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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
四 わびぬれば 今はた同じ
30/54

嘘と真 二

 天から地へ、間断なく落ちる無数の細い線。水気の含んだ薄霧(うすぎり)が、色()せた公園を薄く滲ませた。其処(そこ)に立つ永見の輪郭さえも淡く溶かして。

 いっそ、胸の奥で(くすぶ)る疑念も流し去ってくれれば。

 念じたとて、(せん)無き事。(ひたい)に落ちてきた水気を、やり過ごすように手で払う。

 「何故(なにゆえ)?」

 彼女は頷いた。頷いてしまった。

 明確なる肯定を見てしまった以上、もう後戻りはできない。沈黙という安寧は、()うの昔に奪われた。いや、自らの手で奪ってしまった。

「何か、訳があるのだろう?ならば、せめて理由を聞かせてくれまいか?」

 故に、問わねばならぬ。せめてもの救いは、吐き出した声が震えなかった事だけ。

 だが、永見は――答えなかった。

 曖昧模糊(もこ)に溶かされた世界で、本降りへ変わった(つぶて)が永見の身体を打つ。執拗な責め受けるにも関わらず、彼女は只ゞ(ただただ)沈黙を守る。静寂が重いのは、雨水を吸った所為(せい)か。

「ずっと……ずっと、謝りたかった」

 ()(ほど)、待ち()びただろう。地面で(しずく)が弾ける音を縫って届く、震えた声。

「しぃ君の知らないところで、悪いコトをしてる。分かっていた」

 永見が顔を上げた。切り揃えられた髪が、雨粒の重みで(ひたい)に張り付く。

 目に映る全てが痛々しかった。

 体温を失った頬の青白さ。白地の制服の下に薄く透ける、無防備な肌の色。決して扇情的などではなく、何処(どこ)か罪人の責め苦にも見えた。

「でも……できなかったの。この関係が、もし壊れたらって思ったら……、怖くて」

 懇願を宿した指が力()く離れる。背を向けた永見は静かに、墓標に向かう足取りで滑り台へ歩を進めた。彼女の小さな姿が、公園の風景と同化する。

「ホント、ワタシってバカだよね?後悔する前に、できること、いっぱいあったのに」

 彷徨(さまよ)った視線の先で何を見たか。ただ、自らを(あざけ)る音が雨の調べに混じる。

「結局、何も変えられなかった。変えるのを、ためらって――。取り返しのつかないトコロまで来ちゃった」

 永見が振り返った。

 可憐な顔に浮かぶ、全てを受け入れた者の(はかな)い苦笑。(したた)り落ちる涙を浴びて咲く一輪花は、悲しい程に綺麗で。

「ごめんね……、しぃ君。迷惑だったでしょ?」

 彼女の口角が必死に微笑みの形を作ろうとも、眉間に皺を寄せ、涙を(こぼ)す瞳が寝返る。痛々しく揺らぐ花弁。黙って(かたわ)らへ寄り、濡れて冷え切った肩へ手を置く。

「永見」

 発した声は、優しく奏でられただろうか。

「悪いが、答えになっておらぬ」

 (てのひら)に触れていた華奢な肩が跳ね、小さな飛沫を上げる。彼女が放った無言の息は、向かい合う同級生の頬に白く触れた。

其方(そなた)の気持ちも分かる。が、聞きたい話とは別。先の通りだ。理由を教えてくれ」

 (まこと)

