学び舎で 二
思い返せば、いち生徒に漏らして良い話では無い。
間宮を逃がした者がいる。外に漏れれば咎めを受けるであろう背信行為。なのに、仔細を明け透けに語り倒した。
「何を企む?」
正体を明かしたのも含め、身構える理由には十分。今迄、相対した不可思議も数々ある。彼女もいち枚噛んでいるのか。耳を傾ける必要がある。
「そんなに肩肘を張らないでよ」
だが当の本人、太田女史は何食わぬ顔で笑い飛ばした。
「大体ねぇ、アタシゃ満足に修行も積んでないオバサンよ。神忍のお孫さんに敵うワケないじゃない」
事の重さを把握できないのか。それとも緊張を愉しむのか。上機嫌な笑みを崩さず、手首を利かせて掌を振る。
「それよりもさ、建設的に会話する方が有意義じゃない?つって、アタシも手持ちは少ないけど」
「どういう意味だ?」
「忍びの情報交換よ。知ってるでしょ?」
屈託ない問いかけに、黙って頷く。
如何なる陣営に雇われていようと、忍び同士ならば互いに報せを交わすのが習。其処に欺瞞や駆け引きは無用。戦乱の世より伝わる仕来りは、誰よりも早く知見を得る一助となった。
「既に帰農した身ぞ」
だが、今は。時代が、身分が違う。
「だからって、村八分にする理由もないし」
然して気にするでもなく、女教師は菓子受けの煎餅へ手を伸ばす。
「それに、アタシも故郷へ報告する必要があるんだもん。だから手伝ってくれると助かるの。持ちつ持たれつ、ってね」
「故郷?報告?」
不意打ちされた単語の数々に、思わず眉根が寄る。
「監視をしていたのか?」
「ええ。と言っても、対象はアンタじゃないけど、ね。璃ちゃん、アンタの姉さんから聞いてない?」
当然、との体で煎餅を砕いた。大きく動く口元から小気味良い音が鳴る。
「……聞いておらぬ」
「あ……、そーゆーこと」
あっという間に咀嚼し終えると、太田女史は額に指先を当てる。
「もう璃ちゃん。ちょっと過保護じゃない?」
「姉も絡んでいるのか?」
「あったり前田の遼一さん。璃ちゃんは要注意人物だもん」
詰め寄ると、簡単に口を割った。
「ま、そりゃそうよね。若気の至りとはいえ、あんなデッカイ騒ぎを起こしたんだし。そんな娘を鈴も着けず、外へ放り出すと思った?」
女教師から向けられる思わせ振りな視線に、奥歯を噛みしめる。童であった頃には想像も出来ぬ、きな臭い懐疑の目。成程、古狸共がやりそうな事だ。
「其れで、先生は姉の尻尾を追い、此の地へ?」
「うんにゃ。そん時ゃ、もうコッチへ来てたし。見聞を広めるってゆう方便で、ね」
年季の入ったくノ一は再び煎餅を手に取る。一口齧ると、米菓は真っ二つに割れた。
「だから、お役目の話が来たときビックリしたモンよ。昔話とおんなじだ、って」
「で、失敗った。と」
話の流れ、姉と太田女史から感じ取れる力量の差。修行も儘ならぬ忍びに、姉と互する力を持ち得るとは思えず。
「言うわねぇ」
本人は頬を引き攣らせる。苦々しい表情は、何も湯呑みの中身を飲み干したからでは無いのだろう。
「ま、間違って無いさね。手負いとは言え、相手は神忍のお孫さん。感付かれずに見張るなんてムリ、ってスグ諦めたわ」
空の湯呑みを机に置き、吐息をひとつ。後ろ手を組み、背凭れに重い身を預ける。
「でも、ねぇ。お役目がある限り、ずっとコッチに居続けられるでしょ?
