名人の正体 一
「確保ぉ!」
新たに集まった濃紺の群れに呑まれた。押し寄せる人波に忽ち潰され、後ろ手に手錠を掛けられる。
「この少年が凶悪犯ですか?」
出迎えだろうか。警察署の門を固める警官が驚いたように目を見開く。
「見た目に騙されんじゃねぇよ」
松平は嗜めると共に、脇で腕を捻り上げた。動きを封じられた肘から鈍い痛みが走る。
「この小僧のせいで三人、また病院送りだ。バカにしてると、オマエもやられるぞ」
其の一言で門番の顔色が変わった。
「警部。いくらなんでも、そりゃ横暴ってモンだ」
苛立つ様に突き出された白蛇の手に、渋い顔を作る初老の男性。
「いいから、留置場の鍵をよこせっ」
「いいや。ダメです」
きっぱりと。急かす刑事の要求を突っぱねた。
「留置の担当はコッチ。捜査とは別管理だって、警部も知っているでしょ?被疑者は責任持って収容しますから、さっさと身柄を渡して下さい」
紆余曲折を受けた末、鉄格子を前に座す。
陽の光など差し込まぬ六畳一間の一室。他に人の気配はない。天井から無垢たる人工灯が隙間無く、そして重く垂れ込める。
反復する呼吸の動きは重い。低く唸る換気扇の息遣いが、大きな隙間を駆け抜ける。
白一色に統一された独居房。入る者に圧を感じさせぬ配慮かも知れぬが、結局は裏目。清潔乍らも警察の、為政者からの威を其処彼処から受け取れる。
びちゃん。と、手洗い場から水滴が落ちた。
どのくらい時分が経ったのか。時を刻む三種の針、切っ先に意味を与える文字盤は目に届かない。故に、数える。只管に滴る音を。
近しい周期で繰り返されるのは幸い。
今、落ちた間隔は、十あった。
その前は十五。更に前は十二。
雫が教えてくれた合計が正しいのならば、凡そ一日は経ったであろうか。
何とも頼りない、あやふやな円環の勘定。
無論、誤差は大きいだろう。だが、他に推し量る音は無し。今は単調なる音階が静謐に溶け、時間が漠然となるのを防ぐしか無い。
でなければ、昨夜の無力感に襲われてしまう。
白き空虚が広がる中、静かに目を瞑る。
水提灯の怪異に、間宮は身体を乗っ取られた。
救え無かった事への慚愧は無い。奴は私欲の養分として他者を使い倒した。此度は其の報いを受けたまで。最後は自慢の顔と共に、何もかも失った。
小さく息を吐き、頭を振る。
永見の懸念が、現実となった。
なまじ才覚があった許りに、彼は人望を呼んだ。人望は次第に権勢となり、持て囃される度に旨味が生じたのだろう。舐めてしまえば、後戻りできぬ甘味。
御河童頭だけが危険を感じ取ったが、後の祭り。
間宮は獣が獲物を欲すると同じく、際限なく力を欲したに違いない。力を得れば万事解決する。根拠の無い万能感、曖昧な虚栄心を満たそうと邁進した。幼馴染の手を振り切って迄。
挙句、水提灯の怪異に付け込まれた。欲に駆られ、自ら飛び込んだか。此の辺りについては、憶測の域を出ぬ。
水滴の音に合わせ、もう一度、小さく息を吐く。
「……どうしたものか」
重く伸し掛かる悩みの種に、掌を額に添えた。
永見に、どう切り出せば良いのか。
あの色男は、永見を『あの人』に売り渡した。其れが『野狗子』と呼んだ水提灯と仮定するならば、得体の知れぬ怪異に竹馬の友を譲った事となる。要らぬ、という身勝手な理由で。
臓腑が燃える程の怒りが湧くが、それでも、彼女は「好き」だと言った。剰え、救おうとした。
故に、間宮の末期を伝えるのは忍びない。伝えれば、きっと泣き崩れるだろう。
雨の公園の時と同じ。鼻の頭まで赤くした顔で泣き噦り、小さく肩を震わせる姿が目に浮かぶ。
間宮の為に流す涙など持って欲しく無い。そう願うのは我儘だろうか。
だが。好悪は別として、間宮の終焉を見届けてしまった。
残酷な報せであるなら尚更、見知らぬ第三者から聞かされるより、多少でも縁ある者が語る冪だろう。
果たして、彼女は素直に信じてもらえるだろうか?
いっそ、話の筋を変えるか?
