乱戦 一
闇を切り取る青白い灯りが瓦礫の丘を照らす。白く浮かび上がる間宮の顔は愉悦に満ちていた。
其の前で壁となって立ちはだかる、緑の怪異に化けた取り巻きが五匹。身の丈は先と戦った者より、ひと回り小さい。
が、醜悪さは変わらず。衣服であった切れ端を緑色の巨体に張り付かせ、悪意の籠もった視線で突き刺した。
「ビビってねぇな。ホンモノだぞ?」
脇に控えた黒眼鏡が唇の端を歪め、舌打ち。怪物の群れに混じり、片手で短筒を構える。向けた銃口の先は言わずもがな。
「いや、驚いている」
嘘。現代では所持すら許されぬ。が、取り締まりが緩いのか、大黒も持ち得た。淡緑の一味が隠し持っても可怪しく無い。
其れに、古里では見慣れた武器。
煙幕の種に、付け火の効果を上げる友。忍びと火器の関係は、切っても切れぬ。万川集海でも火薬については巻をふたつに分け、詳しく説明される程だ。
其の流れを受け、種子島の扱いが広まるのも自明の理。先を競う様に腕を磨いた、という。伊賀にも音羽の城戸という鉄砲使いの名が残る。
「テメェ、場馴れしてるな?」
何故か悔しそうに。照準は動かさぬ儘、黒き凶箱を両手に持ち変える。
「さて?」
問いかけには肩を竦める事で応じた。場馴れしているかは知らぬが、三途の川は何度も垣間見た。
「其れより、貴様は独りか?仲間は見当たらない様だが」
「ああ?!だから何だってんだっ!」
「いや。つい先日、似た格好の奴らに会ってな」
嘘。見え透いているが、見下した笑みを崩せれば儲けもの。
「可哀想に。其方の元へは戻りたく無い、と喚いていたぞ。乱暴なだけだ、とな」
「うっせぇっ!」
炸裂音が闇を引き裂いた。銃口に咲く火花と共に弾き出される凶弾。目で追えぬ速さの瞬きは足元で跳ね、舞台から消えた。
「多目っ!身体には当てるなっ!」
瓦礫を積み上げた丘の上で間宮が叫ぶ。目を見開き、口元が震える顔には焦りが浮かんだ。本気で肝を冷やしたのだろう。
にしても。当てるな、とは。ならば何故に凶器を持たせたのか。
「当ててねぇよっ!」
矛盾する命令に黒眼鏡は牙を剥く。暴力の欲求を全身に滾らせつつ、最後の一線を辛うじて踏み留まる。切っ掛けひとつで瓦解する、危うい均衡。
獣と同じ有り様に、飼い主は御しきれぬと踏んだか。間宮は顔を伏せ、頭を横に振る。再び美貌を見せた時には、表面上は冷静さを取り戻していた。
「そういうコトだ、赤目。命が惜しかったら、黙って従うコトだ」
落ち着き払った声で、他人事の様に言い放つ。
何処までが台本で、何から先が即興なのか。だが今の所、間宮の描く筋書きから遠く離れていないのだろう。
「そのまま。ゆっくりと手を上げてもらおうか。おいっ!」
線の細い顎を頤ると、怪異が左右から現れ、肩を押さえる。千切れた袖から伸びた緑の巨腕が手首を掴み、ひったくられた。意思とは無縁に、両手が虚無を撫でる。
「ふぅん、端末も持ってたか。田舎者にしては贅沢だね」
怪異が乱暴に引き抜いたせいか。上着の裾が捲れ、腰に付けた革袋が顕になる。
「まあいい。コッチに放るんだ」
「慎重だな」
上から目線の声に、皮肉を込めて返す。が、相手は一向に揺らぐ気配は無い。
「当たり前だろう?僕はいつでも慎重なのさ」
緑の手が手首から離れ、革袋へと伸びる。気を利かせるな。既の所で振り払い、革袋から端末を取り出した。誰からも取られぬ様、強く握り込む。
「此れが欲しいのか?」
勿体振ると、美丈夫は端正な眉先を歪ませる。
「いいから、早く渡すんだ」
昏い虚空を掴む様に、間宮の白く細い手が伸びる。が、距離は絶望的に遠い。
「そうか」
其れでも相手が御所望なのだ。手の内でひと回しした後、素直に放り投げる。
心配性の姉より頂いた、見守り機能付きの子供向け端末を。
「えっ?」
手から離れる寸前、端末から伸びる輪を指に引っ掛ける。短い細紐が即座に張り詰め、端末から外れた。
