空中回廊にて 三
2025.04.17 助詞を微修正
2025.04.19 さらにタイトル修正
戦国より為人を推し量る相の見方みっつあり。
ひとつは常相。可も不可もない凡庸なる相。貧富や命の長短あるものの大凡が此れに当たる。
ひとつは吉相。神仏に縁った聖人君主の相。善き道理を心掛けた貴人が授かる徳相。
そして異相。私利を好んで耽り私欲に溺れた凶い者の面貌。災厄を振り撒き、自身も破滅に向かうとされる悪しき前触れ。
その禍しき顔が黒眼鏡から深く滲み出でていた。己の良心をどれだけ踏み躙ったか伺い知れる。程度の差はあれ、出歯亀を囲む刺青や丸坊主にも同じ相が見て取れた。
「このカス、オマエ等のツレか?」
黒眼鏡が横たわる出歯亀の頭を爪先で小突く。未だ意識はあるようだ。蛙が擦り潰された声で呻いた。
「いや」
頭を横に振りつつ、異相持ちたる黒眼鏡を見やる。
染めた金髪に鰓の張った面長。黒眼鏡で瞳は知る由なし。段鼻は半ばで僅かに折れ曲がり、薄い口は大きく裂けた一文字。六尺の太く締った四肢を見るに、腕に覚えはあると見た。
「ふうん」
興味を無くしたのか出歯亀から足を離す。かと思えば、頭を踏み降ろした。石畳に顔から叩きつけられ、粘り気ある赤い筋が幾条も流れる。
「止めなさいってばっ!」
背後から永見が叫んだ。待て、勇気と無謀は違う。正しさを愚直に貫くのは悪手ぞ。
「あぁんっ!関係ねぇんだろうがっ」
「あんまぁフザけたコト言うとぉ、ヤっちゃうよぉ!!?」
丸坊主が怒鳴り散らせば刺青が喉の奥から嘲笑を鳴らす。目を付けられた。ならば彼女を庇う位置に身体を被せるまで。
「先も言ったであろう。これ以上は命を落としかねん、と」
「それがぁ?オレ達にゃぁ関係ないしぃ」
刺青が戯けた仕草で肩を竦め、右手に流れた。
「何様のつもりか知らねぇが、ムカつくんだよ」
丸坊主が指を鳴らして左手に回る。示し合わせた手慣れた動き。これで左右に逃れる道は塞がれた。
「ココはなぁ、オレ達のテリトリーだ」
中央に居座る黒眼鏡の口が開く。出歯亀から足が離れ此方に向いた。
「大事な場所でチャラチャラ騒がれてよぉ、許せるわけねぇだろう」
怒る素振りや笑う事もせず、顔を上下に分かつ大きな口を開きながら正面に立つ。
対するは五尺二寸の小兵。向き合えば頭ひとつほども違う。
何時しか取り巻く人垣は消え去った。
異変に鋭い者はそそくさと離れたのだろう。逃げ損ねた幾人かが湛える瞳の色は怖気た戦慄と怖いもの見たさに似た好奇心。そして期待。受像機に映る遠い世界と勘違いしたのだろう、何処か夢見心地の視線が飛び交う。
「ここは天下の公道。誰の物でもないと思うが」
「言うねぇ」
黒眼鏡の口端が跳ね上がった。地獄絵図の悪鬼と同じ短い牙を覗かせ、吐き残した唾が垣間見える。
以心伝心、刺青と丸坊主も詰めてきた。淡緑の壁が狭まる。
分が悪いのは明白。背後は空中回廊と空を分かつ欄干。永見も居る。誰かを庇いながらの戦は苦戦必至。
「跪いて詫びてみろ。気に入ったら許してやる」
圧倒的優位の中、黒眼鏡の言葉に残りの二人が目尻を下げせせら笑う。黒眼鏡に全てを任せたか。仄かに見えた隙。
良かろう、算段は相成った。後は事を為すだけ。
ヲン・アニチ・マリシエイ・ソワカ
