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斯くて忍びは棄たれたり  作者: 青砥編佳
四 わびぬれば 今はた同じ
28/54

相通ず、故に相違う 二

2025.08.17 後半の永見の反応を変更

 ()りによって、此処(ここ)でか。

 焦がれる(まで)に出会いたかった相手と、最悪なる契機での邂逅。色々な感情が渦を巻き、顔の筋肉をどう動かせばよいか迷ってしまう。

 もし運命に神が宿(やど)るのならば、()の性格は余程、()じ曲がっているに違いない。

「ひ……っ……!」

 永見の動きが固まる。上から表情を(うかが)えぬが、血の気の引いているのだ、と簡単に見通せる。ほんの三間(約五.五メートル)ほど先に、全裸の男が突っ立って()るのだから。

「テメェは……ドコかで……」

 先手を取ったのは大黒(だいこく)。恥部を(さら)け出し、長い耳朶(みみたぶ)を前に押し出す。突き出た腹を揺すって一歩、永見へと近()いた。

「……やっ……や、だ……!」

 言葉を失った永見は顔を(そむ)ける事も出来ず、ただ後ろへと退(しりぞ)くだけ。全裸の男が前に進む(たび)、同じだけ後退(あとじさ)る。緩慢な動きは繰り返され、拍子が徐々に上がっていく。

「テメッ、逃げんじゃねぇっ!」

「いやあああぁぁぁっ!」

 大黒の怒りが分水嶺(ぶんすいれい)に達した。肩を怒らせた奇人から(のが)れようと、永見が悲鳴と共に(きびす)を返す。

 其の足が地を引っ()けた。古い舗装に足元を取られたか、駆け出そうした矢先に(もつ)れてしまう。

「このアマぁ!手間取らせやがってっ」

 恥部を晒した男が、姿勢を崩す子女(おなご)の背に迫る。其の距離、一間(約二メートル)

「永見っ!」

 友の危機に、身体が反応した。

 指先が壁から離れる。地に引かれる(まま)、頭から(ちゅう)へ身を躍らせた。(わず)かな間の、軽い浮遊感。獲物を狙う鷹の如く、狙いを澄まし急降下する。

「ぐぉっ!」

 寸前で姿勢を回し、膝(がしら)を大黒の後頭部に叩き込んだ。落下の力と自重を乗せた一撃が大黒の首根に食い込む。経絡(けいらく)から(つた)ってくる、硬く(つら)なる頸椎(けいつい)()し折る感触。

 構わず、重力に従って押し切る。声すら出せず、大黒の頭蓋(ずがい)は胸元まで屈曲した。

「しっ、しぃ君っ?!」

 露出狂に押し付け切れぬ重力の法則を、地面へ転がり逃す。回転の最中(さなか)、目を大きく見開いた永見を見た。背後で(たる)んだ五体が前方へと倒れ、自身の(かしら)を押し潰す。

「永見っ、大丈夫かっ!」

 身の痛手を気にする(いとま)も惜しかった。位置が()()す力が残るも立ち上がり、御河童(おかっぱ)頭の元へ駆け寄る。勢いに任せて両肩を強く(つか)み、異変が無いか入念に目視を行う。

