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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
五 夜をこめて 鳥の空音は
39/53

名人の正体 一

「確保ぉ!」

 新たに集まった濃紺の群れに呑まれた。押し寄せる人波に(たちま)ち潰され、後ろ手に手錠を掛けられる。


「この少年が凶悪犯ですか?」

 出迎えだろうか。警察署の門を固める警官が驚いたように目を見開く。

「見た目に騙されんじゃねぇよ」

 松平は(たしな)めると共に、脇で腕を(ひね)り上げた。動きを封じられた肘から(にぶ)い痛みが走る。

「この小僧のせいで三人、また病院送りだ。バカにしてると、オマエもやられるぞ」

 ()の一言で門番の顔色が変わった。

 

「警部。いくらなんでも、そりゃ横暴ってモンだ」

 苛立つ(よう)に突き出された白蛇の手に、渋い顔を作る初老の男性。

「いいから、留置場の鍵をよこせっ」

「いいや。ダメです」

 きっぱりと。()かす刑事の要求を突っぱねた。

「留置の担当はコッチ。捜査とは別管理だって、警部も知っているでしょ?被疑者は責任持って収容しますから、さっさと身柄を渡して下さい」




 紆余曲折を受けた末、鉄格子を前に座す。

 陽の光など差し込まぬ六畳一間の一室。他に人の気配はない。天井から無垢(むく)たる人工灯が隙間無く、そして重く()れ込める。

 反復する呼吸の動きは重い。低く(うな)る換気扇の息遣いが、大きな隙間を駆け抜ける。

 白一色に統一された独居房。入る者に圧を感じさせぬ配慮かも知れぬが、結局は裏目。清潔(なが)らも警察の、為政者からの威を其処彼処(そこかしこ)から受け取れる。

 びちゃん。と、手洗い場から水滴が落ちた。

 どのくらい時分が経ったのか。時を刻む三種の針、切っ先に意味を与える文字盤は目に届かない。故に、数える。只管(ひたすら)(したた)る音を。

 (ちか)しい周期で繰り返されるのは幸い。

 今、落ちた間隔は、十あった。

 その前は十五。更に前は十二。

 雫が教えてくれた合計が正しいのならば、(おおよ)そ一日は経ったであろうか。

 何とも頼りない、あやふやな円(かん)の勘定。

 無論、誤差は大きいだろう。だが、他に推し(はか)る音は無し。今は単調なる音階が静謐(せいひつ)に溶け、時間が漠然となるのを防ぐしか無い。

 でなければ、昨夜の無力感に襲われてしまう。



 白き空虚が広がる中、静かに目を(つむ)る。

 水提灯(みずちょうちん)の怪異に、間宮は身体を乗っ取られた。

 救え無かった事への慚愧(ざんき)は無い。奴は私欲の養分として他者を使い倒した。此度(こたび)()の報いを受けたまで。最後は自慢の顔と共に、何もかも失った。

 小さく息を吐き、(かぶり)を振る。

 永見の懸念が、現実となった。

 なまじ才覚があった(ばか)りに、彼は人望を呼んだ。人望は次第に権勢となり、持て(はや)される(たび)(うま)味が生じたのだろう。()めてしまえば、後戻りできぬ甘味(かんみ)

 御河童(おかっぱ)頭だけが危険を感じ取ったが、後の祭り。

 間宮は獣が獲物を欲すると同じく、際限なく力を欲したに違いない。力を得れば万事解決する。根拠の無い万能感、曖昧な虚栄心を満たそうと邁進(まいしん)した。幼馴染(おさななじみ)の手を振り切って(まで)

 挙句(あげく)、水提灯の怪異に付け込まれた。欲に駆られ、自ら飛び込んだか。()(あた)りについては、憶測の域を出ぬ。

 水滴の音に合わせ、もう一度、小さく息を()く。

「……どうしたものか」

 重く伸し掛かる悩みの種に、(てのひら)を額に添えた。

 永見に、どう切り出せば良いのか。

 あの色男は、永見を『あの人』に売り渡した。()れが『野狗子(やくし)』と呼んだ水提灯と仮定するならば、得体の知れぬ怪異に竹馬の友を譲った事となる。要らぬ、という身勝手な理由で。

