表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
五 夜をこめて 鳥の空音は
37/53

乱戦 三

 身の(たけ)と同じ高さとなる透明な盾と、短い多段の警棒。ふたつを手にした警官が次々と廃墟の中へと飛び込む。表の階段だけでなく、商館内部から続く裏階段からも。

 数は少ない。合わせても両手の指よりも足らない程度。だが、全ての出口が相手に奪われた。逃げ場無し。

 ひと(しき)り歯噛みすると、素早く地に伏せる。身を低くし、横倒しとなった写真器(プリクラ)の筐体の内部へ。(ひと)りでも身動ぎ出来ぬ狭さだが、幕が影を隠してくれた。人の手で造られた白夜の下で立ち(ぼう)けるより、よっぽど良い。

「警部っ。コレをっ!」

 頭上で差し迫った声が近付く。薄幕の奥から片目だけを表に出せば、目前に映るは黒の半長靴と(こげ)茶の革靴。

「この奥の、少し開けた場所に転がってました。その……心肺機能停止(CPA)状態の者と傷病者も一緒に……」

 ふたりの会話だけが届く故、どんな表情なのかは声音でしか察せぬ。内容から、淡緑の(かたわ)らで興味を(そそ)る何かを見付けたのだろう。気にはなるが、顔を(さら)け出す愚は犯せず。

 だが、直後に床を跳ねた小箱が答えを教えてくれた。姉から渡された、Mix-Scene(ヒノスケ)の端末。

「小僧っ。最後の最後で感づきやがってっ」

 聞き覚えのある舌打ちが頭上で鳴る。(ほの)かに甘い、(いぶ)した葉の匂いが鼻腔を(くすぐ)った。

「ど、どうします?他に、GPSの反応が消えた被疑者(マルヒ)もいますし……。応援を頼みますか?」

「んっ?昼間の怪獣騒ぎで、署内が大わらわだってのに?」

 意地悪そうに、枯れた声が問い返す。蛇に似た白い顔が脳裏に浮かぶ(だみ)声。

「揃いも揃って二階級特進したせいで、他の所轄から応援を呼ぶハメになってんだぞ。こんだけ集められたのだって、奇跡みたいなモンだ」

「でっ、ですがっ……!相手があのバケモノだなんて聞いてませんよっ!」

「言ったら、ノコノコ付いてきたか?」

 煙草で潰れた声が発する返答に、息を飲む音が続く。

「あんなんでも一応、人間だ。刑事(デカ)を目指すなら『GB』の末期症状くらい知っておけ」

 言葉を失った警官を冷たく(あしら)う。少し間が空き、白い部分の無い吸い殻が天空から(こぼ)れた。

「上司からの命令だ。ガキどもを探せ。鼻タレのガキでも犯罪者なのを忘れんな」

「……分かりました」

 喉の奥から絞り出した(うめ)き声。半長靴がくるり、と回った。

「各自っ、警棒から拳銃へっ!凶悪犯に対する対処に必要だと認めるっ!」

 上擦(うわず)った号令を発し、黒い靴が遠ざかる。時を同じくして、硬い足音がひっきりなしに響き始めた。

 余り(よろ)しくない兆候。五感を密にし、触覚で周囲を探る。警官達は小さな固まりとなって瓦礫を崩し、中を(あらた)めた。時折「抵抗せず、出てこい! 大人しく投降しろ!」と張り上げる声。

 さて、どうするか?

 隠れているのは得策に(あら)ず。息を潜めた(まま)では、見つかるのは時間の問題。

 何せ、(いつわ)りの日差しは警官達の味方なのだ。瓦礫の海を照らすだけで警官達の助けとなり、潜伏者にとっては(あだ)となる。

 と、指先に何かが触れた。

 無意識に隠し物入れ(ポケット)の中へ。奥底で焙烙玉が出番を待ち()びていた。表面の油紙の感触に、つい口元が(ほころ)ぶ。どうも、白日の下は居心地が悪いらしい。

「やるか」

 口に含んだ言葉を飲み込み、焦茶の靴の踵が見せた隙を見て筐体から抜け出す。周囲の視線から逃れるよう感覚の域を広げ、息を殺して死角を渡り歩く。身を屈め、床に突いた手の甲の上に足裏を重ねる、深草兎歩(しんそうとほ)で。

