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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
四 わびぬれば 今はた同じ
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嘘と真 一

2025.08.29 アタシをワタシに修正

戯言(ざれごと)をっ」

 仰向けとなった腹の上に(またが)り、(ぜい)肉を揺らす大黒(だいこく)(よだれ)が糸を引く口元から出た言葉に、思わず眉を(しか)めてしまう。

「大体、どうやって明け渡す?生憎(あいにく)と身体はひとつだけ。()の唯一も、貴様の言い分には従いたくは無いそうだ」

 我欲を剥き出しにする卑しき双眼へ、憎まれ口を叩く。押し掛かる重い身体から逃れたいが、右手首と首元を封じられた。其れも中々の膂力(りょりょく)。簡単には外せそうもない。

「うっせぇっ!」

 途端に頭上の顔が怒りを上げた。首筋に一本の青筋が立てたかと思えば、みる(みる)と顔全体を朱色に染める。

「アイツがやれんだっ!このオレだってぇ、簡単にできらぁっ!」

彼奴(あいつ)?」

 他の誰かが、力で従わせたというのか?だとすれば、鷲鼻(わしばな)か?

「だとしても、其方(そなた)に従う(いわ)れは無い」

 (まこと)。寄こせ、の言が調伏を意味するか。ともあれ、「分かりました」と(うなず)けるものでは無い。

「素直に諦め、持ってる物だけで我慢せい」

「フザけんなっ!ダレが好きこのんでっ!」

 歯を剥き出しにし、頭上で大黒が吠え(たけ)る。

 福神に似た顔を醜く歪め、(たる)んだ四肢が内側からの圧力で弾け飛んだ。何かが千切(ちぎ)れる音と共に、筋肉が一瞬にして太く隆起する。柔らかい皮膚が耐え切れず、裂けた皮膚の下から緑色の筋繊維が覗いた。

 過去に見た事のある変化(へんげ)。贅肉で固められた輪郭がひと回り膨張し、筋骨(たくま)しい、深緑の異形へと書き換えられる。

「オマエが素直に渡せばっ、何もかも全部っ、解決すんだっ!オレは救われるんだよぉっ!」

 怪物が力を込めた。首を、手首を、伸し掛かられた上体を締め付けられる。骨が(きし)み、息をするのが難しくなる。殺意の籠った圧迫。

「其れは……御愁傷様(ごしゅうしょうさま)

 心底、軽蔑する。

 妖怪悪鬼へ化けるのは本意で無いかもしれぬ。が、己の煩悶(はんもん)を他人に押し付けるのは筋違(すじちが)い。誰が、自分勝手に(あわ)れむ奴の生贄(いけにえ)になるか。