 裏切った、裏切られたは世の(なら)いにて、気付かぬ阿呆(あほう)が悪いだけの話。嘆くのは、気付けなかった己の愚かさを認める事になる。

 ならば、せめて。()れ以上、傷を付け合う前に(わざわ)いの根を断たねば。隠れた脅威への繋がりを。何より、向けられた刃の()()を。

「今(まで)の出来事、全て永見が仕組んだ事なのか?」

 譲れぬ思いを口にすれば、再び押し黙る永見。雨足から逃げる様に視線を()らし、外方(そっぽ)を向く。

「では、間宮か?」

「……えっ!」

 機械仕掛けの(よう)に、御河童(おかっぱ)頭が跳ね上がる。大きく見開かれた瞳に浮かぶのは驚愕と、僅かな絶望の色。

「なんでよっ……トオルはなにも――」

「――関係あるのだろう?」

 殊更(ことさら)、冷静を装い言い放つ。

 何も難しい話ではない。永見の言葉が真であるならば、別の黒幕が居る、という事。

 ならば、槍玉に挙げられるのは(ひと)りだけ。あの、いけ好かない美丈夫のみ。

「何でも……、お見通しなんだね」

 答え合わせを求めるまでも無かった。目が(うれ)い、薄く(あざ)笑う。

 元より、彼女も(だま)し通せるとは思っていなかっただろう。()しくは、騙し通せると信じ込まねば、平静を保てなかったか。

「あ奴が、淡緑――襲ってきた不良を(けしか)けた。違うか?」

 一言(一言)。彼女を無駄に追い詰めぬよう、ゆっくりと言葉を選ぶ。ややあって、永見は重い沈黙と共にこくりと頷いた。

「往来で(さら)おうとした二人組も?」

「違うっ!」

 即答。彼女は激しく(かぶり)を振り、懇願の瞳を向ける。

「あんなのっ、ワタシ知らないっ!トオルも、絶対に知らないハズだからっ!」

 筈、か。

 間宮の(ため)に、斯様(かよう)な顔も出来るとは。

 両肩から蒸気も上がる彼女の熱量に、(おの)ずと、指が雨に晒された額へと触れた。顔には落胆が浮かんだのだろう。彼女の唇が、必死に言葉を(つむ)ごうと一度、二度と開閉を繰り返す。

 (わず)かに見せた抵抗。其れも虚しい足掻(あが)と悟ったのか、ふっ、と表情を消した。嵐を呼ぶ静けさに似た、絶望の気配だけを残して。

(そもそも)、間宮は何故に()け狙う?馬は合わぬが、乱暴を働かれるまで憎まれる覚えは無いぞ」

 彼女の思いを切り捨てるは忍びない。が、心を鬼にして言葉を続けた。返事は、無い。雨足が強まる中、(とき)も、どう振舞えば良いか、と戸惑い始める。

「……わかんない」

 (しばら)くして、力なく、諦め切った声が落ちた。

「分からぬ?」

 つい鸚鵡(おうむ)返ししてしまう。理由も無く牙を()かれる訳がない。

「何も聞いていないのか?」

「……うん」

 首肯した永見の前に、降り(しき)る銀糸が格子(こうし)を編み上げていく。奥に隠れた顔にあるのは、諦念なのか苦痛なのか。判別するのは難しかった。

「ただ……、トオルは利用価値がある、って」

「……」

 不穏な言葉に知らず、喉が(うな)った。漏れぬ様に口元を手で隠した。一体、あの男は何を(くわだ)てる?

「……他には?」

 静かな声で、御河童頭を促す。

「どんな些細なことでもいい。思い出してくれ」

 だが、彼女は口を閉ざした。唇をきつく噛み締め、わなわなと震え始める。

「永見?」

「……なんで、そうなのよ」

 大きな瞳から向けられたのは、憎悪の炎だった。

 戦慄(わなな)く言葉を皮切りに、彼女の感情が爆発する。折しも吹き抜けた風が、ざわりと公園の木々を揺らした。

「一番に聞かなきゃいけないのは、ワタシのコトじゃないのっ!しぃ君を裏切って、騙したっ!ワタシの罪でしょうっ!」

 あえて触れなかった話の矛先(ほこさき)を、自分から向ける。

「永見、落ち着け」

「やめてよっ!」

 暴れ出す御河童頭を(しず)ませようとも、相手は激しく身を(よじ)り、手の内から逃れようとする。

「しぃ君はっ、なんでっ!ワタシに心を開いてくれないのよっ!」

 悔しそうに険しく(ゆが)む顔。雨の軌跡(きせき)か、涙の筋道(すじみち)か。濡れた瞳が揺れ動く。

「いっつもっ、ひとりきりで考えてっ、勝手にっ、答え見つけてっ!黙って、どっか行っちゃうっ!」

 強い力で手を振り(ほど)かれた。小さな身体の何処(どこ)に、(しか)る力が()ったのだろうか。

「なんで?ワタシじゃ、相談相手にもならないの?」

 肩で息を繰り返し、(さみ)()に。激情を抑え込んだ責め句を受け、言葉に詰まる。

「なんで、しぃ君の方から自分のコト、話してくれないの?なんで、アタシのコト、知ろうとしないの?」

 不意に、世界を叩く雨音が遠退()いた。

 薄闇が(かす)み始める世界の中、永見の(まつ)毛に乗った、ひと粒の雫に視界が吸い寄せられる。危うい均衡は、()ぐに重力によって破られた。大きな水滴が頬を(つた)い滑り落ちる。