「警部っ!」

 別の声音(こわね)が息を切らし、薄茶の(みつ)揃いに駆け寄る。顔を寄せ合い二言三言。(わず)かに見える横顔が口笛を吹く。

「ひょうたんから駒じゃねぇか。で、ココの所有者は?」

 猫背の男からの質問に、警官の表情が固まった。

「あ……、あの……」

 しどろもどろに言葉を詰まらせる。聞き手は吸い始めた(ばか)りの煙草を投げ捨てた。後ろ姿からでも、途端に機嫌を損ねたのが分かる。

「そんくらい事前に調べておけっ。おいっ!至急、鳥居に連絡しろっ。署内で無駄メシ食ってるハズだっ」

 胸元に手をやる薄茶の三揃い。慣れた手付きで小刻みに肩を揺らす。口元に灯火(ともしび)()く事も無く、悔し気に何かを放り捨てた。

「建物の家主を特定し、身柄を確保しろっ、ってなっ。なんだったら、逮捕状ナシでも構わねぇっ」

 言葉を吐き捨てるが早いか、酷い()で肩を回し、反対へと向き直る。

 近い過去に見た顔が其処(そこ)にあった。松平(ただし)。毒を追う、独善たる刑事。

「警部、どちらへ?」

「あ?補充だよ。補充」

 不機嫌そうに首を巡らす白蛇の刑事。片方の細眉が跳ね、小さな鼻の脇に深い皺が寄る。

「すぐ戻る。捜査は続けておけ」

 ぶっきらぼうに吐き捨て、表に出る階段へ。道筋を辿(たど)れば、身を屈める者と視線を()わす事となるだろう。

 会話に気を取られ、包囲が(せば)まった事に気付くが遅れた。

「――っ!」

 不手際の穴埋めが(ため)、周囲に気を差配し潜伏先を探す。

 駄目だ。

 松平の目から(のが)れられても、別の気配が見付けてしまう。()れこそ、完全な詰みの状態。

 ならば。座して死を待つよりも、前へ。

 足を地に戻し、()いた手が隠し物入れ(ポケット)へと向かう。手持ち全ての焙烙玉を集めれば、(まが)い物の天日へ。蛍光灯の白い残照に迷煙が滲み、(あた)り一帯の輪郭を奪う。

「うぉっ!」

 松平だけでなく、警官達からも動揺の声。

 煙幕に呑まれた相手を尻目に、身を低くし地表に続く(のぼ)り階段へ。視覚だけには(とら)われぬ者の特権。()の場で戸惑う人影の間を()り抜ける。

「――こ、こっ!」

 微風に巻かれ、一瞬だけ松平と目が合う。

「小僧っ!」

 白蛇の吠える唇は再び煙雲の中に消えた。(かす)れた怒声を背に受け、疾走する脚が階段を駆け上がる。

 表に出れば濃紺の海。しん、と静まり返った無人の街並みが出迎えた。




被疑者(マルヒ)は現在、逃走中。身長は百六十センチほど。GPSの反応は無し。機器による追跡は不可」

「相手は発煙筒などで武装。注意せよ」

「周囲に応援をっ。これじゃ、逃げられるっ!」

 突き進む道とは別の方角で、不意に怒号が上がる。

 焦燥に満ちた響きに、追手が獲物の足跡を見失った事実を知る。()(まま)、諦めてくれるのなら御の字だが。

 とは申せ、追う立場は此方(こちら)も同じ。

 四方を疾()しつつ、不可視の触覚を広げる。間宮の影を探し当てられる、最大限の広さで。丹田の底が擦り切れても構わぬ。彼に聞きたい事が山ほど有るが(ゆえ)に。

 南に手応えは無く、西も同じ。北では影も形も見当たらず。

 最後の東、其処(そこ)で見つけた。

 距離にして三間半(約十メートル)蹌踉(よろ)めきつつ狭路を進む赤黒い影。炭化した皮膚に覆われた上半身に焦げた襤褸(ボロ)。痛みに対する(あえ)ぎを連れに、昏き隘路(あいろ)を進む。