「うっ、うん……」

 白黒させる瞳を向けつつ、小さく首肯する永見。簡単にも思える返事だが十分。肩から力抜けると同時に、胸が熱くなる。

 やっと、会えた。

 目尻の()れた大きな瞳に筋の通る小さき鼻。間違いない。ずっと追って来た、懐かしい顔が間近にある。

「しぃ君……ドコから来たの……?」

 延々と見続けたい小さな顔に浮かぶ、野暮な疑問符。驚嘆と共に投げかけられた質問は、頭に(てのひら)を押し付るには事足(ことた)りた。

何処(どこ)からでも良かろう?永見の危機に間に合うよう、急いで駆け付けたのだ」

 嘘。普段に比べ気障(キザ)な言い回しだが、(たま)には良かろう。印象付けるのは大事なのだから。

 だが、相手を納得させるには(いた)らず。

「だからぁ!いったい、どうやって……えっ……?!」

 永見が視線を(めぐ)らせる途中、いきなり抱き着いてきた。首元に顔を寄せ付け、全身から力が抜ける。咄嗟(とっさ)に腰へ手を回し、崩れ落ちそうな子女の身体を支える。

「どうしたっ」

 質問には何も返さなかった。ただ片手を震わせ、ゆっくりと伸ばす。焦点の定まらぬ指先が、地に()した大黒を指した。

 動かぬ、人の(なり)へ化けた異形を。

「……しっ、死んでるっ……のっ……?!」

 歯の根が噛み合わず、声が震える。(すが)り付く指先は握る力を失っていた。目の前の光景に目眩(めまい)を憶えたか、上半身が激しく揺れ動く。

「しっ……しぃ君がやったのっ?!……ウソでしょ?!」

 永見の問い掛けに、返す言葉を探してしまう。

 説明するには、何とも難しい状況。ただ静かに頭を支える手の位置を動かし、顔の半面を隠した。眉を(ひそ)めるのは、其の奥でしか出来ない。

「永見、落ち着いてくれ」

「落ち着くなんてっ、出来るワケないじゃんっ!」

 耳元で彼女の感情が爆発した。

 勢い良く顔を起こせば、濡れた瞳に同世代の男子(おのこ)が揺れる。

「なんで……なんで殺しちゃったのよっ?!」

 細く白い指先が(えり)を掴み、大きく振る。手綱(たずな)(さば)くのに似た叱責も、受けた相手は微動だにしない。

「ああでもしなければ、永見が危なかった」

「だからってっ……!なにも死なすコトっ!」

其方(そなた)の言い分は分かる」

「分かってたらっ……、なんでっ……!」

 感情に言葉が付いてこなかったのだろう。吸い込んだ息を吐き出せず、(うつむ)く頭は次の言葉を紡ぐのを止める。

 天を覆う(にぶ)色の雲が厚みを増した。薄明であった陽は(かげ)り、世界の彩度が落ちる。じっとりと湿った空気が肌を撫でた。息苦しい静寂が、永見との間を隔てる。

「しぃ君、自首しよう」

 短く、淡々と。だが強い言葉が、ふたりを切り裂いた。

「しちゃったコトは、どうしようもないじゃん。だったら、罪は償わないと」

「永見……」

「安心して。ワタシも証言するから。きっと、警察の人だって分かってくれる」

 再び上げた顔には、有無を言わせぬ決意が満ちていた。

 ああ、そうだ。永見は、そう()う子女なのだ。

 空中回廊の時も、遊戯場の道すがらでも、彼女は信じる正義を振り(かざ)した。何も悪い事では無い。ただ少しだけ、本当の義に(うと)いだけ。

 天を(あお)ぎ、肩で大きく息をする。顔に置いた手は自然、頭を()いた。

「本来ならば、永見の言う通りかもしれんな」

「……っ!じゃあっ!」

「だが、の。あくまでも相手が人で有る場合に限る」

 気色に染まった御河童の顔を、ふたつの(まなこ)凝視(ぎょうし)する。

「あ奴は妖者(ばけもの)ぞ」

「……信じらんないっ!」

 途端(とたん)、期待に弾けた顔が曇る。冷え始めた風が肌を刺した。

「永見、聞いてくれ」

 切り(そろ)えられた黒髪伸ばした手は、永見の掌で弾かれる。乾いた音と共に、熱を()びる指の付け根。

「見損なった。そんなコト言うなんて」

 瞳を細めて放たれた視線は、普段の(ぬく)もりなど、微塵(みじん)も感じられなかった。(けわ)しい表情は拒絶の色を(たた)え、口を真一文字に結ぶ。

「永見……」

「しぃ君も結局、トオルと同じなのね」

 弁解の機会も与えられず、視線を外された。小さく(かぶり)を振り、横を通り過ぎる。

 其の(あゆ)みが突然、止まった。

「――きゃあっ!」

 灰色の寒空に彼女の悲鳴が(とどろ)く。

「逃がすかぁ、よぉっ……!」

 足元で、何かが(うな)った。(のろ)いに(あふ)れる、野太く湿った声。

 何時(いつ)の間に近付いたのか。大黒の死体が永見の足首を掴んでいた。




 腹這(はらば)いの姿で、少し上げた胸の合間から顔を(のぞ)かせる大黒。半面を土色に染めるのは汚れか、()しくは死相か。

「なっ……何よっ、コレっ!」

 震える口元を手で隠し、永見の瞳孔が小さい点へと変わる。呼吸も忘れ、血気の失せた手足は棒立ちと相成(あいな)る。其の白い(くるぶし)に、締まりの無い指が(ひる)となって食い込む。