僅かに腰を落とし、ほんの少しだけ身を前に乗り出す。誘う動きで後の先を奪えば、それと気付かぬ黒眼鏡が鼻頭目掛けて右拳を放つ。届かぬなら届く位置に運ぶまで。勢いを殺すのではなく受け流すよう左の裏手で払い、流れてきた上体に腰を入れた肘打ちを繰り出す。狙い違わず顎の急所、顎中を打ち抜いた。
「テメっ!」
脳を揺らす気絶必然の一撃を貰ってもなお、構わず二の矢を繰り出てきた。唸る拳戟を半身で捌きつつも驚きは隠せない。急所の一撃を受けても拳を振えるとは。これだから知らぬ世界は面白い。
とはいえ、淡緑の狼藉者と長く相手する腹積もりはない。
「クソがぁっ!」
流石に効かぬ素振りまでは無理だったのだろう。大きな唇を歪めながらも黒眼鏡が大振りの一撃を振るう。然れど膝が崩れ、腰が入ってない。弱い殴打を腕ごと巻き取れば、払い腰の要領で投げ飛ばす。そのまま受け身も取らせず欄干に叩きつけた。
「なっ!」
「えっ!」
予想だにしなかったのだろう、刺青と坊主頭が鼻白む。悪いが一緒に相手する気など端から無い。忍びの本質は遁術が故。
慌てる二人を尻目に隠し物入れから炮烙玉を幾つか取り出す。
爺様が、いや赤目家代々の忍びが造り変え練り直した末、一寸まで縮めた火薬玉。指先に仕込んだ火種で心持ち伸びた導火線の先に火を付け、放り投げる。
小さい発破音が立て続けに鳴るや否や、忽ちに白い煙が沸き立ち、回廊を薄灰色に塗り変える。
効果覿面。坊主頭や刺青、逆さまに石畳に落ちた黒眼鏡ですら煙幕の向こうに消える。
惜しむらくは、余り長くは持たない所か。
奪い得た猶予を惜しむ暇はない。背後にいる永見へと振り返り、膝から掬い上げた。そのまま胸元で抱きかかえる。
「な、何っ!」
腕の中で目を白黒させる彼女とは言葉を交わさず、欄干の上へと飛び乗る。そのまま数歩。白と黒で染まる薄闇の先に目当ての影が浮かべば、抱えた少女と共に宙を舞う。
「うわっ!」
煙幕から向け出した先は何も無い空間。瞬く間の空中散歩に驚いた永見がしがみ付く。助かる。そのまま姿勢を正し、狙い通りに下り階段の手摺を踏む。
二人分の重みが膝に伸し掛かり足裏が軋んだ。いや、この程度なら大丈夫。文字通り降って湧いた男女に驚く歩行者に会釈し、勢い任せに滑り降りる。
「テメェっ!」
「待ちやがれぇっ!」
降りきる寸前、階上で怒声と悲鳴が交錯した。振り返る必要はない。雑駁した声を聞き分ければ、淡緑の三人組が追ってきたのは自明の理。全くしつこい。
「ち、ちょっと!?しぃ君っ!」
「喋ると舌を噛むぞ」
状況が見えず戸惑う永見の声を遮った。丹田で練り上げた気を目には見えぬ触覚に変え、駆け抜ける先へと飛ばす。より広く、より遠くまで。
さすれば見えずとも、通りの動きを把握できる。目に映り、耳に聞こえ、匂うひとりひとりが放つ、その微細な息遣いまで感じられる迄に。視線、発声、傾聴。雑踏にある人々の、個々の所作さえ手の内にある。
思い出した、懐かしき感覚。
追っ手を払うべく歩道を行き交う人の随を駆け巡る。勢いに慄いて道を譲る者。我関せずを貫き己の内に籠る者。眼前を過ぎる景色の先、その又先にある人の満ち引きまで読み切る。筋は見えた。後は小舟が渡るべき細波の合間を探り出し舵を切るのみ。
「どけえっ!」
背中から甲走った叫喚が沸く。怒りに満ちた淡緑の声。ちらと顧みれば、打ち集う雑踏を跳ね飛ばして追りくる。舌を巻くしかない。迷惑を顧みぬ暴挙もだが、猪武者の振る舞いで追いつかんとする膂力に。