なんで、璃ちゃんに正体をバラしてさ、ふたりで善後策を考えたわ。
結果、差し障りない内容を送る、ってコトにしたの」
「其れは、裏切りでは?」
軽い口調にしては、何とも重い内容。古里に知られれば、如何なる戒めが待っていようか。
「どうかしら?アッチも目を通しているんだか、怪しいモンよ」
だが、女忍びは何も彼も悟ったかの様に肩を落とす。
「田舎の爺さん達はさ。不穏な動きさえ無ければ良いワケよ。実際、姐さんに叛意なんて無いんだし」
何処か詰まらなさそうに、重そうな身体が椅子に深く沈み込む。鈍色の細い脚が、きぃ、と鳴った。
「ま、ソンナコンナで早や八年。旦那もコッチで捕まえられたし、子供にも恵まれた。順風満帆な人生を送れるのも、璃ちゃんのお陰よ。感謝しかないわ」
「忍びの話は、身内に?」
「言うワケ無いでしょ。言ったトコロで、バカにされるのがオチだし」
問いに、やや草臥れた声が応えた。
「アタシの正体はね、旦那や息子にゃ内緒のまま、墓場まで持っていく秘密なの。ちょっと寂しいけど、仕方ないさね」
名を深く隠すべき。郷の掟を前に、一瞬だけ目を伏せる。
「さてっ!」
太田女史が一拍、大きく手を合わせた。ぱんっ、と威勢の良い音が響く。
「アタシの秘密をバラしたんだもの。見返りを期待してもイイわよね?」
卑しい熱の籠もる視線が投げかけられた。伊賀のくノ一ではない。親切ではあるが下世話でもある体育教師の顔。
「で、永見さんとの恋の行方は?さっきの様子だと、旗色は悪そうだけど」
ふた言目から色恋へ話を結びつけたがる、馴染みある姿に妙な安心感を得た。
彼女の無遠慮さが、却って心地良い。其れは、出来た許りの傷口を覆う包帯の様でもあった。
「さっき間宮の話が出たし、ひょっとして恋敵に宣戦布告?だとしたら、あんまり良い時期じゃないけど――」
構わず話を続ける女教師に対し、顎に手を添え思念する。果て、どの話で応じる可きか。
未だ、永見が間宮を思う仔細を話すか。
それとも、化物に襲われた顛末を伝えるか。女教師が何処までの報せを持ち得るか、という試金石にもなる。
否。
同郷の忍びと話が出来る折角の機会。ならば、気配を見せぬ達人四人組について尋ねるべきだろう。あの名人達からは、同じ匂いを感じるが故に。
「永見が何故、間宮を好くのか。全く理解できぬ」
だが、口からついた言葉は全く以て別の事柄。思いもしない口元に指が行く。
「あら?」
女教師が目を丸くする。
「璃ちゃんから聞いた話より、随分ご執心じゃない。こりゃ、恋の花が咲いちゃったか?」
「間宮は悪党ぞ」
抑え切れなかった。項垂れた頭を起こす様、強く横へ振る。
「なのに、奴を好む理由が分からぬ。あ奴の何処に惹かれるのか」
「あー……。ねぇ」
年重ねた教師は頭を掻き、首を傾げる。
「ま、幼馴染だって聞くし。ふたりにしか分からない絆があるのかも、さね」
だとすれば。其れは余りにも危険な結び付き。
『GB』と云う、禍しき毒を扱う淡緑の一味。其の影から貌を覗かせる間宮。本来ならば、距離を置くべき相手である。
なのに、永見は。彼女は悪しき本性を知った上で、奴の元へ向かった。
自らが動けば、あの騙り屋を救えるのだ、と信じて。
「不味いな」
何故あの時、永見の背を追わなかったのか。
いや、後悔は後。再び永見を探す必要がある。間違った道へ突き進む彼女を止める為に。
「おーい、赤目ぇ。聞いてるぅ?」
不意に名を呼ばれた。先程よりも低い、太田女史が投げかけた声である。
