偽りに満ちた夜 一
2025.10.11 ニュースの場面を追加。
玄関を開ければ室内灯が出迎えた。
留守を守るMix-Sceneが気を利かせてくれたのだろう。酷使した靴を脱ぎ、暖色に彩られた短い廊下を抜ける。
空気には匂いも音も無い。照明の下、しん、と静まり返った居室が広がる。朝、整頓した儘の台所に、何も置かれていない食卓。抽象化された不死鳥の偶像が受像機の中で動き回る。
察するに、姉は未だ仕事中なのだろう。
「ヒノスケ。姉からの連絡は?」
問いかけると、不死鳥は大仰に頷いた。大きな羽で器用に折り曲げ、看板を掲げる。
『伝言が あります。再生しますか?』
「頼む」
丸い頭が羽で大きな輪を作ると、画面が切り替わった。砂嵐に浮かぶ『音声』の文字。
『忍。メッセージを聞いてるってコトは、しっかり帰ってきたワケね?』
生気が欠け、幾分か硬い。だが、聞こえてきたのは確かに姉の声。
『ホントは直接、話したいけど。ちょっと仕事でトラブっちゃって、今日は帰れそうもないの。
いい?お姉ちゃんが居ないからって、寂しがらないでね』
「寂しがった時など有ったか?」
何も初めての話では非ず。帰れない、との連絡がある度、留守を預かってきた。今更、独りで夜を過ごすのに不安を感じようか。
『あっ、そうゞっ!』
再生される記録が、思い出したかのように声音を上げる。
『帰ったら学校をサボったコト、詳しく聞かせてもらうからっ!今のウチに言い訳、考えておきなさいっ!』
冗談めかしていたが、奥に隠れた怒りは見逃さず。帰宅早々、大きな雷が落ちるに違いない。疼く目の辺りを指で摘み、頭を軽く振る。
『以上です 繰り返し 再生しますか?』
「いや、良い」
Mix-Sceneに返事し、居間の床に荷物を下ろす。寛ぐ空間として、姉が寝椅子を置くか思案する殺風景な空間。いちいち埋める必要は無い、と制していたものの、こう空虚であるならば成程、姉の意見は正しい様だ。
「ヒノスケ。最新の出来事を順次、流してくれ」
意を受けた偶像が画面の隅へ引っ込み、暗転する。直ぐ様、別の映像が流れた。赤色の警告灯を走らせた夜景を背に、背広の男性が真剣な面持ちで話し出す。記憶にある場所。赤鬼を見た目抜き通りだ。
『ハイ。こちら、連続殺人事件の現場です。夜になっても現場は騒然としています』
画面が切り替わり、明るい中で慌ただしく動く群像が再現される。昼間の映像、ならば録画であろう。
悲報を鮮明に伝えたいのか、朗々と語る口調に力が入る。
『今日、二時頃。こちらの繁華街で拳銃を持った男が次々と通行人に向けて発砲、辺りは一時、騒然となりました。
この事件で、死傷者は三十名にも上るようです。
犯人は直後に逃走を試みた際、警官との銃撃戦となり死亡。現在、警察は身元の確認を進めています』
場面が転じ、片方だけの高踵靴が画面一杯に広がった。先端に血糊が付着した、新品の黒い靴、所在無げに道の上で佇む。
「有難う」
Mix-Sceneに礼を述べ、映像を閉じる。口元から漏れたのは、落胆だろう。
「錯綜しているな」
率直な感想。
虚実が入り混じり、犯人が独りだけと誤認させたいかの報道。誰かが横槍を入れたか、印象操作の跡が見え隠れしていた。
ならば、其の意図は何か?