追いつかれはせぬものの、引き離しも出来ていない。旗色悪し。永見を抱えての逃走は何れ限界が来る。
致し方ない。人混み多き大通りから逸れ、裏道に分け入る。
灯りの届かぬ塀に囲まれた細き曲がり道。ここならば、と追手に気を配りながら身を潜める場所を探す。
あった。
学び舎でも見かけた鉄製の階段。金網に遮られてはいるものの、苦も無く乗り越えられる高さ。
淡緑の猛々しい怒声が近づいた。
考える暇はない。永見を抱え五体が勇んで跳躍する。脇の壁にとん、と足で駆け上がれば金網の天辺に足が掛かった。
お次は階段までの道程。頼りない足場をものともせず再び宙へ、天に向かって舞う。
距離が僅かに足りなかった。足の痛みか、それとも浮世の暮らしで些か鈍ったか。
落ちる。いや、まだ手はある。
腕の内にいる永見を振り落とさぬよう強く掴み、首を軸にして前回りを試みる。膝裏に当たる硬い感触。頃合い良く手摺に当たった。
掛かった膝を起点に力ずくで身体を起こす。
宙に浮いた上体を引っ張り上げれば、音も無く踊り場へと足を下す。幸い何処からの灯も届かぬ。身を潜ますには都合よき場所。
「ちょ、ちょっと――」
「静かに」
腕の中で藻掻く永見の口を手で覆った。闇夜へ目を凝らし、耳を澄ます。直ぐに足音が近づいた。数は三対。件の三人組だ。
「ドコ消えたぁっ!」
「ふざけんなよぉ!マジでさぁっ!」
咆哮と罵声。刺青と坊主頭の張り上げる声が階下に満ちる。
「多目ぇ、どうするぅ?」
「……人を集めろ」
黒眼鏡の不快そうな声。
「今からぁ?そりゃぁ呼べばぁ集まるけぇ、どぉ!?」
恨みがましい刺青の非難は骨を殴りつける音で上書かれた。
「ここまでコケにされて、黙ってられるか」
腕力で有無を言わせぬ黒眼鏡。どうしても面前で潰された汚名を拭いたいのだろう。しかし、身内に手を上げるのは如何なものか。
「テメエ等は手分けして探せ」
言の葉から猛る悪感情を隠そうともせぬ。気圧されたか、刺青と丸坊主は黒眼鏡の指示に異を唱えずにいた。
「あのクソヤローを連れてこい。必ずだ」
「ひゃいっ!」
号令を合図にふたつの足音が散り、遠くの喧騒の中へ埋もれてゆく。残されたのは悪意に満ちた黒眼鏡だけ。全く、厄介な相手に目を付けられたものだ。
と、黒眼鏡が手近な壁を蹴り上げた。しゃん、と乾いた音が高櫓の底で響く。
「ゼッテェ殺してやる」
物騒な宣言を残して黒眼鏡の足音も遠ざかる。やがて掻き消えた。
口から安堵の息が漏れる。どうやら当座の危機は去ったらしい。
忍法、狸隠れの術。人は頭上を仰ぎ見ない。ましてや後を追っていた相手が頭上に隠れるとは露ほどに思わないだろう。切羽詰まった狸の習性に倣った隠遁の術。
「大丈夫か?」
腕の中で俯いたままの永見を開放する。戒めていた力を緩めたというのに口を閉ざしたまま。
「永見?」
具合が悪くなったのか?不安になり永見を伺い見る。返ってきたのは頬へ繰り出された張り手であった。
軽い音が耳の近くから伝わる。痛みはない。集った蚊さえも殺せぬ強さだろう。その分、仄かに温かみを増した頬に違和感を覚えてしまう。
「え、あ……いや、違うの……ちょっと待って!」
叩いた本人も戸惑っていた。蟀谷に指を当て頭を悩ませる。
「一体、何があったの?いや、しぃ君は何したの?
