相通ず、故に相違う 二
2025.08.17 後半の永見の反応を変更
選りによって、此処でか。
焦がれる迄に出会いたかった相手と、最悪なる契機での邂逅。色々な感情が渦を巻き、顔の筋肉をどう動かせばよいか迷ってしまう。
もし運命に神が宿るのならば、其の性格は余程、捻じ曲がっているに違いない。
「ひ……っ……!」
永見の動きが固まる。上から表情を伺えぬが、血の気の引いているのだ、と簡単に見通せる。ほんの三間ほど先に、全裸の男が突っ立って居るのだから。
「テメェは……ドコかで……」
先手を取ったのは大黒。恥部を曝け出し、長い耳朶を前に押し出す。突き出た腹を揺すって一歩、永見へと近付いた。
「……やっ……や、だ……!」
言葉を失った永見は顔を背ける事も出来ず、ただ後ろへと退くだけ。全裸の男が前に進む度、同じだけ後退る。緩慢な動きは繰り返され、拍子が徐々に上がっていく。
「テメッ、逃げんじゃねぇっ!」
「いやあああぁぁぁっ!」
大黒の怒りが分水嶺に達した。肩を怒らせた奇人から逃れようと、永見が悲鳴と共に踵を返す。
其の足が地を引っ掛けた。古い舗装に足元を取られたか、駆け出そうした矢先に縺れてしまう。
「このアマぁ!手間取らせやがってっ」
恥部を晒した男が、姿勢を崩す子女の背に迫る。其の距離、一間。
「永見っ!」
友の危機に、身体が反応した。
指先が壁から離れる。地に引かれる儘、頭から宙へ身を躍らせた。僅かな間の、軽い浮遊感。獲物を狙う鷹の如く、狙いを澄まし急降下する。
「ぐぉっ!」
寸前で姿勢を回し、膝頭を大黒の後頭部に叩き込んだ。落下の力と自重を乗せた一撃が大黒の首根に食い込む。経絡から伝ってくる、硬く連なる頸椎を圧し折る感触。
構わず、重力に従って押し切る。声すら出せず、大黒の頭蓋は胸元まで屈曲した。
「しっ、しぃ君っ?!」
露出狂に押し付け切れぬ重力の法則を、地面へ転がり逃す。回転の最中、目を大きく見開いた永見を見た。背後で弛んだ五体が前方へと倒れ、自身の頭を押し潰す。
「永見っ、大丈夫かっ!」
身の痛手を気にする暇も惜しかった。位置が織り成す力が残るも立ち上がり、御河童頭の元へ駆け寄る。勢いに任せて両肩を強く掴み、異変が無いか入念に目視を行う。
「うっ、うん……」
白黒させる瞳を向けつつ、小さく首肯する永見。簡単にも思える返事だが十分。肩から力抜けると同時に、胸が熱くなる。
やっと、会えた。
目尻の垂れた大きな瞳に筋の通る小さき鼻。間違いない。ずっと追って来た、懐かしい顔が間近にある。
「しぃ君……ドコから来たの……?」
延々と見続けたい小さな顔に浮かぶ、野暮な疑問符。驚嘆と共に投げかけられた質問は、頭に掌を押し付るには事足りた。
「何処からでも良かろう?永見の危機に間に合うよう、急いで駆け付けたのだ」
嘘。普段に比べ気障な言い回しだが、偶には良かろう。印象付けるのは大事なのだから。
だが、相手を納得させるには至らず。
「だからぁ!いったい、どうやって……えっ……?!」
永見が視線を巡らせる途中、いきなり抱き着いてきた。首元に顔を寄せ付け、全身から力が抜ける。咄嗟に腰へ手を回し、崩れ落ちそうな子女の身体を支える。
「どうしたっ」
質問には何も返さなかった。ただ片手を震わせ、ゆっくりと伸ばす。焦点の定まらぬ指先が、地に伏した大黒を指した。
動かぬ、人の形へ化けた異形を。