「阿呆らしい」
我に返り、無駄な読みを仕掛けた頭を小突く。
知って如何にする?死者が出た事件、手慰みにするには少々、憚られる。
気を紛らわしたかった。
間宮はどう動くか。淡緑の残党が彼の下へ集まるならば厄介。下手に数が増えれば、又候騒ぎを起こすに違いない。
永見の件もある。間宮の傍に居るのは確実。理解に苦しむが、彼女が望んた事。其れが過ちだと気付かせる必要がある。
出来るなら、今でも外に飛び出したい。靴を履き、御河童頭の痕跡を探し回りたかった。
だが、太田女史の言葉が枷となる。考えもせず動く勿れ。尤もな正論に返す言葉は無い。
「どうしたものか……」
手持ち無沙汰となった手を半面に当て、自室へ引き上げる。隅に押し込んだ長櫃が目についた。
古里から持ち出した忍び道具に、此の地で手に入れた品々。姉が購入した家具で占められた居室で唯一、私物と呼べる物が収められている。開ければ、詰め込んだ中身が整然と並ぶ。
其の中に、薄汚れた革袋を被った段平がひと振り。亡き刺青の形見。手に取り、革袋を引き抜く。鈍い輝きが刃先を伝う。
「酷いな」
酸化した血痕が刀身に黒い斑点を付け、白い脂汚れが縦横に走る。極小であるが、茶色い錆も浮いていた。前の持ち主が手入れを怠ったのは明らか。
「綺麗にするか」
段平を片手に台所へと向かう。深鍋に水を満たし、砥石を沈める。用意したのはみっつ。荒砥、中砥、仕上げ砥。十分に水を吸わせ、暫く待つ。
やがて水面から気泡が消えた。良き頃合い。
砥石を鍋から引き上げ、濡らした手拭いの上に置いた。段平の刃を当て押し出す毎、小気味良い音が鳴る。
研ぎ始めは引っ掛かりが酷かった。が、繰り返す内に動きが良くなる。
其の儘、複雑に絡み合った世界を解く心持ちで、汚れた刃を砥石に滑らせた。ざらり、とした砂粒を感じる指先に、ねっとりとした泥濘が付き纏う。
こび付いた不浄が削ぎ落とされる。錆が消え、刃文が白く蘇る。
感覚が研ぎ澄まされる。
今、存在を許されるのは砥石と段平、そして研師のみ。除外された世界は固唾を呑み、見守るしか無い。
「こんなものか」
だからであろう。最後の砥石で仕上げんとする最中。近付けず、弾き出された気配が揺らぐ。
何時の間に忍び込んだのか、万邦の領域から訪れたのは。四対の姿無き視線であった。
四方を囲う様に、四人の視線が研師に集中する。初見と変わらず、影も踏ませぬ朧げなる気配。
対し、狙われた獲物は微動だにせず。仕上げ前の段平から手を離し、襟を正す。
ホゥ……。
嗄れた声には、感嘆が含まれていた。
『落ち着いているな』
老父の声が耳元で囁く。重い扉を開けるに似た、低く重たい摩擦音を伴う声。
「敵意が無かった、からの」
真。
先と同じ、視線に一切の害心も感じられず。観に徹する八つの眼が、執拗に皮膚を舐め回すのみ。
故に、ひと欠片の悪意も無ければ、自ら事を構える必要も無い。
『何と豪胆。いや、此れは愚鈍か』
「で、如何用か?」
腹底へ響く嘲りに、言葉を重ねて断ち切る。
「御覧の通り、手が離せぬ。火急の用で無ければ、御放念願おう」
ウッ……ウゥッ……。
『嗚呼、なんて他人行儀』
淑女の啜り泣く音が割って入った。
『貴方と私達の仲なのにに、連れない返事。何故、其処まで無碍にするのです』
枯れた花葉が風に揺れる、喉を引き攣らせた嗚咽混じりの声。
「知らぬ」
まるで顔馴染みかの異論を突き放す。顔を見せぬ相手に知り合いなど居ない。
グゥ……、ムゥ……
『知らぬ、とは異なる物言い』
腹底で燻る、瞋恚を含んだ壮年の唸り声が飛んだ。猛犬を思わせる、低い響く声。
『都合が悪いと見るや、何処まで愚鈍と成り得るか。見下げ果てた奴』
「異を申すは、其方らぞ」
骨まで噛み千切るかの如き軋み声先へと目を遣る。が、眼に映るは備え付けの飾り棚。
「姿を見せずに愚痴を垂れるは余程、卑劣。其方が四人組なのか、それとも独りかは知らぬ。が、良い加減、顔を見せたらどうだ?」
だとしても。壁の更に奥へ言葉をかける。
一度ならず二度、気配を察せず詰め寄られた。其れが正しいならば、並み外れた体術の持ち主、と言えよう。
だが、太田女史が語った通り。斯様な腕達者が四人も居ようか?
