乱戦 二
距離にして二間。灯影の滲む青白い微光を浴び、硬く冷たい銃口が眉間を狙う。優男は引き金に指を掛けた。生殺を握った宣言に他ならない。
「捕まえるだけ、では?」
間宮への軽口は、嘲笑の吐息に弾かれた。異相に溢れる、西洋の悪魔に似た笑みが口の端を広げる。
「ああ。本当は五体無事なのが良いのだけど」
美貌が愉悦に溺れ、目を細める。瞳の奥から、生命への敬意はひと欠片も感じられず。純粋な迄に残忍なる眼光。
「最悪、頭は不要なんだ。残念だったね、希望通りにならなくて」
間宮は視線を僅かに動かす。一転、眉を跳ね上げ、傍らで啜り泣く怪異の群れを睨んだ。
「おいっ、お前らっ!」
刃の様な声に、緑色の群れがびくりと震える。
「泣いてないで、コイツを跪かせろっ。早くっ!」
軟派男の高圧的な命令に、ニ匹の怪物が目を擦り乍ら応じた。のろのろと緩慢な動きで寄り、左右の肩を掴む。哀れみ誘う姿に、抵抗する気も起きず。素直に縄となり、膝を折る。
「薄情よの」
ちら、と。独り残った怪異へ横目を送る。横たわる亡骸の前でしゃがみ込む緑の体躯。丸めた背を震わし、嗚咽を繰り返す声が無常にも響く。
「仲間の死を嘆くより、己の欲を優先か。死んだ奴も浮かばれまい」
少し許り非難を込めて見上げる。だが、間宮はせせら笑うだけ。
「いいや。尊い犠牲あればこそ、僕たちの大望が叶うんだ」
仲間の骸を一瞥もせず、爽やかな声音で言い放つ。
「彼の勇敢な死を無駄にしない。これは、僕から送る最高の手向けさ」
狂った言い訳だった。
自らが放った傲慢に気付く素振りもない。整った顔立ちの裏に隠れた自尊心は、誰も御せぬ程まで膨れ上がった。
「左様か」
美丈夫に向けた目は失望か、其れ共、憐憫か。
だが、相手は気にも留めず。颯爽と片手で自分の端末を取り出した。数回の操作で事足りたらしく、直ぐに懐へしまい込む。
「コレで『あの人』にも連絡がいった。お喜びになられてたよ」
間宮が気取った動きで片目を瞑った。
「ひょっとしたら、急いで駆けつけてくれるかもね」
「それはゞ」
掌に滲む汗を悟られぬ様、ゆっくりと握り込む。胸の内が震えたのは武者震いか。
「ならば。一言、挨拶せねば、の」
「ソレは不要だよ。第一、会う頃には話す口も残ってないし」
「なんの。何故、其処まで熱を上げるのか。直接、伺いたい故」
真。
連れなく袖を振られたとて、引き下がる気は毛頭無し。茶化す口振りは変えず、さらに詰め寄る。
「一体、何者だ?白い手袋の紳士か、鷲鼻か。意外な所で教師、とか?」
間宮の表情が凍った。端正な眉が跳ね、鼻梁が深い皺で崩れる。
顔色を曇らせば、手加減すると?相手の都合には構わず、滑らかに舌を回す。
「『GB』との関係は?其方と繋がりが有るならば、多少は関わっているのだろう?拐かしたいのも、あの毒のせいか?」
「オマエが知る必要はないっ!」
唇を波立たせ、激しく舌打ちする間宮。不快の炎が隠しきれずに表出した。伸ばした腕に力が入り、再び銃口が睨みを利かせる。
「もういいかい?あんまり『あの人』を待たすワケにはいかないんでね」
長い脚を揺すり、やや早口に言い放つ。此れ以上は厳しいか。
「ならば、永見は何処に」
最後にひとつ。最も知りたい事柄を捩じ込む。
だが、間宮は吹き出した。玩具を手に入れた童の顔で、可笑しそうに目尻を下げる。
「さぁ?ね」
先程までの苛立ちは何処へやら。彼は楽し気に肩を竦めた。
「もう僕には必要ないし。だから、『あの人』に渡したよ。欲しがっていたからね」
かっ、と体温が上がった。
血潮が、筋肉が、細胞のひとつ残らずが高笑いする男を仇と認める。見下した微笑を浮かべた、あの首根を刈り取りたい衝動に駆られた。
「掠め取られるのを嫌なのでは?」
語尾が震える。辛うじて、理性の鎖が飛び掛かるのを押し留めた。我慢だ。握った拳に爪が食い込む。
「ああ、イヤさ。でも『あの人』なら話は別だよ。ペイした分、見返りも大きいから」
「酷い男よ」
吐く息すら湯気が立った。全身を巡る灼熱の激情を丹田に集める。義憤を燃料として貯めるのだ。