抑、荒唐無稽な此の顛末。正しく告げたとて、法螺話だと一蹴されるかもしれん。信じ易い作り話の方が余程、彼女の為にもなる。
――否。
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
ちくり、と心臓が疼き、上から手を添える。
永見に対し、偽りたくなかった。
普段の、他愛もない嘘とは違う。想い人の最期を欺瞞する、責任逃れの嘘。ひと度でも吐いてしまえば、心を許した友に対する裏切りと同じ。
其れに。永見に話を切り出そうにも、肝心な居場所も分からず。
水提灯と共に居るならば、先ず怪異を探し出さねばならぬ。だが、根城は何処だ?唯一の手掛かりは、浮いた水溜りの頭が連れ去ってしまった。
此れでは、明かりひとつ無い迷路の中、黒真珠を探すようなもの。打つ手ひとつ無い儘、寄る辺も無い。
胸に当てた手で髪を掴み、奥歯を噛んだ。
「永見……」
小さい声が、彼女の名を呼んでいた。
思い悩む中、視界の外で鉄の軋む音が響く。歯の根が浮く高音の後、金属同士がぶつかり合う、荒々しい閉扉の音。
直後、空気の循環に負けぬ燻製香が鼻孔を襲う。
「ほう?元気そうじゃねぇか」
煙草で掠れた声が飛び込むと、薄茶の三揃いが牢屋の前に姿を表した。白い顔に薄く広い唇。丸い黒目が態とらしい視線を投げ掛ける。
「お陰様でな」
居住まいを正し、穏やかに微笑んで見せる。
「静かな場所で寛げたのは久方ぶり。雑音に煩わされず、深く眠れた」
嘘。閉じ込められてから一睡もしていない。幾晩も寝ずに動ける修行を積んできた成果でも有る。今は寝る気さえ起きなかった。
「そりゃあ良かった」
皮肉を受け止めた松平の眉根に皺が寄る。少し許り睨みつけると、反対側の鉄格子に寄り掛かった。
「コッチは朝から晩まで働き詰めだからな。休憩するヒマもありゃしねぇ」
「其れは悲惨」
「コレも、小僧の悪さが原因だがなっ」
獲物に噛みつかれ、白い蟀谷にある青筋ひとつ、ぴくりと痙攣する。
「……まぁいい。この落とし前はつけさせて貰おうか」
一時の間を置き、懐から煙草の箱を取り出した。流れる手付きで白い巻紙を口に咥える。
「で、仲間を殺した動機は?おっと、正当防衛なんてつまらねぇ言い訳はナシだ」
「此処で取り調べを?」
話の切り出し方に瞬目を忘れた。軽い不意打ちに発案者を見る。火打金から揺れる炎の先で、蒼白な口先が微かに開く。赤い舌を出す白蛇の顔。
「取り調べじゃねぇ。ただの世間話だよ」
コッチの方が都合イイしな。と、呟く白蛇の口元から紫煙が上る。
「ならば。あの警官達はどうなった?一緒に怪異と当たった三人だ」
「おっ、他人の心配で点数稼ぎか?」
「いや」
相手の挑発的な、底意地の悪い決めつけに頭を振る。
「色々とあった後、置き去りにした故」
「そうかい。コッチが先だったが……ま、いいや」
薄い笑みを絶やさず、松平は煙草の臭いを漂わせる口を開く。
「ひとりはコメカミを撃ち抜かれて死亡。ひとりは泥を飲み込んで窒息死。
生き残ったヤツも心的外傷後ストレス障害の症状が出ているらしい。
コレで満足か?小僧」
松平の、残酷までのあっさりとした話し方に、再び目を閉じる。
助からなかった。その事実が鉛となり、胃の腑に落ちた。
「さて、小僧の願いも叶えてやったんだ。今度はコッチの問いに答えてもらおうか」
暫し瞑目する合間も与えられず、白蛇が急かす。仕方なく目を開ければ、愛煙家は床に直接、灰を落としていた。
「と言っても、大体は把握しているがな。売人同士のケンカが殺人事件に発展した。おおかた、こんなトコロか」
短くなった煙草を噛み、気に入らなさそうに鼻を鳴らす。迫る火口など構わず。どうだ、と言わん許りに口端を上げる。
「ガキのくせして仲間内で殺し合い、とはな。将来、ロクな大人にならねぇぞ」
刑事の物言いを前に、自然と掌が額に向かった。軽い疼きを押さえつつ、溜息をひとつ漏らす。
「何故、一緒くたにしたがる?」
当て推量にも満たぬ戯言に、最近出来た額の傷を触る。淡緑や間宮と手を組んだ覚えなど無し。
「あの一味からは、彼是と因縁を付けられた。啀み合いこそすれ、馴れ合う間柄とは全くの逆ぞ」
真。然し、刑事は小さく両肩を上げた。
「そりゃ、欺瞞工作だろうさ」
乾いた笑い声が喉の奥で鳴り、開いた唇から紫煙を燻らす。