「ならば……、もう少し悩んでくれ」

 首元を絞める相手の右手首を、空いた左手で掴む。妖怪へと変わった腕は固く、握り潰すのは(あた)わず。

「バカがっ!」

 大黒、いや、悪魔に身を(やつ)した男が吠える。

「少し腕は立つみてぇだが、所詮(しょせん)はタダのガキっ!コっからっ、どうにかできると思うのかぁっ!」

 喉の奥で(たの)し気に、からからと響く笑い声。其の勝ち誇る顔に向け、微笑んで見せた。大きく、歯を見せる(よう)に。

 首を取られたら()ず、笑って見せよ。爺様の、(いにしえ)より伝わる武の格言に従って。

「でき……るさ」

 化生(けしょう)では無く、人の形で対峙したのが運の尽きぞ。


  ヲン・アニチ・マリシエイ・ソワカ


「ナニを笑って――ぬぉっ!」

 口の動きを使い、喉を広げた。元より(しの)びの修行で鍛えた首根(くびね)。盛り上がる首筋が(はがね)の強さを得て、太く丸まった指を押し返す。

 喉と指での力(くら)べに負けると思っていなかったのだろう、頭上から見下ろす瞳孔が縮まり、白目が広がる。

「なっ!」

 状況が飲み込めず、狼狽(うろた)えた大黒が再び喉を絞め上げる。が、(あせ)りが手元を狂わせる。ぬるりと指の腹が皮膚の上を滑った。首元に掛かる力が弱くなる。

 其れで十分。首元に生まれた隙間へ指を()じ込み、内から力を入れた。思わぬ抵抗に、深緑の怪物は(さら)なる力で応じる。

 掛かった。

 化外(けがい)の者が(りき)む流れに逆らわず、少しだけ方向を()らす。同時に軽く手首を返せば、勢いで首の(いまし)めが(はず)れる。

「ぬぉっ!」

 驚いている暇は無いぞ。

 合気(あいき)の流儀で力を外へと受け流す。繋がる肩口が下がり、上体が寄った。其の胸元目掛(めが)け、親指を突き出す。

 喉仏(のどぼとけ)の直下にある急所、秘中。天突とも称される活殺(とも)に重要な経穴(ツボ)を、壁すら駆け登れる忍びの指先が触れたら何が起こるか。

「おぐごぉっ!」

 押し潰された喉から言葉にならぬ音が鳴る。左手を離せば、大黒は喉元を押さえ頭を()()らせた。青()めた顔から油汗(あぶらあせ)を流し、腹の上で脂肪の塊が大きく揺れる。

 姿勢が崩れる。

 後は容易。足裏を地に着け、腰を片方だけ浮かす。如何(いか)上屋(うわや)が重くとも、土台が傾いては瓦解する(ばか)り。()してや、ただ伸し掛かるだけの素人。抑え切る(すべ)も知らぬ相手に遅れを取るか。

「ぐがっ!」

 筋肉が縮み、深緑の肥満体となった大黒が地面に転がった。其れを尻目に、足の勢いを利用して身を起こす。

 攻守が入れ替わった。驚きと恐怖を半々に宿(やど)した異形(いぎょう)喉笛(のどぶえ)へ腕を絡ませる。

 一瞬で事足(ことた)りた。

 藻掻(もが)(いとま)も与えず、(うめ)きのひとつも漏らせず。前からの落としで怪物の意識を断つ。深緑の奇形は白目を()き、瞬く間に全身が脱力する。

 怪物とて、頭と胴を結ぶ血脈を閉ざせば動くのも(かな)わず。深緑の邪妖は、締まりなく口を開いて動かず、股間から尿を漏らした。

「永見」

 地面に大の字となった大黒など目も()れず、(かたわ)らでへたり込む御河童(おかっぱ)頭へと向き直る。腰を抜かした彼女は、わななく唇で見上げてきた。(おび)える様な、驚く様な、震える瞳で。

「しぃ……君……。こっ……殺したの?」

「いや、眠らせただけだ」

 真。先に問い詰められた手前、(あや)めるには気が引ける。

「放って置いても、何時(いつ)かは目を醒ます。その内に逃げよう。立てるか?」

 永見の手を取り、気合を入れて引き上げる。が、彼女の下半身は意思を持たず、一向に体重を支えようとしなかった。ただ、生まれたての仔馬の(ごと)く、膝をがく(がく)と震わせるのみ。

