偽りに満ちた夜 二
地図の添えられた、永見からの短い伝言。今直ぐ飛び出したい衝動を抑え込む。
余りにも出来過ぎた機会。
姿を見せぬ名人が退散した直後なのだ。仕掛けた罠に誘き寄せる、魅力的な撒き餌だと考えるは当然。誰かが仕掛けた罠だとすれば、あの軽薄な顔を持つ輩であろう。
「に、しても」
動きが早い。
元から準備を進めていた、と言う事なのか。かもしれぬ。間宮が成り行き任せで事を運ぶとは考え難い。
其処へ淡緑の生き残りが加われば、更に厄介。世間を誑かす口に暴力装置が手を組めば、どんな悪夢が待ち受けているか。身を守る拳は純粋な暴力となり、正当な主張が詭弁へと変わる。
「救えぬ未来、だな」
短く呻き、手持ちの忍具を確認する。幾つかの焙烙玉に枢鍵。その他、細々した忍具。
数を数え、溜息が漏れる。
焙烙玉の数が心許無い。此処まで立て続けに使うとは思わず。補充の当ても無い今、何れは失う事になるだろう。
結構。永見が救いを求めているのだ。彼女を助ければ、後はどうとでもなる。
「ヒノスケ、留守を頼む」
忍具を仕舞い込んだ巾着を脚衣に空けた穴へ突っ込み、隠し物入れへと代える。革靴では若干、動きが悪い。もっと軽い靴に履き替え、夜の闇へと躍り出る。
「地図と道筋を表示してくれ」
握った端末に住まう不死鳥の分身へ命じる。小刻みに震え、白い画面に市街図が浮かび上がった。矢印が指す目的地は繁華街の外れ。早足を駆れば半刻もかからぬ。
一気に駆けた。
卑しき電光で飾られた喧騒の中、地図が指し示す先へと疾駆する。酒精を漂わせ蹌踉めく人の群れを遡り、車列の間を通り抜ける。時折、擦れ違う赤色の回転灯が彩りを添えた。
端末で地図を確認する。残り距離を意味する太線は短い。
周囲の夜景も心ぶれ、浮かれた人影は光源が乏しくなるに連れ消えた。大通りから外れれば色彩も単一へと変わり、道に沿って錆びた門扉が連なる。
常闇が続く迷路の果て、喧噪と静寂の境目に目的の建物があった。
周囲の高櫓が天へと伸びる中、其の廃墟だけが項垂れる様に沈み込む。捨てられた歳月が染みついた黒い外壁。入り口は瘡蓋めいた板で塞がれ、色褪せた落書きが走る。
息吹の感じぬ朽ち果てた商館だが、地下へと通じる階段だけは明るい。
看板は割れ、剥き出しとなった蛍光灯が周囲を煌々と照らす。名も忘れ去られた店先へ誘う下り階段の頭上で、大振りな機械の目が睨みを利かせた。水晶体の奥に浮かぶ赤い光点が、稼働している証左だ。
「矢張り、か」
誘われている。
良からぬ企みを胸に、何者かが待ち構えるのは明白。其の者が間宮か、将又別の人物か。
只、階段を使うは悪手であろう。良計を求め、再び廃墟を見上げる。闇空に架かる雲の自重で押し潰された壁には、矢狭間に似た小さな窓が並ぶ。目を凝らすと、黒々とした内部の世界を透かして見せた。
「うむ」
隣の壁との間に出来た隙間へ手を入れ、身体を持ち上げる。凹凸の激しい壁面は足場として申し分無し。周囲の目が無いのを確認しつつ、近くの小窓まで素早く身を踊らせる。
「さて」
本番は此処から。隠し物入れから枢鍵を取り出す。
爺様と共に鋼から鍛えた、開器の忍具。その強度は解錠だけに使うは勿体無い。臀部の突起を窓硝子に当て、表面に半円を描く。
瞼を無理矢理にこじ開けた。切り取った硝子板を手に、二階の床へと静かに足を下ろす。
内部に見張りは居らず。
入口をひとつに絞った故の油断。身を隠す必要も無く、黴と埃が混じり合った、闇に溶け込んだ館内を闊歩する。内階段を使い、一階から地下へ。扉の隙間から漏れる光を見つけた。音無く近寄り、取っ手を回す。
