝負で敵わなかった。それだけで良い。
「いやぁ、いい勝負だったね」
闊達に笑いながら競い合った相手、間宮通が仲間を引き連れた。
明るい色の髪に少々日本人離れした彫り深く細い面立ち。大きく切れ長の二重の目に鼻筋は高く整い、薄い紅色の口から白く澄み切った歯が覗く。
この器量に六尺の身の丈が合わされば、成程、左右の女子がべったりと張り付くわけだ。
「噂通りだね。最後は抜かされるかと思ってヒヤヒヤしたよ」
大きく手を広げて歩み寄られると、腰を強く叩かれた。挨拶のつもりかも知れぬが、にしても強い。
「どの噂か知らぬが、余り真に受けぬ方が良いぞ」
件の忍びを指すのか、別の噂か。叩かれた場所を擦りながら忠告する。美丈夫の笑みが引き付いた。が、それも一瞬の出来事。
「さぁ?どの噂を言っているのか分からないね」
何も無かったかの様に取り巻きへ向かって肩を竦める。それだけで周囲はどっと沸いた。中々に危うい話だと言うのに何が面白いのか。あ奴らの感性は良く分からぬ。
「そうか」
それでも意図を汲み頷く。色々と拗れた間柄、深入りすればお互いに面倒が起こる。触らぬ神に祟りなし。
「じゃあ、次回の勝負も頼むよ。ま、勝たせてもらうけどね」
またか。溜息ひとつ吐く合間に間宮は取り巻きを連れて背を向ける。用件が済めば後はお構いなし。
「ならば、せめて授業中にしてくれ」
願いは届いただろうか。振り返りもせず、ひらりゞと振る手に了承の意図は感じられなかった。
「あ赤目も災難だね」
鼻声が姓を呼ぶ。
「蜂谷か」
物陰で間宮の一段が去るのを見計らっていたのだろう。ひょっこりと猫背の男が脇に現れる。
身の丈五尺七寸ほどの酷い猫背。色白の細長い顔には此れまた細い鉤鼻。細目の下には酷い隈あり。痩けた頬も相まって生気を感じさせぬ相貌。それが蜂谷樹である。
「クヒッ。かカースト上位の間宮に目を付けられるなんて、さ最悪」
品が良いとは言えぬ含み笑い。感情を表に出すのが不得手なのは分かるが、見ていて気持ち良いものではない。
「そう言うな」
同情なのか哀れむ視線を受け流す。上背あるが頭の位置は同じ。もう少し背を伸ばせば血色も良くなるだろうに。
「災難なのは間宮の方。何せ、己の見せ場を奪われたのだからな」
「ど、どういう意味?」
「暫く部活動は無し。対外活動も禁止らしい。状況を鑑みて、だそうだ」
あの日を境に淡緑が暴れ出した。
余程、頭にきたのだろう。徒党を組み、我が物顔で近隣を蔓延り始めたのだ。穏やかとは言い難い面持ちで藪睨みし、時には暴力を振るう。狙いは同じ学び舎に集う同胞。現に何人かは餌食となったらしい。
「全く迷惑な事よ」
意図せず蒔いた種が育つ様に、項垂れそうな頭を手で押さえねばならぬ。
お陰で登下校は随分と物々しくとなった。駅では狙われぬよう一塊となり、教師に付き添われ学びの園を行き来する。時には制服の警官のお世話にもなるのだから余程の事だ。
「こ怖いよね」
蜂谷が自身の身を抱え小刻みに震えた。どうも襲われた内の一人に友が居たらしい。青褪めたのは生来のものだけでは無いであろう。
「教師達も手立てを考えておる。暫く、辛抱するしかあるまい」
慰め代わりに、信じてもない気休めを口にする。
壁に耳、障子に目。今の時世、障子を見かける機会はめっきりと減ったが、耳となる壁は健在。学府を預かる者同士の内緒話を拾うのは然程難しくはない。
車座を囲って交わされた話の内容は、どうも芳しくはないようだ。相手は氏素性も分らぬ不逞の集まり、文句を言う先も分からず仕舞い。当座の安全を確保すべく各所に頼み込んでいる様だが、何処も腰が重い。
「そそうだと良いけど」