「仕方ない」

 背中と膝下に手を差し入れ、抱き上げる。

「えっ!ちょ、ちょっと、しぃ君っ!」

「我慢してくれ。其れとも、あの化物(ばけもの)が起きるまで待つか?」

 慌てる永見に、寝転ぶ大黒へ顎を(しゃく)る。流石に観念したか。彼女も身を固くしながらも頷く。

「出来る限り、しがみ()いてくれ」

 願いを聞き入れてくれた彼女の、細い指が制服の胸元を掴む。弱々しい力。この手は離れぬよう、加減する必要がありそうだ。

「では、行くぞ」

 合図と共に地面を蹴り、裏路地を駆け出した。最後にちら、と背後を振り返る。福神を(かた)った緑の悪鬼は、(いま)だ動く気配なし。

 ()(まま)、眠っていてくれ。

 一瞬、神仏に祈って良いものか、考え込んでしまった。




 今にも降り出しそうな薄闇の中、人通り(まば)らな道を走る。

 途中、車道を走る消防の赤い車両や、白黒仕立(じた)ての警察車両と擦れ違う。彼らも忙しいのか、懐に子女(おなご)(かか)える高校生を気に()める気配すら無かった。

 個人的な(いくさ)から四半刻(三十分)は走っただろうか。(いく)つもの交差点を渡り、大通りを抜け、入り組んだ住宅街まで辿(たど)り着いた。今では、振り返っても大黒の影すら無い。周囲に張った不可視の網にも、(あや)しき気配も感じられず。

「永見、寒いか?」

 変わりに、強くなった風が体温を奪いに来た。動いている身としては大した事は無いが、腕の中で(うずくま)る永見には堪えるだろう。問いかけに言葉で返さず、小さく頷く。

「分かった。少し休もう」

 幸い、お(あつら)え向きな公園を見付けた。小さな滑り台と長椅子(ベンチ)が有るだけの小さな公園。無人で有るのを良い事に、黙って足を踏み入れる。

「立て……そうもないな」

 彼女を下ろしてみたものの、足元が定まらず(あや)うく転びかけた。仕方なく、長椅子(ベンチ)に座らせた。午後を少し過ぎたばかりだと言うのに、街灯に明かりが()く。湿った風がふたりの間に重く流れた。