奥手から複数人の話し声。だが、聞き取るには小さい。入口からでは相手の数も、屯う位置も分からぬ。
止む無し。丹田で気を練り、見えざる触覚を送り出す。
集団の輪郭に触れる。床に残骸が散らばる広い室内、中央に人影がななつ。やや高い場所に腰掛ける者を軸に、扇状となって囁き合う。
「参ったな」
声は小さく、五感を飛ばすだけでは話の仔細まで上手く拾えず。届くのは燻んだ言葉の残響、意味の抜け落ちた殻だけ。
僅かに身を乗り出しても、漆黒には墓標の影だけが浮かぶ。嘗ては遊技場であったのだろう。無数に立ち並び、時には倒れる筐体から放つ青白い燐光が揺らめき、闇の粒度を幾分か下げていた。
「全く」
軽く頭を掻き、隠し物入れから些音聞金を取り出す。一寸四辺の小さき真鍮板。耳元に当て、意識を集中する。
些細な空気の震えを真鍮板が受け取り、極限まで細めた知覚の糸へ渡す。微震は不可視の糸により増幅され、意味を持つようになった。揺らぎは雑音に、雑音が会話の内容へ。
「――そしたら、だ。履歴がヤツの名で埋まってたんだよ。な、キモいだろ?」
紡がれる言葉の刃物に、下卑た笑い声が追従した。
「やめてやれよ、諸君。彼だって必死なんだから」
嘲りの伴奏を、最初の声が摘み取る。優等生を演じる、芝居掛かった言い回し。
だが、音吐に含まれた本音は隠し切れず。建前から頭を突き出している。
「ああ。ホント笑えねぇな」
寸劇を拒む様に、荒々しい舌打ちが舞台の匂いを切り裂いた。
「回りくどいやり方してっから、チビひとり言うコト聞かせられねぇんだ。とっとと殴って、誰が上なのか教えてやるんだったな」
「多目、何を怒ってるんだい?」
「テメエの腑抜けっぷりにだよ、間宮」
騒めきが死んだ。多目――黒眼鏡の放つ殺気が、広間から一切の音を消し去る。瘴気とも呼べる圧力は広間を席巻し、演者の脇に控える者をも震わせた。
「王様気取りでふんぞり返りやがって。ソレでサツが来たらケツまくって逃げやがる。バカか?」
「そうかい?」
だが、演者の佇まいは一向に変わらず。落ち着き払った、余裕ある響き。
「でもさ。こうなったのも多目が派手に暴れたのが原因だろう?」
逆に、多目を咎め始める。
「工場を灰にしただけでなく、警察にも目をつけられて、さ。いいとばっちりだよ」
「ああっ?」
多目が荒げる声は、猛獣の咆哮と同じだった。
「オレのせい、って言いたいのか?」
「あっ、当たり前だろうっ!」
震えた声が割って入る。明らかなる第三者。主の危機に、勇気を振り絞ったか。ならば、中々の忠犬振りだ。
「いいからっ!間宮さんに謝れっ!」
大部屋が騒ぎ立つ中、静かに扉を空け、侵入する。幸い身を隠す場所には困らず。瓦礫を擦り抜け、古呆けた遊技台に背を付けた。此処ならば、少し頭を出すだけで周囲を窺える。
丁度、淡緑が誰かを殴り倒す場面に出会した。
骨の軋む音を共に、見慣れた学生服が宙を舞う。緩やかな空中遊泳の後、大きな音と共に全身を床に打付けた。
「クチのきき方に気をつけろっ」
倒れた同学生へ、淡緑の頭目が唾を吐き捨てる。殴られた相手は「うう」とも「ぐう」とも取れる呻きを漏らすのみ。
「やりすぎだよ。多目」
残骸で築かれた丘に腰掛ける影が、乾いた笑いを静寂に零した。少し呆れているかの様だ。
「せっかく残ってくれた仲間なんだ。力を合わせて、『あの人』の期待に答えないと」
徐ろに人影が立ち上がる。間宮さん、と周囲から口々に、祈りに似た期待の声が飛ぶ。
「あのバケモノにか?」
だが、淡緑の頭目――多目は未だ気に入らないらしい。黒眼鏡の奥からでも不満の色が分かる。
「気持ち悪いダケのヤツじゃねぇかっ。頼る意味が分からねぇ」