「今、ナニを考えてた?思い詰めた顔してたけど」
思いが色に出ていた、か。だが、友の危機を前に悠長はしていられぬ。
「永見が危ない。早く探さないと」
「ちょっ、ちょっと!待ちなさいなっ!」
待てようか。徐ろに立ち上がり、踵を返す。腕を強く引かれ、立ち止まるしかなかった。振り返れば、身体を伸ばし手首を掴む太田女史の姿。
「先生?」
「いいからっ!ストップッ!」
歯を食い縛る女教師に、眉を顰める。怪力の一点を鍛えたかの剛腕振り。忍びの業を使えば振り払えるものの、流石に荒々しい。
「で、永見さんが危ないって、どーゆー意味?先生に詳しく話してみなさいな」
少し許り立ち止まった隙を突き、教師の口が開く。生徒の危機を感じ取ったのだろう。戸惑いの中に真摯な眼差しが垣間見える。
「彼女は間宮の元へ向かっている」
何故か、確信が持てた。
公園で別れた後、彼女が向かった先を知る術は無い。にも拘わらず、自信を持って答えられる。彼女は、あの詐欺師の傍に居る、と。
「早く引き離さねば。でないと、取り返しが付かぬ」
「だからぁっ!冷静になりなさいって!」
女教師に強く腕を引っ張られた。望外の、桁違いな膂力に贖う暇も与えられず。
「頭を冷やしなさいなっ。間宮がドコに居るかも分からないでしょ?!」
机の端を蹴飛ばし、菓子受けがひっくり返る。構わず、太田女史は自身の肢体をぶつけてきた。
襲い掛かる重圧に、堪らず元居た椅子へ押し付けられる。此れでは業を用いる余地も無い。
「先生っ!」
「いーから深呼吸っ!ハイっ!吸ってぇっ――」
視界を埋める丸い顔が大きく息を吸い始める。有無を言わせぬ態度。向かい合う両の眼が、合わせろと強く訴える。
参った。金剛力士の如き力で四肢を封じられては、応じるしか手は無い。
「――吐いてぇ……。どう?少しは落ち着いた?」
太田女史の口から漏れる、悴れた声。
「永見さんが心配なのは分かるけど、ちょっと取り乱し過ぎ。マトモな判断、自分で出来てると思ってる?」
唇を噛み締めるのは、悔しさからか。
光明も見えぬ水底へと沈むかの如き窒息感。掴める藁も無く、粘り付く重い水を掻き分けても息が継げぬ。取り乱す、というのが此の鬱屈を意味するならば、太田女史の言は正しいのだろう。
「……くそっ」
喉から絞り出した声は、少し掠れていた。
「こりゃ、重症だわ」
諦観めいた声が女教師の口から漏れる。
「璃ちゃんの話だと初恋らしいけど。思い詰め方が、ねぇ。こりゃ、苦労するハズだわ」
手首から束縛の力が外れた。先達は密着した身体を離すと、大きく伸びをする。
「ま、長い人生。こんなコトもあるさね。赤目、今日はもう帰りなさいな」
自らの肩を揉み乍ら、冷たい通告。
「コレ以上の会話は無理さね。ま、一回しっかりと熟睡すれば、頭もスッキリするでしょ」
「然れどっ!」
「ハイハイ、されどもサンドロもナシ。そんな情けない姿、巌様も望んじゃいないわよ」
爺様の名を出され、返す言葉を失う。
太田女史は正しい。爺様が健在ならば、喝を入れかねぬ無様を晒している。自分で蒔いた種である故、殊更に恥ずかしい。
だが、そうであっても。
「頼む。少し、話を聞いてくれ給え」
胸中をどう言葉に変えれば、太田女史に伝わるのか?もどかしい気持ちだけで、口を動かす。
「此の前、暴漢達が襲ってきた事があったであろう?淡緑の揃いを着た一味を」
「あー。あの、しちメンドかった時の話ね。アレがナニ?」
「間宮は、奴らと手を組んでいた」