「探したぞ」

 短く声を掛ければ、(てのひら)で醜貌を隠す間宮が振り返った。

 切り裂かれ、崩れた肉も剥き出しとなった血(まみ)れの顔。細い(すじ)の隙間から見せる白い瞳が震えた。黒い水(ほう)で埋め()くされた唇が引き()る。

「あっ、赤目っ!」

 昔日の色男が短く息を呑む。慌てて後退(あとじさ)る動きに、ぎこちなさは無い。

 先の逃走劇といい、あの大火傷で此処(ここ)まで動けるとは。矢張(やは)り、緑の毒が関わっているのだろう。

「なんでっ!追いつけるハズなんて……」

「観念せよ。其方(そなた)の負けだ」

 ならば遠慮は要らぬ。穏やかに、冷たい事実を突きつけてやる。

「先程は聞きたい事も聞けず仕舞(じま)いだったから、の。改めて、()の場で聞かせて貰おうか」

「クッ……くっそぉっ!」

 (みにく)い絶叫を上げると、(はじ)かれる様に背を向け逃げ出す。

 遅い。学び()で一番の韋駄天であった姿など見る影も無かった。地面に張り付いた足を引き剥がす、滑稽(こっけい)な走り方。

 掛ける言葉が見付からず、溜息を残して後を追う。(そよ)風に足音を(まと)わせる走りを披露すれば、瞬く間に彼我の差が半分まで埋まる。

「くっ!」

 音も無く(しの)び寄る影に慌てたか。間宮は路地の(ゴミ)箱に足を引っ掛けると、頭から翻筋斗(もんどり)を打った。汚い路上に酸っぱい悪臭を放つ残飯が飛び散る。

「たっ、助けっ!」

 だが()れでも。彼は這い出し、藻掻(もが)く。

 (かつ)ての優男は汚れ切った長い手足を舗装に擦り付け、必死に前へ。路地の横手から漏れる光が、惨めな彼を導き迎え入れた。

「往生際が悪いぞ」

 間宮の後に続き(かど)を曲がる。門扉(シャッター)が連なる壁に薄汚れた舗装路。奥から差し込む白茶(しらちゃ)けた光の帯が、視界を薄く(ぼや)けさせる。

 と、名状し(がた)い腐臭が鼻を突いた。

 余りの刺激に、上腕部の裾で顔の下半分を覆う。其れでも肌を刺す痛みすら感じる、息苦しい(まで)の甘い瘴気(しょうき)

 熟しきった果実を更に濃縮した、(くど)い吐息だった。

「たっ、助けてっ、くださいっ!ぼっ、ぼうっ、暴漢にっ、襲われてっ……!」

 だが、間宮は。五感を狂わせる程の毒々しい甘さを物ともせず、(まばゆ)縁取(ふちど)られた人影に手を伸ばす。(おぼ)れる者が掴む最後の(わら)の様に、元の色すら分からぬ、()ちかけた腕を。

「……えっ?!」

 歯の根が合わぬ、甲高い震え声が途中で止まった。醜く変わった顔を(さら)し、黙って見上げる。

「やっ……野狗子(やくし)……さん?」

 間宮の放った言葉に、微動だにせぬ新参者を見――言葉を失う。

 頭が乗っていなかった。




 いや、頭が無い、という言葉には語弊がある。

 少なくとも、首の上に(かたまり)は存在した。

 淡い緑色に(にご)った水塊。半透明に震える頭部は、背後の街灯を(ぼんやり)と通した。異様に(きら)めく、不気味な水の提灯(ちょうちん)とも言えよう。

 だが。()れを頭と、人と呼ぶ(べき)なのだろうか。

『ブァファ……ガ……』

 水提灯が微動する。口に当たる箇所が窪み、唇を型取る。声と言うには酷く()もった、不明なる響き。

「ちっ……違うん、ですっ。ごっ、誤解っ、しっ、しないでっ……」

 異形の言葉の前に、間宮は怯えていた。(すが)り付いた手を離し、腰から崩れ落ちる。

「だっ……だからっ!もっ、もう一度だけっ、チャンスをっ!」

 形の整わぬ(かんばせ)から漏れた、祈りにも似た焦燥。果たして、水提灯に祈りは通じたか。其れ共、異形に声と判別されなかったか。

 答える代わりに、淡緑の水面(みなも)が揺れた。形を顔の輪郭へと変え、すうっと間宮の目の高さまで降りる。

『シィ……ッゥフォゥ……シィ……ファ』

 ふたつの頭が触れ合い、水と怪奇な相貌が接吻する。南蛮の者が見せる、深い口吸い(フレンチキス)に似た接触。

「――っ!」

 目を疑う光景に、一瞬、息が止まる。

 水提灯が崩れた。

 汚れた水塊は形を失い、粘度を持った泥となって間宮の頭を飲み込む。抵抗する(いとま)も無く、瞬く間に頭全体を覆い尽くす。

 捕食、という言葉が頭を過る。拒絶を許さぬ、静かな侵食。

 ……ぐぼぉっ!

 大きな泥漿(でいしょう)の中で気泡が沸いた。無数の破片で引き裂かれた腕、いや全身の傷口から薄緑の粘液が滲み出る。

「待っ……!」

 制止しようと伸ばした腕が止まった。

 間宮の上半身を薄く覆った半透明の繭。抵抗を止めた蛹の核の色が薄くなる。赤黒い火傷から薄い緑へ。

 同時に、破片で(えぐ)られた肉は盛り上がり、傷口が塞がっていく。焼き焦がし、醜く(ただ)れた皮膚すら、何事も無かったかの様に(なめ)らかさを取り戻す。

 嗚呼、大黒(だいこく)の時と良く似ている。()える、という言葉では片付けられぬ、生命の、自然への冒涜(ぼうとく)

 だが、間宮は相応の代償を払った。

 異常なる治癒の力と引き換えに、彼の頭部が見る(見る)と縮み、痩せ細っていく。

 有る(はず)髑髏(しゃれこうべ)も役に立たず。彼の自慢であった顔が皺と皮だけとなり、消えてゆく。

「……化物っ」

 頬に手を当て、搔いてもいない汗を(ぬぐ)う。

 救う手立てすら思い至らず。出来る事と言えば、()の惨状を目に焼き付けるのみ。

 人間(じんかん)において、決して目に掛けてはいけぬ光景。

 異界が織りなす災禍(さいか)を前にし、胃の内容物が()り上がる。何も食べずにいたのが(さいわ)い、と喜べる(はず)も無かった。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