刹那、電子音が静寂を撃ち抜く。
「なっ!」
突如として端末ががなり立てる防犯鈴。鼓膜を破らんとする重奏の音階に、捕食者の余裕と暴力性を引き剥がした。動揺が廃墟の中で交錯し、集中した視線が一瞬、緩む。
此の好機、逃がさず。
身を屈め、呆然と立ち尽くす怪異の手を振り払う。至近で気を抜いたのは悪手。右手の怪異へ目掛け、釣鐘――即ち睾丸を蹴り上げる。
「ぐひゅっ!」
潰された蛙の奇声。代償を払った緑の巨体が綺麗なくの字に折れ、膝を着いた。下腹から芯に響く激痛では暫く動けまい。
「てっ、テメェっ!」
左の怪異が大岩となった左拳を振り抜く。流れに逆らわず、柳の如く受け流す。怪異の巨体が大きく振れた。鼻先を掠めた剛腕を奪う。驚く暇も与えず相手の肘と手首を固め、関節を捻った。
「あ痛ぁっ!」
「大袈裟な」
完全に腕を曲げ極めると、怪異の歪んだ口から苦悶の悲鳴。
放った言葉に偽りは無し。腕を潰すのではなく、動きを奪う関節技。此の程度の痛みで悲鳴を上げるようでは、荒事は無理。
「間宮よ。王手と言ったが、詰めが甘い」
哀れな怪異を盾にし、後ろから瓦礫を見上げる。
「此れでは精々、詰めろ、だ」
歩を金銀と見誤れば、盤上の勝負など出来るはずも無い。案の定、間宮の美貌に罅が走る。目元、鼻頭、眉間と。彼の被る仮面一杯に。
「邪魔だっ、どけっ!」
味方を人質に取られ、右往左往する怪異に業を煮やしたか。戸惑う緑の壁を押し退け、黒眼鏡が前に出る。唯一の大駒の手が突き出すのは、無機質な素材に覆われた、丸い絶望の穴。
本気か?いや、本気だ。
「多目っ!撃つなっ!」
「うっせぇっ!」
間宮の制止も甲斐なく、淡緑の頭目は引き金を引く。鼓膜を揺さぶる一発。狙い通り、射線上に居た怪異の胸元を抉った。
声を上げる間も無かった。緑の巨漢は一瞬、全身を強張らせる。と、腕の中からするりと抜け、床へ崩れてゆく。
「うわぁあっ!」「きゃああぁっ!」
恐怖に引き攣った金切り声。化物へ変化しようと本質は素人。剥き出しの恐怖に触れ、浮足立つ。
「動くんじゃねぇっ!」
多目の咆哮は誰に向かってか。
悲鳴の間隙を縫い、多目は照準を合わせようと藻掻く。無理な相談。返答の代わりに、隠し物入れから引き抜いた焙烙玉を投げつけた。瞬く間に黒眼鏡の顔が白煙の中へと埋もれる。
「うおっ!」
視界を奪った淡緑の頭目を目掛け、一気に間合いを奪う。悪足掻きと許りに再び銃声。今度は大きく右に逸れた。余韻を残した夜陰を踏み込み、伸び切った手首を蹴り飛ばす。
「赤目っ!」
後手を踏んだと気付いた間宮が叫んだ。彼の絞り出した声を背に受け、宙を跳ねる。独楽の様に闇空で回る短筒を掴んだ。
怪異の群れが動き始めるのに合わせ着地し、先に次の動作へ入る。残った焙烙玉のひとつを残し、全てを間に割り込ませた。
再び舞い上がる迷煙。視界を奪う灰色の帳に紛れ飛び退き、大きな筐体の後ろへと身を隠す。其の儘、影から影へ。怪異が元の場所を探す頃には、別の場所に身を潜ませた。
「クソっ!ドコへ消えたあっ!」
多目が行き場のない激情を遊戯筐体に叩きつける。軋む音を立て、巨体がゆっくりと傾く。床に激突した瞬間、激しい轟音に揺れ、眩い火花が迸った。
「皆んなっ、落ち着けっ!」
間宮の美声が薄闇の中を駆け巡った。主の声で、緑色の妖鬼に広がる動揺の波が引く。
「まず、二人は入口を塞ごう。そうすれば袋のネズミだ。」
隠れた場所から覗き込む。間宮は瓦礫の丘を下りて一団と合流した。身振り手振りを交え、次々と号令が飛ぶ。
「残りは手分けして、周囲を探すんだ。大丈夫。僕たちが負けるはずは無い」
「けど、間宮さんっ」
蹲り、濡れた目で美貌に訴えかける一匹の怪異。其の腕の中で、銃弾を受けた緑の化物がぐったりとしていた。息が浅く、肌の色も戻っている。
「松田を早く病院に。このままじゃ死んじゃうっ!」