 言い(のが)れ出来ぬ失態。至近に這い寄るまで、全く気付けず、とは。彼女へ意識を向け過ぎた。

「くっ!」

 後悔は後。息を()くより早く、贅肉に(まみ)れた手首を(かかと)で踏み潰す。生まれたてのせいか、肉厚な腕は水風船を叩きつけたかの(よう)に破裂し、手首と腕が離れ(離れ)となる。

「うぎゃあっ!」

 くぐもった絶叫を乗せ、(ほこり)が舞った。構わず、蝋人形と見(まが)う程に青()めた永見の手を取る。

「しぃ君っ!」

「永見っ、逃げるぞっ!」

 固まる彼女を抱き寄せ、ふたりで路地を駆け出した。ちら、と背後を見れば、首の無い全裸が上体を起こそうと奮闘する姿。

執拗(しつこ)いっ!」

 空いた手を隠し物入れに突っ込み、焙烙玉を抜き出した。爪先に仕込んだ火種(ひだね)で準備を終えると、真(うし)ろへと放り投げる。

「しぃ君っ!」

「話は後っ!」

 直後に立ち込める白煙で時を稼ぐ。「クソォッ!」と吠える声が遠ざかった。知った事か。手前の道を折れ曲がる。ふたり並ぶのがやっとの裏路地。塵芥(ゴミ)の散らばる悪路を乗り越え、右へ左へと駆け抜ける。

「永見っ、急いでくれっ」

「そんなコトっ……、言ってもっ!」

 (いく)度目かの曲がり角で永見は足を止めてしまった。

 彼女には酷であったか。壊れた(ふいご)(よう)に息を上げ、重く下がった手を膝に置く。(ひたい)から落ちる汗も拭わず、大きく上下する肩が走れぬと主張した。

「あのヒトっ……、いったい何なのっ……!」

「言ったであろう?妖者(ばけもの)と」

 (まこと)。首の骨が折れたというのに動けるのは、(まさ)しく妖怪悪鬼の(たぐい)

「だけっ……どっ!」

「気持ちは分からる。が、の」

 彼女を追い詰めるのは本意でない。一句(一句)、選んだ言葉を口にする。

「間の前で起きた事柄を信じよ。あの身体で動けるのは尋常に(あら)ず」

 腰を直角に曲げ、(あお)ぎ見る永見と視線を重ねる。

「薬か、毒か、はたまた別の絡繰(からくり)か。とにかく、追手は健在。相手と距離を離すのが肝要(かんよう)ぞ」

 何度も鬼遊(おにあそ)びを繰り返す歳では無いのだ。思いを伝えれば、永見は真っ直ぐな前髪を垂らして黙り込む。

「薬……」

 路地に弱々しく響いた声。誰のものかは分からぬ。別に、誰のものでも良い。

「分かってくれたか?」

 今ひと(たび)、念を押す。押し黙った儘だが、細い首は、はっきりと(うなず)いた。

「ならば、先を急ごう。()もる話は其の後だ」

 丹田に気を込め、(さき)の道を不可視の触覚に頼る。間を置かず、手近にある大きな十字路を探り当てた。人通りの多い交差点。車の量も多い。()れならば、(まぎ)れるのも難しくは無い。

 同時に、触覚が届く範囲で大黒の気配も調べた。が、五感の網から(もの)()の感触は(つい)ぞ見付からず。見当違いの方角へ向かっているのだろうか。

「しぃ君」

 と、(にわか)に名を呼ばれた。何事か。つい片眉(かたまゆ)が跳ね上がる。

「どうした?」

「……疑って、ゴメン」

 口元が緩むのを自覚した。心地(ここち)良い響きに、胸の奥が温かくなるのを感じる。

「……いえいえ。友の仲ではないか」

 真。どうして(ともがら)の気を病ませる必要があろうか。顔を伏せる永見を安心させる為、(ほほ)笑みを返す。

 其れが、油断に繋がってしまった。

「――きゃあっ!」

 何度目の悲鳴だろうか。急転直下、永見の金切り声が鼓膜を震わす。

 眼前の御河童頭が突然に尻餅をついた。何かを振り払おうと必死に足を動かす。

「永見っ!」

 鳥肌を立てる彼女の肩を抱き寄せた。其の(つや)やかな太腿に(まと)わり付くのは――手首。

 多足の(むし)を思わせる動きで、太く醜い指が白い肌の上で(うごめ)く。切断面から膿緑の糸を引き、手の甲から盛り上がる巨大な眼球が(せわ)しなく周囲を観察する。

 と、不意に(まなこ)の動きが止まった。(にご)った瞳孔に、異相を宿(やど)した男を映して。

『ミツゥ、ケタァ』

 人間の声帯から出てくる事は無い、缶詰の(ふた)を叩く金属的な声音(こわね)