其れに、細工は終わっている。
「少し長話になってしまったね」
他人の気も知らず、間宮は北叟笑む。
「じゃあ、サヨナラ。あとは僕たちに任せて」
引き金に引っ掛けた指が動いた。押し込む寸前、顔を伏せ目を強く閉じる。
間宮の目には往生際が悪いと見えたであろう。だが、必要な事。次に来る未来の、とばっちりは受けたく無い。
「キミに会えて、正直、ムカついてたよ」
彼の握った拳銃の排莢口から、赤白した閃光が漏れた。一気に銃身の腹が内側から裂ける。
刹那、鼓膜を破る破裂音が轟いた。
美丈夫の細い手首を巻き込んだ爆発。柔らかい肉と硬い樹脂と鉄の欠片、そして皮膚を灼く熱風を周囲に撒き散らす。驚愕へと変わった間宮の顔は、忽ち赤い炎と黒煙に包まれた。
頭部だけでなく、上半身の全てを腔発の爆炎に巻き込まれる間宮。甲高い破壊音に続く悲鳴は鋭く尖る。
「ぎゃあぁぁっ!」
両手で顔を抑え、大きく悶えた。が、片方の手は半ば失い、残った部分も黒く焼け爛れる。
此れでは隠せる物も隠せない。大きく空いた風穴から、縦横に切り裂いた赤黒い傷口が覗く。美貌の面影は無い。醜く歪んだ顔の上を濃い緑の体液が流れた。
上手くいった、と胸の内で唱える。
外した弾頭の代わりに焙烙玉を詰めた。過剰に火薬を足した空砲が破裂すれば、熱が銃身に残るのは必然。燃え切れなかった火種だって残る。
其の儘、次弾を装填しようとすればどうなるか。
薬室が扉を開けた瞬間、残った熱気と火の粉が弾倉へ移る。弾丸とて火薬の塊、序に空砲へ詰め切れなかった火薬も流し込んだのだ。詰まった弾丸への延焼は免れず、短筒は内部から爆散するしかない。
「ううっ……熱いっ、痛いっ!」
よろよろと千鳥足を踏み、間宮の傷付いた身体が光の当たる場所から遠ざかる。靴底が床を擦る音を最後に、醜悪へ姿を変えた男は闇の中へと消えた。
「まっ、間宮さんっ!」
二匹の怪異が反応するのと同時。左右の戒めが緩むのを見逃さず、逆に身体から離れた手首を掴む。
「なっ!」
駆け寄ろうとした二匹が動きを止めた。構わず、絞り上げる。立ち上がる力も手伝い、怪異どもは手首を軸に前回り。
「ぐわっ!」
強かに背中から床へ。怪異は仲良く、叩きつけられた痛みに襲われ呻き声を上げる。失策。其の口中に焙烙玉を投げ込む。
爆音が鳴った。
怪異は白目を剝き、開いた歯と歯の間から白煙が上がる。口内を焼かれては悶絶するしかあるまい。
「間宮っ、待てっ!」
喉と口を押さえ床を転げ回る怪異を捨て置き、丹田で練り込んだ気を解き放つ。不可視の触覚を照明の届かぬ漆黒の先へと広げ、間宮の跡を追いかける。
其処か。
広間の奥。小さな扉の向こうに血の匂いを探り当てた。扉が閉まる重い音に肌が震える。
全く以て用意周到。だが、逃がす訳にはいかぬ。
徐々に消えてゆく気配を目掛け、床を蹴る。忍びの修行で鍛えた脚を回し、閉じかけた隙間へ手を伸ばす。
届かなかったのは、背中を襲った殺気のせいだ。
キシャアアァッ!
絶叫、にしては知慮に欠けた原初の雄叫び。不可視の網が絡め取った影は肉食獣を思わせた。
速く、早い。澱み切った修羅の意思が繰り出す疾風に、半身を反転してやり過ごす。飛翔体は闇と光の狭間に四足で着地した。
目を凝らし確認する間でもない。淡緑の頭目、多目である。
コッノォ!クソッチビャァッ!
最早、発音すらも怪しい。黒眼鏡は失われ、血走った目を曝け出す。暗夜に爛々と輝く、深緑に濁った双眼。
驚きは無い。何故、という疑問も。ただ、僅かな哀れみが胸の間を疾走る。
ついに、人非人と成り果てたか。
コロォシィテェ、ャアァルァッ!
垂らした涎が寂光の照り返しを受けた。汚い灯りを携え、二本足の獣は人が持ちうる肌の色では無い、薄汚れた緑の腕を闇雲に振るう。
腰の回転を乗せた拳、いや鈎爪が頬を掠めた。皮膚の裂ける感触が走り、出来たばかりの傷口から血が滴る。
「くっ!」
息継ぎも無い爪牙の乱舞。捌くだけでも、相当の集中を必要とした。自然と扉から離れる。
無常にも、扉の閉まる地響きが暗色に響き、施錠音が続いた。
いや、まだ間に合う。
カァッゴォショォォッ!