 ()れが、始まり。息を大きく吸い込む彼女の口から、激情が(ほとばし)る。

「しぃ君とのっ、会話だってっ!いつもその場をごまかす言葉ばっか!どうして?どうしてっ、しぃ君は自分をっ、見せてくれないのよっ!」

 痛い所を突かれ、押し黙る(ばか)り。彼女も、そう感じていたか。

「永見……」

「まだっ、トオルのほうが良かったっ!」

 感情の(たが)が外れた彼女を止める手段は無い。言葉を強く吐き出す反動で、小さな肩が何度も大きく跳ねる。

「もっとっ!トオルは話してくれたっ!自分勝手だけどっ、自慢ばっかりだけどっ!ソレでも向き合ってくれたっ!」

「……あ奴とは、喧嘩をしていたのだろう?」

 何度も間宮を引き合いに出され、心の底に(とが)が生まれる。

「今だってっ、ケンカしてるよっ!」

「では、何故――」

「しかたないじゃんっ!」

 彼女は泣き(なが)ら、だが強い意志で顔を上げた。頬から落ちる激流を、両手で受け止める。指の隙間から、(すく)い切れなかった(つぶ)(こぼ)れた。足元の水()りに広がる波紋に合わせ、彼女は誓いの言葉を続ける。

「トオルが暴走してるのにっ、誰も止めないからっ!アタシがっ、止めなきゃっ!」

「どうして……、其処(そこ)まで」

 言葉が震えてしまった。怒りなのか、悲しみからか、(まった)く分からぬ。ただ、胸の内に冷たい何かが渦を巻くのは確か。

「だってっ!トオルがっ、スキだからっ!」

 (あま)りにも真っ()ぐな告白。一瞬、視界が暗転した。雨風に晒され、剥き出しとなった感情の火花。目も(くら)む閃光に打ちのめされ、思わず(まぶた)を閉じてしまう。

 (かろ)うじて地を踏みしめる男子に眼中()く、なおも永見は叫ぶ。

「トオルはただっ、騙されているのっ!ワタシが引き戻さなきゃ、ダメになっちゃうっ!」

 



 黒く厚い雲が割れ、()っすらと日差しが差し込む。徐々(じょじょ)に薄闇が晴れていくというのに、ふたりは暗中に閉じ込められた(まま)。声を交わすも無く、互いの顔を見ずに立ち尽くす。

「……()いた、というのも嘘か?」

 どうにか、ようやっと。乾いた口から言葉を絞り出す。既に答えの出た、意味の無い問いかけ。

「ウソなワケ、……ないじゃんっ……」

 以外な答えに、噦上(しゃくりあ)げる子女を見た。枯れてしまわないか、と心配する程に流した涙を飛び散らせ、必死に首を振る。

「どうでもイイ奴と……、キスしたいなんて思わないよ……」

 途切れ(途切れ)。嗚咽も(まま)ならぬ声に、しっくりと胸の奥へと落ちる物を感じた。もの悲しく、(ほの)かに優しい真実。音も無く沈みゆく思念の残骸を、掌が静かに支えてくれる。

 そうか、敗れたのか。

「もうっ……頭ん中……、グチャグチャだよぉっ……」

 しゃがみ込み、両膝に顔を(うず)める永見。(むせ)び泣く動きが(さざなみ)となり、小さな背中を揺らす。

「どうして……しぃ君のこと、好きになっちゃったんだろう?」

 掛ける言葉を見失ってしまう。彼女も、自分でも知らなかったのか。

「トオルのコト、こんなに愛してるのに」

 聞きたくなかった言葉が、内耳(ないじ)の隙間から忍び寄る。

「永見」

 堪らず、(うずくま)る御河童頭に声を掛ける。

(ばく)、という名に心当たりは?」

 本能に近かった。此れ以上、触れたく無い内容であった故に。ただ、その一心で話を()らす。

「……ば……く?」

「ああ」と、顔を上げた永見に頷き返す。

「悪いが顔(かたち)は分からぬ。ただ、大岩の(ごと)き筋骨隆々な大男を従えていた」

「大男って。しぃ君、なんで知って――」

 永見の瞳が大きく見開かれた。顔の色も、一気に血の気が引いて青く変わる。

「まさかっ……。多目っちも、しぃ君が?!」

 彼女が、震え(なが)ら立ち上がる。

 多目。空中回廊で出会った黒眼鏡の姓。あの、淡緑の頭目の(うじな)