「……しっ、死んでるっ……のっ……?!」
歯の根が噛み合わず、声が震える。縋り付く指先は握る力を失っていた。目の前の光景に目眩を憶えたか、上半身が激しく揺れ動く。
「しっ……しぃ君がやったのっ?!……ウソでしょ?!」
永見の問い掛けに、返す言葉を探してしまう。
説明するには、何とも難しい状況。ただ静かに頭を支える手の位置を動かし、顔の半面を隠した。眉を顰めるのは、其の奥でしか出来ない。
「永見、落ち着いてくれ」
「落ち着くなんてっ、出来るワケないじゃんっ!」
耳元で彼女の感情が爆発した。
勢い良く顔を起こせば、濡れた瞳に同世代の男子が揺れる。
「なんで……なんで殺しちゃったのよっ?!」
細く白い指先が襟を掴み、大きく振る。手綱を捌くのに似た叱責も、受けた相手は微動だにしない。
「ああでもしなければ、永見が危なかった」
「だからってっ……!なにも死なすコトっ!」
「其方の言い分は分かる」
「分かってたらっ……、なんでっ……!」
感情に言葉が付いてこなかったのだろう。吸い込んだ息を吐き出せず、俯く頭は次の言葉を紡ぐのを止める。
天を覆う鈍色の雲が厚みを増した。薄明であった陽は陰り、世界の彩度が落ちる。じっとりと湿った空気が肌を撫でた。息苦しい静寂が、永見との間を隔てる。
「しぃ君、自首しよう」
短く、淡々と。だが強い言葉が、ふたりを切り裂いた。
「しちゃったコトは、どうしようもないじゃん。だったら、罪は償わないと」
「永見……」
「安心して。ワタシも証言するから。きっと、警察の人だって分かってくれる」
再び上げた顔には、有無を言わせぬ決意が満ちていた。
ああ、そうだ。永見は、そう云う子女なのだ。
空中回廊の時も、遊戯場の道すがらでも、彼女は信じる正義を振り翳した。何も悪い事では無い。ただ少しだけ、本当の義に疎いだけ。
天を仰ぎ、肩で大きく息をする。顔に置いた手は自然、頭を掻いた。
「本来ならば、永見の言う通りかもしれんな」
「……っ!じゃあっ!」
「だが、の。あくまでも相手が人で有る場合に限る」
気色に染まった御河童の顔を、ふたつの眼で凝視する。
「あ奴は妖者ぞ」
「……信じらんないっ!」
途端、期待に弾けた顔が曇る。冷え始めた風が肌を刺した。
「永見、聞いてくれ」
切り揃えられた黒髪伸ばした手は、永見の掌で弾かれる。乾いた音と共に、熱を帯びる指の付け根。
「見損なった。そんなコト言うなんて」
瞳を細めて放たれた視線は、普段の温もりなど、微塵も感じられなかった。険しい表情は拒絶の色を湛え、口を真一文字に結ぶ。
「永見……」
「しぃ君も結局、トオルと同じなのね」
弁解の機会も与えられず、視線を外された。小さく頭を振り、横を通り過ぎる。
其の歩みが突然、止まった。
「――きゃあっ!」
灰色の寒空に彼女の悲鳴が轟く。
「逃がすかぁ、よぉっ……!」
足元で、何かが唸った。呪いに溢れる、野太く湿った声。
何時の間に近付いたのか。大黒の死体が永見の足首を掴んでいた。
腹這いの姿で、少し上げた胸の合間から顔を覗かせる大黒。半面を土色に染めるのは汚れか、若しくは死相か。
「なっ……何よっ、コレっ!」
震える口元を手で隠し、永見の瞳孔が小さい点へと変わる。呼吸も忘れ、血気の失せた手足は棒立ちと相成る。其の白い踝に、締まりの無い指が蛭となって食い込む。