震える声は誰が受け取るのでも無く、重苦しい沈黙に溶けて消える。間宮は美しい貌に憐憫の色を浮かべるも、ゆっくりと顔を背けた。
「使えねぇカスだろ?放っておけ」
引き継いだのは多目。苦々しく床に唾を吐き捨てる。
「死人がひとり出たくれぇでピーピー喚くんじゃねよ。揃いも揃って、役立たずのクズが」
「なっ!」
緑の化物が、獰猛な唸り声を上げた。黒眼鏡を見上げる目に憎悪の炎が宿る。
「なんて言いぐさだよっ!」
「あぁ?気に入らねぇかっ?!」
多目が鼻を鳴らす。彼の踵が床を強く踏み、逆の足が離れた。
「オラァッ!」
繰り出した蹴りは猛烈だった。
唸りを上げた爪先が、死にかけた怪物の顎を捉える。衝撃で看病する怪物の手から離れた。
床に落ちても容赦は無い。淡緑の頭目は無慈悲な足裏を何度も振り下ろす。硬いものが砕ける音に合わせ、怪異の顔から濁った粘液が飛び散る。
「やめろぉっ!」
黒眼鏡の止まらぬ凶行に、堪らず緑の怪物が強引に振り払う。
が、遅かった。助けられるべき対象の瞳は宙を凝視して動かず。生命の息吹は微塵も無い。
「松田ぁっ!」
床を這い、亡骸に縋る人の成れの果て。
「どうして……なんで……」
「あ?!」
酷く億劫な面持ちで、多目は泣き崩れる影を見下ろす。
「ゴミの処分に理由が必要かよっ!」
「なっ……、ふざけんなぁっ!」
怒声が噴き出した。怪異は肩を震わせて立ち上がり、犯人である男の胸倉を乱暴に持ち上げる。
「あぁんっ?ヤるんかゴミ?!」
多目も負けじと顎を上げ、化物を睨め付ける。眉根の皺を深く刻む顔を至近まで寄せた。
「ふたりともっ、止めるんだっ!」
間宮がふたりの間に割って入る。緑の怪異と淡緑の頭目、荒ぶるふたりを交互に見据える。
「頭を冷やして考えてくれ。なにも松田が悪いんじゃない」
諭す様な、静かな声だった。
「多目だって、あの状況で最善を尽くした。なら、誰が悪いのか?決まっている、赤目だ」
間を置き、ひと呼吸。長い睫毛が閉じ、再び開くと、怪物たちの間にある戸惑いの空気が消えた。廃墟の温度が上がり、薄闇に陽炎が浮かぶ。
「いいかい?赤目が僕たちの指示に従っていれば、すべて円満に終わる予定だった。
だけど、彼は変に抵抗したせいで、制御できない混乱が生まれたんだよ。
不幸だった、なんて言葉では片付けられない。その上、松田の命も……。皆んな、悔しくないか?」
美丈夫が問いかける。怪物の誰しもが、黙って頷いた。黒眼鏡だけが不貞腐れた顔で無視を決め込む。
「そうだろう?コレで、僕たちは赤目を捕まえる理由が、もうひとつ出来た」
周囲を見渡し、美貌が大きく頷く。
「皆んなで松田の仇を討とう」
直後、大きな鬨の声。画面から漏れた光が照らす薄暗い空間へ、緑の化物が散った。瞳に復讐の炎を湛えて。
其の姿を、黒眼鏡は馬鹿にした目で追っていた。
「濡れ衣を着せるな」
一部始終を覗き見て溜め息が漏れる。色々と文句はあるが、乗り込むのは鴨が葱を背負って現れるのと同じ。
代わりに、新しく手に入れた玩具を確認する。
鉄ではない素材で覆われた、四角い短筒。飛び出た撃鉄は無く、安全器も見当たらない。
数少ない釦を押せば、弾倉が飛び出た。中に詰まった弾は五発。
「少ないな」
ひとり分、足りない。殺める気は無いが、牽制が必要な場合も考えられる。そう考えると、流石に心許無い。
「……仕方ない」
弾倉から銃弾をひとつ引き抜きつつ、耳を欹てる。
間宮と多目が言い争っていた。が、乱暴過ぎて人間の言葉から程遠い。どうにか「赤目」という言葉だけが聞き取れるのみ。
ご執心な事、と呆れるしか無い。死人を出してまで追う原動力は、一体何なのか?
間宮が言葉にしていた『あの人』が関わるのは明らかだろう。先の口振りからして、他にも何か知っている筈。
で、あれば。獏や大黒、鷲鼻にも心当たりがあるかもしれん。上手く聞き出せたならば、身に係る災厄の連鎖を終わらせられるかもしれぬ。
だが、どうやって?