 臓腑が燃える程の怒りが湧くが、それでも、彼女は「好き」だと言った。(あまつさ)え、救おうとした。

 (ゆえ)に、間宮の末期(まつご)を伝えるのは忍びない。伝えれば、きっと泣き崩れるだろう。

 雨の公園の時と同じ。鼻の頭まで赤くした顔で泣き(じゃく)り、小さく肩を震わせる姿が目に浮かぶ。

 間宮の(ため)に流す涙など持って欲しく無い。そう願うのは我儘(わがまま)だろうか。

 だが。好悪は別として、間宮の終焉(しゅうえん)を見届けてしまった。

 残酷な報せであるなら尚更(なおさら)、見知らぬ第三者から聞かされるより、多少でも(えにし)ある者が語る(べき)だろう。

 果たして、彼女は素直に信じてもらえるだろうか?

 いっそ、話の筋を変えるか?

 (そもそも)、荒唐無稽な()の顛末。正しく()げたとて、法螺(ホラ)話だと一蹴されるかもしれん。信じ(やす)い作り話の方が余程、彼女の(ため)にもなる。

 ――否。


  夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ


 ちくり、と心臓が(うず)き、上から手を添える。

 永見に対し、偽りたくなかった。

 普段の、他愛もない嘘とは違う。想い人の最期を欺瞞する、責任(のが)れの嘘。ひと(たび)でも()いてしまえば、心を許した友に対する裏切りと同じ。

 ()れに。永見に話を切り出そうにも、肝心な居場所も分からず。

 水提灯と共に居るならば、()ず怪異を探し出さねばならぬ。だが、根城(ねじろ)何処(どこ)だ?唯一の手掛かりは、浮いた水(たま)りの頭が連れ去ってしまった。

 ()れでは、明かりひとつ無い迷路の中、黒真珠を探すようなもの。打つ手ひとつ無い(まま)、寄る辺も無い。

 胸に当てた手で髪を掴み、奥歯を噛んだ。

 「永見……」

 小さい声が、彼女の名を呼んでいた。




 思い悩む中、視界の外で鉄の(きし)む音が響く。歯の根が浮く高音の後、金属同士がぶつかり合う、荒々しい閉扉の音。

 直後、空気の循環に負けぬ燻製香が鼻孔(びこう)を襲う。

「ほう?元気そうじゃねぇか」

 煙草で(かす)れた声が飛び込むと、薄茶の(みつ)揃いが牢屋の前に姿を表した。白い顔に薄く広い唇。丸い黒目が(わざ)とらしい視線を投げ掛ける。

「お陰様でな」

 居住まいを正し、穏やかに微笑んで見せる。

「静かな場所で(くつろ)げたのは久方ぶり。雑音に(わず)わされず、深く眠れた」

 嘘。閉じ込められてから一睡もしていない。(いく)晩も寝ずに動ける修行を積んできた成果でも有る。今は寝る気さえ起きなかった。

「そりゃあ良かった」

 皮肉を受け止めた松平の眉根に(しわ)が寄る。少し(ばか)り睨みつけると、反対側の鉄格子に寄り掛かった。

「コッチは朝から晩まで働き詰めだからな。休憩するヒマもありゃしねぇ」

()れは悲惨」

「コレも、小僧の悪さが原因だがなっ」

 獲物に噛みつかれ、白い蟀谷(こめかみ)にある青筋ひとつ、ぴくりと痙攣する。

「……まぁいい。この落とし前はつけさせて貰おうか」

 一時の間を置き、懐から煙草の箱を取り出した。流れる手付きで白い巻紙を口に(くわ)える。

「で、仲間を殺した動機は?おっと、正当防衛なんてつまらねぇ言い訳はナシだ」

此処(ここ)で取り調べを?」

 話の切り出し(かた)に瞬目を忘れた。軽い不意打ちに発案者を見る。火打金(ライター)から揺れる炎の先で、蒼白な口先が(かす)かに開く。赤い舌を出す白蛇の顔。

「取り調べじゃねぇ。ただの世間話だよ」

 コッチの方が都合イイしな。と、呟く白蛇の口元から紫煙が(のぼ)る。

「ならば。あの警官達はどうなった?一緒に怪異と当たった三人だ」

「おっ、他人の心配で点数稼ぎか?」

「いや」

 相手の挑発的な、底意地の悪い決めつけに頭を振る。

「色々とあった後、置き去りにした(ゆえ)