言い逃れ出来ぬ失態。至近に這い寄るまで、全く気付けず、とは。彼女へ意識を向け過ぎた。
「くっ!」
後悔は後。息を吐くより早く、贅肉に塗れた手首を踵で踏み潰す。生まれたてのせいか、肉厚な腕は水風船を叩きつけたかの様に破裂し、手首と腕が離れゞとなる。
「うぎゃあっ!」
くぐもった絶叫を乗せ、埃が舞った。構わず、蝋人形と見紛う程に青褪めた永見の手を取る。
「しぃ君っ!」
「永見っ、逃げるぞっ!」
固まる彼女を抱き寄せ、ふたりで路地を駆け出した。ちら、と背後を見れば、首の無い全裸が上体を起こそうと奮闘する姿。
「執拗いっ!」
空いた手を隠し物入れに突っ込み、焙烙玉を抜き出した。爪先に仕込んだ火種で準備を終えると、真後ろへと放り投げる。
「しぃ君っ!」
「話は後っ!」
直後に立ち込める白煙で時を稼ぐ。「クソォッ!」と吠える声が遠ざかった。知った事か。手前の道を折れ曲がる。ふたり並ぶのがやっとの裏路地。塵芥の散らばる悪路を乗り越え、右へ左へと駆け抜ける。
「永見っ、急いでくれっ」
「そんなコトっ……、言ってもっ!」
幾度目かの曲がり角で永見は足を止めてしまった。
彼女には酷であったか。壊れた鞴の様に息を上げ、重く下がった手を膝に置く。額から落ちる汗も拭わず、大きく上下する肩が走れぬと主張した。
「あのヒトっ……、いったい何なのっ……!」
「言ったであろう?妖者と」
真。首の骨が折れたというのに動けるのは、正しく妖怪悪鬼の類。
「だけっ……どっ!」
「気持ちは分からる。が、の」
彼女を追い詰めるのは本意でない。一句ゞ、選んだ言葉を口にする。
「間の前で起きた事柄を信じよ。あの身体で動けるのは尋常に非ず」
腰を直角に曲げ、仰ぎ見る永見と視線を重ねる。
「薬か、毒か、はたまた別の絡繰か。とにかく、追手は健在。相手と距離を離すのが肝要ぞ」
何度も鬼遊びを繰り返す歳では無いのだ。思いを伝えれば、永見は真っ直ぐな前髪を垂らして黙り込む。
「薬……」
路地に弱々しく響いた声。誰のものかは分からぬ。別に、誰のものでも良い。
「分かってくれたか?」
今ひと度、念を押す。押し黙った儘だが、細い首は、はっきりと頷いた。
「ならば、先を急ごう。積もる話は其の後だ」
丹田に気を込め、先の道を不可視の触覚に頼る。間を置かず、手近にある大きな十字路を探り当てた。人通りの多い交差点。車の量も多い。此れならば、紛れるのも難しくは無い。
同時に、触覚が届く範囲で大黒の気配も調べた。が、五感の網から物の怪の感触は終ぞ見付からず。見当違いの方角へ向かっているのだろうか。
「しぃ君」
と、俄に名を呼ばれた。何事か。つい片眉が跳ね上がる。
「どうした?」
「……疑って、ゴメン」
口元が緩むのを自覚した。心地良い響きに、胸の奥が温かくなるのを感じる。
「……いえいえ。友の仲ではないか」
真。どうして輩の気を病ませる必要があろうか。顔を伏せる永見を安心させる為、微笑みを返す。
其れが、油断に繋がってしまった。
「――きゃあっ!」
何度目の悲鳴だろうか。急転直下、永見の金切り声が鼓膜を震わす。
眼前の御河童頭が突然に尻餅をついた。何かを振り払おうと必死に足を動かす。
「永見っ!」
鳥肌を立てる彼女の肩を抱き寄せた。其の艶やかな太腿に纏わり付くのは――手首。