気も重た気に漏らした蜂谷の溜息と同時に単調な鐘の音が校庭に響く。始業を告げる本鈴。体操上着姿の学友達が気怠そうに教師の前へと蝟集し始める。
「この中で怯える必要はない。さて、遅れると何言われるか分らぬぞ」
身が入らぬ悪友の尻を叩き、揃い始めた集合の列に並ぶ。
「妙に数が少ないの」
見渡しながら疑問を口にする。男子だけだとはいえ、ふたつの級が一緒に授業を受ける段取り。にも関わらず列を作る級友の頭数が些か少ない。
「さサボりでしょ。ま間宮とか、まマジメに走るワケがない」
「成程の」
音に聞こえし風聞と違わぬ不品行に溜息が出た。
傑物が故、間宮の肩を持つ者が圧倒的に多い。教師ですら胡麻を擦る始末。我儘に振舞ったとて悲しい哉、彼を思って咎める者は居ない。
彼を思う人ならば、苦言を言える知者が要る、と考えるだろう。
取り巻きにも薄々と感付いている者も居るかもしれん。大樹も育て方を誤れば根本から腐る。彼が大儀を成すには、平手政秀の如き忠臣が必要だ、と。
が、現実は媚び諂う者ばかり。それが間宮の不運、不幸とも取れる。
「き気になる?」
蜂谷から厭らしくもねちっこい視線が向けられた。
「多少は、の」
「そそれって元カレだから?」
「言うな」
下世話な物言いを、ぴしゃりと遮った。頭を支える手に悩ましき重みが加わる。
永見と間宮が昔からの馴染み。しかも少し前まで男女の仲だったとは。蜂谷から聞かされた時は、気まずさと驚きが綯い交ぜ合い、胸焼けを起こした。
今は昔、幼き頃から馴染の男女あり。男女は生ひ立つにつれ、互に心にくくなりて相思いなり。
周囲は黙らず。厳しき男を見初めんと、別なる女は辛く誘えば男靡きたり。
馴染の男女は疎かなれば、女遅れて誘う。されどすげなし。
女いみじと思いてさめざめと泣けど、好もしがる別の男が奪いたり。
御伽草子に準えれば、この様なものか。
「酷い男やの」
在り来たりに話が進むならば、馴染の男は改心して女と仲直り。残された男女は悔し涙を流してお仕舞いとなる。
「さ最近はそうでもない。そそのまま幸せに、く暮らしたりもする」
「左様か」
ぎこちない笑顔で慰める蜂谷を冷たく遇いつつ、足をゆるりと動かす。
終業の鐘が鳴るまで延々と続く持久走。教師の口より出た課題に、労苦を言い渡された学友は一斉に絶望と不満を合唱した。が、意見が代わるには力不足。
こうして覇気など微塵も無いままに、地面に引かれた白線を撫った。余りにも単調な動き。幾周も回るまでもなく、直ぐに気も漫ろとなる。
「時に蜂谷。友キスというのを知っているか?」
もはや自然に走るまでとなった身体に流れを任せ、頭の中に凝り付いた疑念を蜂谷にぶつける。が、白面の顔は横に振られた。
「いいや、し知らない。だ誰から聞いたの?」
「永見だ。何でも友同士で交わす口付けらしい」
「何ソレ詳しくっ!」
有り得ん程に喰い付いた。聞き違いか、発した言葉に淀みも無い。
その反応で察しはついたが、蜂谷の野次馬根性は収まらず。失策を悔やみつつ、あの日の出来事を搔い摘んで話してやる。無論、淡緑の経緯は捨ておいて。
「で、チューしたっ?」
「する訳なかろう」
寄ってくる鼻息の荒い顔を引き剝がす。やはり言葉に閊えはない。
「永見は意中ではなく、友の関係ぞ。期待させては後々、凝りが残る」
「えー、もったいない」
何が勿体ないのか。
「あんなに可愛い娘が好きになってくれるなんて、この後にあると思う?もう付き合っちゃいなよ」
知っていてもなお物言う蜂谷に頭を抱えるが、蜂谷はお構いなし。血走った目を見開き、譫言の様に呟き始める。
「そうすればチューだけじゃなく、あんなコトやこんなコトっ!そんなコトだってぇっ!」