「そうかい。コッチが先だったが……ま、いいや」

 薄い笑みを絶やさず、松平は煙草の臭いを漂わせる口を開く。

「ひとりはコメカミを撃ち抜かれて死亡。ひとりは泥を飲み込んで窒息死。

 生き残ったヤツも心的外傷後ストレス障( PTSD)害の症状が出ているらしい。

 コレで満足か?小僧」

 松平の、残酷までのあっさりとした話し方に、再び目を閉じる。

 助からなかった。その事実が(なまり)となり、胃の()に落ちた。

「さて、小僧の願いも叶えてやったんだ。今度はコッチの問いに答えてもらおうか」

 (しば)瞑目(めいもく)する合間も与えられず、白蛇が急かす。仕方なく目を開ければ、愛煙家は床に直接、灰を落としていた。

「と言っても、大体は把握しているがな。売人同士のケンカが殺人事件に発展した。おおかた、こんなトコロか」

 短くなった煙草を噛み、気に入らなさそうに鼻を鳴らす。迫る火口など構わず。どうだ、と言わん(ばか)りに口端を上げる。

「ガキのくせして仲間内で殺し合い、とはな。将来、ロクな大人にならねぇぞ」

 刑事の物言いを前に、自然と掌が額に向かった。軽い(うず)きを押さえつつ、溜息をひとつ漏らす。

「何故、一緒くたにしたがる?」

 当て推量にも満たぬ戯言に、最近出来た額の傷を触る。淡緑や間宮と手を組んだ覚えなど無し。

「あの一味からは、彼是(あれこれ)と因縁を付けられた。(いが)み合いこそすれ、馴れ合う間柄とは(まった)くの逆ぞ」

 (まこと)(しか)し、刑事は小さく両肩を上げた。

「そりゃ、欺瞞工作だろうさ」

 乾いた笑い声が喉の奥で鳴り、開いた唇から紫煙を(くゆ)らす。

「言い切る根拠は?」

「聞きたいか?」

 寄り掛かった背を伸ばし、床を踏みしめる。正対した黒目が妖しく光った。

「小僧が逃げ出した、あのビルだがな。地下から『GB』が出てきた」

 宝箱を見つけた子供の(よう)に。刑事は弾む声を隠さず言葉を続ける。

「うまく隠したつもりだろうが、所詮はガキだな。長年の勘を働かせりゃ、どうってことねぇ」

 上着の腰にある物入れから白い袋を取り出し、短くなった煙草を仕舞う。

「末端でいくらになるんだろうな?ガキの小遣いにはデカ過ぎだ」

()れは羨望」

「しらばっくれんな。小僧も貰ったクセに」

 薄茶の三揃いがゆっくりと近づいた。眼前の、鉄格子に白く低い鼻が触れかけ、寸前で立ち止まる。

「だが、小僧。オマエは分け前の額に納得がいかなかった。

 モチロン、不満を周囲にぶつけただろうさ。

 その話が元で口論となり、しまいにゃ暴力沙汰に発展した」

 黒目がじっと睨む。獲物を狙う蛇の(よう)に。

「どうだ、図星だろ?今さらゲロっても遅いからな」

 執拗な攻撃に、嘆息が(こぼ)れる。額を覆う掌が、顔の半面(まで)広がった。

()の地に来たのが、つい三月(みつき)前ぞ」

 真。口取りが重くなるのは致し方なし。何しろ、少し調べれば分かる事。

「刑事の(げん)では、僅かな合間で彼らと知り合い、緑の毒と関われた、となる。

 では一体、どうやって短い月日の内に取り入れた?」