獣臭さと床埃を巻き上げ、深緑の塊が地を蹴る。鋭く長い凶牙が煌めき、首筋を抉らんとする鈎爪が襟布を裂いた。
魔獣は勢いを殺さず、交錯した衝撃が骨身を揺さぶる。低く鈍い音が鳴り、打ち合った額の薄皮の裂ける感触。
「っ!」
目から火花が散った。脳が揺さぶられ、一瞬、視界が赤黒く染まる。
いや、気絶している暇は無い。素早い相手と組み合ったのだ。絶好の好機を逃がすな。
ヲン・アニチ・マリシエイ・ソワカ
感覚だけを頼りに、黒眼鏡であったものの足裏を渾身の力で踏み込む。摩利支天の加護を受け、更に鋭く冴えた五感。違う筈は無し。
イッグゥッウェッデェッ!
絶叫を上げ獣が仰け反った。後ろに下がる動きも、ぎこちなく片足を引き摺る。足裏から伝わる感触でも、骨を砕いたと分かった。
怯んだ黒眼鏡へ一歩、踏み込む。緩慢に遠ざかる緑獣を逃さず、右腕に両手を巻き付ける。片手は手首、もう一方は肘。
遠慮は要らない。獣の上体をくの字に曲げ、体重を肘に乗せた。骨が軋み、悲鳴を上げる。構わず折る。関節を、非ぬ方向へ。
グギャァァッ!
次は左腕。悲鳴を上げる猛獣の足を払い、床へ転げ落ちた左腕に跨る。腰を落とし、緑色の手首を首元引き寄せた。内側の筋が千切れ、皮膚伝いに軟骨が摺り潰れる音。
グルゥオャアァッ!
罪人は床にのたうち回る。
片足と両腕。続け様に破壊されては、誰かを襲う事も身を護るも出来ぬであろう。抵抗する術を失った黒眼鏡の襟首を掴み、絞め落とす。
より強く、より深く。冥府の畔へ送る覚悟で、持てる力の全てを緑の血管が浮く首根に注ぎ込む。
もう、悲鳴は起きない。
口から泡を吹き、力無く寝そべる淡緑の成れの果てを見下ろし、手を離す。
いずれ、足の傷は時間と共に癒える。が、肘は二度と戻らぬ。此の先、生きる事に苦労するのは必然。
なに。罪に対する天罰と思えば安いものだろう。
「ふぅ……」
ひと息、肺に溜まった空気を入れ替えた。他に動く物はないか、実体無き知覚で周囲を探る。
壊れた黒眼鏡と、口を焼かれた怪異二匹の他、動く気配は感じず。撃ち殺された躯、額に刃を突き立てられた亡骸。
そして、新たに鮮血の匂いを溢れさせる屍。巻き毛の怪物と折り重なり、伏していた。首元が半ば切り裂かれたのは黒眼鏡の仕業だろう。
「……南無」
短い弔いの言葉を投げ、片手で拝む。僅かな静寂の後、暗闇の壁に埋もれた扉の前に立った。
間宮が逃げ込んだ、件の扉だ。
掌を当て、五感を集中。摩利支天の加護も借り、触覚を細い糸に縒り直す。隙間から通して扉の先を覗けば、奥でせり上がるのを感じた。
「階段か」
鉄扉には取っ手は無い。僅かにせり出した押し板を押す。重い戸板は沈黙を貫いた。
鍵穴は?扉の表面を弄るも、影も形もなかった。見つかったのは壁の脇に括り付けられた、四角い板。
今時の、認証札を用いる電子錠。
「――っ!」
喉の奥が震えた。衝動のまま叩きつけた拳では、扉には傷ひとつ付かず。ごうん、と腹の底に響く重低音が返るだけ。
何処までも周到なのだ。逃げ道すら他の者には使わせぬよう、細工するとは。開ける手段が無い今、先に進む事は能わず。
だからとて、おめおめ引き下がれるか。
思案せよ。間宮は深手。逃げるとて、其の足は遅い。奴は此の建物から離れるであろう。外に出れば五感の網で捉えられる。
素早く振り返り、別の上り階段を目指す。今は時間が惜しい。逃げ失せる前に、間宮から報せを引き出す必要がある。
閃光が瞬いた。
低い唸りに合わせ、天井から白色光が降り注ぐ。息付く間も無く漆黒は追い払われ、周囲は灯火に覆われた。照明の眩さに視覚が潰れる。咄嗟に腕で目を庇う。
「な……にっ?」
仮初めとは言え、昼夜が逆転した。詳細を掴もうと、見えざる触覚を四方八方に放つ。真逆、勝手に点く筈も無し。なにか理由があるに違いない。
疑念は、入口の階段から届いた騒つきで確信へと変わった。別の、建物内部から通じる階段からも人の気配。二手に別れた一団が同時に、白んだ廃墟に向かってくる。
「っ!」
まだ新手が居たとは。近くの瓦礫に素早く身を潜め、息を殺す。闇に紛れられぬから、と突っ立った儘では愚の骨頂。
喧騒が大きくなり、やがて扉を蹴破った。群青の制服が雪崩込むと三々五々。小さな集団となって白灯に照らされた空間の奥へと広がる。
「警察だっ、動くなっ!」
重そうに構える透明な盾の後ろで、警官が叫んだ。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