「懇願してみるか」
指で弄んだ薬莢から弾頭を外した。壁も登れる迄に鍛えた指。道具が無くても、真鍮の弾丸に細工するのは容易い。
「さて、上手くか?」
思惑通り行くかは神のみぞ知る。ひとつ除いて元に戻すと、巻き毛の怪物と目が合った。
「いたぞぉ!」
蛮性を表に出した醜顔を歪ませ、大声を張り上げる。大声で喚くな。私怨を隠さぬ鼻先に銃口を突きつけた。
「いっ!」
緑色の顔を青く染め、硬直する。撃たずして此の効果。足を進めるだけで、相手も同じだけ後退る。
「さて。皆、大人しくして貰おうか」
両手を上げ、引き下がる怪物を銃の先で誘導する。廃墟の中央、娯楽の残滓が照らす空間は視界が開けていた。周囲に散った怪異からの、遺恨に満ちた目と唸り声が、暗闇を深くする。
「先程は言いたい放題だったの。其処まで憎まれる事など、した記憶は無いのだが」
凡そ歓迎されているとは言い難い状況。剣呑な雰囲気につい、苦笑してしまう。
「間宮。何か言う事があるだろう?」
人質を押し返すと、向かい合った色男に微笑みかける。
「何をだい?」
白々しくも惚ける間宮。どれだけ面の皮が厚いのか。涼し気な仮面から綻びなど見出せず。
「勝手に殺人者へ仕立て上げた事への謝罪。他に何がある?」
ならば。離れた場所で横たわる骸に視線を投げる。
「松田とやらを撃ったのは、其処に居る黒眼鏡であろう?」
空いた手で狙いを付け、多目を指差す。淡緑の猛獣は無言で睨み返した。
「止めを刺したのも同じく。此れで悪いのは赤目だ、などと言うは酷い言い掛かり。違うか?」
偽善者を真似て、気取った動きで周囲に尋ねる。相手は間宮の取り巻き。同意を求める気など始めから無い。
此れは布石。茶番を進める為に、相手の神経を逆撫でする必要がある。
「うるせぇっ!」
食い付いた。巻き毛の怪異が吠え立て、緑の巨体を揺らした。硬質な筋肉を波打たせ、鉛と同じ拳を振り上げる。
「このぉ、田舎モンのクソチビがぁっ!」
形振り構わぬ一撃を躱すと、足裏から衝撃が伝わった。床板が割れ、舞った埃が照明の中で踊る。
「黙っていればツケ上がりやがってぇっ!」
なおも飛び掛かる巻き毛。拳闘から力比べと変わる。組み合う間合いでは短筒は用無し。自ずと手から離れた。
「馬鹿力が」
悲鳴を上げる両腕に、つい愚痴を零す。
相手の血走った目は足元で跳ねる必殺の凶器など気にもせず。組み伏せようと、有らん限り力を込めてくる。其処に駆け引きも忍びの技も無い。
「多目っ!」
突然、間宮の絶叫が響く。焦燥を纏う、短い悲鳴だった。
「死ねぇっ!」
背中から襲いかかる影。身体ごと突っ込む黒眼鏡の気配に、全身の力を抜くしか無い。一瞬にして巻き毛の剛力に押し潰され、仰向けとなって倒れ伏す。
顔上で、黒眼鏡の白刃が巻き毛の額を突き刺す様を見乍ら。
「あっ……」
生暖かい血滴が頬に当たった。巻き毛は寄り目で額から生えた柄を見る。其の顔には驚愕と絶望が入り混じる、悲しき顔だった。
「ウソ……だろ?」
最後の言葉を呟き、ゆっくり後ろへ退く。腰が落ち、支える力を失った脚が縺れた。上体が大きく揺れ、巻き毛の妖体は音を立てて崩れ落ちる。
「ちぃっ!」
大きく舌打ちする黒眼鏡。其の目に理性の欠片すら無い。本能が命じる儘、床に転がる黒い塊へ手を伸ばす。
いや、此れは其方が使うものではない。
多目の手を払い、短筒から遠ざける。返す刀で淡緑の襟元を握った。
寝技勝負。身上で暴れるのも構わず、頭と胴体を繋ぐ血脈を断つ。
「ぐっ……!」
寸時に力を失い、淡緑は上から覆い被さった。股間から漏れた尿を気にする間も無い。押し退け、次の相手が居ないか周囲を探る。
丁度、床を滑る短筒が、間宮の足元で止まった。
「赤目。コレで形勢逆転だ」
不意に訪れた幸運に、口元を歪める優男。優雅な手付きで無慈悲の凶器を拾い上げ、忍び崩れに穿孔を定めた。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