一か八か。ぶっきらぼうな返しに言葉を続ける。
「あの男は、全てを知った上で学友を襲わせたのだ。何が目的かは知らぬが、良からぬ事を企んでいるに違いない」
「……ふーん」
だが、返ってきたのは想定よりも薄い反応。
「其れだけ、か?」
「そりゃあ、ねぇ」
眼前の女教師は視線を逸らし、頭を掻く。
「色眼鏡を掛けた赤目の言い分を全部、信じるなんて出来ないさね」
無常にも。太田女史は肩を竦めた。
体育教師用の小さな職員室。狭して広くない室内に重い空気が立ち込める。
「ま、赤目がソコまで間宮を嫌っているのは分かったわ」
鬱陶しく四肢に張り付く気配を嫌ったか、教師が先に口を開く。
「かと言ってね。立場上、片方を大っぴらに贔屓も出来ないし。アドバイスくらいしか出来ないさね」
「間宮に肩入れする教師は多いぞ」
「教育観の違いさね」
大きい嘆息が部屋中に満ちた。
「コレでも結構、応援している方よ。分かって頂戴な」
歯痒そうな愛想笑い。彼女の出来る精一杯なのだろう。無理強いは出来ない。
「何か分かれば、また教えてくれまいか?」
次回に繋がる約定を結ぶ。此処が落とし所だろう。提案に、太田女史も頷く。
「あー、ソレくらいなら。ま、期待されるのはちょっち――」
『太田先生――』
突然、壁に張り付く拡声器が会話を途切らせた。
『――至急、職員室まで』
割れた音でも分かる、静かな怒りが滲み出る、くぐもった声。
「あっちゃぁ。長居しすぎたぁ」
呼ばれた本人は顔に手を当て、天を仰ぐ。
「だからって、校内放送まで使う必要あるかいな?もう、メンドい」
「先生?」
「しゃーない。璃ちゃんには連絡を入れておくから。いい?今日は素直に帰って、ゆっくり休みなさいよ」
観念したのか、女教師は力無い足取りで出口へと向かう。擦れ違い様、肩を叩かれた。
「ひとつ宜しいか?」
「んー?まだ何かあるのぉ?」
「此れが最後」
げんなりとした顔に、気になった相手の話を問う。
「先生の他に、監視する者は?」
赤鬼との邂逅、大黒との対峙。其の何方も四人組は姿を現さず。
用事がない。となれば其れ迄だが、ならば監視が無用となった理由は?聊か、不自然に感じる。
「例えば、爺様と腕を並べる名人が四人」
ならば、同業に尋ねるに限る。
あれほどの腕達者。ひと角の名を馳せていたとて可怪しくは無い。
「うんにゃ。アタシは知らないわね」
然れど、予想に反しつれない返事。呆れ切った口の端が歪に歪む。
「大体ね。今の世の中、巌様と同類の忍びがゴロゴロ居るワケないでしょ?知っているのだって、ひとりくらいしか分からないわよ」
「其れは、何者?」
「何者ってアンタ。神忍のお孫さん以外、考えられる?ま、もう帰農しちゃったけどさ」
「……左様か」
『太田先生。大至急、職員室まで』
「ハイハイ。何度も言わなくたって、分かってまーすよーぉだっ!」
女教師は拡声器に向かって舌を突き出した。
「んじゃ、もうオーケー?どうも時間がなさそうだからさ。お開きってコトで」
返答も聞かず、太い背中が忙しく部屋を出て行く。残されたのは、所在を失った生徒が独り。
「全く」
とは言え、やるべき事柄は無し。溜息を残し、校舎を後にする。
何時の間にか陽も落ちていた。
月齢も寝待月を過ぎた頃合い。細く垂れる筈の黄色い影は、厚い雲の向こうに姿を隠した。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