 嘘。(しの)びの口伝で敵に取り入る(すべ)はある。が、知っているのと使うのは別。間宮や淡緑を相手に使う気は、(つい)ぞ起きなかった。

「ソリャ、自分の胸に手を当てりゃ分かるだろ?」

 だが松平は取り合わず。最後の一服を終えると、吸い殻を足元に捨てる。

「小僧が今、やるコトはな。屁理屈をこねるんじゃなく、首を縦に振るコトだ」

「話にならぬ」

 慨嘆(がいたん)の籠もった息をつくと、ゆっくりと立ち上がる。

 流石に此処(ここ)まで分からず屋だと、腹に溜めた不満も漏れる。言葉尻が荒くなるも当然。

出鱈目(でたらめ)な捜査を披露されても困る。()れでは一体、何の為に税金を納めるのやら。(もっと)もな理由を知りたいもの」

「は?警察をバカにすんじゃねぇぞ、小僧」

 一転、松平の口調が険しくなる。丸い瞳に隠れた(まぶた)が広がり、半分を覆い隠す。唇から小馬鹿にした笑みが消えた。

「馬鹿にしているのは其方(そちら)金子(きんす)を貰った、とまで言うならば、()の動きも把握しているのであろう?」

 引かず、不満顔の白蛇を真正面から受け止める。

()の身の回りで、金品の怪しい動きがあったか?大きな買い物や、金使いの荒い時期があったか?」

 一気に(まく)し立てると、視線を外した松平が吐き捨てる。

「バカか?捜査の内容を漏らすワケねぇだろう?」

「ならば自分の胸に手を当て、思い出してやろう。誰からも大金を貰った記憶は無い」

 真。高らかに身の潔白を宣言する。堂々と胸を張れば、刑事は一瞬、視線を()らした。

「……ソレを調べるのが警察だっ。素人は口を出すなっ」

「当てにならぬから、態々(わざわざ)教えたのだ。良かったな。証言がひとつ増えたぞ」

「小僧っ……!」

 飲み込んだ声は、奥歯を噛み締める音と同じ。血流が沸騰したか、小刻みに震える白蛇の両肩が押し上がる。

「……ちょっとコッチに来い」

 燃え(たぎ)る怒りを(かろ)うじて隠す、堪忍袋が破裂する寸前の黒い瞳。細い指が胸元で動いた。招く仕草。

「嫌だ。と、言ったら?」

「イイからっ来いっ!そしてっ、後ろを向けっ!」

 血走った黒い瞳が威圧する。怒鳴り倒す声は正に脅迫()の物。強面(こわもて)の例からして、殴り倒す腹積もりなのだろうか。

「来ねぇかっ……。イイぜ、コッチから行ってやるよっ」

 我慢し切れず、松平は腰に手をやり、鍵の束を取り出した。腰を屈め、低い位置にある鉄格子の鍵穴へ次々と差し込む。何回か繰り返すが、()れも違うらしい。

 真剣で、滑稽な姿に溜息が漏れてしまう。

 いや、此れは好機か?

 粗暴な刑事といえ、武で圧倒する腕は無い。いざ組み合えば、体術で()なすは容易。

 ()の隙を突き鍵を奪い、抜け出すのも一興。松平の面目は潰れ、永見を探す機会を得る。

 素性が割れている(ゆえ)、多くの時間は望めぬだろう。だが、白い居室で時間を無為(むい)にするよりは(はる)かに有意義。

 口端が僅かに緩んだ。なんだ、大した損に()らぬではないか。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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