「多目。『あの人』を見下し過ぎだ」
影はゆっくりと右手を突き出す。舞台俳優かの振る舞いで、周囲の期待を掲げた指先へ集めてゆく。
「『あの人』には金を生み出す知識がある。何もかも失った今、僕達には必要なものだ」
影の足が動いた。一歩ゞ、舞台の一幕を描く名優が如き身の熟しで、部屋に築かれた丘を降りる。
「そして、人知を越えた唯一の才能。多目も見ただろう?キミの兄貴が、『あの人』に食われる瞬間を」
影の薄膜が捲れ、全貌を現した。
陶磁の様に白い肌に浮かぶ、黒く濁った双眼。紅く濡れ、薄い笑みを浮かべた唇。
深い執着に取り憑かれた、異相の浮かぶ美貌だった。
「多目、あの力は必要なんだよ」
大仰に両手を広げ、頭を振る間宮。
「僕達の組織を立て直す。いや、この先、成り上がるには、どうしても手に入れるべき力なんだ」
声に熱が入った。見せ所だと知ってか、大きく掲げた拳を頭上で握る。
「バケモンにでもなるつもりかよっ!」
「多目、何言ってるんだい」
地に降り立った主演は吼え立てる多目を目掛け、肩を竦めた。
「一緒に天下取るんだろう?僕が太陽として世界を照らし、お前は月となって闇を支配する。昼も夜も、すべてが僕らの物になるんだ」
主演男優は助優の肩を叩き、笑って見せる。意図的にか、やけに友情を演出した動きにも見える。
「『あの人』だって完全無欠じゃない。つけいるスキは絶対、あるはずだ。
ココは僕に任せてくれないか?」
「……そうかよ」
何処か白けた様子で、黒眼鏡は目を背けた。相手の怪演を前に、気恥ずかしくなったのだろう。
「だがよ、使えねぇヤツ揃えて意味あるか?ワナを仕掛けても、ムダなったら笑えねぇぞ」
だからか、今度は舞台に文句を付け始めた。蔑視と受け取った取り巻きが一斉にざわつく。
「静かにっ!」
が、間髪入れず男優が片手を上げ、場を制した。
「彼らは僕の精鋭だよ。確かに、アイツに比べたら見劣りするかもしれない」
主役が大きく肩を落とす。残念そうに、力無い両手を多目の肩に置いた。
「でも、多勢に無勢。数の暴力に勝るものはないんだ」
一瞬、間を溜めた後、間宮は再び丘の上へ登る。
「さぁ、諸君っ!他にもアイツを狙っているっ。先を越されてはいけないっ!」
大きく声を張り上げ、拳を振り上げた。あたかも戦争を肯定する政治家の様に。
「アイツさえ手に入れれば、『あの人』もスグ駆けつける約束だっ。なんとしてもココでっ、赤目を捕まえようじゃないかっ!」
途端、大きな喝采が上がった。一様に顔を紅潮させ絶叫する。名前を連呼する者も居た。黒眼鏡だけが降って湧いた歓声から離れ、冷やかに見つめる。
頃合いだろう。
名を呼ばれた。という事は、小芝居に参加すべき合図。演者として立ち上がり、舞台へ足を踏み入れる。
眼前に広がるは残骸の海。砂嵐を映し出す筐体の群れが青白い照明となって花道を彩る。
「其の部下というのは、二人組の男性かな?」
中心で狂喜乱舞する集団へ声を飛ばせば、途端にしん、と静まり返った。舞台の上に動揺の波紋が広がり、こぞって新参へ振り向く。
視線を一身に浴びた。誰もが驚愕の顔を浮かべて。
「テメェッ、ドコからっ?!」
多目が青白い顔で吠え立てる。淡緑の身形にあの時と同じ黒眼鏡。深夜の室内での出立としては不釣り合い。前が見えるのか、勝手に不安になる。
「用意された道を使え、とは言われてないからの」
だが、其れも要らぬ心配というもの。周囲を見渡しつつ、一団の中へと足を踏み入れる。
巻き毛の他、見知った顔が出迎えた。何れも間宮の取り巻き。揃って憎悪を隠さぬ目で睨む。
「で、永見の姿は無いようだが。何処へ隠した?」