「あれ……なんだったの?」

 久し振りに聞いた声は少しだけ(かじか)んでいた。(うつむ)き加減で視線も合わせず、言葉だけを(つむ)ぐ。

「さぁの。人では無い、のだけは分かるが……」

 真。大黒が何者なのか、何故に赤鬼と争っていたのか。結局、短い会話の中では何も掴めず。

「ううん……そう、じゃなくって」

 だが、どうも永見が求めた答えとは違ったらしい。力なく頭を左右に振り、顔を上げる。心()し、瞳が潤む。

「しぃ君てさ……、何者なの?」

 不意を突かれた。話の矛先を向けられ、言葉が喉の奥で詰まる。

「……どういう意味だ?」

 真逆(まさか)斯様(かよう)な色眼鏡で見られたとは。人()らざる者を見る目と同一な視線に、嘆息するしか無い。

「だってさ。いきなりマンガに出てくるみたいな怪物がでてきたんだよ?」

 それでも視線を外さず、しっかと両目で見据えてきた。唇から(にじ)む声は糸の(よう)に細く、上()る。

「普通はさ、動けないよ。あんなのが目の前にいたら……。でも、しぃ君は、平気で……」

 一言(一言)、噛みしめる様に。小さな口から染み出す言葉に、少なくない恐怖と違和感を乗せて。

「……怖くなかった?」

 問いは、刃物に似て鋭かった。何と答えるか、一瞬迷う。

「怖くない、訳が無かろう?」

「えっ?だって――」

「見た事も無い人外が現れば、誰だって怖い。今、永見が言ったであろう?」

 更なる疑問を投げかけられる前に、先手を打つ。

 万川集海(まんせんしゅうかい)にある「三(ぼう)の鉄心」という言葉。意識、分別、計略のみっつを忘れよ。

 思い切り死ぬぞ、と心構えれば如何(いか)なる恐怖心を抱かず。(ことわり)に全てを(ゆだ)ねれば心身は澄み渡り、万難を前にしても明々(めいめい)と動ける。

「怯えて足を(すく)ませては、窮地を脱するなど(もっ)ての(ほか)(ゆえ)に動いた。死にたく無いからの」

 嘘。命知らずと(そし)られるのも困る(ため)(もっと)もらしい嘘を吐く。

「そっ、か……」

 すっかり騙された永見は再び視線を外し、下を向く。忍び寄る寒さと沈黙の中、胸の奥に針の痛みを感じた。

「やっぱり、しぃ君は強いや」

 少しの間を置いて、永見がぽつりと呟く。

「もうね、強すぎるよ。誰の助けも必要ないくらいに」

 薄暗い公園に、永見の小さな声が吸い込まれる。湿った土と葉が、音階の輪郭を寂しく(ぼやか)した。

「其れは買い(かぶ)り過ぎぞ」(あや)しくなり出した雲行きに、思わず口を挟む。「助けが必要な時など、幾らでも――」

「そんなのウソっ!」

 ぽつり、ぽつり。天が灰色の涙を(こぼ)し始めた。細く冷たい雨粒が色彩を(かす)ませ、急に冷え出した空気が白い息を()く。

「今回だってっ、この前だってっ!……ううんっ、もっと前もそうっ!」

 強まる雨足に負けず、彼女は声を張り上げた。

「どんなに危なくってもっ、いっつも笑ってっ!でもっ、ひとりで飛び込んじゃうっ!ひとりでっ、どうにかしちゃうっ!」

 雨と涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、彼女は糾弾する。今まで見たこともない、痛々しい表情で。

「しぃ君にもっ、トオルにだってっ!いらないコなのよっ!ワタシはっ!」

 小さな唇から放たれた絶叫が、土砂(どしゃ)降りとなって鼓膜を震わす。()れ程の激情を、華奢な背中に溜め込んできたのだろう。

「みんな勝手よっ!どっちもっ、助けてあげたいのにっ!なんでっ!どうしてよっ!」

「永見……」

「やめてっ!」

 彼女の肩へと伸ばした手は、しかし、激しい力で弾き返される。

「ワタシっ、しぃ君にひどいコトしたのよっ!」

 不意に立ち上がり、襟元に(すが)り付いた。(たい)して違わない身長、冷たい唇が触れ合う距離まで近付く。雨のせいか、不思議と甘い香りはしなかった。

「なのにっ、なんで優しくするのっ!もっと怒ってよっ!」

 慟哭は、悲痛な慙悔(ざんかい)へと変わる。激しく迫る彼女の剣幕に言葉を失った。

「怒るなど……」

 戸惑いつつ、慰めの言葉を探す。喉から言葉が消えた。少しだけ顔を引き、静かに手の内で片目を隠す。

 永見が酷い事をした?誰に?いや、今、彼女の口から出たではないか。

 では、何の話を指すか?思い当たる節を片っ端から探る。

 四六時中、彼女の都合に振り回された。そんな他愛もない些事(さじ)は除外して良い。もっと重く、彼女が泣き出してしまう程の思い罪。(しか)るものが有るか、記憶を(さかのぼ)る。

 彼女と初めて出会った校舎裏から、此の公園までの記憶を。

「――っ!」

 首筋を(つた)う一筋の冷たさが、狂った仮説を思考に割り込ませる。馬鹿げた、荒唐無稽(こうとうむけい)な妄想。だが、もしも描いた絵空事が真実ならば。ならば、彼女の涙も納得がいく。

「よもや、とは思うが」

 だが。もしも。いや――

 雨音が思考を(にぶ)らせる。ひとつの可能性だけが、やけに鮮明だった。震える息を呑み込み、その静寂を破る。

「あの夜から今(まで)、始まった事件の数々。……永見が手引を?」

 空中回廊での一件、一緒に居たのは誰か。

 淡緑に囲まれた雑踏、何者に(そで)を引かれたか。

 (みやこ)の中心で二人組に襲われた時は?そして今、向かい合う女性は?

 答えは、ひとりしかいない。

「永見。答えてくれ」

 間違いであってくれ。単なる偶然の重なりを、さも証拠のように並び立てただけ。

 だから、永見。其方(そなた)の口から(しっか)りと否定してくれ。考えすぎだ、と。

 雨が降る。(にぶ)色の空から降りしきる緞帳(どんちょう)が、ふたりの間に薄く()れた。息(づか)いも感じ取れる距離だと言うのに、不思議にも遠く感じる。

 永見は何も答えない。再び俯き、ただ黙って雨に打たれる。

 やがて、少しだけ頭を引くと、かくん、と大きく項垂(うなだ)れた。

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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