「言い切る根拠は?」
「聞きたいか?」
寄り掛かった背を伸ばし、床を踏みしめる。正対した黒目が妖しく光った。
「小僧が逃げ出した、あのビルだがな。地下から『GB』が出てきた」
宝箱を見つけた子供の様に。刑事は弾む声を隠さず言葉を続ける。
「うまく隠したつもりだろうが、所詮はガキだな。長年の勘を働かせりゃ、どうってことねぇ」
上着の腰にある物入れから白い袋を取り出し、短くなった煙草を仕舞う。
「末端でいくらになるんだろうな?ガキの小遣いにはデカ過ぎだ」
「其れは羨望」
「しらばっくれんな。小僧も貰ったクセに」
薄茶の三揃いがゆっくりと近づいた。眼前の、鉄格子に白く低い鼻が触れかけ、寸前で立ち止まる。
「だが、小僧。オマエは分け前の額に納得がいかなかった。
モチロン、不満を周囲にぶつけただろうさ。
その話が元で口論となり、しまいにゃ暴力沙汰に発展した」
黒目がじっと睨む。獲物を狙う蛇の様に。
「どうだ、図星だろ?今さらゲロっても遅いからな」
執拗な攻撃に、嘆息が零れる。額を覆う掌が、顔の半面迄広がった。
「此の地に来たのが、つい三月前ぞ」
真。口取りが重くなるのは致し方なし。何しろ、少し調べれば分かる事。
「刑事の言では、僅かな合間で彼らと知り合い、緑の毒と関われた、となる。
では一体、どうやって短い月日の内に取り入れた?」
嘘。忍びの口伝で敵に取り入る術はある。が、知っているのと使うのは別。間宮や淡緑を相手に使う気は、終ぞ起きなかった。
「ソリャ、自分の胸に手を当てりゃ分かるだろ?」
だが松平は取り合わず。最後の一服を終えると、吸い殻を足元に捨てる。
「小僧が今、やるコトはな。屁理屈をこねるんじゃなく、首を縦に振るコトだ」
「話にならぬ」
慨嘆の籠もった息をつくと、ゆっくりと立ち上がる。
流石に此処まで分からず屋だと、腹に溜めた不満も漏れる。言葉尻が荒くなるも当然。
「出鱈目な捜査を披露されても困る。此れでは一体、何の為に税金を納めるのやら。尤もな理由を知りたいもの」
「は?警察をバカにすんじゃねぇぞ、小僧」
一転、松平の口調が険しくなる。丸い瞳に隠れた瞼が広がり、半分を覆い隠す。唇から小馬鹿にした笑みが消えた。
「馬鹿にしているのは其方。金子を貰った、とまで言うならば、其の動きも把握しているのであろう?」
引かず、不満顔の白蛇を真正面から受け止める。
「此の身の回りで、金品の怪しい動きがあったか?大きな買い物や、金使いの荒い時期があったか?」
一気に捲し立てると、視線を外した松平が吐き捨てる。
「バカか?捜査の内容を漏らすワケねぇだろう?」
「ならば自分の胸に手を当て、思い出してやろう。誰からも大金を貰った記憶は無い」
真。高らかに身の潔白を宣言する。堂々と胸を張れば、刑事は一瞬、視線を逸らした。
「……ソレを調べるのが警察だっ。素人は口を出すなっ」
「当てにならぬから、態々教えたのだ。良かったな。証言がひとつ増えたぞ」
「小僧っ……!」
飲み込んだ声は、奥歯を噛み締める音と同じ。血流が沸騰したか、小刻みに震える白蛇の両肩が押し上がる。
「……ちょっとコッチに来い」
燃え滾る怒りを辛うじて隠す、堪忍袋が破裂する寸前の黒い瞳。細い指が胸元で動いた。招く仕草。
「嫌だ。と、言ったら?」
「イイからっ来いっ!そしてっ、後ろを向けっ!」
血走った黒い瞳が威圧する。怒鳴り倒す声は正に脅迫其の物。強面の例からして、殴り倒す腹積もりなのだろうか。
「来ねぇかっ……。イイぜ、コッチから行ってやるよっ」
我慢し切れず、松平は腰に手をやり、鍵の束を取り出した。腰を屈め、低い位置にある鉄格子の鍵穴へ次々と差し込む。何回か繰り返すが、何れも違うらしい。
真剣で、滑稽な姿に溜息が漏れてしまう。
いや、此れは好機か?
粗暴な刑事といえ、武で圧倒する腕は無い。いざ組み合えば、体術で往なすは容易。
其の隙を突き鍵を奪い、抜け出すのも一興。松平の面目は潰れ、永見を探す機会を得る。
素性が割れている故、多くの時間は望めぬだろう。だが、白い居室で時間を無為にするよりは遥かに有意義。
口端が僅かに緩んだ。なんだ、大した損に為らぬではないか。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