否。爺様と並び立つ名人を揃えるなど不可能。
ならば――思い着く先は、幻術。
麻や芥子の実、曼陀羅華を砕いた粉末を撒き、前後不覚にした相手を惑わす忍びの業。伝承では意図した記憶を植え付けられた、という。
然れど、其れも昔の話。材料の入手が難しいが為、使い手は絶えた、と聞く。
寧ろ、蝦蟇蛙の背で巻物を咥えた、荒唐無稽な創作の方がが馴染みがある。
「どうした?此の期に及んで怖気付く玉でも無かろう。其れ共、人目を憚る程の醜貌か?」
だが、『GB』の様に新たな毒も生まれる昨今。化学に聡い忍びが、無味無臭の幻術を生み出しても可怪しくは無い。
キャ……クスッ……
『笑っちゃうね。今までで一番、愉快な話だよ』
さも楽しそうに、幼子の甲高い嬌笑が響く。
『僕達の正体に気付いているのに、知らない素振りなんて。そうでないと困るんだろうけど、滑稽で可笑しいよ』
「何を言うておる?」
軽やかに鳴り響く鈴の音に、思わず唇の端が下方へ歪む。
「正体を知っているならば、態々問いたりせぬ」
『故に愚鈍、と言うておるのです』
淑女の嗚咽が返した。
『左様。知らぬのが都合の良い故に、押し黙る。其れが異相が浮かぶ理由よ』
壮年の地を這う声が続く。
「異相は、其方らが呼び寄せたのであろう?」
『ほら、自分でも理解してるじゃないか』
反論を唱えれば、童の哄笑が応じる。
『どうしてさ?何で僕達が異相を呼んだって分かるの?』
素朴な質問に答えを見付けられず、口元を手で塞いだ。軽い動揺の間も構わず、無邪気な喜声の飛沫が部屋中を駆け巡る。
『答えられない?其処まで裏切れるなんて、逆に驚きだね』
「何も裏切ってはおらぬ」
眉唾な断定を否定する。室内灯が揺れる中、然程広くない室内に居るのは承知の上。其の奥に隠れる姿無き者を睨みつける。
ハァ……
『此処まで言葉を重ねても、白を切り通すとは』
老夫の深い諦息。失意を含んだ重い微風が床を撫でる。
『まぁ良い。好きなだけ足掻くが良い』
枯れた声を合図に、視線が遠ざかった。地肌に眼光の跡を残し、居室に潜む影が薄まる。
「待てっ!」
再び一方的な退散。丹田に気を込め、不可視の触覚を周囲に飛ばす。逃げる達人に対抗すべく、強く練り上げた探糸の網。最も鋭い知覚を用い、不明の者を追う。
だが、其れでも。
壁の向こうへ知覚を浸透させようとも、名人の影に触れる事すら能わず。
「ヒノスケっ!侵入者の跡を追えるか?!」
ならば。黒き天板に住まう同居人へ命じる。
が、不死鳥の偶像は羽を顎に当て思案顔。困った様に眉を顰め、ゆっくりと看板を掲げる。
『忍さんの帰宅後 訪問者は いらっしゃいません』
「――っ!」
込み上げる口惜しさが頭蓋の中を駆け巡った。鏡を見れば、顔が無様に歪んでたであろう。誰も居ないにも関わらず、半顔を手で隠す。
相手が一枚、上手だった。
気配を探る網を擦り抜け、逃げ落ちられた。其れだけに非ず。Mix-Sceneという機械の目も欺いたのだ。忍びの業も、今世の絡繰も通じず。中々に厄介な相手である。
『警戒モード に 移行しますか?』
「いや、良い」
気を利かせたMix-Sceneの提案に、手を横に振る。今更、用心を重ねたとて後の祭り。
「一体、何者ぞ」
ついぞ、口を衝く。
際限知らずの力量、臍を噛むしかない。体術、幻術、現代の知識。汎ゆる事柄で上をいかれた。其の差が何処まであるか、見上げても霞んでしまう。
ふと、足元に転がる段平へと目が行った。
目立つ汚れは消えたものの、刃返りが残る、研ぎ掛けの小刀。見た目では分からぬ仕上げ前の刃が室内灯を受け、蘇った振りをした刃先を妖しく光らせる。
「其処まで似なくても良かろう?」
生き写しにも見え、冷笑するしか無かった。
招かれざる客の応対で、乗った興も削がれた。再び奮い立たせるも、研ぎ始めた時の専心は戻らず。
「此処まで、か」
出来に満足せぬが、研ぎ過ぎても寿命を削るのみ。刃に残った研泥を洗い流し、手拭いで丁寧に水気を切る。
革袋に収め長櫃へ片し終える頃には、時計の針は子の刻に迫る勢い。
ようやっと、一日が終えようとしていた。
「長かったな」
つい、独りごちる。
朝から彼方此方へと走り回り、その度に感情を揺さぶられた。赤鬼との遭遇、大黒からの逃走。大田女史の正体にも少々、驚かされた。
だが、一番は。永見から受けた告白。
自然と肩が落ち、手が額に触れる。尾を引く思いが胸中を渦巻き、呼吸が浅くなる。
他人の本心は分からぬもの。あれほど好いた、と口にした彼女は結局、別の男の下へ去った。
「何を、している……」
知らず、思考が巻き戻ってしまう。駄目だ。頭を強く振る。
少し手が空けば、此の有様。堂々巡りして何になる?時宜を待つ我慢も出来ぬのか。
「全く……」
此れで神忍の孫だとは、笑うに嗤えぬ。
だが、どうしても。
永見を間宮から引き離したい。美貌を武器に衆人を謀る奸物に、彼女を任せられぬ。其れが友である者の、せめてもの務め。
「……さて」
腰に引っ掛けた袋から端末を取り出す。
就寝には少し早い。其の前に蜂谷へ確認するのも良いだろう。間宮の居場所など知らぬであろうが、手掛かりは持っているかもしれぬ。
と、掌で端末が一瞬、震えた。
「ん?」
連絡先を知る者は僅か。間違いでも何かが届く筈も無し。なのに、画面には通知を示す案内が表示される。
訝しみ乍ら、画面を見る。
短い伝言が届いていた。送り元は永見椿。
助けて。
彼女からの伝言は、至極短かった。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