白い顔が興奮の度合いを上げる度に赤く染まる。両の指を小刻みに震わせるかと思えば、急に拳を握り顔を上げた。
その足が急に止まる。
「蜂谷?」
気掛かりとなり振り返ってみれば、両の拳を握りしめたまま微動だにしない。虚空を見上げた顔は何処か幸せそうな、狂気じみた笑顔が張り付く。
「蜂谷?」
もう一度名前を呼び目の前で手を振ってみるものの反応なし。流石に不安となり肩を叩くと、その場で崩れ落ちた。
「も、もうダメ……」
何時もより蒼白させた顔で呟く。小刻みに繰り返す息も荒い。脹脛を触ると細かな震え。知らぬ間に限界が来たようだ。が、少しは素振りを見せたらどうだ。
「あ赤目。ほ保健室へ、つ連れてって」
顔から生気が消え、息も絶え絶えの懇願。呆れて物も言えず、頭を抱えるしかなかった。
早足に校舎内の保健室へと担ぎ運べば、幸か不幸か保険医は不在であった。仕方なく、傍らに据えてある寝台に力尽きた級友を下ろす。
「い生きてる」
「当たり前だ」
何を大袈裟な。恨みがましい視線を黙殺し、毛布を雑に被せる。
「どうせ夜更けまで遊んでおったのだろう?」
付き合いは浅いが彼の生態は知っている。常に遊戯、遊戯、遊戯。朝から晩まで、それこそ授業の合間を縫ってまで画面を睨み、忙しなく指を動かす。
平面の事柄しか興味ないのかと思っていたが、まさか永見の話であそこまで興奮するとは。以外な事実に驚くしかない。
「少し寝ておけ。そうでもしないと放課後まで持たんだろう」
「そ、そうする」
素直に頷き、布団の中へと潜り込む。少し待てば寝息が聞こえた。
言葉通り肩の荷が下りた。保険医が戻ってきたとて、無下にはせんであろう。男の寝顔など見る気も起らぬが故、軽くなった首を回しながら保健室の引き戸に手を掛ける。
開けはしなかった。
「誰だ」
扉の向こうから小さい悲鳴が上がる。聞き馴染みのある声に思い直し、扉を引いた。
「し、しぃ君⁉」
永見だった。意外な人物との邂逅に思わず言葉を失う。相手も驚いたのか、大きな目を丸くし半開きとなった口元に手を当てた。
「どうしてココに?」
「永見こそ。女子は体育館で球技のはず」
調子を崩したわけではなく、至って健康体であるのはひと目で分かる。保険室のお世話になるには不似合い。此処に用があるとは思えぬ。
「あはは……」
ぎこちない乾いた笑みを張り付かせ、頭を掻いた。困ったような、諦めたような硬い笑み。
「トオルが体育館に押しかけて来たから。ちょっと居心地が悪くて、ね」
困ったように首を傾げる姿に、つい溜息が出る。
永見と間宮。二人の間で紡いだ歩みの仔細は知らぬ。彼女が下した選択が間違いとは思わぬし、相手の態度に問題あるのは確か。とはいえ、今のままでは居場所が無くなる。
中々に重い課題を前に、額に手を添え黙念する。
小言を言う役を買うしかない。平手政秀にはなれぬが、本願寺の坊主の代わりならば出来るであろう。相手に物言いができる、不快なれど無視できぬ相手に。
「困っておるなら、間宮に口を利くが」
「え?イイよ、しぃ君は別のクラスじゃん。悪いよ」
「然れど――」
「イイったらイイって!」
相変わらずの声量。強く放った大声が誰も居ない廊下に拡散する。空き教室だったのは幸い。何事か、と顔を出す者は居なかった。
腕を組み、口元を手で覆った。愛は憎悪の始め、と言うが、かつての恋仲が顔を合わせるのも拒むとは。
これでは永見の気が休まぬ。軽く息を吐くと永見の目を見据えた。
「河岸を変えぬか?できれば校舎の外で」
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