多足の蟲を思わせる動きで、太く醜い指が白い肌の上で蠢く。切断面から膿緑の糸を引き、手の甲から盛り上がる巨大な眼球が忙しなく周囲を観察する。
と、不意に眼の動きが止まった。濁った瞳孔に、異相を宿した男を映して。
『ミツゥ、ケタァ』
人間の声帯から出てくる事は無い、缶詰の蓋を叩く金属的な声音。
「っ!」
身構えるより早く、手首が動いた。
傷口から腐臭著しい妖液が漏れ、異形なる妖蟲の全身を覆う。自身を食い破るかの様に身を震わせると、醜悪な肉片は凄まじい勢いで膨らみ始める。
「ひぃっ……!」
絶望で発声の仕方さえ忘れた永見。不味い。少女の肌に被さる冒涜的な粘液塊へ指を突き立てる。力任せに引き剥がした。然したる抵抗もなく、肉塊は永見の肌から離れる。
自身の右手と引き換えに。
「くっ!」
右手首に纏わり付いた粘体。生暖かい脈動が皮膚越しに伝わる。何とも気色悪く、そして望外の重さ。腕が攣りそうになる。
「し……しぃ君っ!」
「来るなっ!」
駆け寄らんとする永見を空いた手で制した。瞬間、腐肉から目を離してしまう。
其の隙を突かれた。
『ギャッ!』
金属音と共に指の一本が伸びる。躱せず、喉元に食い込んだ。鈍い衝撃に堪らず、背から地面へと転がる。
『ぐへッ、ぐへへッ!』
既に人間と同じ大きさへ達した膿緑の醜塊。馬乗りされた形で伸し掛かられた。手首であった異物は、不気味に揺れ動き乍ら、其の様相を変えていく。
喉元と右手首に張り付いた粘着物が腕へと姿を変えた。腰を挟むように伸びた指は足へと化ける。残った一片が頭を生み出した。出来上がった顔は大黒と瓜二つ。
「へへへ、探したぜぇ」
ねちっこい微笑を張り付かせる、福耳の男。気付けば、地面に仰向けに寝転がされ、大股で跨がれていた。首と右手首は大黒の手で固定され、思う様に身動きは取れぬ。
全く、人外の者共ときたら。尽く、予測の外から攻めてくる。
「なっ……、なんなのよぉっ……!」
現実を崩壊させる光景を前に、永見は気色を失う。唇の隙間から、只管に恐怖を凝縮した震えた呻きが漏れる。離れたい、と願う踵が地面を擦るが、虚しく地面を引っ掻くだけ。
「永見っ!」
切実な願いを叫べど、恐慌に陥った彼女の耳には届かず。
「いやっ……!そんなのっ……!」
御河童頭を激しく左右に振り、眼の前の現実から目を背ける。くそっ、あれでは独りで逃げることも出来ぬ。
「ぐへへぇっ。こりゃあ、サイコーだぁっ!」
何が愉しいのか、大黒の喉奥で湿った音が鳴った。声と言うよりも、粘つく液体が煮詰まる音。頭上では一糸纏わぬ姿で涎を垂らし、舌を嘗めずり回す。
「獏のオモチャを壊せるだけじゃなく、オマエも捕まえられるとはなぁ。ツイてるってぜぇっ」
「其れは結構」
「ありがとよぉっ」
減らず口を叩けば、お返しとばかりに大黒の口端が大きく伸びる。喜悦に満ちた、狂気の相貌。
「ちょうどイイっ。オマエにはもっと役に立ってもらおうかぁ」
眉間に皺を刻む原因は、頭上で描かれた唇の歪みだけでは無い。其の奥に透けて見えた、別の思惑が神経を逆撫でする。
「気が乗らぬな」
「なぁにっ、簡単なコトさぁ」
拒絶の意思を無下にされた。開き切った瞳を愉悦に染め、曝け出した凶相を近付ける。獣に近い、生臭い口が開いた。
「さぁっ。オマエを、寄こせぇっ!」
この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。