其の中で、一際大きい遊技台の上に腰を据えた間宮を睨む。
「そう急ぐなよ、赤目」
体裁を整えた間宮が苦言を呈した。軽く肩を竦め、余裕を見せつける。
「もう少し、落ち着いたらどうだ?女性にしつこく電話したら迷惑だろう?」
取り巻きの誰かが吹き出した。窘められた男の姿を舌の上で転がし、じっくりと味わう、悪意に満ちた響き。
「成程。裏でこそゞ悪事を働く詐欺師の言葉。一味、違う」
言い返すと、間宮の形の良い眉根が歪んだ。
「ヒドい言いがかりだな。なにを根拠に」
若干の苛立ちが籠った声色。弁慶の泣き所を蹴った模様。だが、先に手を出したのは間宮、其方ぞ。
「永見が泣いておったぞ」
我慢だ。肚に据えた感触を深い呼吸で封じる。
「間宮、其方が悪だくみを止めてくれない、とな。彼女を蔑ろにし過ぎるも如何?」
真。公園で見せた涙は誰に向けたものか。知っているが故、此れだけは言わねば気が済まぬ。
「無用なご忠告、ありがとう」
が、間宮は薄い笑みで爽やかに受け流す。短い間に、良く切り替えられる。
「だけど杞憂だよ。あんな役立たず、こちらから願い下げだ」
「おいゞ」
不意に沸き立つ衝動を飲み込む。顎に力が入り、奥歯が痛んだ。
「幼い時から間宮を支えてくれたのだろう?もう少し、耳を傾けるべきでは?」
「だから?」
忠告に対し、美丈夫が首を傾げる。路傍に転がる石を語るのと同じ、思い入れも感じぬ軽い仕草。
「たらし込めって言ったのに、逆に熱を上げる役立たずだよ。せっかくチャンスを与えたのに、成果が出ないんじゃあ、ね」
視界の端が、ちりちりと赤く点滅した。沸騰した血液が脳を揺さぶる感覚。額に掌を当て、熱を逃がす。全く、いちいち心根を節くれ立たせてくれる。
「永見はお主を信じていたぞ」
「信じるのは勝手だけど。役に立ってくれなきゃ、逆に迷惑なだけさ」
端正な顔が笑った。見る者の目を蕩けさす、甘美な微笑みではない。対象的な、邪悪に満ちた残虐な笑み。
「酷い男よ」
思った儘を口にする。幼馴染を切り捨て、赤の他人を己の欲の為、勝手に利用せんとす。此れを悪漢と呼ばず、何とする。
「オイッ、もういいだろ?!」
出し抜けに、多目が脇から口を挟んだ。文字通り牙を剥き、黒眼鏡の奥から殺気を沸き立たせる。
「さっさと殺ろうぜ」
害意で満ちた乱暴な声に、間宮は頷いた。
「ああ、そうだな。『あの人』を待たすのは悪い」
美丈夫は指を鳴らす。
取り巻きが一斉に動き出した。敵意の目を向け、細長い小瓶を取り出す。透明な筒から覗くのは、見覚えある緑色の毒。
「さぁ、覚悟はいいかい?僕らの輝かしい未来のため、人柱になって貰おう」
「其れは勘弁」
一方的な通達に、言葉を交わす時は過ぎたと悟った。来る可き波風に備え、静かに重心を落とす。気付かれぬ程度に踵を浮かし、手は隠し物入れの中へ。
「おっと、動くな」
間宮は軽妙に、細く長い指を突き出した。
「多目から聞いてるよ。煙幕とか使うらしいね」
長い睫毛に縁取られた視線を多目へと送る。
黒眼鏡は腰から黒い塊を引き抜いた。かちり、と乾いた音が鳴り、穿った小穴を敵方へ向ける。
「短筒か」
感心して見上げれば、口の端を薄く広げる間宮の顔。
其の足元では悦楽に溺れた絶叫が上がった。天を見上げ、或いは身体をくの字に折り曲げ、取り巻き達が次々と人間を捨てていく。
刺青が見せた、あの夜の再現。緑の化生が次々と産み落とされる。
「チェックメイトだ。赤目」
美丈夫は嘯いた。全てを見透かした、支配者の愉悦を込め。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