「ねぇ?!あの晩、いったい何があったのっ!」

 濡れて重くなった襟元に、彼女の細い指が食い込んだ。激しく揺さ振られても、約定がある(ゆえ)に言葉を返せず。ただ、白手袋の名を口にした後悔だけが胸に積もる。

 真逆(まさか)、知っていたとは。其れは、あの惨劇から生き延びた者が居る、という証左。

「なんで黙ってるのっ?!教えてよっ!」

 そうだとしても。御河童頭の耳にも全てが伝わった訳では無いらしい。ならばいっそ、(さら)け出してしまおうか。

「なが――」

 彼女と向き直り、何かを言おうと口を開く。言葉が凍り付いた。彼女の瞳の奥、その暗い水面に映るふたつの影。

 誰かに似た顔で、歪めた笑みを(たた)える、忌まわしい凶相。

「――っ!」

 思わず眉根が険しく寄り、一瞬だけ目を(そむ)けてしまう。明らかな失態。

「しぃ……君……」

 彼女は異変を見逃さなかった。永見は(またた)く間に硬直してしまう。光が消え失せ、白く反転した大きな瞳が怪物を見るかの(よう)に凝視する。

「バカっ!」

 力を振り絞った、拒絶の一撃。突き出された両腕を(あがな)えず数歩、蹌踉(よろ)けてしまう。彼女との間に、手の届かぬ距離が生まれる。

 永見は躊躇(ためら)わなかった。勢い良く身を(ひるがえ)し、ひとり公園から駆け出して行く。駆け去る小さな背中は決して、振り返りはしなかった。

 彼女を追う決心は、敗北感と罪悪感が足枷となり押し潰された。(ただ)、住宅街へと消える姿を目で追うだけ。

 第一、追う資格など持ち得るのだろうか?




 この()(およ)んでも、涙も出ぬ、か。苦々しい気持ちが胸に宿る。

 空を見上げたのは水()まりを見たくなかったが故。映り出される相貌を恐れた。

()れで満足か?」

 音に聞こえし通り、破滅へと導かれた。きっと、満足気に頷いているに違いない。いや、腹黒の権化だ。まだ足りぬ、と吠えているかもしれん。

 顔の半面に手を添え、大きく溜息を吐く。

 いや、此れは自業自得。彼女の好意に対する裏付けも取らず、()の上で胡座(あぐら)をかいた阿呆の結末。何も()もを押し付けられては、異相も苦虫を噛む事だろう。

 笑えないが、(わら)うしか無い。

「さて」

 どうしたものか。

 (はか)らず、身を切る犠牲を払って報せ(情報)を手に入れた。点が、細い糸で結ばれる。其の先に引っ掛かるのは、(たぶらか)し上手の色男。

 何を目的として付け狙ったのか。白日に晒す(まで)、黄昏れるだけでは居られぬ。

「聞く、か」

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 果たして、平静でいられるだろうか?

 常に柔和な顔を心()けよ。()の心には義理の二文字。万川集海(まんせんしゅうかい)にある、(しの)びを生業(なりわい)にする者へ()く一節。

 教えを胸に平静を装うも(なお)、出来たかと問われれば首を(かし)げるしか無い。()してや奴の顔を、其の双眸(そうぼう)(まみ)えたならば。夢想でさえも奥歯が軋む。

 が、やるしか無い。やらねば、ならぬ。

 猫の目を探す代わりに、腰袋に収めた端末を取り出す。液晶は十五時を少し過ぎた辺りを示していた。授業の時間は過ぎたものの、未だ部活動に勤しむ時間。学び舎に戻れば、機会はある。

 ずぶ濡れの衣服を(いと)う暇など無い。頭を振って水気(みずけ)を切ると、永見が去った方角とは逆へ進む。

 ()ずは間宮。幸いにも、積もる話が山ほど()る。

 きっと、彼は嫌がるだろう。煙たがり、声高らかに(なじ)るかもしれぬ。

 だが、話だけは聞いて貰わねば。互いの、今後の平穏の(ため)にも。

 必要ならば、力ずくで。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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