じゃない!
なんであんなコトしたのよっ!危なかったでしょっ!アタシを抱っこしたままっ!」
下を向き呟いていたと思ったら途端に息を荒げて詰め寄ってきた。忙しい女子だ。
「他に言うことは?」
頬に手を当て、恨みがましい視線を送る。
確かに手荒であったのは認める。危うい行いをしたのも事実。もし何かの拍子で彼女が暴れたならば怪我では済まなかっただろう。
何も伝えず危険に晒したのは不徳の致すところ。
だが、叩かれたのは別。理由を聞かねば辛抱ならん。
「いや……うん……いきなり抱きついてきたから」
一転、言葉を噤み非ぬ方向へ目を泳がせる永見。自分でも悪いと思ったのか言い淀む。
仕方なかろう。喉まで出掛けた言葉を飲み込んだ。どちらの非が重いかなど一目瞭然。頬の痛みひとつで収まるなら安い勘定だ。
「あ、あのさ。まさかとは思うんだけど」
歯切れ悪く言葉を濁す。落ち着きのない永見は初めて見た。雨が降るかも、と心配になる。
「あの噂って実はホント?」
思い詰めた顔で紡ぐ子女の言葉に、重くなった頭を片手で抱えた。永見との仲に関する噂と同時に流れた看過できぬ流言。
誰が流したか知らぬ、赤目忍が忍びの末裔であるという根葉ある謠。
「嘘に決まっておろう?」
嘘。当て推量とはいえ、的を得られては重大事。此方の火消しが先と躍起になった結果が、永見に対する初動の遅れだ。
「じゃあさ、今の動きは何?あんなの普通できないでしょ?」
その彼女が恐る恐る、上目遣いで尋ねる。至極真っ当な問いかけ。抜かりはない。返し方は前もって用意してある。
「実はな、忍者に憧れておった」
真。忍びの一族として生まれたのだ。忍びの道に生きる選択肢を躊躇う理由などない。
「知っての通り、生まれた故郷は忍者の里。とは言っても、今は単なる観光地だがの。物珍しさに足を運んでくれる客は多い」
これも真。命を懸けて敵地に忍び入る時代ではない。痛いほど分かっている。
「そんな観光客の目を楽しませるため、忍者に扮した見世物を開いておってな。幼い頃から見ていた忍者劇に魅せられた」
嘘。真の邂逅から偽りの思いにすり替える。
「壁の端で消えたと思えば、別の端から瞬時に現れる。どう考えても跳べそうもない高さの櫓を軽く飛び越える。余りの迫力に心を奪われたもの。どうしても真似したくて演者に直接、聞いてみたのだ」
嘘の上に嘘を塗り固める。所作は当然であるかのように振舞いながら。
「演者達も跡継ぎが出来たと喜んでくれての、それは丁寧に教えてくれた。お陰で軽妙な動きは楽に熟せる。跡は継げなかったが、の」
真。そう、継げなかった。
「へぇ、そうなんだ」
聞き分けてくれたのか、永見はしきりに感じ入ったようだ。願う事なら学び舎の中でも言い触らして欲しいもの。未だ燻ぶる噂を残らず刈り取らねば。
「分かってくれて何より」
思いの外、夜も更けてしまった。
春は訪れたばかりで日が暮れれば底冷えする。風邪を引かぬ用心も大事だが、他にも気を配らねばならぬ事柄が出来た。
永見を無事に帰さねばならぬし、あの三人も懲りずに探しているだろう。先の話し振りから、数が増えているかも分からぬ。
これでは姉の堪忍袋が持ちそうにない。
「長い夜になるな」
片手で顔を覆い天を見上げる。月は高櫓の陰に姿を隠していた。
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