「っ!」

 身構えるより早く、手首が動いた。

 傷口から腐臭(いちじる)しい妖液が漏れ、異形なる妖蟲(ようちゅう)の全身を覆う。自身を食い破るかの(よう)に身を震わせると、醜悪な肉片は凄まじい勢いで膨らみ始める。

「ひぃっ……!」

 絶望で発声の仕方さえ忘れた永見。不味(まず)い。少女の肌に(かぶ)さる冒涜的な粘液塊へ指を突き立てる。力(まか)せに引き()がした。()したる抵抗もなく、肉塊は永見の肌から離れる。

 自身の右手と引き換えに。

「くっ!」

 右手首に(まと)わり付いた粘体。生暖かい脈動が皮膚()しに伝わる。何とも気色悪く、そして望外の重さ。腕が()りそうになる。

「し……しぃ君っ!」

「来るなっ!」

 駆け寄らんとする永見を空いた手で制した。瞬間、腐肉から目を離してしまう。

 其の隙を突かれた。

『ギャッ!』

 金属音と共に指の一本が伸びる。(かわ)せず、喉元に食い込んだ。鈍い衝撃に(たま)らず、背から地面へと転がる。

『ぐへッ、ぐへへッ!』

 既に人間と同じ大きさへ達した膿緑の醜塊(しゅうかい)。馬乗りされた形で()()かられた。手首であった異物は、不気味に揺れ動き(なが)ら、其の様相を変えていく。

 喉元と右手首に張り付いた粘着物が腕へと姿を変えた。腰を挟むように伸びた指は足へと化ける。残った一片が頭を生み出した。出来上がった顔は大黒と瓜二つ。

「へへへ、探したぜぇ」

 ねちっこい微笑を張り付かせる、福耳の男。気付けば、地面に仰向(あおむ)けに寝転がされ、大股で(また)がれていた。首と右手首は大黒の手で固定され、思う(よう)に身動きは取れぬ。

 (まった)く、人外の者(ども)ときたら。(ことごと)く、予測の外から攻めてくる。

「なっ……、なんなのよぉっ……!」

 現実を崩壊させる光景を前に、永見は気色を失う。唇の隙間から、只管に恐怖を凝縮した震えた呻きが漏れる。離れたい、と願う(かかと)が地面を擦るが、虚しく地面を引っ掻くだけ。

「永見っ!」

 切実な願いを叫べど、恐慌に陥った彼女の耳には届かず。

「いやっ……!そんなのっ……!」

 御河童頭を激しく左右に振り、眼の前の現実から目を背ける。くそっ、あれでは独りで逃げることも出来ぬ。

「ぐへへぇっ。こりゃあ、サイコーだぁっ!」

 何が(たの)しいのか、大黒の喉奥で湿った音が鳴った。声と言うよりも、粘つく液体が煮詰まる音。頭上では一糸(まと)わぬ姿で涎を垂らし、舌を()めずり回す。

(バク)のオモチャを壊せるだけじゃなく、オマエも捕まえられるとはなぁ。ツイてるってぜぇっ」

「其れは結構」

「ありがとよぉっ」

 減らず口を叩けば、お返しとばかりに大黒の口端が大きく伸びる。喜悦に満ちた、狂気の相貌。

「ちょうどイイっ。オマエにはもっと役に立ってもらおうかぁ」

 眉間に皺を刻む原因は、頭上で描かれた唇の歪みだけでは無い。其の奥に透けて見えた、別の思惑が神経を逆撫(さかな)でする。

「気が乗らぬな」

「なぁにっ、簡単なコトさぁ」

 拒絶の意思を無下(むげ)にされた。開き切った瞳を愉悦に染め、(さら)け出した凶相を近付ける。獣に近い、(なま)臭い口が開いた。

「さぁっ。オマエを、寄こせぇっ!」

この作品はフィクションです。登場する人物や団体、事件はすべて著者の想像によるものであり、現実のものとは一切関係ありません。実在の人物や団体、場所、出来事との類似がある場合でも、それは単なる偶然であり、意図的なものではありません。

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